私が若いころは、殆どの人が選挙投票に出かけて行ったイメージがあった。両親や祖父母の戦争を経験した人などは、選挙に行かないなど考えもしないようだった。
あれから、何十年かたち、日本の選挙は大きく変わったと思う。若者を中心に選挙に出向く人は激減したようだ。不思議な現象である。ただ、生き甲斐の心理学を学ぶ私には、思い当たることがある。それは自己イメージの問題だ。行動・・・選挙行動もその一部だが、行動は個人の自己イメージを反映させるということがある。
一票をどう自分のイメージと繋げているか。それが問題なのである。たかが一票と考えるか、一票もあると考えるか、それが行動という段で大きな違いになる。
今日は、知人から教えていただいたスイスの「あらゆる危険から身をまもる 民間防衛」(原書房)という本をパラパラめくっていた。スイスは国民一人ひとりがご存じのように自由を愛し義務が徹底されている。第3次世界大戦が起こっても、スイスだけは残っても不思議でないといわれるほど徹底している。
私は、5000年前のアルプスのアイスマンのことを想った。当時は縄文中期で、日本では世界の殆どの文化とことなり戦争のない時代をいまだに甘受していたころだ(その後は、自然災害や寒冷化で大変だったが)。アイスマンはどうも部族闘争の被害にあい、殺害されたようなのだ。
そして、今でさえ5000年前の状況は変わってないかもしれない。防衛という点で、何か日本人は変なのだ。
しかし、防毒マスクを所持し核にもある程度対抗できるシェルターをもつスイスと、殆ど無防備な日本(心の問題として)の差は恐ろしい。まずは、自分にとって何のために生きているか?そんな自問自答が遠いようで一番の近道かもしれない。
自分の傾向を考えてみる 2/10