古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

熊野那智大社と青岸渡寺(熊野実地踏査ツアー No.7)

2016年11月21日 | 実地踏査・古代史旅
熊野三山の3カ所目、熊野那智大社。境内には神仏習合で建立された青岸渡寺が健在。神仏習合がそのまま残る珍しい場所。

以下は、那智勝浦観光ガイドのサイトより。
熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極め、古来より多くの人々の信仰を集めました。
今なお多くの参詣者が訪れ、熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つです。
467段におよぶ石段の上に建つ6棟からなる社殿は、標高約500mに位置し、夫須美神(ふすみのかみ)を御主神としてそれぞれに神様をお祀りしています。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)とも言われる夫須美神は、万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、縁結びの神様また、諸願成就の神としても崇められています。
社殿は、仁徳天皇の御世(317年)に現在の位置に創建され、平重盛が造営奉行となってから装いを改め、やがて、織田信長の焼討に遭ったのを豊臣秀吉が再興しました。
徳川時代に入ってからは、将軍吉宗の尽力で享保の大改修が行われています。
境内には、日本サッカー協会のロゴにも用いられている“八咫烏(やたからす)”の烏石や、樹齢約850年の大楠が茂っています。
社殿並びに境内は、2004年7月、ユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。


熊野古道もまもなく終点。この鳥居の扁額は「那智山熊野権現」となっている。


最後の石段。この鳥居の扁額は「熊野那智大社」である。


石段を上りきって右側に本殿がある。


本殿の右手、階段を降りたところに西国三十三ヶ所第一番札所の青岸渡寺。


ここは3年前にも参っている。そのときは那智大社を参拝することが頭を占めていて、この青岸渡寺で二礼二拍手をしてしまい、住職さんから注意されてしまった。今回は間違いのないように気をつけました。

境内から那智大滝を臨む。


ここから那智大滝の飛瀧神社まで足元の悪い石段をおりる。続きはまた明日。



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