+3Kの牛の如く

前に向かってひたすら歩く。
感動し、希望を胸に、明るく楽しく元気に。
大地を踏みしめて歩く。牛の如く。

蝶ヶ岳へ今年も

2014年10月31日 | 本州の山
もう1か月が過ぎてしまった蝶ヶ岳登山。蝶ヶ岳に登ったのは9月20日で、テント泊をして21日には下山したが、山頂から眺めたあの御嶽山が27日に大噴火をし、多数の犠牲者を出した大惨事に動揺し、痛ましさで自分の記録などまとめる気にならなかった。
思えば、御嶽山は私が北アルプス登山をデビューした山である。2009年5月、からつ労山の仲間4人で王滝駐車場から、王滝山頂に続く雪の斜面を直登し、剣ヶ峰山頂まで辿り着いた初めての3000メートル級の山である。
今回の噴火から救助活動までの惨状を映す映像を見るにつけ、懐かしさと共に、自分たちが立った山頂、あの場所が噴火にさらされたと思うとあたかも自分のことのような驚きと怖さを禁じ得ない。ただただ犠牲者の方々のご冥福を祈るのみである。冒頭の写真は蝶ヶ岳から見た御嶽山。左端に見える山である。鎮魂を祈って。

さて、蝶ヶ岳登山について記録をまとめてみたい。ようやくその気になってパソコンに向かっている。
長を9月18日夕方出発。今回も家内と二人である。途中の高速道路サービスエリアやパーキングで休憩と仮眠を取りながらのゆっくりドライブである。平湯温泉あかんだな駐車場に19日午前11時頃に着いた。出発準備をしてバスで上高地へ。上高地バスターミナルには観光客と登山者が溢れていた。
午後1時前に上高地を出発。家内にとっては初めての上高地である。人の多さに驚いてる。河童橋での記念写真も順番待ちのような状態で、人混みに交じっての撮影となった。
河童橋越に穂高岳を望む

記念撮影


今日は横尾までのほぼ平坦な道のりで、到着時間の計算ができるので、ゆっくり景色を楽しみながらの歩きである。明神では遅い昼食を取り、徳澤ではソフトクリームを食べ、と久しぶりの歩きに足を馴らしながら、梓川のせせらぎに耳を傾け、穂高の岩稜に目を見張りながら進む。ほぼ予定通り16時頃に横尾山荘に到着。横尾大橋での記念撮影、屏風岩や前穂高の岩峰を眺め、その後山荘の湯船で汗を流して、夕食の時間を待った。

明神での記念撮影と明神岳の岩峰


徳沢のキャンプ場、徳沢園、横尾大橋クリックすると拡大します


横尾からの登山道入口


20日5時30分からの朝食を終え登山準備を整えて、いよいよ6時35分横尾山荘横の登山道を歩き始める。気温6度。横尾からのコースは、急斜面の連続ということで、徳澤からの長塀山コースからするとマイナーなルートとして捉えられているようである。果たしてどうか?今回は下山を長塀山コースに設定しているので検証ができそうである。
家内の脚力を考え(実は私もだが)出来るだけゆっくりペースで、を心掛けて歩く。登山道の段差が大きいところには、真新しい木の階段が設置され、登りやすく整備されている。
45分で「槍見台」に到着。槍見台にはベンチまで新設されていた。待望の槍が目に飛び込んでくる。穂高岳の岩稜も見え、力が湧いてくるようだ。衣服調整をして再び歩き始める。次のポイントは「なんちゃって槍見台」である。ほぼ60分で着いた。ここもベンチや距離案内表示盤が真新しい。登山道を整備していただいた方々に感謝。順調にあまり急傾斜を意識することなく登り上がってきた。
その後、40分から50分間隔で休憩を挟んで、11時30分森林限界を超えた。振り返ると槍ヶ岳から穂高岳までがドーンと目に飛び込んできた。雲一つない快晴。昨年7月は雲に覆われた景色だったが、今回は待望の山々が姿を現して出迎えてくれた。

槍見台、新調されたベンチ、真新しい木段クリックすっると拡大します


なんちゃって槍見台から見た槍ヶ岳


なんちゃって槍見台のベンチ、その後の案内距離表示クリックで拡大
   
森林限界手前の紅葉。この後は大展望が!




