0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

どうでもいいんだ

2014-04-30 10:20:32 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

「引き寄せの法則」というものを知ると、まず自分に足りていないものを
引き寄せようとします。

でもそこから、あれ?、ワザワザ「ないもの」を探して引っ張ってくる
以前に、いまもう充分に

「満たされていたのか!」 「幸せだったんだ!」

ということに気づく段階に進めるかどうかなのですが、まずここで長引いた
り、何度も挫折したり、あるいはもとの価値観に戻っていく・・・・
という方が多いのかもしれません。

ここが、まず「第一の壁」を感じるポイントかもしれない。



でも僕は、いわゆる「引き寄せる」ことだけに満足できず、同時にこの
世界の 「ヒミツ」 を知りたかった。

この世界は、宇宙は、本当はどうなっているんだろう?

それまでも「宇宙少年(笑)」として生きてきましたので興味はあったの
ですが、それを加速させたのは、間違いなく「ザ・シークレット」で知った


「宇宙は、この世界の全ては、愛(に同調する周波数の素粒子)で出来て
 いる」


という、衝撃の事実。
僕にとってはまさに、フルインパクトな衝撃でした。
(そして「アミ」を読んで、ますますワクワクが膨らんでいきます。
 「宇宙親交」って素晴らしい!)


そんな、フシギ系(?)に興味津々な僕が、そのとき引き寄せ情報などを
検索していると、勝手に「フシギ情報」も見るようになります。

それらは、よくリンクしてますからね。


で、そこでいろんな、「世界の真実」的な情報を見るわけです。
しかしその多くは、不安や恐れを連想・想像させるもの。

もちろん、世界の実態を突き付けられて、初めはたじろいだり恐れたり
します。

911の真実、世界各地の紛争のこと、マイケルの真実、いわゆる「陰謀論」
として一蹴されるようなもの・・・そして前文明なんかの話まで。

でもそのうち、数多ある情報の真偽が、なんとなく分かってきます。
(本当に)


やたらと不安や恐怖を煽るもの。

「これは真実です!事実なんです!」などと押しつけて来るもの。

・・・それらは、僕の世界では「ガセネタ」なのだと。


もちろん、そのなかにも、すくい上げる価値のあるものが混じっていること
もあります。

でも、そのうち、そういうことも、どうでもよくなってくる(笑)


そうこうしている日々の日常で、どんどんシンクロニシティーを経験し、
実体験からの知識として、「自分の世界は、自分自身で作っている」 
いわゆる、自作自演なんだということを知るから。


そしてそれは、「確認」から「確信」に変わり、 いまでは「知識」「常識」
へと昇華しています。

自分の常識を疑って生きる、なんて誰もしません。
(だからどんどん、日常が幸せになっていく!・・・というか、そのことに
 気付けていく)


はじめは、日々垂れ流され続ける陰惨な報道も、見ちゃだめだ!なんて避け
てましたが、それらも、ああ、別にどうでもいい、知らないでいいよな・・・
に変わります。

もちろん、チャンネルを変えたり興味を変えます。

このあたりの「どうでもいい」という表現は、一般的には「なんて冷たいヤツ」
「無責任で無関心なヤツ」なんて思われるかもしれません。

でも、自分の人生に起こることを、他の、外のせいにして生きていることに
比べれば、はるかに的を得た反応、というかそれこそが「普通」なのだと
思います。


そこに焦点が合えば・・・
もう、人生の、たいていのことが、どうでもよくなってくる(笑)


でもね、それは相対的なこの世界で、

「どうでもいいことのすべてが、かけがえのないもの」

と知ったからこそ、そう感じるんです。

「良い」も「悪い」も、すべてひっくるめて「それ」


だから、良い悪いの判断が、どうでもいいことだと分かるんです。



判断を手放した人生、というと一般的にはただの無責任にしか聞こえません
が、実はなによりも「この世界そのもの」に寄り添い、感謝している生き方
です。

だから、世間にあふれる常識(見たこともない、他人の言葉)を価値基準と
するひとが、
あなたの状況を見て、幸せだ不幸だ、と思い、言うことほど意味のないこと
はない。

そんなことを、気にする必要がどこにある?


