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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

真実を見抜く練習をたまには!(愛と縄文 7/10)

2015-07-03 | 第一章「意識と知覚」

 今日は不思議な雨の一日であった。どういう訳か国会中継を結構観たし、久しぶりにコンピュータのWordPressのお勉強をしたり・・・縄文の勉強もしたが、新しい視点のお話を読んだりした。そして、私にとってどれも新鮮であった。

 まず、国会中継。マスコミやネットでの二次情報というか、加工した情報はよく眼に触れるのだが、国会中継は、政治の当事者や参考人が直接迫力ある質疑の中で、コメンテータや解説抜きで何時間も観ることができる。そして、微妙な心理状況とかがかなり鮮明な画像や音声から伝わってくるのだ。なかなか迫力があって良かった。

 縄文時代についても、考古学の権威ある先生の説とか著作、権威ある・・・いろいろあるが、いろいろ読んでいると、私にとって気になるのは、A先生とかB先生とかビックネームが何を語るか、より真実か否かである。国会も右か左かというより、やはり真実か否かが気になる。

 自戒を込めて思うが、人は結構周りの人とか、状況とかにひどく影響され、いい加減なことを想ったり言ったりするものだ。特に、正中線が乱れているときは千路に乱れる。

 この2-3年のことなのだが、本当に真実か否か客観的なことは判りにくいが、本気度というか真面目さというか、魂の声というか・・・そういうものは何となく自分の湧き上がる感情の中から見えてくるように思われる(錯覚かもしれないが)。まあ主観的なのだが。変にだれだれがこう解釈したということでなくて。

 蛇足だが、弥生人とか縄文人の区別はDNA的にmtDNAと性染色体のY遺伝子の最近の研究から、かつてのとっても判りやすい縄文人は弥生人に置き換えられたという説は再考すべきことが多いということを知った。私たちも、戦後すぐは背が低く足も短い人が多かったようだが、今はかなり体型も変わっている。骨を調べて、将来の考古学者は1945年を境に日本人は入れ替わったというだろうか。このような話は結構多いように思うのだ。

愛と縄文 7/10

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