古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

前方後円墳について思うこと

2023年08月04日 | 前方後円墳
ただいま物部氏についての妄想レポートを執筆中で、なかなか当ブログに投稿する余裕がないのですが、場つなぎで少しだけ書いてみます。

以前に、前方後円墳は神仙界を表した壺形古墳である、との説に賛同して自分なりに検証した結果を「前方後円墳の考察」として全16回のレポートを投稿しました。その後も現代の土葬墓を実際に見て感じたこととして通説に対する疑問を「周溝墓が古墳に発展したのか」と題して書きました。

そんなことを古代史仲間に話したときに言われたのです。「現代のように空からみることができない古代には誰も壺形だとわからない」と。たしかにその通りで、その時にはすぐに反論ができなかったのですが、その後に閃いたのです。

そもそも壺形古墳は誰かに見せるために壺形にしたのではなく、死者を神仙界に届けるために壺の形の墓を造ったのです。だから、この世にいる人にとって壺形に見える必要はなく、墓の形が壺形になっていることそのものに意味があるのです。

巨大な前方後円墳は見せるための墓である、という考えがありますが果たしてそうなのでしょうか。葺石で装飾された3段築成の威容を誇る巨大な墓が太陽光を反射してキラキラと輝き、墳丘上には円筒埴輪がズラリと並ぶ様子はたしかに見るものに畏敬の念を与えるのかもわかりませんが、上から見た形が前方後円形である必要はないのです。ましてや、多くの古墳は民衆が暮らす平地よりも少し高くなった丘陵や台地上に造られています。あの世界最大の仁徳陵とされる大仙古墳ですら、下から見上げることしかできないのです。見せるための墓なら前方後円形である必要はなく方墳でも円墳でもいいのです。

空から見ることができない古代人は壺形であることがわからないではないか、という理由で壺形古墳説を否定することはできない。壺形古墳は生きている人に見せるために壺形にしたのではない。単にそんなお話でした。


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