コレがあって、正反対のアレがあって、その両方があるから、

「いま」「ここ」 の、あなたの状況がある。


いまのあなたに感謝出来るなら、逆にコレにも、アレにも感謝出来る。

だから、世界のすべてを、あれこれ判断しようとすること、

それこそが、実は、最大級に、「どうでもいいこと」

でした!



今日もありがとうございます。

みそかもうでに行こう!と思うと晴れてくる。
いつも、ありがとうございます^^

増税対策

2014-04-28 10:42:24 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

消費税が上がる直前でも、なんだかんだ急いで買う必要はなかった。

というか、

そういう思考で行動している限り、似たような状況、それに対する
反射的な思考が変わることはない。

なににつけこういう傾向のひとは、いつもお金で得する、損する、と
いう観念が強い。

でも、そういう感覚は、もちろんそのままあなたの人生の中で、大きな
比重を占める。
つまり、一生損だ得だと、言い続けて生きていく、幕が下りるまで、
ということ。

しんどいことです。

でもそれが、な~んも思わず流布されている、この世の 「常識」



お金は必要だし、見る角度を変えれば、それは確かに「自由への切符」
です。
でも、自由への切符って、実は、他にも、いろいろ、たくさん、無限に、
ひとの数だけ!

あるんです。
それはもちろん、その人に拠るんだけど。


お金に執着している限り、その切符は、あなたの目の前には、「絶対」
現れない。
しかし、そういう執着から離れていくと、だんだん気付けてきます。



たとえば、あ!これはどうしてもいま入手しておきたい!この機を逃し
たら、いつ手に入れられるか分からない!(・・・心配だ、不安だ!)

という状況でも、
たとえばその時点で、財布にお金が足りてなければ、


「ああ、これはいま買うタイミングのものじゃないんだ」

「それが僕にどうしても必要なモノならば、しかるべきタイミングで
 手に入るから安心!」


という感覚で居られます。
居られるようになります。(僕は2年くらいかかりましたが)

なのでもう、クレジットカードも、キャッシュカードでさえも手放そう
(ジャマだから!)

いずれは「あ、そう。じゃあ、要らないや」という境地にさえ至ること
でしょう^^


そう、ものごとはすべて、完璧な状態で、完璧なタイミングで!
あなたの目の前に現れる。

僕にとってそれは、「確信」を越えた、新しい人生の「知識」であり
新しい「常識」 

常識と思っているものは、誰もわざわざ疑いません。
だからこそ、力強く現実化されます。



感謝も、ワクワクも、執着からの離脱も、それがどれだけ人生に影響を
もたらすことか。

ぜひそういうことを、大勢の人が体験できますように。

気付けますように。

感謝とともに、日々の、自らかけている制限に気づけますように。



今日も、すべてにありがとうございます。

生き急がない。

2014-04-25 10:20:30 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

「生き急いでいる」ように見えるひとって、居ます。

なんかしてないと、落ち着かない、というひとのことです。

休憩中はもとより、休みの日もスケジュールが空いてると不安になるとか
ならないとか。
とにかく、なんかしてるひと^^;


でもそういうひとに関して、多くの第三者は、時間をムダにしないひとだ
なあ、とか、行動的だなあとか、肯定的に見るようです。
(初見はね)


ズレてる。


こういうのって、不安や心配に根付いているのが原因でしょう。
でもね、
なにをそんなにアクセクする必要がありましょうか。

僕等はこの世界を、旅するためにやってきた。しかも「時間」という「認識」
に同意して、その瞬間瞬間を、つぶさに明瞭に、経験するために。

そしてその「時間」のなかで、「なりゆく」 という経験をしに来ました。

「なりゆく」とは、「成長そのもの」を感じる経験。


時間というものをゆっくりと、大切に感じなければ、「なりゆく」過程を、
雑にしか感じられない。

なんてもったいない。

生き急いでいるように見えるひとは、そういう意味では「雑に生きている」 
ように思えます。



なのに、そういうひとを肯定するという感覚、「一般的な」感覚というのは、
場合によってはズレにズレまくってる。

・・・まあ、世間一般からすると、僕のほうがズレているように見えるんで
しょうけどね。

でも、そのほうが 「起きている」 と感じます。



不安に根差す行動と、ワクワクに根差す行動は、たとえ内容が似ていても、
全く異なります。

なにより、ワクワクしているほうが間違いなく 「優雅」 です^^


とにかく、


今日も、いつも書いてますとおり、これもひとつの「状況」で、良い悪い
じゃあありません。
そういう人が居て、僕のようなぐうたらが居て、この世界にコントラストが
生まれるから。

