+3Kの牛の如く

前に向かってひたすら歩く。
感動し、希望を胸に、明るく楽しく元気に。
大地を踏みしめて歩く。牛の如く。

宮島・弥山へ行く(2)

2009年11月17日 | 本州の山
厳島神社の西回廊入口を過ぎると観光客の姿は見えなくなった。我々は、神社の裏を周るように大元公園に向かった。

暫く進むと大元コースの登山口に着いた。標識の「もみ自然林、弥山登山、大元神社」の方向に進む。

直ぐに「大元大明神」と記された社があった。

公園内の標識に従って弥山、駒が林方向に少しずつ高度を上げていった。
歩いていると標石があるのに気付いた。

途中番号が飛んでいる所があったが、標石の番号は登るにしたがって増えていた。
大聖院の分岐を過ぎた辺りからは、「○町」から「○丁」に変わっていた。

後で調べてみたら、標石は「丁石(町石)」と言うらしい。そもそも弥山参詣登山道に一丁(≒109m)ごとに設置された道標石造物ということだ。古くは慶長四年(1599年)のものもあるという。江戸時代のものも30基ほどあるそうだ。中には、仏像が彫り込まれた丁石もあるという。また、明治39年(1906年)伊藤博文が弥山の参詣道を改修し24基の丁石を設置したとの記録があるそうだ。
流石に、古代より島そのものが神として信仰の対象としてされてきたことを物語る丁石である。
岩屋大師が祀ってある巨石近くの岩肌に鮮やかに色づいた木があった。

程なくして稜線に飛び出した。一気に視界が開け瀬戸内海の海が輝いていた。
写真は撮ったもののカメラが悪いのか感動が写ってなかったので島々の写真は割愛する。
弥山に向かっていると駒ヶ林の分岐があった。早速向かっていると次のような説明板が立っていた。

10分程で山頂の大きな岩に登りついた。沢山の人が天然記念物の原生林や巨石が頭を出した山肌、輝く瀬戸内の海を眺めて寛いでいた。
「竜ヶ馬場」古戦場の説明板も立っていた。

再び弥山に向けて進んでいくと御山神社の分岐があり、朱色の鳥居と黄色い紅葉が眼を惹きつけた。

いよいよ山頂への登りが急なってきた。途中に「水掛地蔵堂」があったので孫たちの健やかな成長を願ってお水を掛けさせてもらった。

そこを過ぎると最後の急登が待っていた。「大日堂」への石段である。

「大日堂」厳島神社の神護寺として勢力を持ち、明治以前は正月七日間全党の僧が登山して、修正会を勤修し国家の隆昌を祈願した道場であったといわれている。


大日堂の裏手に回ると「干満岩」があった。七不思議の一つと言われる。
説明板には、「岩穴の水は、満潮の時には溢れ、干潮の時には乾く。不思議な穴で、水は塩分を含んでいる。弥山七不思議の一つ」と記されています。
写真の男性の口の前の黒っぽい部分が穴である。

いよいよ弥山の山頂に着いた。もううんざりと言うほど人が溢れ、ひっきりなしにどんどん登ってくる。我々もまたその一人ではあるが・・・。仕方なく通路のようなスペースを確保して昼食となった。朝早かったこともあり待望の昼食である。
食後は、もみじ谷を下ることになっている。その前に行きたい所があった。
下山は明日にまた。

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