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金魚のひとりごと

縁日ですくってきた金魚も大きくなりました

おばあちゃんの誕生日

2008年09月15日 | 回想

今日は敬老の日

国民の5人に1人が65歳以上だという
山形県は4人に1人が65歳以上で高齢化は進んでいるという

そういえば
9月15日は亡き祖母の誕生日だった
ものごころついた時から
おばあちゃんの誕生日は敬老の日だったから
記憶に残りやすい日だった

明治生まれで90歳まで長生きした

晩年は寝たきりが長く続き、痴呆症もあった
金妻や息子たちにはペットの上の記憶しかないという

金魚は両親が共稼ぎだったこともあり
おばあちゃん子だった
幼い頃からの記憶には祖母が欠かせないものであり
何かと印象は深いものがある



そのうちにそんな記憶をさかのぼってみたいと思う



学生街の喫茶店・ガロ

2008年09月08日 | 回想

先日、長男が参加するイベントが某大学であったので
車で送迎することになった

一般開場までは時間があったので
金妻とぶらぶら‥
残暑が厳しく、陽射しも強かったので
日陰を求めて近くの蕎麦屋で昼食をとることになった

模様入りのガラスの茶碗には
冷たい麦茶が入っていた
まだ、夏だな~

昼食を終えても
まだ、時間があったので
近くを金妻とラブラブ‥じゃあなくてぶらぶら‥

でも、暑い!

避暑を兼ねて、近くの喫茶店へ

久しぶりだなぁ~
大学の近くなので学生で混んでいるかなぁ~と思っていたけど
当初は誰もいなかった
後で「大盛!」を注文する学生さんがやってきたけど‥

それにしても久しぶりだなぁ~

金妻と二人で喫茶店に入るなんて何年ぶりだろう
結婚する前や子どもが誕生する以前の新婚時代かなぁ~


紫煙がたなびく中で
ちょっと渋いコーヒーを飲んで
いろんなことを語り合ったんだろう


時が流れて‥
子どもたちからも手が離れ
これからは夫婦で語り合うことも多くなるかもしれない

そんな時、
「そんなのうっとうしくて‥」なんて言われないようにしなくては‥



昔、学生街の喫茶店という歌が流行っていた


あっ!そろそろ一般開場時間だ
喫茶店を出ても陽射しは強く眩しかった



学生街の喫茶店・ガロ



君は天然色 大瀧詠一

2008年08月13日 | 回想

先日、レンタルCDの店で
懐かしいタイトルを見つけた

A LONG VACATION

二十歳の頃、そのレコードを手にしたと思う

今はそのレコードそのものはないけれど
吹き込んだカセットテープは今も手元に残っている

でも、悲しいことにカセットデッキは不調だし
愛車で再生したくてもカセットテープの挿入口はない



金妻も同じカセットテープを持っているという

一緒にその時代を過ごすことはなかったけれど
同じ曲を聴いて
それぞれの青春を謳歌していたんだろう



早速、CDを複製してもらい(よくわからなくて長男に任せている‥)
愛車で懐かしさとともに口ずさみながら聴いている

今も色あせることのない曲(アルバム)
何度かテレビCMでも流れたことがあるし
この季節にはラジオからも曲が流れてくる


いつまでも新鮮さ、洗練さを失わない曲ばかりだ




君は天然色 大瀧詠一



ビッグレーシング

2008年06月19日 | 回想
古い箱が出てきた

「ビッグレーシング」

8の字のコースを作って
2台のスポーツカーを競わせるオモチャ

十数年前、長男の1歳の誕生祝いに父が買ってきたもの

もちろん1歳の長男が楽しく遊べるオモチャじゃない
抱っこして箱の前で記念撮影したことを憶えている

仕方がないので、代わりに父が喜んで遊んでやった



小さい頃、プレゼントにこれが欲しいとは言えなかった
友だちの家にはいろんなオモチャがあった
テレビで宣伝している玩具だったりしてうらやましかった

家が特別に貧しかったわけではないけど
兄も妹もいた
祖父母もいた
小さい時は嫁入り前の叔母さんもいた
家族が多かった

着るものは兄のおさがりが多かったように思う
継ぎ接ぎのズボンを履いていくのは恥ずかしかった
それが当たり前だったのかもしれないけど‥


家族が少ないということは
おさがりだってないだろうし、それだけでうらやましかった

友だちの家に遊びに行ったりすると
友だちのお母さんが当たり前のようにいた
出されたお菓子や飲み物は
見たこともない洒落たもののように感じた

両親が共働きだったので家には祖父母がいたが
友だちが遊びにきても気の利いたお菓子などはなかった
そんな気がする



あのオモチャは
本当は金魚が欲しかったのかもしれない

古い箱を手にして
そんな思い出が蘇えってきた




蘇える‥

2008年06月18日 | 回想

先日NHK-BSで“蘇える勤労感謝の日”を放映していた
じゃあなくて‥

“蘇える金狼”

