古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

千代田区立日比谷図書文化館

2018年04月25日 | 博物館
4月24日、仕事を終えてから会社近くの日比谷図書文化館に行ってきました。都立であった日比谷図書館が2009年に千代田区に移管され、博物館・学習・交流の機能が付加されて2011年に開館した都内でも珍しい複合施設です。




博物館内は撮影禁止だったので入口で撮ったこの1枚だけ。


これを撮ったあとにこの入口から入ったのだけど、すぐに受付の女性がやってきた。ほかに客がいないので私を監視しにきたようだ。そしてよく見ると入口を入ってすぐのところに小さくて薄い字で「資料の撮影はご遠慮ください」と書いてあった(地図の下の楕円の中)。ははーん、入口の外で写真を撮ったのを見て私に注意しに来たんだな、と合点がいった。スマホをしまって見学に専念しているとその女性は戻っていった。やっぱりそうだったか。しかし、それにしても。写真を撮った場所は受付からは死角になっていて見えないはずだが。これまたよく見ると天井に360度カメラがいくつも設置されている。気づくのが困難な注意書き、気づかずに撮影する人を監視する天井カメラ、違反者を見かけるとここぞとばかりに飛んでくる係員。どれもこれも気持ちよくないなあ。
しかも、ここの常設展示は古代から中世までの考古資料が少しずつあるのだけど、メインは何といっても江戸城と江戸文化。千代田区と言えばお膝元だからやむを得ないのだろうけど、私にとっては展示も面白くなかった。

とはいえ、この日のメインはこちら。


タイトルに魅かれて、というのが一番の理由だけど、この博物館が取り組む学びの支援の実践例を体験するため、つまり学芸員の勉強のため、というのが二番目の理由。ちなみに当館のホームページにはこう書いていある。

日比谷図書文化館の基本理念である「知の拠点」を実現するための機能の一つ「アカデミー機能」を具現化する手段として、「日比谷カレッジ」と題し、ビジネススキルアップや江戸・東京の歴史文化、アートなど多彩なテーマで、講座やセミナー、ワークショップなどを開催。さまざまな「学び」と「交流」の場を創出します。

新天皇の即位の儀が来年10月22日、そして大嘗祭が11月14日・15日です。大嘗祭というのは新しい天皇が即位されて初めて行う新嘗祭のことで、前回は1990年(平成2年)、その前は1928年(昭和3年)なので貴重な巡り合わせです。新嘗祭とは、天皇が行う収穫祭で、天皇がその年の新穀を神に捧げ、天皇自らも食してその年の収穫に感謝する儀式です。

講演の講師は大東文化大学名誉教授の工藤先生。先生は大嘗祭の源流を弥生時代に求めようと研究を続けておられます。大嘗祭は稲にまつわる儀式、すなわち稲作文化をもつ民族の儀式であるので、その源流は日本においては稲作が伝わったとされる弥生時代(あるいは縄文時代晩期)に求められる、という考えは納得です。さらに先生は、日本の稲作の源流は中国の長江流域にあるというのが定説になりつつあるので、そこまで遡って考えることができるとも言います。それも納得です。さらに私の勉強の結果を付け加えるなら、日本神話の源流も長江流域に求めることができるので、結局、現在の日本人がもつ基層文化、精神文化の源流は中国の長江流域にあると言えるのです。製鉄技術もそこから伝わりました。そもそも天皇家の源流もそこにあると言うのが私の考えです。

もうひとつ、興味深い話が聴けました。古代の天皇は、武力王・行政王という側面と、神話王・呪術王・祭祀王という側面があると言い、前者は男性的な側面で後者は女性的な側面です。よくわかります。そして、この天皇制を確立したのが天武・持統の両天皇でした。文献から読み取れる大嘗祭の開始は7世紀末、つまり持統天皇の時ということになります。
また、明治の王政復古は武力王・行政王の側面を天皇に取り戻す意味があった。さらに敗戦後は逆に武力王・行政王の側面が排除されて神話王・呪術王・祭祀王の側面だけが残された。それが現在の天皇である。

自分が勉強してきたこととシンクロして、先生の話に頷くばかりでした。
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