常念岳分岐。ようやく山頂稜線。

常念岳への分岐を経て蝶ヶ岳ヒュッテへ。テント場の受付をして蝶ヶ岳山頂下のテント場へ。まだ早い方であったが既に平らに近い場所はテントが張られていて、風の当たらない場所へ何とかテントを張る。その後ヒュッテでおでんとカレーうどんで昼食。もちろん麦酒も。無事登り上がって二人で乾杯。
食事を終えて山頂へ。中学生の団体もいて賑やか。360度の展望に感動。二人の記念写真は中学生に撮ってもらう。我が家の二番目の孫と同学年のようだ、快く引き受けてくれた。
夕方が近づくと穂高の峰々に雲がかかってきた。さすがに日差しがなくなると寒い。ダウンを着て早めに夕食に取り掛かった。周りのテントでも夕食の準備が始まっている。食事後テントを出るとテント場いっぱいにテントが張ってあった。40張りくらいか、いつの間に増えたのだろうか?通路さえ塞ぐように。ただ次にテントを出たときは通路から移設されていたので、誰かが指摘したのかもしれない。
山頂での記念写真。昨年は二人の写真は無かったが…。

雲が湧いてきた穂高岳、テント越しに見る槍ヶ岳




午後8時過ぎ、テントを出て夜空を見上げた。満点の星空で、手が届くように煌めく星たちが姿を見せていた。天の川も見える。ピーンと張りつめた空気の中の星空は格別である。安曇野の街の明かりも煌めいている。二人して綺麗を連発して感動に震えた。来て良かった、素直な感想が漏れた。
夜中に家内が悪夢を見たようで、うなされた声で目が覚めた。気分転換に外に出ると安曇野の上にオリオンの三つ星が目の前で輝いていた。もう冬が間近なのだと感じさせられた。
午前4時には目が覚めた。しばらくして寝袋から出て身支度をして外に出た。東の空が明るく白めいている。いよいよ白が朱色に染まってきた。家内を読んで荘厳な夜明け、輝かしい日の出を待った。山頂から日の出を見るのは家内は初めてである。言葉で言い表せないほどの感動を受けているようだ。組んだ腕に力が入っていた。
槍から穂高にかけて太陽を浴びて赤く染まってきた。この景色も目に焼き付いてくる。浅間山、八ヶ岳、南アルプス、富士山、乗鞍、御嶽と、夜明けとともにその輪郭を見せてくれた。この景色を見せたくて2年連続して蝶ヶ岳を目指した甲斐があった。
感動の夜明け




















夜明けのショーを堪能して朝食。気温はマイナス1度。もしかしたら感動ではなく寒さに震えていたのかも?まあどちらでもいいが、家内も手伝ってテントをたたむ。我々が撤収する頃は既に半分以上は出発した後だった。
7時前にテント場を出発し山頂へ。山頂から今一度360度の眺望を目に焼き付けて長塀山コースへと進んだ。
山頂から360度の眺望












アップでもう一度。槍。大キレット。穂高。









這い松帯を下りた草地は、粉をまぶしたように霜で白くなっていた。

長塀山までは、途中砕石を敷いた道があったもののまずまず順調に下った。ただその後は、登山道の泥濘防止のためか敷かれた砕石が不安定なために足を使う下りで、おまけに丸太の梯子は段差が大きく、軽快に下るなど程遠い状況で、横尾に下った方が良かったと思い知らされた。
このルートがメジャーなのか、40名あまりの人が登り上がってきたが、私の感想では横尾ルートが上り下りともお奨めと思った。
利用者だから文句は言えないが、砕石の置き方、梯子の工夫など、横尾ルートと格段の違いがあり、整備された労力には感謝するものの安全に登山という視点で見直してほしいと思う。自然を大切に、自然のままにということもあろうが、怪我人を出したりしたら人気の山もルートも泣くようなそんな思いもした。
一方、徳澤まで後1キロほどの地点で、下山中ねん挫した女性に出会った。既に救助隊へ連絡したということで、下山途中で救助に向かう隊員と出会ったが、彼らの逞しさには敬服した。徳澤で休憩していると女性を背負った隊員が下りてきた。上りの速さといい、背負う力、脚力には頭が下がる。頼もしい限りである。といってもお世話にならないよう心して山登りをしたいと思う。
家内も後半は膝が痛いと言い出す。転ばないように急坂を慎重に下る。12時50分ようやく6時間ほどかけて徳澤に着いた。下りに解放されてしばらく休憩。予定からは1時間以上遅かったが、この後は平たんなコースだから足元に気を付けることもないので、励ましながら上高地BTを目指せばいい。
休憩がてら、明神でそばを食べて、再び出発。16時頃上高地BTに着いた。

上高地BTからバスに乗りあかんだな駐車場へ。その後ザックから解放されて「ひらゆの森」で入浴を済ませて、長崎への帰路に着いた。
こうして、今年の北アルプス登山は終了した。帰路の会話で来年はどうしようかということになった。来年は槍ヶ岳か御嶽山にでもと話して帰ったが、まさか1週間後の27日に御嶽山が噴火するなど夢にも思ってなかった。
あらためて、御嶽山の犠牲者の方々のご冥福を祈って、今回の記録を終えたい。

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