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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

古代の日本語を思索すると見えてくるもの!

2008-05-07 | 第五章「和解と平和」

 四谷見附に近いところにある中学校は、私の好きなスポットである。広々とした校庭。道路沿いの雑草も入り混じる花壇。学生時代の楽しい記憶がどこかで浮かぶのか、明るい気分になる。

 思い出せば、中学・高校のとき、英語を勉強したり、古典を勉強したりで、言語に関して結構楽しく勉強したように想う。ただ、受験に直結していたのか、無味乾燥な勉強も結構あり、社会人になると必要に迫られて語学の勉強はしたものの、心のそこから語学を楽しんだことはなかった。

 今年のゴールデンウィークは、府中のくらやみ祭りの収穫も大きかったが、もうひとつ大野晋氏の「日本語はいかにして成立したか」{中公文庫)との出会いも大きかった。言語に関する、日本語への想いが変わったのだ。

 言(ことば)に関する自分の概念は、生活のためという、どちらかというと即物的な言のイメージがある。一方、新約聖書ヨハネ福音書の冒頭にあるような「初めに言があった・・・言は神であった」といった神聖なイメージもあった。

 今回大野晋氏の著作を通じて、言語、特に自分の使う日本語の印象が一変した。日本語はつい万葉集の時代に漢字で日本語を記述できるようになったということ。大陸文化の影響で、古代の4母音が万葉集の時代に大きく変わり8母音になり、やがて5母音に落ち着くなど、言葉も大きく変わったこと。なかでも驚いたのは、従来日本語は否定表現が貧弱であったのだが、中国からの哲学等では論理的表現が豊富にあったので、日本語の文法を曲げて、弱かった否定表現を強化したことである。

  また、万葉集ののどかな表現も、忌み言葉を避けた、呪言的な意味があることを知った。日本でも、冠婚葬祭の時に忌み言葉を気にすることがあり、日本の言霊の文化は今でも息づいているが、当時はもと凄かったのだろう。

 言語、日本語のルーツを考察すればするほど、くらやみ祭りの源流のより宗教的な世界と結びついてくるように思う。

 古代、祖父母の時代、お互いに話す言葉を、お互いの魂からの言葉と理解しつつ、あるいは信じて話していたのかもしれない。言葉の本質は祈りと通じる。

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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。