全員が一緒だったら、ひとはひとりでいいもんね。

ただ、僕の場合は、そうはしない、というだけのこと。


なので僕は、「なりゆく様」をじっくり観察して、感じながら生きていく
ことを選びました。

改めてオリンピック

2014-04-21 10:56:31 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

オリンピックする度に、やれメダル何個取れた、取れなかった、とか言いますが、
こういうお祭りの最大のポイントは、やはり 

「人類の可能性」 

を、世界中に発信しているということだと思います。


こころとカラダをシンクロさせてこそ、鍛えられ、記録も伸びる。


カラダを鍛えるだけじゃ無理だし、イメージするだけでも無理。
その両方がうまくハーモニーを奏でてこそ、見ているひとにもその旋律が響き、

「なんか感動してしまった・・・ありがとう!」

となるわけです^^

だから、判定がどうとか、メダルが何個取れたかとかは、実はどうでもいいこと
かもしれない。

いや、
どうでもよくないかもしれないけれど、やっぱりどうでもいいかもしれない(笑)

「いいものが見れた」

「素晴らしいものを見た」

「なんかこころが震えた!」

そう感じられたら、それでもう充分じゃないですか。

そう感じることが出来た、あなたのこころは、本当に素晴らしい。

そう思わせてくれた、選手たちに感謝!


全ての選手のみなさん、全てのスタッフのみなさん、全ての見ていたひとたちと、

もちろんそうでないひとたちにも、



すべてにありがとう。

これこそが 「オリンピック」!



じゃないかなあ。

人生はマラソンじゃない!

2014-04-19 07:14:52 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

「人生がマラソンだなんて、誰が言った?」

リクルートポイント、ちょっと面白いCMだと思いました。

「ゴール」 はひとそれぞれ。

もうてんでバラバラに走り出すランナーたちがいい^^


自分だけの道があるんだ。自分だけの道?それすらもカタチはない。

そして、ゴールもまた、人生の中では中間点であり、分岐点でしかない。

だってレースはゴールで終わるけど、人生ではまた明日があるし。


なので人生をレースやゴールに例えるのって滑稽です。



走ろうが歩こうが這いつくばろうが、逆に行こうが、好きに眠ろうが、
いつ、なにをどうしようと決めるのも、すべてが自由。
(そんなレースなんてないし!)

全て、あなたの自由な選択があってこそ成立するのが「人生」と呼ばれる
もの。

まあ、ゴールのように見える瞬間、命の区切り、と見えるようなものがある
とすれば、それは思うがままに、十分に納得して生きた末の、一般的には
「死」と呼ばれる瞬間でしょう。

でも、「命」 は、まだまだ、永遠に続く。

いままでも、これからも。



このCMに感動した!という書き込みもありましたが(YOUTUBE)それは
普段どれだけ制限の中で生きていて、息苦しさを味わっているか、という
証拠だと思います。

でもそれすら、実は「自分自身で、わざわざ課した制限」だったとは!

人生を道だとか、レースにたとえるから、制限してしまうのかもしれません。
改めて、人生とは・・・


「ふわふわ浮かんでいたら、勝手にイイコトが寄ってくるもの」 


・・・そういう例えもいいかもね。
(いや、それ以上にイイコトが!?^^)

今日もありがとうございます。

あなたはどの辺りに居るのだろう

2014-04-17 10:59:34 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

連日、フェリー遭難事故が報道されています。

しかし、こういう人災や自然災害を含め、日々起きるいろんな出来事、それらを
いつまでも「おそいかかる」なんて感覚で生き続けている限り、あなたはいつ
までもそれらを、「そういう風にしか」体験できない。