起きていられない時間なので
ビデオにとっておいてから見た

昔、リアルタイムに映画館に足を運んだ

松田優作‥存在感があって好きな俳優だった

太陽にほえろ、俺たちの勲章、探偵物語‥
テレビドラマも欠かさず見ていたし
当時はビデオなどなかったので最終回とかはレコーダーに音声だけ録っていて、
何度も聞いた覚えがある

最も危険な遊戯、殺人遊戯、処刑遊戯の遊戯シリーズや
野獣死すべし等の映画も夢中で見た
関係ないかもしれないが、映画監督の村川透氏は本県の出身ということもあって
何となく親近感をもったことを覚えている



彼、朝倉哲也の行為は決して合法的なことではないが
なぜかスカッとしたし、そんな世界があってもいいと思った



当時、部屋には野獣死すべし、殺人遊戯のポスターを貼っていた
眉間にしわをよせ、ひとりセリフをぼそぼそと口ずさんでいた

プラモデルのマグナムを手にして主人公になりきっていた
決して犯罪者でもなく異常者でもないが、自分の世界に入っていた

そんな時期、時代だった‥



もちろん自分の頭で考えることと
実際に社会生活で味わうことは別のもの

社会や他人のせいにしたり
自分を卑下して他人を傷つけたりもしない

それが当たり前だと感じていたが

現代には当たり前じゃない事件がなんと多いことか‥






ちなみに、松田聖子のポスターも貼っていた

“聖子ち~ゃん”

いったい、俺って、どんな性格!?




日曜日、実家に行ったら‥大根の葉でかたつむりがお休み中


こんにゃくのはなです




父の言葉

2008年05月08日 | 回想

 父は、僕たち家族を養っていくために無理をして働いています。父の体は無理をしないと働けない体なのです。右半身の運動麻痺、左半身の感覚麻痺だけでなく、手の震えなどたくさんの障害が父を苦しめています。それに、仕事の内容も力仕事で、普通の人がしても大変なことをこなす父は、どれだけ大変なのだろうと思います。朝の七時前に家を出て、夜の七時近くに家に帰る父の作業着はいつも汚れていて汗でびっしょり濡れています。
 僕は受験を前にしたこの一年、自分の歩む道や進学する高校についていろいろ悩んでいました。高校の一覧表を手に机に向って一時間も二時間も考えたことがありました。
 そうして考えていると、父はよく僕の部屋へ入ってくるのでした。最初は部屋を眺めて
「いい部屋だなあ。」
と決まって言うのでした。それから父は僕に進路のことについて聞いてくるのです。僕は、父にも母にも悩んでいることなんて一言も言っていないのに、まるで父は、すべてを知っているかのように、僕の悩んでいたことをズバリと言い当てるのです。父はうまくしゃべれない時があります。言葉が出ないのだそうです。
「上の高校に行ったからといっていいというわけではないよ。かといってしたのよ、うーんと、んー。」
話の途中で言葉が出なくなり、口を開けたり閉じたりして、必死に父は話しかけてきます。
 六年前のあの日、朝ドタドタッとリビングに駆け込んできた父は、そのまま倒れました。ふらつく足で何度も壁に当たり、父はようやくリビングにたどり着いたのでした。初めは冗談だと思ってしまい、本当のことだと分かった時は、ショックが大きかったです。やがて救急車で父は病院へ運ばれていきました。
 父は命を取り留めました。父が車いすに乗るところを見て僕は事の重大さを知ったのでした。
父は入院中に毎日メモをとっていました。その手帳をのぞいてしまったことがありました。手帳の初めに
「あさ、倒れて、救急車で病院へ」
という文字。父はとても達筆でしたが、手帳に書かれた文字はそうではありませんでした。しかし、必死にリハビリに励む父の姿と重なって、とても美しく感じたことが今でも心に残っています。
 父と話し終え、父が部屋から出て行くと、僕はまた机に向かうのでした。病気を乗り越えて、今の生活にたどり着いた父の言葉一言一言から僕はエネルギーをもらいます。そして心の中に抱いていた、中学校の国語教師になりたいという夢が、父の言葉でより大きく固いものとなるのです。
 中学校の国語教師になる事は、たやすいことではないでしょう。しかし、父のように、コツコツ努力を積んで僕は夢を叶えます。
 父の
「素直な心と丈夫な体」
という言葉を心の糧にして。




