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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

新しい体験を心理学的に分類してみる!(新しい体験 2/10)

2016-06-12 | 第一章「意識と知覚」

昨日の続きだが、縄文時代の糸づくりの体験がどうだったか、を生き甲斐の心理学で学ぶ人格形成論から今日は考えている。

昨日の糸は一晩寝た後のいまでも、私にとって衝撃的である。人類が火を知ったことは革命的である。人類が初めての家畜として犬を得たことも画期的である。しかし、繊維から糸やロープをあみだしたことも画期的なことであった。これにより、石器を固定することができ、弓矢のような飛び道具もでき、衣服等にも応用できるようになった。画期的な基礎技術なのだろう。

この写真は、私が半分落ちこぼれつつ作った、カラムシの繊維から作って両撚りで巻き上げた糸である。私にとっては思い出深い写真だ。

さて、新しい体験をすると、この糸づくり体験のように心が躍る経験となったりするが、ロジャースの理論の命題11を下敷きに、私が三つに分類を考えると次のようになる。

①五感でしっかり認識し自分で経験を言語化でき、自分の生き方が強化される。

②自分との関係性がわからないので無視される。

③上記二つの中間で、もやもやとした状態で、歪曲して理解したりする。

どれが良いか悪いかということもないが、この3つの分類を知っていると、新しい体験を深める上で役に立つ。今回の私の糸体験は、おそらく①②③すべてがそろっていたように思う。次のような具合だ。

糸の発見は人類にとって画期的だ、それゆえ今の私がある。発見した祖先に感謝・・・こうした反応は①だと思う。

考古学の専門家は両撚りをマスターすることが大事で技術の取得を熱心にする。しかし、私は違うので、もういいや(技術に劣等感も感じたし)。こうした反応は②だろう。

3時間もカラムシから糸を作ることの専念したのに、私はどうも他の人のようにうまくできなかった。・・・年配者にはちょっと無理な教室だったのでは?しかし、継続してやってもいいかもしれない。こうした反応は③かもしれない。

このような、反応が同じ私からでてくるのだが、一番大切にしたほうが良いのはおそらく③ではないかと思う。アイデンティティが統合されておらず、大きく自分を変えられる可能性がある領域だからだ。

ということで、しばらく糸づくりの修業を継続するかもしれない(笑)

新しい経験 2/10

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