この3か月くらいであろうが、壬申の乱を中心に持統天皇(女帝)や天武天皇のことを考えてきたのだが、不思議なことに旧約聖書の詩篇にたどりついてしまった。これも不思議な縁というか摂理のような気がする。
少し日本の歴史の復習しよう。奈良時代の前、7世紀の日本は東アジアの大変動の中で、唐(教科書では新羅・唐の連合軍とあるが実質は唐)に白村江の戦いで敗北し、当時の日本の軍隊の半分以上(3万人?)を失ってしまう。当然、敗戦国としての危機に立たされるが、新羅が唐に反旗をひるがし、戦いに勝ったお蔭で、弱体化した大和朝廷の内部分裂(壬申の乱)をも乗り越え、天武天皇・持統天皇の時代に律令国家が成立していく。その中には、壬申の乱に象徴される骨肉の争いもあったが、どういうわけか敵将の石上麻呂や、天智天皇側だった藤原氏を抜擢して政権トップに登用するなど、それこそ「敵を愛する」政治のお蔭もあり立ち直っていく。個人でも大変な怒りをはじめとする感情処理が、社会的規模で行われ、尋常ならざる平和構築が実践されてきたように思うのだ。
何年か前に、飛鳥から少し離れた桜井市の長谷寺に行ったことがあった。その時に7世紀の国宝、「長谷寺銅板法華説相図」を拝見し、壬申の乱後の天武天皇・持統天皇の時代の病気平癒祈祷のリアリティを驚きの中で感じさせていただいた。ちょうどこの時、同じ長谷寺での見学だっただろうか、曼荼羅図の中で様々な表情(怒り・・・)の観音様があったのだが、それは、どんな感情でも倫理道徳の次元と違って尊いということを悟らせていただいた。
感情の変化。特に暗い感情が明るい感情に変化する不思議について、私は非常に興味を持っている。若いころに従兄弟を通して知った、等価変換創造理論や今熱中している、「生き甲斐の心理学」は、暗い感情が明るい感情に変化する不思議を説明してくれる理論だと思う。皆から毛嫌いされるような外見の芋虫や毛虫が美しい蝶に蛹の段階を経て変身する不思議。それと同じような変身が感情の世界にもある。説明を端折ってしまうが、どんなに嫌な感情でも本質は神聖で、明るい感情の出現に繋がると考えると腑に落ちるのだ。
さて旧約聖書の詩篇であるが、もちろん日本から遥か遠くの西アジア。しかも約2500年以上の昔の世界で作られたものだが、その中の感情は実に生々しく、今の私の感情を増幅し揺さぶる。例えば詩篇109番は、もう怒りを通り越し呪いの段階かと思われる感情の吐露から始まる。それが、作者が手に負えない、苦悩の極致であることを悟る中で、怒り・呪いが深い哀しみに転じ、そして、それを埋めるかのような愛・憐れみが流入し喜びが湧く展開になっているのだ。
自己肯定・他者否定の世界から、苦悩により自己肯定が自己否定に転換。そして、自他肯定の世界が現れてくる。
こうした不思議な現象があり、あるいはそれに気づき理論化する人もあり、さらに、それを実践する人・政治家もいた。希望がある話ではないだろうか。
私にとっての吉野 9/10
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