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金魚のひとりごと

縁日ですくってきた金魚も大きくなりました

入学式‥その後

2008年11月26日 | 回想
                                 地面も紅葉したドウタンがいっぱい‥


季節はずれの入学式の話題はこちら


ウィンドブレカーをはおって
ジャージをはいた新入生に
当日は先輩の予言どおり
サークルの勧誘はなかった

それから数日後‥

どんな格好をしていたのかは忘れたけれど
どう見たって、新入生のような初々しさはなかったはずだ


「君、新入生?」
突然、大きな体格の人から声をかけられた

正直、ドキッとした!

何も正直に答えることなんてなかった
名札を付けているわけじゃないし
“違いますよ!”とその場を去ればよかった

けれども、思わず
「はい!」と答えてしまった

田舎から出てきたばかりの
純真な心を持った青年が(年の割には老けているけど‥)
嘘なんてつくことはできなかったのだ

声をかけてきた人はアメフト部の人だった
道理でがっちりした体形をしているはずだ

自分も高校時代までは柔道をやっていたし
それなりにがっちりしていて目立ったのかもしれない

身長180センチ
体重 76キロ‥ぐらいだったと思う

体重が68キロでイケメンだったら
今話題の西武の岸 孝之投手と同じ体型だったかもしれない
スリムでイケメンだったら‥その後の人生も変わっていただろうなぁ

そんな夢物語はおいておいて


アメフト部の人は丁寧に
サークルのことを説明してくれた
なかなかその場を離れられず
しつこく勧誘されたけど

「実は病気をしてまして、運動はできないんです」

なんだかんだあって、やっと、解放された

そして、嘘も必要だなぁ~と思ったものだった




入学式

2008年11月08日 | 回想
もうすぐ‥
天空から白いものが降りてくるというのに‥

ドラマの世界では
“ホーホケキョ!”とスズメが?鳴いている

大学の入学式‥

なんだかんだあったものの
松江からきた母と内緒で仕立てくれた洋服を着て出席
サークル勧誘のビラが舞っている‥
と、ここまではドラマの話‥





金魚にもそんな時代があった

何も知らない田舎者の金魚は
下宿の先輩からアドバイスを受けた

“入学式はサークルの勧誘も激しいからラフな格好で行った方がいい”
“そうすれば新入生にはみえないし‥”

ラフな格好をしなくても
それなりに見えたかもしれないけど‥と思いながら

素直な金魚はアディダスのウィンドブレカーを着て
ジャージを穿いて入学式に臨んだ

会場の上階には父兄席もあった

田舎から両親は上京するはずもないし
わざわざ出席するまでもなかった‥


ネクタイやスーツに身を固めた新入生が圧倒的に多いけど

それなりの格好の新入生も彼方此方に見受けられた
さすが大学生‥


ちょっと場違いな
ラフすぎる格好のジャージを穿いた新入生が
よりによって一番前の席に座っていた‥




ルビーの指環

2008年11月02日 | 回想

いつもは朝までぐっすり眠っているのに
明日が日曜日だというと夜中に目が覚める時がある

アレもしたい、コレもしたい、と考えるのだろうか‥

今朝もというか深夜に目が覚めた

ラジオからは懐かしい曲が流れてくる
もちろん、イヤホーンをしているが‥

昭和56年の流行歌だという
西暦1981年といえば大学生の頃かな‥

    風立ちぬ        松田 聖子
    ルビーの指環      寺尾  聰
    ブランデーグラス    石原裕次郎
    哀しみ本線日本海    森  昌子
    奥飛騨慕情        竜  鉄也
    鳥の詩         杉田かおる
    キッスは目にして!   ヴィナース
    お嫁サンバ       郷 ひろみ
    守ってあげたい     松任谷由美


その時は、どんな明日を夢みて生きていたのだろうか‥



ゼミの仲間で居酒屋に行った時
それぞれのテーブルから代表の方が
曲を歌うという催しがあって
紙と鉛筆がまわってきた



わがテーブルからは金魚が代表で歌うことになって
店の中央に登場することになった

友だちだけでなく
他のお客さんの耳にもお邪魔することになる

歌う曲は‥ルビーの指環

   “くもり硝子の向こうは風の街
       問わず語りの心が切ないね
        枯葉ひとつの重さもない命
            あなたを失ってから‥‥”


一瞬、居酒屋がくもりガラスに覆われたようになってしまった‥

もちろん、優勝は他のお客さんだったけど
当時はカラオケも字幕だけだったような気がする



文化祭

2008年10月25日 | 回想
文化祭‥そんな季節ですね

もうずっと昔のことなので記憶も定かではないのですが‥

高校時代のこと
体育館のステージで演劇とか演奏を
観たり聴いていたりしたんだと思うけど‥

金魚は横になってぐっすり眠っていた
眠らずにはいられなかったのです‥


前日のこと
打ち上げも兼ねて(何の打ち上げ?)
何人かで、友人の家に泊まることになった
いつもと帰る方向は違う列車に乗り
ガタンゴトンと友人の家へと向かう

でも、友人の家は普通の家ではなかったのです!