僕らが、感覚も状況も、そのすべてが制限された「3次元の地球の世界」を
わざわざ選んで転生してきたのには、ちゃんと理由があります。

これを、この「物質状態の人生」のあいだに気づけない限り、ひょっとしたら、
あなたはいつまでも、同じような人生に転生することを、選び続けるかもしれ
ない。


それは、「感謝に気づくこと」

(答、言っちゃった^^ でもこの記事を見るかどうかも、調和の度合いに拠る
 でしょう)


生きてるうちに、感謝の本当の意味に気づけるかどうか、の人生ゲーム。

感謝は、調和やワクワク、この世界で生きることの喜び、すべてに通じます。



僕もですが多くのひとは、つらい、苦しい目にあい、やっと感謝に至ります。
(至れないひとも居ます。)

しかし多くが、喉元を過ぎれば感謝を忘れ、何度も何度も似たようなつらい目に
遭い、そんな繰り返しの間に人生が終わります。

でも、つらい、苦しい目に遭い続ける必要も、またない。

調和することの大事さを知り、継続できれば、その後の人生で、つらい、苦しい
目に遭うことがなくなる。
(このことを 「信じる」 までが、難しいんでしょうね)

・・・・・「あなたがどう思おうが、これは事実なんです!」なんて書き方を
している本も多いですが、僕はこの言い方が馴染みませんので使いません。
なんかエラそうだもんね^^;


でも、その「信じる」「確信する」では、実はまだまだ弱い。

それがあなたの「知識」になり、あなただけの「常識」になって初めて、
あなた自身が「変わった」ということになります。



日々報道される、人災や自然災害という状況、
あなたは、どういう受け止め方をしているだろう?

ほとんど影響ない?(そんな場所に「居る」ことも、決して「偶然」じゃない)

自分は影響ないけど、困ってる知り合いがいる?

それともあなたが困っている?

いまも、めちゃめちゃ困っている?

それどころか、痛いめに遭った?

死にそうな目に遭った?

(それとも・・・・・???)



あなたはどこに居る( 「在る」 )だろう。

だけど、これも、良いとか悪いとかじゃない。

どの状況を、あなたが自分自身に「許しているか」 
ただそれだけのこと。

それはただの状況であり、だからこそ、あなたの気持ちひとつで変えることが
出来る。

ひとには、決して変えてもらえない。でも、あなただけが変えられる。


こういうの、
信じるかどうかは、あなた次第!なんだけれど、やっぱり信じなければ、結局
なにも変わらないし、動かない。

大事なのは、そこだと思います。

瞑想は、鍛錬でも修行でもない

2014-04-12 09:28:02 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

お正月などによく見るのですが、寒中水泳とか、水に入って、朝日を浴びながら
空手とか。
よくあるのは滝にうたれるとか、逆に燃え盛る火の上を歩くとか。

とかく、人間は「精神を高める」ためには厳しい行為が必要だと思っている。
まあ、祭りごとの一種にもなってるんだろうけど。


でも、精神を高める・・・って?いったいなんだろう?

やってる本人たちも、ハッキリ意味が分かってやってるのかな。

ただ漠然と「やれば、なんか強くなるんじゃない?」なんて理由だけでやって
るんだったら・・・・・・???ですが。

まあ、

精神を高める → 身も心も強くなる → なにがあっても動じないようになる

ということならば、やはり肝心のところが抜けたまま、わざわざ身にもこころにも
厳しいことをやり続けている、ということになります。



それはもちろん 「調和する」 という部分。



なによりも大事な、基本中の基本なのに、僕らはこんなことさえ忘れて生きて
きた。
これは砂地の上に、一所懸命に高層ビルを建て続けてきたようなもの。

つまり、

「調和」していれば、そういう「(よろしくないであろう)なにかが起こっても」
という現象そのものが起きない。

言うなれば、

「不調和なまま生きていくために、あえて厳しい鍛錬で身も心も鍛える」 

ということを、ここ何千年も、人間は、ただ何となくやって来たのかもしれない。



もちろん、厳しく生き続けて、とうとう調和に至る、なんてこともあるでしょう。

でも万人が、そんなまわりくどいことを受け入れる必要も、ない。
時間掛かりすぎるよ。
しんどいってば(笑)



