イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ひらめきが冴える時、冴えない時!

2009-07-12 | 第八章「魂と聖霊」

 2泊3日の町田でのU先生の勉強会に参加し、久し振りに心身共にリフレッシュし、帰って来た。U先生をはじめ参加者の皆様、深く感謝である。

 さて、この勉強会の期間、この1-2か月のことを振り返り、何となく直観力というか、現実吟味力が想像以上に低下していた事実に気づいた。確かに最近雑念というか、防衛機制が変であったし、プロセス・スケールも低下傾向であった。

 生き甲斐の心理学を学んで行くと、自分のひらめき、直観が、信頼できそうか否かが判ってくる。まだまだ修行の身(一生の修行だろうと思うが)であるが、6年前は自分の状態把握がもっとできなかった。

 その6年前、長年勤めた会社を辞める決断をした。

 ほぼ1年かけて、自分のこころを生き甲斐の心理学で整理し、祈り、こころを落ち着かせて辞める決断をし、そして意思を家族や会社に伝えたのだ。

 この時はそれで終わったが、その数日後、家族や仕事仲間から、反対意見を言われ、ある時完全に動揺・錯乱し、意志を撤回しようとしたことがあった。ただ、運が良かったのか、会うべき人に会えなかったということもあり、はじめの意志どおりに事がすすみ、退職に至った。

 一つの選択に対し、ある意味で、二つの時点での直観(ひらめき)が全く異なったケースと見ることもできる。どちらの直観が正しかったのだろうか。

 人生の過去の選択は、今となっては、どちらが良かったか考えても始まらないところがあるが、生き甲斐の心理学の学びから、どちらのひらめきが、より確かであったかは、その時のこころの防衛機制(この場合は楽な現状への回帰となる合理化や退行)と、こころの健康度{プロセススケール)から結論づけられるようだ。

 今は、意志を変な形で翻す行動にならなくて良かったと感謝している。しかし、一年の準備をしても、その時の防衛機制などで情動が激しくなり、一時は翻そうと行動しかかった。その自分の弱さを懐かしく思う。

 トンビが獲物を空から狙い、急降下の時を待ち構えている。人間よりトンビが、ひらめきは確かかもしれない。弱い自分ではあるが、生き甲斐の心理学をより活かせるように、今後も修行を深めたい!

<旅は道連れ 2/8>

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