0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

久遠の愛

2014-10-11 23:06:35 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。

宗教で戦争が起こることはあっても、宗教で戦争が終わることはない。

100%ない。

なぜなら宗教は「分離」そのものだから。



いわゆる「カミサマ」は、あなたとともに「常に在る」のに、そんなの
居ないよ、代わりに「我々のカミサマ」のほうを信じなさいと言う。
「我々のカミサマ」こそが唯一なんだから、こっち信じろ!と、それぞれ
が互いに強要し合ってるから戦争になってます。
これが、何百年も、何千年も続いてる。

―それでも宗教は必要か?―


いやいや、



あんたがたのカミサマも、僕のカミサマも、結局は同じなんだって。
(もっと、高いところから眺めてごらん)

カミサマどころか、僕もあんたがたも、上の方では結局繋がってて、
みんな一緒、同じだって分かるから。
僕もあなたも、この地球も、宇宙も、すべての出所は同じ。
それこそが唯一の根源であり、「ひとつなるもの」


「一は全、全は一」


誰のカミサマなんてのもなく、あなたも僕も、はじめから
「大海のひとしずく」
しずくは個々であっても、海全体は、つながっている。

こういうこと、誰しもこころの奥の方では分かっているのに、どうしても
不安なんだね。

不安で怖くて、仕方ない。だから攻撃してしまうんだ。



でも攻撃する側もされる側も、みんな叫んでいる。

「僕はここだよ!ここに居るんだよ!僕に気付いて!僕を愛して!」 

って。
そして、お互いは引き合ってしまう。

でも、誰もかれも、みんな、生まれる前から、そのずーっと前から、
そしていま、それからこの先ずーっと、永久の未来に至っても、


あなたは深く愛されている。

愛されているんだよ。


恐れも不安もさみしさも、全ては幻想。その渦中に居る人は気付き
にくいかも知れないけれど・・・
でも、「なにかおかしい、本当にこれでいいのか?」ということは、
悩み続けられる。
それに関しては、決して言い訳は出来ないと思う。


傷つけ、傷つけられる人たちも、早くそれに気付けるといいな。
それと、宗教なんて不要だってこともね。



今日もありがとうございます。



あなた次第

2014-10-11 01:38:20 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。

調和へ至るのに最も有効なのが、あらゆる事象に感謝すること、
ひたすらワクワクすることを、「行動」すること。

「調和」とは、こころが軽い状態のことです。
感じましょう。


でもあなたは、せっかくワクワクしているこころにブレーキをかけて
「こんなことばっかりしてちゃダメだ」 と思う。

「こんなことばかりしてたら、あとで悪いことが起こる」
「自分ばかりこういうことをしているのは贅沢だ」
「もっとがんばらなきゃいけない」

なんとも無意味な、こころのブレーキ。
とくに3つめなんて、本当に無関係で滑稽な心理です。



そして、カラダを壊す直前のような状態になるまで働かないと、自分に
「ご褒美」を与えない、とか。


・・・・いったい、なにに遠慮しているのか?

周囲の全てを無視しろ、とは言いませんが、あなたはどれほど周囲の目を
気にして生きているだろう。
そういう状況に、身を置いているだろう。
でもそれは「真面目」とは違うようにも思います。


そのことがダメだ、と言ってるんじゃないですよ。



ただ、



そういう生き方も、人生の「ひとつの醍醐味」なのかも知れないけれど・・・
この社会はそういうものだ、それが常識だ、と決めつけ、思い込んで生きて
いるなら、その生き方はあまりに視野が狭すぎる。

・・・ひとつ、完璧に明らかなのは、すべてはあなた次第、ってことです。


なんとかして、
気楽に、軽めに、生きましょう。


今日もありがとうございます。


疑似戦闘

2014-10-05 21:26:26 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんばんは。

この世界は、「いつまで戦ってんだ?」ってことです。

平和な社会に生きていても、ゲームで、協力して、モンスターなんかを
「倒す」

映画などでも「CGとは思えない、迫力の戦闘シーン」なんてのは、もう
いらんのです。

「推理もの」でも、どうやって人を殺したか、のトリック、謎を解くとか、
興味が持てない。それ以外にも、健康的なパズルはいっぱいある。


もう最近では、それがフィクションだと分かっていても、景観の破壊や、
悪者をやっつける(殺す)シーンにさえ、こころが痛んでしまうように
なった。


・・・そういうの、本当に見たいの?


でもそれは、表面上平和に見えるこの現代社会の、不安の裏返しのよう
です。
こころの奥では、おおぜいが不安を感じているからでしょう。
そういう「不調和」は、実は数千年も続いてきた。
だからこそ、こころに染み着き、脱却出来にくいのかもしれない。

でもそれは、決して「やめなけばならない」という観念でも成し遂げられ
ない。


多くの人が調和して、本当の意味で戦う事の無意味さが分かれば、こういう
コンテンツや、ゲームもなくなるのかな?

ひとは、ないものを欲しがるものだから、分かりませんね。

でも、そんな世の中が来ること、そのこと自体は、待ち遠しいものです。



いかなる暴力でも、暴力を消し去ることは出来ない。
ただ、
あなたが変われば、世界は変わる。



今日もありがとうございます。