「調和する」とは、一般的に言うと「悟り」に近づくこと。


いわゆる「悟り」(この言い方にこだわる必要はありませんが)に近づくには、
日々の瞑想の時間に比例して、効果があることがハッキリしています。


でも、なにも座禅を組んでああしてこうして・・・ばかりが瞑想じゃない。

「こうしなければならない」なんていう「カタ」にはまると、逆に意味はない。



あなたが最もラクに、こころの底からホッと出来る時間。それこそが、
あなただけの「瞑想時間」



寒い季節に、ゆったりお風呂に入るときとか、

寝る前に、大好きなアイテム(なんかありませんか?)を枕元に繰り広げて(笑)
漫画読んだりしながら、ウトウト眠りに落ちるときとか、もう最高だよね!

あとはいつも言ってる 「ワクワク」 タイム。

大好きな趣味なんかに没頭している時間。
まさに、「あなたの時間感覚」が止まるひととき。



こころの底から「ホッ」とするひととき、こころ踊るワクワクの時間、
それは共に、もう最高の瞑想時間です。

これに合わせて、静かに、薄暗くして、リラックスする時間もあればサイコー☆



なので、もういつまでも 「高める」 = 「厳しく鍛えるのみ!」 
という古くさい概念は、投げ捨てようよ。

そんなの、ただただ、

しんどいだけなんだから。

ありがとうの魔法

2014-04-11 10:15:29 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

「ありがとう」って言うのって、言い慣れてないと、ハズカシイものです。

僕も子供の頃は、ひとにこんにちは、ありがとうって言うことが、なによりも
恥ずかしかった。
オトナになってもそれを引きずり「・・そんなこと、言わなくても分かるだろ!」
とか言ってごまかす人も居る。
(それでもオトナぶってるんだから滑稽ですよね^^)


なので始めは、こころのなかで、「ありがとう」って言うクセを付けてみよう。
まずは、言葉にしなくていい。


それも、なにかをされたときだけじゃなくって、ひとに限らず、いま、目の前に
在る「すべて」に対して、「常に」「ありがとう」と、こころのなかでつぶやい
てみよう。


理由?

ありがとう、と言うことに、なにか理由が要りますか?


まあ、そんなことに理由が必要だ、なんてことに「どれだけ意味がない」か・・!
そのうち、「必ず」分かります。


「いま」「ここ」では、あなたのため「だけ」に、「そこに在る」すべてのひと、
モノ、状況に、感謝してみよう。

そしてこれを、クセにするんだ。

生活の中で、
朝起き上がって、振り返ってふとんに感謝して、夜寝るとき、ふとんに感謝する
まで、なんでもかんでもに、感謝してみよう。


もう、数えきれないほど、とても起きている時間だけでは足りないほど、もう
感謝してるだけで1日終わってしまうほど、他に何も出来なくなるほどに・・・!

感謝の「タネ」は、いたるところに、あらゆる時間に存在します。

それを本当にクセにしていくうちに、あなたの周囲でみるみるシンクロが起こり
始めます。

それは、世間的には「幸運」や「ラッキー」という言葉で片づけられてしまう
こと。
大したことない、そんなことよりも大事なことがあるんだよ、と思われるような
こと。

でもそれらは「あなただけに、最大限に意味や価値があること」だと、だんだん
気付きます。 
そういう「シンクロニシティー」が、あなたの前に次から次へと現れてくるから。


シンクロニシティーとは、物理科学で言う「共時性」のこと。

つまり感謝し続けることで、あなたはどんどん、この「世界」に同調し始める!
シンクロとは、その証なんです。

・・・でも、世界と同調し始めると、どうして「幸運(まあ、ここではこう書いて
おきます)」がやってくるのか?


それは、


「この世界が、そういうものだから」 であり、

「あなたが、この世界そのものでもある」 からです^^


そうとしか言いようがないのだけれど、
この世界はもともと、あなたが調和に溢れ、あなたが思う幸せのカタチで「存在」
できるように(そのためだけに!)用意されたもの。

それ以上でも以下でもない、ただ、それだけの「もの」と言えます。
(・・・このことを、あなたは受け入れられるだろうか?^^)


そしてあなたのシンクロは、あなただけのもの。
他のひとにとって意味がなくても、それでいい!


