縄文を卒業して、そろそろ他の時代にでもと友達から言われたりする。そんなこともあり、時々萬葉集を読んだり日本書紀を読んだり、時にはいっきにWordPressの世界に行ったりするが、どうしても縄文の影が(笑)。
今日は、休憩中に萬葉集を読んだり、電車の中で日本書紀を読んだりしたが、実は縄文の知識があると、世の中で一般に言われているのと違った風に見える。ふつうは、1300年前の世界を現代から覗くという感じだが、例えば5000年前の祖先の眼で1300年前を覗くといった感覚に切り替わってしまう。
日本書紀や萬葉集を縄文語と繋がりの深いアイヌ語で読み解くなどの研究が既に一部の研究者によって始まっているようだが、実にどきどきする感じだ。
写真は2-3年前に2回行った吉野の宮滝であるが、ここは実は複合遺跡で縄文晩期後半の土器なども出土している。天武天皇、持統天皇などの愛した土地だが、例えば持統天皇の眼には、縄文時代に遡るはるか古が観えていたかもしれない(弥生で分断はしていないというのが定説になってきている)。
そして、縄文時代の文化は文字が発見されていないが、今では謎の1300年前の常識が、一部縄文を前提に学際的に捉えなおすと観えてくるものがあるようだ。
例えば、持統天皇の有名な歌。「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」。
ふと思ったのは持統天皇が禊をどこかでイメージしていたのではということだ。日本書紀や古事記にある、イザナキのミソギは有名だが、持統天皇がこの歌を作った時期は魑魅魍魎の政治の世界で大津皇子を除いた後のタイミング。そして、禊に(ミソギ)によって生まれ変わった・・・そんな晴れ晴れとした感覚があるのではないか。禊の文化は恐らく縄文から伝わっていたのではと妄想してしまった。
今も昔も、変わるものもあれば変わらないものもある。特に日本には、変わらないものが多く残されているのではないか!
愛と縄文 10/10