モース博士が明治に日本に来てすぐに大森貝塚を発見し(1877年)、その中で発見された土器に縄文土器と命名してから143年経つが、考古学者やその関係者のお蔭で、10,000年以上の縄文時代の土器の地理的、年代的な全容がかなり分かってきている。そして、それは生活の必需品ということもあり、連綿と途切れることなく紡がれている。
ある時期は地域的に花開き、ある時はある地域から全国的に展開し花開き、・・・それを観る楽しさは考古学者の方だけでなく、私のような素人でも同じだ。不思議な縄文土器の曼荼羅の世界だ。
ある地域で、ある時期に土器を作った方は、そうした縄文土器の全体像や曼荼羅を私たちのように知らなかったかもしれない。しかし、例えば村の先輩や家族から土器の作り方を学び、深い意味を持った施紋を施す。そして、人工的な要素の少ない野焼きで、祈りの中で土器を真剣に焼く。(例えば、モース博士が手にとっているのは小型の加曽利B式土器で大森だけでなく、関東甲信・東北と広域に3500年前頃に広まった。)
そうした中で、ある時期、ある場所で、土器の施紋の仕方など全く違う技術や思想に触れる。村長や宗教的指導者、様々な関係者との交わりの中で、今までと異なるものを作ったらと相談される。変化は決して受け取り安いものだけではない。ひょっとしたら、その土器の作り方は作り手の愛の原型が重なっているかもしれない。母が命がけで教えてくれた作り方や祈りを反故にするかもしれない。
しかし、それを乗り越えて、他者の愛の原型、やり方を認めて、変化を受け入れる。
それが、10,000年以上、そして北海道から南西諸島にいたる日本列島で連綿と行われてきたことを考えると胸が熱くなる。その中には、和解と平和のうちに変化するものもあれば、戦争まで行かなかったかもしれないが大きな諍いの中で変化をとげたものもあったかもしれない。
さて、昨日は市民講座で生き甲斐の心理学、こころの健康の核心についてU先生から学んだが、この縄文土器の変化とそれに伴う苦痛も大事なポイントに触れているひとつである。ストレスは自分の理想と現実認識のギャップ。自分の理想とする土器のあり方のほかに、別の理想が登場する。こころが健康であれば、他者の理想も今の自分の理想も柔軟に吟味し選らびとることができるが、そうでないと諍いになってしまう。理想の持ち方がだいじなのである。
考え方(理想・・・)が変わると世界が変わる。優美な火炎式土器も良いけど、使いやすい壊れにくい土器も良い。ほら、トチノミが美味しくふかせた。そんな風な会話が聞こえるようでもある。
自分の考え方を変化可能だと意識し、自分自身との対話を傾聴スタイル(受容、共感、純粋と一致)でおこなったらどうだろうか。言うのは易しいが・・・
真善美を意識する縄文 8/10
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