それなりの温泉の
名も知れた大きな大きな旅館だったのです

とおされた部屋は友人の部屋ではなく
旅館の一般の客室のようでした

お風呂もお客さんが入るような立派なものだったし
大きな湯船に浸ったことや
備え付けのシャンプーで思い切り頭を洗ったことを覚えている

風呂上がりにゲームセンター脇の公衆電話から
ちょっと遅くなったけど
「今日は友達の家に泊まるから‥」とドキドキしながら自宅に連絡を入れた

そして、部屋に戻ると
大きなまげに生寿司が並んでいた

腹が減っていたので食わずにはいられなかったけど
これを食べていいのと思えるような豪華なごちそうだった

未成年だけど‥
飲まずにはいられなかったので‥(もちろん‥ジュース?‥)

アルコールも喜んでちょこっと?ご馳走になった

いろいろ話をしたり
飲み物?をくみかわしたり
楽しいひとときを過ごせたと思う

もちろん、寝床はふっくらふとんだったけど、あまり覚えていない


翌朝は
川が流れる紅葉の景色を見ながらの優雅な朝食‥

夢のようなひとときだった



現実に戻り
翌日は体育館でぐっすり眠ることになったけど
それなりに
すてきな遠い日の思い出だった



その温泉旅館は
今も広告とかで目にすることがあるけど
未だに宿泊する機会には巡りあってはいない‥




おばあちゃんの思い出 Ⅴ

2008年10月15日 | 回想
仏壇には菊の花が活けられ
ろうそくの火が灯り、
線香の煙が漂っている

そして、上に視線を向けるとご先祖様の遺影が掲げられている

曾祖父と曾祖母の遺影もあるが、実際にはあったことも話したこともない

そして、80歳で亡くなった祖父の遺影
もちろん一緒に暮らしていたし、それなりの思い出も残っている

ただ、遺影になるような気の利いた写真がなくて
両親は選ぶのに苦労したらしく、その遺影には修正が加えられている


そして、隣には祖母の遺影


他の遺影とはちょっと違う雰囲気を漂わせている

それは写真ではない

しかも90歳まで長生きしたおばあちゃんの姿ではない

多分、65歳前後の肖像画だと思う
祖母はこの日がやってくることを予想して
誰かに肖像画を描いてもらい、大切に保管していたんだと思う

そのことは葬儀の時まで知らなかった


葬儀の時、その遺影のことを
喪主である父が紹介すると、彼方此方から驚きのような声が聞こえた

「あらっ‥」
「へえっ‥」
「まぁ‥」

明治、大正、昭和、平成と生きた祖母は
どんな思いを込めて
そんな先のことまで
考えて準備したのだろうか



仏壇の上にはご先祖様の遺影が掲げられている

そして、
若かりし頃のおばあちゃんの肖像画も
遺影として家族を見つめている



おばあちゃんの思い出 Ⅳ

2008年10月12日 | 回想
                                よく遊んだ山  若木山



     “〇〇〇〇(祖母の名前)の最後の歯”
                  “昭和48年7月28日”



下の方が茶色に変色した紙切れがある
茶色に変色したのは赤かった血の跡

祖母の最後に残された歯が抜けたのだ
筆跡は金魚のものらしい‥
文字を書くことが苦手だった祖母は孫に文字を書かせたのだと思う

当時、金魚は中学一年生
祖母は66歳になっていた

ちなみに両親は42歳
兄は高校3年生、妹は小学校3年生だった


仏壇の前に座らされ
「ばあちゃんが死んだら、この歯を棺おけに入れてくれ‥」
「あの世では自分の歯がないとうまいものも食えないからな‥」
と託された

その時は祖母が死ぬなんて想像もつかなかったが
へんに納得したものだった

祖母は最後の歯を紙切れに包んで仏壇の引き出しにしまった
仏壇にそんな引き出しのようなものが存在することも知らなかったので
印象には強く残ったと思う

あれから数十年たち
90歳で祖母は亡くなった

金魚も社会人になり、生家を離れて暮らしていたものの
週末には祖母をお風呂に入れるために訪れていた

晩年は痴呆の症状も出て
ほとんど寝たきり状態で母の介護生活も長く大変なものだった


納棺の時、最後の歯のことを思い出し
仏壇の引き出しを開けた

そこには変色した紙切れと黄色になった最後の歯が眠っていた

棺には老眼鏡等の思い出が入れられた
最後の自分の歯も約束どおり入れることができた

「これで、あの世でもおばあちゃんは
自分の歯でおいしいものを食べているに違いない‥」

金魚は肩の荷が下りたような満足感に浸っていた



それにしてもそんなことを前もって考えておけるなんて
凄いことだと思う‥



そして、凄いことは葬儀の時もあった



通信簿

2008年10月05日 | 回想
へぇ~ブログ通信簿なるものがあるんだ‥

   



