読書の秋!最近は8世紀9世紀ごろの日本の歴史、特に宗教とか怨霊といった分野の歴史を読んでいる。
その中で、つくづく思うのは、当時の政権中枢の人々の大変さである。「神も仏もあるものか!」というような悲惨な死に方をされた方々の無念さを想う。怨霊が怖れられ、祈祷が大事にされ、空海や最澄が現れた時代背景をしみじみ思う。
こうした歴史は昔の話であるが、現実の世界も、昔と同じように「神も仏もあるものか」と叫びたくなるような体験をされた方がいらっしゃる。そして毎日のように、悲惨な事件が報道される。だんだん、自分の中に信じる力は本当にあるのだろうか?と自問自答してしまうようになる。
そんな時に、日本にも来られたことのある、コルベ神父の話を思い出す。彼はアウシュビッツに送られ、強制労働に明け暮れたが、ある日妻子のある男の身代わりとなって、自らの意思で飢餓室に送り込まれる。そして他の囚人と、食べ物が永久に奪われる、飢餓室で亡くなる。ただ、その極限の状況で亡くなる前まで神父として他の囚人の世話をし、賛美歌を歌っていたことが記録されている。
囚人の中には、飢餓室に送り込まれた絶望から、錯乱して亡くなる人もいたが、最後まで神を信じ賛美した人もいたのだ。絶望か神の賛美か、外部の状況は同じでもこころの状況は全く違うようだ。
信じることとは何だろうと想う。そして、そんな信じる力はどこから生れるのかと考える。
寒々とした風景に現れるお月様、まだ満月ではないが、豊かな神秘を語っているように思う。
人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!