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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

嘉納伝助さんのアイデンティティ!(ストレス曲線をバネに② 8/10)

2014-07-25 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今日の「花子とアン」で嘉納伝助(伊藤伝右衛門)のいきざまをいろいろ考えさせていただいた。Wikipediaにも伊藤伝右衛門が詳しく説明がされていて、いろいろ考えた。突然の白蓮事件の中に巻き込まれ、新聞記事にもなりストレス曲線は錯乱に近かったのだろう。そんな中、今日の話は嘉納伝介の宮本さん(宮崎龍介)との錯乱場面が中心であった。どうなることかとハラハラしたが、蓮子さんが懐妊していることを知り、踏ん切りがついたのか穏やかになり、金額無記入の小切手のお祝いを渡す。

 お金に縁のない私にとっては無記入の小切手は凄かったが(もらったら卑しく10億円などと書くかも(笑))、何故彼が平静になり、恐らく今後とも平穏に暮らせるようになるだろう、感情と思考に興味深々であった。Wikipediaなどを読むと何故冷静になったのかがいろいろ考えられる。やはり一代で石炭王の名をはせる方なので、そのアイデンティティは盤石で、基本的にこうした大きなストレス曲線にも耐えられたのだろう。

 人生、二兎追うような環境に身を置きがちであるが、一兎を追う人生が盤石で当然ストレス曲線に波風が立とうが頑張れると思う。勿論、それが良いか悪いかはいろいろ他人から評価されるが。自分は自分とふんぎることも必要だろう。

 さて、昨日は京王線の堀之内駅の近くの松木にある浅間神社に行った。そこは、藤原氏の出と言われる松木七朗師澄の館があったとされ、宝篋(ほうきょう)印塔が残っていた。この宝篋印塔は1376年の南北朝のもので古く、八王子市の文化財指定を受けている。

  

 そして、その周りには、もう誰のものか判らない墓碑や、廃仏毀釈の影響なのか首のない石仏があり、時の移りゆく様を垣間見るようであった。

 白蓮さんの歌に・・・

 年経ては吾も名もなき墓とならむ筑紫のはての松の木かげに

 物理的なものは、お墓にもそうだが限りがあり、エントロピーの法則ではないが、全ては無?に帰すのだろう。そんな中、私は魂のことを夢想してしまう。伊藤伝右衛門さんも白蓮さんも既に亡くなっているのだが、魂はきっと存在すると思っている。 魂論はいろいろな宗教や哲学で古来から思索されてきている。最澄はすべての人間には仏性が備わるとしたが、当時の論敵、福一は、恐らく個々の人によって仏性があったり、なかったり・・・と考えていたのだろうか。どんな議論をしたのだろう。

 私の信じるカトリックではどうか。純霊は愛そのものということをいう神学者もいる。十字架の贖罪を考えると、私は愛そのもののように思ってしまう。

 話は変わるが、堀之内は浅間神社もそうだが、歴史を遡れば縄文時代等の遺跡の宝庫である。この浅間神社あたりにも縄文遺跡があったとの情報もあるが、今日は、さらに堀之内探索をしてみたい。縄文時代の魂はいずこに。

ストレス曲線をバネに② 8/10

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