通信簿なんて、ず~っともらったことないなぁ~

評価が「3」で
「一般生徒」なんて、つまんないなぁ~
と言っても、何も期待しているわけではないけど‥


年齢がちょっと上ということは、おじんくさい内容だからかな~

幼稚園の話題なんか、ブログに載せたことなんかあるかな~

知識や経験‥

そういえば、大学を卒業して“幼児教育”に携わる仕事をして
いちおう“せんせい~”なんて呼ばれた時期もあったなぁ~

幼稚園にも足を運んだこともあるけど
幼児教育を実践していたんだよな~

未だに、年賀状をくれる人もいるけど
幼稚園ぐらいだった子どもが、結婚もしているんだから、歳月はいっぱい流れました


そんな、昔のことを思い出してしまった「通信簿」でした



おばあちゃんの思い出 Ⅲ

2008年10月04日 | 回想

最近の高校生の筆入れの中は‥
筆入れといっても、小さなカバンのような大きさでびっくりするが‥
鉛筆はなく、シャープペン、ボールペン、サインペンと
色も豊富でバラエティに富んでいる


小学校の頃、筆入れには鉛筆と消しゴムしかなかったように記憶している

低学年の時は、かきかた鉛筆でそれ以降は、BとかHBを使っていた
それもお土産のものだったり、企業や商店のロゴが入っていたりと
それなりにバラエティに富んでいた
くるくると巻きとる赤鉛筆もあったなぁ~

鉛筆を削るといえば‥
おばあちゃんの包丁だった

包丁の根元をつかい、器用に削ってくれた
もちろん芯を出すためだったり
名前を記すために一角を削ったりと大活躍だった

その包丁は料理の時にも大活躍していたはず‥
もちろん洗っていたはずだが‥


しばらくしてから
電気鉛筆削りが我が家にも登場した

削り終わるとランプがついて知らせてくれるものだったと思うが
性能があまりよくなかったのか
どうしても、削りすぎてしまい、鉛筆もすぐに短くなるような気がした

おばあちゃんの包丁で削ってもらった方が
手になじんで、長もちしたような気がする



鉛筆派の次男は
現在も手回しの鉛筆削りにお世話になっている






おばあちゃんの思い出 Ⅱ

2008年09月26日 | 回想
「ただいま!」

父母は働きに出ていたので、家に帰ると迎えてくれるのは祖父母だった

友だちの家に遊びに行くと、お母さんが家にいた
そして、見たことも食べたこともない洋風のお菓子を出してくれた
そのことがちょっぴりうらやましかった

我が家に友だちが遊びにきても、
おばあちゃんには気の利いた洒落たお菓子を出せるはずもなかった‥

どうして、家にはお母さんがいないんだろう‥と思ったこともあった


「腹減ったなぁ~」腹をすかした金魚に
おばあちゃんは、パンの耳を油で揚げて、砂糖をまぶしたものや
残りご飯でおにぎりを作ってくれた

おばあちゃんが作ってくれた、焼きおにぎりは美味しかったなぁ~

形も三角形や俵型の洒落たおにぎりではなく
とてつもなく大きい、まんまるのおにぎりを、上から押しつぶしたような形で
味噌も全体に塗ってあった
ちょっとしょっぱかったかもしれないが
味噌が焼けて香ばしい香りが漂っていた


不格好な大きい焼きおにぎりだったけど
遊び盛りの子どもの空腹を十分に満たしてくれた


あの頃のあの味を味わうことは‥もうできない



おばあちゃんの思い出 Ⅰ

2008年09月25日 | 回想
おばあちゃんの想い出‥を記そうとしたけど
何から書こうかな‥と指が止まってしまった

とりあえず、家族構成からかな‥
昔は大家族が多かったけど、金魚が幼いころも大家族だった

祖父、祖母、父、母、兄、金魚、妹の7人
ここまではよくある家族構成
小さい頃は叔母さんが二人いたので9人家族だった

母は5人姉妹の長女で叔母さん二人は母の妹だった

確か小学校の低学年だったと思う
カレンダーの裏紙を使って
父が家族のそれぞれの誕生日を書いてくれた
そして、表題の“たんじょうびしらべ”の文字を書くことになった

もちろんひらがなしか書けないし、上手になんて書けない
たった9文字だけだったけど、任されたことは嬉しかった‥
ちょっと責任を感じた事を今でも覚えている

その中に叔母さんの名前と生年月日も書いてあって
その頃は8人家族だったと記憶している


昔は、習字や絵、賞状など子どもの成長の証しを居間に貼っていた

お客さんも目にすることもあり
褒められたり、話題になることがちょっと照れくさいけど嬉しかった


テレビの上の壁に貼ってある“たんじょうびしらべ”の文字は少しおどっていた