古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

中国地方周遊の車中泊旅(3)

2022年12月20日 | 旅行・車中泊
2022年11月10日、この日の最大の目的は足立美術館。一昨年の夏に来た時、広大な駐車場には日陰がまったくなく、この炎天下にワンコを車で待たせるわけにはいかないとあきらめた美術館。今回は11月なので大丈夫だろうと思っていたのですが、夏場ほどではないにせよ、快晴続きの陽気は少し心配。とにかく行ってみて考えようと8時半頃に「道の駅あらエッサ」を出発して美術館に到着。まだ太陽が低い位置にあったので、隣の安木節園芸館にある木立ちのおかげで駐車場の端っこに少しだけ陰ができていました。そこに車を停め、風通しのために窓を少し開けて、銀マットをフロントに置き、暑さ対策をした上でワンコに留守番をしてもらって見学に向かいました。



足立美術館は展示もさることながら、庭園の素晴らしさで有名ですが、実際に見てみると確かに素晴らしい。何が素晴らしいかと言うと、周囲の山並みを借景にしたり、館内から大きな窓を通して見たときに窓枠を額縁に見立てたり、果ては付近の山を購入してそこに人工の滝を作ってみたり。全てがアートでした。もちろん、展示も見応えがあり、魯山人について学ぶことができました。










2時間ばかりの見学を終えて車に戻るとワンコが元気に吠えていました。お昼が近くなっていたので米子まで戻って「回転すし北海道」でランチです。このお店も2年前に来た時に時間の都合で行けなかったので今回はリベンジ。わざわざ戻った甲斐がありました。安くて美味しかった。




満腹になったあとは西に走って松江市の田和山遺跡に行きました。ここは高さ36mの小山全体が遺跡になっています。周囲を見渡すことができる頂上に建物跡と思われる遺構、それを取り囲むように斜面に築かれた3重の環壕、北斜面や西斜面に設けられた住居跡などが見つかっており、何らかの祭祀場だとする説が有力です。弥生時代前期末から中期後半の遺跡です。



実際に頂上に登って周囲を眺めてみて感じたのは、祭祀場というよりも単純に戦闘に備えた場所、中世の山城のような施設だったのではないかということでした。敵が攻めてきてもすぐに発見でき、狼煙をあげて味方に知らせることができます。環壕は山頂への攻撃を困難ならしめる防御施設です。つぶて石や石鏃などの武器も見つかっています。もしも祭祀場だとすれば、環壕や武器を備えた目的がわかりませんし、磐座やご神木など何もない山頂で祭祀を行う例を聞いたことがありません。素直に戦闘のためのいわゆる高地性集落と考えるのが妥当ではないでしょうか。







ちなみに、この環壕から墨で文字が書かれた硯石と思われる石片が見つかりましたが、最近になって文字の成分を分析した結果、墨ではなく市販の油性ペンであることがわかり、遺物保存の際にラベルなどの文字が転写したのではないか、と結論づけられました。

さあ、次はどこへ行こうかと考えて決めたのが、宍道湖畔にある「宍道湖ふれあいパーク」です。なかなか良い公園だったのでワンコの散歩を兼ねて夕方までゆったりとした時間を過ごしました。駐車場もそこそこ広くて休みの日は家族連れで賑わうのだろうと思いました。






公園をあとにしてさらに西に走っていると突然に見覚えのある看板が目に飛び込んできました。つい半月まえに奈良の纒向遺跡ツアーで行った「日本一たい焼き」です。こんなとこにもお店があったのかと駐車場に入りました。晩ご飯をパスしようかと思うくらいにお腹がいっぱいだったのですが、たい焼きを一つだけ買ってシェアしました。



さらに西に向かって出雲市を通過します。予定では前回来た時に行ったJR出雲市駅前のお店でのどぐろ丼を食べることにしていたのですが結局パスしました。ちょうど太陽が西の山並みに沈んでいくところで、夕焼け空に向かって車を走らせます。



この日は「多伎いちじく温泉」で入浴して「道の駅キララ多伎」で車中泊することにしました。到着したときには暗くなっていたのでわからなかったのですが、この道の駅の素晴らしさを翌朝に知ることになります。



3日目のこの日の走行距離は122.9キロ。これ以降はだいたいこれくらいのペースで走ることになります。

(つづく)







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