イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

球としての地球を感じる!

2007-09-04 | 第八章「魂と聖霊」

毎日綺麗な夕日が観られていた猛暑のころと様変わりで、このところ毎日曇りがちである。太陽も月も見ることもなく一日が終わってしまう。

涼風が窓から吹き渡り、過ごしやすいので良いのであるが、どこか物足りない。

昨晩は、東京の直下型地震の危険性についてのテレビ番組を見た。先日のペルー地震のことも思い出した。いつもは微動もしない大地を感じて生きているが、大きな揺れの地震が起きることは、本当に怖い。

太陽、月、地球という生活に馴染みの三つが、このところ意識化しにくくなっているようでもある。それが、何か不安定さを産んでいるように思う。こころなしか、身近な人々も何となく不安げである。

話は変わるが、地球が球であり、ひとつの天体であることを知っていたのは古代からである。アリストテレスはBC340年に、月食、北極星の位置が緯度によって変わること、水平線の向こうから近づく船の現れ方を論拠として地球が球であることを論述している。

荘子(BC369?年~286年)も、逍遥遊篇で、9万里の上空を飛ぶ大鵬から見れば、地上が青一色に見えることを述べている。ガガーリンが地球は青かったを想像させるような言葉でもある。

現代では、学校教育を受けた人々は殆ど地動説を信じ、太陽や月の科学的な知識も昔と比べ、遙かに持っていると思う。

ただ、曇りの日でも、太陽、月、地球がきちっと法則にのっとって安定して動いていることを実感することは、意外に私も含めて難しいことなのかもしれない。

静かに、地球を感じると、心が落ち着くように思える。

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