とにかく、
そうなるとあなたはどんどん、勝手に、芋づる式に、次々とワクワクすることを
思いつき始める。
いままで退屈で、なにひとつ変わらない、と思っていた日常が、みるみる変化
していくから。

それはいままで、ときとして必死に「外」を変えようとしていたあなたが、実は
「あなた自身」が変わり始めた、ということに気づくタイミングでもある。


そう、

すべての物事、状況は、完璧なタイミングで、完璧な状態で、あなたの目の前に
訪れる!


 ↑↑↑
(・・この言葉、めっちゃ好きなんです^^笑)


そしてあなたは、ますますワクワクし、常に、声に出して「ありがとう!」と
言いたくなる。
なぜならこの時点であなたはすでに、

こころを込めて発する「ありがとう」という言葉の、真のチカラに気づけている
から。

あなたを、周囲を、問答無用で改善する強力なパワーを、あなたは自分に 
「許し始めた」 


そして、思っているだけより、言葉にして発した方が、力がある!と、 

心を込めた方が、さらに何倍も大きな効果がある!と、

「なんとなく」気付き始めた。

はじめは、「なんとなく」でいいんです。
考えるよりも、感じることです。

いや、もう思い出しているかもしれない。

「言葉は、言霊」だということを。

単なる、意味のない「声」や「音」なんか、この世界にはない、ということを。



ここまで来ると、ハズカシイなんて言ってるあなたは、もうどこにも居ない。

とにかく、なんにでも、こころから感謝したい!声に出して「ありがとう」と
言いたい!と、いままでとは全く逆の生き方をしているあなたが居る。

そして、周囲のみんなにも、この事実を伝えたい!と思うあなたさえ居るかも
しれない。



なんて素晴らしい。
書きながら久しぶりに、挨拶の魔法♪ポポポポ~ン^^ を思い出しました。
一番最後の「ありがとう♪」が心に響きます。


今日も記事を書かせてくれて、ありがとう。

あるべくして在る、その状況

2014-04-08 11:03:59 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

昨日、地下鉄の構内を歩いていると、久しぶりに見ました。
少ーし前を、傘で壁を叩くオッサン(というかちょっと若めかな)が振り返っ
て、後ろを4人で歩く若い女性たち(しかも横並び!迷惑!)に向かって

「・・・黙れ!さっきからうるさいんじゃ!!」

と大声で叫んでいるのを。

可哀そうに。

いや、その女性たちが、じゃないヨ。

彼女たちは、普段から調和と感謝が足りない。だからそういう場面に遭遇する。
これは100%、アタリマエのコト☆

可哀そうだと思ったのは、振り返ったオッサンの、怒りに歪んだ、悲しそうな
カオ。
怒りの表情は、ときとして悲しみが重なります。

それを見て、なんか一瞬で、

ああ、このひと、職場でも家でも、寂しくて悲しくて仕方ないんだな・・・・
いつもこころで泣いてるんだ・・・
オレは、もうこういう人生なんだ!って決めつけてしまってるんだ・・・・
(想像です)

と、感じてしまいました。


以前たしかエイブラハムの本だったと思うのですが、そういうひとに遭遇
したら、
「そのひとが清々しく安らかに、すべての制限から解放されて、喜びの中で
 こころから感謝している姿を、想像してあげてください」

といったようなことが書いてありました。

このときも、なにを考えるでもなくとっさに、そのように想像していたのです
が、実はこの文章を初めて読んだときは、ただなんとなく、ああ・・・そうか。
そうするのが良いことなんだな・・・・としか感じませんでした。

でもいまは (以前よりも)そうすることの大事さが、より分かってきたように
思います。

どうか、調和と感謝に満ちた、人生を送れますように。
これって「祈り」だよね。

そしてこのひとの、こういう状況を見ることで、あー、僕はなんて幸せに暮らせ
ているんだろう・・・と、改めて感謝します。

この世界の、すべては循環します^^




少し前ですが
この冬、関西も大雪の日があり、その日もその影響がやや残る、といった感じ
でしたが、JRなどは、5分や10分の遅延で済んでいました。

でもそんな、たった5分程度の遅れでさえ、「・・・お忙しいみなさまには、
大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします・・」なんてアナウンスが、
いつも入ります。

ちょっとしたことで怒るひとが居るんでしょうけれど、
僕はいつも思います。

いやいや、そんなに謝らなくていいよ。

いつもいつも、安全を気にしてくれて、便利に、しかも、この寒風の中を運んで
くれて、こちらこそありがとうだよ!

