0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

瞑想は、鍛錬でも修行でもない

2014-04-12 09:28:02 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

お正月などによく見るのですが、寒中水泳とか、水に入って、朝日を浴びながら
空手とか。
よくあるのは滝にうたれるとか、逆に燃え盛る火の上を歩くとか。

とかく、人間は「精神を高める」ためには厳しい行為が必要だと思っている。
まあ、祭りごとの一種にもなってるんだろうけど。


でも、精神を高める・・・って?いったいなんだろう?

やってる本人たちも、ハッキリ意味が分かってやってるのかな。

ただ漠然と「やれば、なんか強くなるんじゃない?」なんて理由だけでやって
るんだったら・・・・・・???ですが。

まあ、

精神を高める → 身も心も強くなる → なにがあっても動じないようになる

ということならば、やはり肝心のところが抜けたまま、わざわざ身にもこころにも
厳しいことをやり続けている、ということになります。



それはもちろん 「調和する」 という部分。



なによりも大事な、基本中の基本なのに、僕らはこんなことさえ忘れて生きて
きた。
これは砂地の上に、一所懸命に高層ビルを建て続けてきたようなもの。

つまり、

「調和」していれば、そういう「(よろしくないであろう)なにかが起こっても」
という現象そのものが起きない。

言うなれば、

「不調和なまま生きていくために、あえて厳しい鍛錬で身も心も鍛える」 

ということを、ここ何千年も、人間は、ただ何となくやって来たのかもしれない。



もちろん、厳しく生き続けて、とうとう調和に至る、なんてこともあるでしょう。

でも万人が、そんなまわりくどいことを受け入れる必要も、ない。
時間掛かりすぎるよ。
しんどいってば(笑)



「調和する」とは、一般的に言うと「悟り」に近づくこと。


いわゆる「悟り」(この言い方にこだわる必要はありませんが)に近づくには、
日々の瞑想の時間に比例して、効果があることがハッキリしています。


でも、なにも座禅を組んでああしてこうして・・・ばかりが瞑想じゃない。

「こうしなければならない」なんていう「カタ」にはまると、逆に意味はない。



あなたが最もラクに、こころの底からホッと出来る時間。それこそが、
あなただけの「瞑想時間」



寒い季節に、ゆったりお風呂に入るときとか、

寝る前に、大好きなアイテム(なんかありませんか?)を枕元に繰り広げて(笑)
漫画読んだりしながら、ウトウト眠りに落ちるときとか、もう最高だよね!

あとはいつも言ってる 「ワクワク」 タイム。

大好きな趣味なんかに没頭している時間。
まさに、「あなたの時間感覚」が止まるひととき。



こころの底から「ホッ」とするひととき、こころ踊るワクワクの時間、
それは共に、もう最高の瞑想時間です。

これに合わせて、静かに、薄暗くして、リラックスする時間もあればサイコー☆



なので、もういつまでも 「高める」 = 「厳しく鍛えるのみ!」 
という古くさい概念は、投げ捨てようよ。

そんなの、ただただ、

しんどいだけなんだから。


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