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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ゆずれないことは譲れない!(自分の傾向を考えてみる 1/10)

2015-05-25 | 第八章「魂と聖霊」

 誰でも自分の傾向は気にする。太り気味、血液検査の結果、体重・・・身体の傾向は皆結構気にしているようだ。しかし、自分の個性の傾向はというと・・・。

 就職活動とか、そういう時は長所がどうとか短所がどうとか・・結構考えることもある。それは社会的な規範や、身近な人から言われたことなどが評価基準になることが多い。そして、就職活動の面接対策などが必要でなくなると忘却のかなたにいってしまう。

 私もそれに近いかもしれないが、自分の性格形成とか個性とかを現在一生懸命思索している(論文を書いているので)。その思索は心理学の先達の理論がベースになる。例えばロジャースとかエリクソンとかフロイトとか。

 自分の個性や人格をよ理論的に知る。意外に難しいが、いわゆる常識とか周りから言われたことなどを評価基準にするより格段にいろいろな発見がある。

 昨日は、知人から明治初頭にあった、宗教弾圧の実際の記録を読んでいた。その記録はキリスト教の棄教を迫る浦上4番崩れなどの迫害であったが、いろいろ考えさせられた。宗教迫害は遠藤周作の沈黙などに紹介され有名だが、棄教を迫られても拒否する行動をとる人間には驚かされる、時には命を失ってもだ。

 個人の傾向と渇望の中心に信仰が入る場合の不思議さをいろいろ思った。明治時代は廃仏毀釈もあり、考えてみれば大変な時代だったようだ。

 地元の神社や祠に、首のない石像とかを観ると、当時の激しい行動を産んだ時代を考えざるを得ない。性格の一部になるような信仰を排斥する恐ろしさ。もちろん時と場合があるが、これは人権問題そのものなのだろう。

 日本人の宗教弾圧や宗教戦争。これは、何もキリスト教だけでない。或るときお坊様から直接お聴きしたが仏教などにもあったそうだ(織田信長の時代など)。歴史をちょっと紐解けばわかるはなしなのだが、意外に知られていない。

自分の傾向を考えてみる 1/10

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