電車そのものに対して、運転士さん、車掌さん、この場に乗り合わせたみなさん、
そして、そうでないみなさんも、ありがとう。

乗り物に乗ったときはもちろんですが、もうこんな思考が、生活の中で完全に
クセになってます。



で、久しぶりにこういうこと書きますが
そうすると、満員電車の、僕の目の前の席だけが、ポンと空くんです。

「・・まあまあ、座ってよ!」と言われてます。

本当に(信じられないかもですが)ほぼ、いつも言われます(笑)

この状況、いやいや、もう少しで降りるからいいよ、なんて思って立ったまま居る
でしょ。
そうすると、また目の前でもう1席空くんです。

「まあまあ、そう言わずに!」って感じで(笑)

-満員電車の、僕の前の、その席だけが!



ああ、そうか。そうだよね。ありがとう。次降りるけど、座らせてもらうね^^



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



ひとだけでなく、いろいろな「状況」からも提供される、幸せ(まあ、ここに
書いた座ることなんて、大したことないじゃない、と思われるでしょうが^^;) 
さえ受け取れないひとは、きっと誰に対しても幸せをあげられないんじゃないかな
と思うんです。

与え、受け取り、循環する。


だから、目の前に差し出される好意や幸せは、それがあなたにとって、どれだけの
価値と感じようとも、大きな感謝とともに、素直に受け取りましょう。

そうすることで、あなたはさらにいろんなひとを幸せにして、いろんな状況を改善
する!

循環するこの世界は、そうなっているんだから。




最後に・・・これも電車の車内で、ですが、改めて思いました。

「うつむいて、スマホをヒュンヒュンやってるひとは、誰ひとり、あんまり幸せ
 そうに見えない」

僕にはそう見えました。
そこまで、寸暇を惜しんで得ないと「いけない」情報ってなんでしょうね?

それらはすべて本当に、あなたの 「いま」「ここ」 に、必要な情報なので
しょうか。

前にも書きましたが、そんなときほど、いっぱい感謝出来ることを思い出してる
ほうが、100万倍実用的で、楽しいんだけどな。


愛の反対

2014-04-05 19:45:10 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!

「あなたは存在している」
「一は全て、全ては一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「あなたの場所は、永遠に『いま』そして『ここ』だけ」


こんばんは。

いつもいつも、感謝だ、愛だ、と言い続けていますが
では、
「愛」の反対を意味する言葉とは?

世間的には「憎しみ」「悲しみ」とか「怒り」だったりするんでしょう。
でも本当は

「罪悪感」

「罪悪感」こそが、「愛」の反対語のようです。

そもそも「愛」とは、あなたや僕、そしてこの世界そのものであるエネルギー
のこと。「罪悪感」とは、

「・・・いや、ワタシにはそんなチカラも価値もない、ありえない」

という、その自らの、存在そのものを否定する「無力感」
そんな罪悪感と、それから生じる無力感こそ、「強いエネルギー」である、
あなたそのものを否定する、正反対の思考であり感情なんだ。

誰かを憎んだり、怒ったりするのも、「愛」のひとつの側面にすぎません。
それらは、なにかの拍子に、もとのカタチに戻ります。

でも罪悪感のレベルは、愛から最も遠い位置にある。
だから、それがカラダにこころに染み着いていると、なかなかセンターに戻せ
ない。
だから知っていてほしいんです。

憎しみや悲しみ、怒りよりも、「罪悪感(無力感)」にしがみつくほど、
生きる上でなにかと、確実に遠回りになる、ということを。

(ここでも「とりつかれる」じゃなく、あなたが「しがみつく」ですよ!)


確かに、どういう状態で生きるか、というのはあなたの「絶対的な自由」
なのだけれども、
なにも低振動で居続けなければならない理由もまた、あなたにはない。

そしていつも書いてますとおり、

日々、その瞬間に、あらゆる物事に感謝し、ワクワクしていることが、
「常に明るく、いい気分」状態への、最も早いルートです。

そこからあなたが起こす行動は、あなたの人生にとっての「イイコト」にしか
ならない!
(・・・なににつけ疑いが強い人ほど、感謝が少ないことを証明しているん
 だよ^^感謝してたら直感が冴える!)

