人は時として思いがけない状況に直面することがある。これまでごく普通に過ごしてきた当たり前の日々が、ほんの一瞬の出来事を境にして予想だにしない日々に変わってしまう。そんな時、どれだけ前向きに正面から自分と向き合えるか、不自由なく健康に日々を送る身には想像がつかないというのが正直なところだ。
母の病を知ったのは年が明けてのすぐのことだった。突然のことで、初めはその状況を冷静に受け止めることができなかった。年の瀬になんだか体調が悪いとは聞いていたが、もともと丈夫なたちではなかったので、さほど心配はしていなかった。
それが、ほんのわずかの期間で、このままの状態であれば予後に限りもあるという診断が下されたのだ。家族みんなが途方に暮れた。母のために何ができるのか、家族がただひたすらそれだけを考える日々が続いた。病の宣告を受けた母も動揺を隠せない様子だった。宣告からの数日は塞ぎこむことも多々あったし、家族の前で取り乱すこともあった。それでも、母は病と闘うことを決めた。その母の決意を家族みんなが共有することができたのは言うまでもない。
それからというもの、母は辛い治療にも決してくじけることなく正面から自分の命と向き合った。どれほど辛いかは想像を絶するが、それでも母は泣き言を口にするどころか、家族が見舞いに顔を出すたびに気丈に振る舞った。その姿に母の芯の強さを見たような気すらしたものだ。あれから半年以上、母は驚異的な回復をみせ、今は自宅で療養の日々を送っている。
日々の暮らしの中で、私たちはどれだけ自分の命と真剣に向き合っているだろうか。命と向き合うことで見えてくるものがある。今ここに命を授かり、生きていることへの奇跡に、日々もっと感謝しなくてはならないのかもしれない。 (高野 紘)
新聞でこんなコラムを見かけました
金魚の病がわかったのも、年はじめのこと
何となく不思議な親近感をおぼえました…
こんなコラムがありました
長いスパンで考えずに、
今日一日を百パーセントでクリアしていこうという思いで過ごしてきた
今日一日だったら頑張れる
それを続けていけばいいんです
次の日になるとまた違う力がわいてくるものですよ
まだまだ、がんばらなくちゃ…