今から3年前
長男が中三の時、地区の弁論大会に出場したときの原稿です
卒業文集から引用しました

ブログで公開することは本人の了承を得ています
親バカだと思って笑ってください




あきらめちゃ‥

2008年04月30日 | 回想

昨日の午後テレビを見ていた
全日本柔道選手権

試合を見ていて技をかける時など
「よいしょ!」と思わず叫んでしまう

まるで自分が技をかけているように
体も前後左右に動いてしまう

帰ってきた長男が
時折奇声を発し、ゆらゆら揺れている父の姿をみて
笑っていた


これでも昔、学生の頃、柔道をやっていたので
思わず声が出てしまったりするのだろう


昨日の試合の準々決勝で
技ありをとられて劣勢だった棟田選手が
支え釣り込み足を綺麗にきめて
生田選手に逆転勝ちしたシーンがあった


昔のこと‥
中学時代だったかな‥
団体戦の先鋒として畳にあがっていた

県大会の準々決勝だったと思う
ここまで何とか勝ち残ったものの
相手は強豪チームだった

案の定、先鋒も強い相手で力負けしてしまい
振り回されていた‥

有効も何度かとられて
技ありもとられてしまった‥

必死だった

たまたま苦し紛れにかけた払い腰が
相手を投げ飛ばし
一本勝ちしたことがある


苦しくても辛くても
最後まであきらめちゃいけない‥
そんなことを教えてくれた


昨日の試合はそんなことを思い出させてくれた


輝かしい成績など残せなかったが
学生時代に日本武道館に何度か足をはこんだことがある



当時は“山下泰裕選手”の全盛時代
もちろん優勝者も山下選手だった

懐かしいパンフレットの出場選手一覧に
四国代表 棟田利幸の名前があった
今大会の棟田康幸選手と何かつながりがあるのだろうか‥




ロープ塔

2008年02月08日 | 回想
雪国に住んでいるのに
最近はスキー場なるものには行ったこともありません

昔、ゲレンデにはリフトじゃなくて
ロープ塔なるものがありました

スキーを履いたままで
ストックを片手にまとめて
ロープを手にすると
するっするっと滑って上に登れるものでした

ところが、どっこい!
これがスキー嫌いにしむけたのです

ロープを手にして
体勢をとって滑るのは大変なことです

まして前後に人がいない時には
ロープは地べたを滑っています

重い! ロープが重い!

手が棒のようになる‥


腕力に自信が無い頃
親や兄がかばうようにして後ろでロープをつかんでくれました

それでもロープをつかんでいるのは大変で
途中で転倒したりして何度も挫折してしまいました

「もう‥スキーなんて嫌だ!」



最近はロープ塔なるものはないのでしょうか?








切手シート

2008年02月08日 | 回想
暦の上では春になったのに‥
朝から雪が降る寒い日です

今年の年賀はがきのお年玉切手シートをもらってきました



郵便局も変わったこともあってか
シートも大きくなりました

12年前の子年の切手シートはこちら


ネズミがお蔵に入っているデザインでしょうか

せっかくですから
十二支の勢ぞろいです





残念ながら手に入らなかった年もあり
平成十五年は平成三年の羊くんに
平成十八年は平成六年の犬くんに助っ人になっていただきました

最近は十二支のデザインが多いようですが
以前は宝船や花をあしらったものもあったようです




旧正月を迎え
今日は針供養、ことはじめとか‥

今年もよいことがありますように‥


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雪国に生きる

2008年02月02日 | 回想
地方紙の夕刊に「雪国に生きる」というコラムが載っていた。



いつからだろう、雪が疎ましく思うようになったのは。
(中略)
子どものころは雪が降るのが待ち遠しかった。家の脇の小屋の高さまで雪が積もるとスキーや手造りの木ゾリを引っ張り出し、日が暮れるまで滑って遊んだ。
(中略)
夕方は濡れた長靴に、丸めた新聞紙を詰めてストーブの前に置いて乾かす。部屋はゴム臭いにおいに包まれたが、それはそれで我が家の冬の風物詩の一つだった。
(中略)
雪を排除することだけを考え、親しみや畏敬の念を忘れると、いつしか雪のない生活が便利だと思うようになっていく。時としてそんな私たちに、雪に限らず自然は想定外の猛威を振るう。人間が自然界の中で生かされている証しをあらためて思い知らされる。
 雪が好きだったあのころを思い出して、わざと足跡のない端の方を歩いてみる。街灯がまばらな帰り道もこの時期は雪明りが優しく包んでくれる。空気の澄んだ満天の星の下、雪国に生まれた喜びをそっと一人かみしめた。      (高野 紘)




近年は当地も地球温暖化の影響か、降雪量は少なくなった。
それでも、それなりに雪が降り雪かきに追われると、「雪の降らないところはいいなぁ~」と思ってしまう。

子どものころは、父が裏庭に坂を作ってくれてそりで遊んだり、小学校でも近くの山でスキーをやった。特に上手いわけではなかったが、学生の時に雪の降らない地方の友達にせがまれ蔵王スキー場に行ったとき、初心者よりはそれなりに滑れた記憶がある。

病に倒れてからは縁遠くなり、息子たちにも「スキーをしたこともない‥」と言われる。
息子たちは長靴を履くこともなくなり、冬でもかかとの低いズックのようなものを履いているが、毎晩妻が丸めた新聞紙を詰めてくれているのを知っているだろうか。

日差しがさすと屋根の雪が融けてしずくが落ちてくる。
それが春の足音のように聞こえる。

しっかりと雪国に生きている。


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