まあ、

このブログをいつも読んで下さってるみなさまは、すでに無力感からはほど遠い、
そして気分を切り替える達人なんだ、と・・・

そんな風に思ってます。

十人十色

2014-04-02 08:50:46 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

あなたは「いま」「ここ」に「在る」!



おはようございます。

朝起きると、布団に向かってありがとう、と合掌。

寒い時期は余計に、スイッチ一つで蛇口からお湯が出ることにありがとう、
と合掌。

トイレから出てもありがとう、と合掌。

お風呂から出ても、ありがとう、と合掌。

家に居る間は、とにかくいろんなことにありがとう、と合掌します。



外でも、歩く道にありがとう、青空にありがとう、乗り物にもありがとう。

まあ、外ではそーっと地味にやりますけれど、とにかく

「やらなきゃ」ではなく、こうやってると「いい気分」の僕が居ます^^


エネルギーがスーッと循環する感覚を持ちます。
いつもやってると、これも習慣になります。


でもね、僕はこれをゼヒやってみて!とは勧めません。
これは、僕の気付きへの道であるけれど、あなたのではないかもしれない。

せいぜい、
僕はこうやっている。あなたはどんな方法で「気付いている」のかな?
という感じです。

基本的にこのブログは、まずは僕の、気付きへのために「在る」もの
だから^^

僕とあなたの気付きのやり方が違ってこそ、この世界、宇宙は多様性がある。

もちろん、似てたり一緒だと嬉しいですけどね^^


さて、


たとえば、このブログでも時事的な、ちょっと政治的なことに、いや、わずかに
かする程度でも意見を書きたくなるときがあります。

しかし、つい主観からそういうことを書いてしまうと
(こういう書き方もオカシイなあ)
間髪入れずにコメントが入ります。

承認制なので僕だけにしか分からないんだけど、そういうコメントって、だいたい

~あなたは、分かってない。理解が足りない。本当はこうなんだよ。(改めなさい)

というもの。
いや、100%そうです。

でもね、
あなたの主張があるように、僕にも、誰にも、違った考えや主張はあるんです。

そして、わざわざここに「本当はこうなんだよ。私は知っているんだから」と
いうスタイルでコメントしてくる方々の意見を読んでも、僕の意見が変わることは、
一切ありません。

そういう方々、
自分と相いれない意見を目にしたら、しがみつかずに無視すればいい。

あなたが、あなたの考えで、外を、誰かを、なにかを変えようとしても、
それはムダ!

いつも書いてますように、あなたが変えられるのは、「あなた自身だけ」なの
だから。


気に入らないことに、いつまでも執着してしまうのが、人間の特徴でもあります。
それは「こんなこと書いている、オマエが悪いんじゃないか!」ではなく、
反対意見に引き寄せられる、「しがみついてしまう」あなた自身に原因があります。


あなたの世界は、すべてあなたが映し出しているんだから。
(それ以外は、なんにもないんだよ!)

でもそれに気づけたら、
「ああ、またこんなこと書いてるな・・・しゃーないなあ」と、すぐさま別の
ブログにジャンプしたらいい。

さらには

僕の一部とも言えるこのブログのコメント欄で、僕自身を、考えを変えてやろう、
教えてやろう、というのは、100%、ムリ!笑

あ、でもですね、

そっか~、あなたはそういう意見なんだね。私はこういう風に思うんだけどな~、
という雰囲気を感じる意見は、逆に気になるものです。

場合によっては、自主的に(←ココ大事!) さらに知ろう、と思うようになる
かもしれない。

そういうもんじゃないでしょうか?

なので「そういう」方々、

ひとへの、誰かへの意見や気持ちの伝え方、もう少し考えてみてもいいかもよ。


・・・・最後に、
いつもいつも、何度も何度も書いてますが、これも「良い」とか「悪い」とか
いうことではないからね。

常に「判断」はない。すべては、「ただの状況」ですから。