人は一人では生きていくことはできません。ですから私たちはいろんな事に依存して生きていきます。
しかし、その依存の度合いが非常に高くなり、日常生活に支障をきたすようになると、その依存はもはや生きていくための要素ではなく、「依存症」という病気になっていくのです。今回はこの依存症に焦点を当ててみたいと思います。
依存症にはたくさんの種類があります。主なものとして、アルコール依存、薬物依存、食依存(過食)、ニコチン依存、買い物依存、パチンコ・ギャンブル依存、恋愛・セックス依存、仕事依存etc。。。
また、アルコール依存の人などに依存する人間関係依存、いわゆる共依存といわれる人も増えてきています。例えば夫がアルコール依存で、家で暴れて暴力を振るっても、黙って耐えて離れようとしない、というケースなどです。背景には、何度か離れても、「もう二度と暴力はふるわないから許してくれ」などといわれると「この人に必要とされている」と思えてうれしく思ってしまうのかもしれません。つまりこの人自身、寂しいんです。だから自分を必要としてくれる人に依存し、心の隙間を埋めているのです。そうなると二人は前向きな関係にはなりませんよね。。。
赤ちゃんは100%母親に依存して生きています。そして成長と共に母親から自立していくプロセスをたどっていくのです。しかしその過程において、何らかの原因で充分に依存することができなかったとき、それを補うための代替行為として「依存症」に陥るのではないか、と考えています。
というのも、実際、依存で苦しんでいる人に催眠療法の過去退行をしていくと、ほとんどの人が幼い頃の親とのさまざまな出来事を昨日のように鮮明に思い出し、その頃の自分に戻って激しく泣いたり怒ったりするのです!
私がまだ駆け出しのカウンセラーだった頃、この状態でカウンセリングを終了してスーパーバイザーに怒られたことがあります。なぜならその後、このクライエントは家に帰って、年老いた母親に対し、カウンセリングで思い出した何十年も前のことを持ち出して怒り狂ったというのです。。。
必要なのは、その時の自分(インナーチャイルド)の気持ちをじっくり時間をかけて聞いてあげることなのです。そしてその時の自分と親とが和解をしていくというプロセスを経て解催眠をするのです。
依存症は我慢をして止めても、別のものに依存していく可能性があります。それがどっぷり浸かり過ぎない調和のとれた依存であればいいのです。
自立と依存の間をバランス良く、といきたいですね。。。
問い合わせ
メールアドレス
ilcuore.yokohama@gmail.com
心理カウンセリング・こころの個別スクールのイル・クオーレ
しかし、その依存の度合いが非常に高くなり、日常生活に支障をきたすようになると、その依存はもはや生きていくための要素ではなく、「依存症」という病気になっていくのです。今回はこの依存症に焦点を当ててみたいと思います。
依存症にはたくさんの種類があります。主なものとして、アルコール依存、薬物依存、食依存(過食)、ニコチン依存、買い物依存、パチンコ・ギャンブル依存、恋愛・セックス依存、仕事依存etc。。。
また、アルコール依存の人などに依存する人間関係依存、いわゆる共依存といわれる人も増えてきています。例えば夫がアルコール依存で、家で暴れて暴力を振るっても、黙って耐えて離れようとしない、というケースなどです。背景には、何度か離れても、「もう二度と暴力はふるわないから許してくれ」などといわれると「この人に必要とされている」と思えてうれしく思ってしまうのかもしれません。つまりこの人自身、寂しいんです。だから自分を必要としてくれる人に依存し、心の隙間を埋めているのです。そうなると二人は前向きな関係にはなりませんよね。。。
赤ちゃんは100%母親に依存して生きています。そして成長と共に母親から自立していくプロセスをたどっていくのです。しかしその過程において、何らかの原因で充分に依存することができなかったとき、それを補うための代替行為として「依存症」に陥るのではないか、と考えています。
というのも、実際、依存で苦しんでいる人に催眠療法の過去退行をしていくと、ほとんどの人が幼い頃の親とのさまざまな出来事を昨日のように鮮明に思い出し、その頃の自分に戻って激しく泣いたり怒ったりするのです!
私がまだ駆け出しのカウンセラーだった頃、この状態でカウンセリングを終了してスーパーバイザーに怒られたことがあります。なぜならその後、このクライエントは家に帰って、年老いた母親に対し、カウンセリングで思い出した何十年も前のことを持ち出して怒り狂ったというのです。。。
必要なのは、その時の自分(インナーチャイルド)の気持ちをじっくり時間をかけて聞いてあげることなのです。そしてその時の自分と親とが和解をしていくというプロセスを経て解催眠をするのです。
依存症は我慢をして止めても、別のものに依存していく可能性があります。それがどっぷり浸かり過ぎない調和のとれた依存であればいいのです。
自立と依存の間をバランス良く、といきたいですね。。。
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心理カウンセリング・こころの個別スクールのイル・クオーレ
そこでここへたどり着きました。
ひととおり読んでいて自分のことが沢山書いてあるのかと思うほど・・w
これからも、ここでお勉強させてください。
今度はどんなコラムが掲載されるのかな?
一日も速いコラムアップ楽しみにしています。
やはり、大切なのは「利他」です。
他人のため、国のために何かをする(誰も片道分の燃料を積んで敵艦に突っ込めなどとは言っていません)というのは、身勝手な見返りさえ求めなければ、どんな容姿、能力の人でもできます。
この「利他」は、一切「格好いい」とか「ステキ」とつながらないところにある自己実現を可能にします。
この「格好いい」「ステキ」あるいは「もてる」に対する絶対的価値の付与は、もはや宗教的様相を呈しているといますが、これは後述するように、多くの人にとっては得難い価値であるため、現代人は一種の精神の泥沼に入り込んでいるのです。
また、「利他」は、必ず評価されます。
その評価に満足できないのは、欲望を満たしたいという邪念がどこかにあるからです。楽に暮らしたい、もてたい、○○がほしい・・・これらは、資源的な問題から実現可能な人が限られてる以上、人生の中心命題にしてしまえば、自分への不信が必ず生まれてしまうのです。
ただし、「利他」も、それが本当に他人のためになっているのか、もしかしたら自分の功名心を満たすための手段になっていないか、常に検討すべきです。
また、伝え方も工夫しなければいけません。
我々が本当に心から喜ぶのは、他人の喜ぶ顔を見たときだけなのではないでしょうか。だからこそ、内なる自分と向き合うだけでなく、他人に対して、社会に対して働きかけなくてはならないのです。
だから、私は人生の中心軸に「利他」というものを据えていきたいと思っています。
実際難しい~ものですよね。
私も誰かに依存して今現在生きているのかなぁ??
宮井先生上手なバランスの取り方教えて下さい。