0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

犬を制する(笑)

2014-07-29 19:44:05 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんばんは。

先月の、みそかもうでへの道すがら。
神社へのいつもの道を歩いていますと、途中必ず吠えてくる飼い犬の、
家の前に来ます。

そこで毎回、この犬をなだめるチャレンジをしています。

犬の目をじっとを見つめながら「・・かわいいこよ、愛しているよ」と、
こころのなかで囁きます^^
前を通り過ぎるほんの数秒のことですが、今回はとうとう

犬 「!ウワッ・・・・・」

やったー(笑)

声が出かけて止まりました。 よしよし。かわいいやつめ。

僕の振動を感じ取ったな!



もう日に日に、僕自身の「愛の振動」が上がってきているのが分かります。

少なくとも、この日は調子が良かったことは間違いありません^^
それは、それだけこの世界にシンクロしているということ。

それも含め、気持ちよくみそかもうでが出来ました。


その帰り、用事があったのでバス停に向かったのですが、道中の土手に
(田舎なところもある、愛する我が町!)
一面にたんぽぽが咲き乱れる、とても美しい光景に出合いました。

キレイだなあ。

・・・でも、眺めていたらバスに乗り遅れるかもしれない。



左に曲がるとバス停への道。土手は真っ直ぐの道。



まあ、いいや。
というか、これは世界からのギフト。

「美しい景色を無視するたびに、あなたは私を無視している。
 無視し続けている」

そのまままっすぐ行き、その春の景色に、存分に見とれ(笑)
それから、結果やや遠回りにはなりましたがバス停へ向かいました。

その途中、あれ、カバンにいつも入れているバスの時刻表がない。
ま、いいか。少し先に、バス停に並ぶひと達が居ます。

うん、そのうち来るのかもしれない。



そうして信号を渡り、列の後ろに並んだとたん、その信号を曲がり、
バスがやってきました。

「完璧なタイミング」



・・・・・・・・・・・・・・



改めて思うに、僕らがこの世界を愛で、楽しむほどに、この世界は僕らを
歓迎してくれるようです。

まるで大好きな、大事な人が家に来てくれた時のように。

そんなときって、僕らはその大事な友達やお客さんを、こころから迎え入れ、
出来る限り楽しく過ごしてもらおうって思い、歓迎します。

こころから、来客を愛します。



だからこの世界も、きっとそうなんです。

この世界を愛し、そのフィールドに出掛け、満喫することで、世界は
「ウエルカム!よく来てくれたね!」
と喜んでくれます。

もちろん、一カ所にとどまり、ワクワクを掘り下げる作業も同様です。

この世界で、なにかを楽しもうとするこころ(思考と感情)

全ては振動による原理なのだけど、そう書くとなんとも味気ない。



でも僕らが、ワクワクしているときこそが 「至高の幸せ」状態。

この状態のとき、僕らは喜びの、愛の周波数を、振動を発しています。



だからこそ、あらゆる「幸せ」には、愛の周波数がかかせない。

そこが、この世界が理屈に収まらない側面。

この世界を温かく、面白く感じるところじゃないかなあ。



今日もありがとうございます^^

一は全、全は一

2014-07-28 19:58:34 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんばんは。

人生では、いろんなことが目の前を通り過ぎて行きます。

でもそのなかで、あなたの元にとどめておきたいのはなんだろう?


多くのひとは、安心であり、安らぎなのではないかな。断定はできない
けど、いまは不安な、心配な時代だ、なんてマインドトリックが掛かって
ますからね。
(気付かない限り、いつの時代でもそう)

でもそんな意志に反して、僕らはいままで恐れや不安、イライラをわざわざ
選別して手元に止め続けていた。


人生は、自作自演。

イライラ、不安、恐れ。


幸せになりたいと言いながら、こころの根底でそういう生き方を選んでいる
から、それらを経験する。



この、ごくアタリマエこの上ないメカニズム。



だから、いつも笑って、こころからありがとう、って思い、言うことだけで、
人生は一変します。

いつもイライラし、不安であり、恐れているひとほど感謝してないし、
ワクワクしていない。


信じられないくらい、していない。

全然、していない。


そんなオトナが教えるんだから、子どもだって感謝を忘れて当然だ。

ここは、なんて悲しい世界なのだろう。



なにかがないと、感謝したり、ワクワクできないと思っている。

自分に、「幸運が巡って来て」 イイコトがない限り、ありがとう、なんて
言うわけない!ワクワクなんてするわけない!

というひとが、安心人生にシフトできるわけがないんです。



人生は、自作自演だから。



あなたの身の回りの、すべて、ひともモノも越えた全てが!あなたを祝福
してくれていることを知れば、知ることが出来れば、人生は一変します。



なんもないのに、感謝しろとかバカじゃない?
「へんな宗教じゃないか?!」
なんて、いつまでも言いたければ、言っていればいい。
(・・・などと、たまに書きたいときもある。誰もが、ひとの人生に責任など
 持てないし、持つ必要もない)

僕の人生には、一見あなたはなんの関係もない。

しかし、関係ない、と思えることは、実はより大きな視点から見れば
「関係ある」「大ありなんだ!」 ということでもあります。



関係ない = 関係ある



大嫌いだ! = 大好きだ!



だからこそ、いつまでもなにかの、誰かのせいにして生きるのをやめましょう。

すべては自作自演だと理解し、本当の意味での「自己責任(世間で言ってる
のとは違うよ!)」 で生きようじゃない。



「一は全、全は一」


なんだから。

今日もありがとうございます。


この暑さも「いま」「ここ」で

2014-07-26 13:39:54 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんにちは。
暑い中、どうかムリなさいませんように。


このブログも書いたりサボったりですが^^;
確かに「毎日、書かないといけない!」 と思えば書けるんでしょうけど、
それはなんか違います。

ただ、この世界は不調和に満ちていて、気付きに関して書くことはワンサカ
あることも事実です。(ほとんどいい事象ではありませんが)


しかしこのタイミングで、このレベルの地球という世界に存在している、
ということは、明らかにそのなかでなにかに気付くため。
(というか、それしか理由がない)

そんななかでたまに、

「ああー、今度はもうちょっと、愛のレベルの高い世界(文明)に転生したい
 な。ただもうちょっと、物質の世界でいろいろやりたいしなあ」

・・・などと思うこと、そう思える人生なんだということも、いまここに
存在する理由です。


いろんな、やりたいことを、無限に「選べる」ということに気づけたこの
人生。

ということは少なくとも、過去の、現在の、未来の、時間を越えた「いまここ」
で、僕は明らかにスターシップを操縦している(もしくは、していた^^)

なんか、それは分かります。

そして、なにかしらを造形し、この世界で、宇宙で、唯一の経験の波動
(周波数)を放っている。



この春以降とくに、そんな時間、瞑想とも呼べる「ワクワクに没頭している
時間」というものが増えました。

でも、ブログも両立したい。

ちょっとペースダウンしましたが、また上がるかも、いや、そのままかも。
今日もなんか、フワフワしててすみません(半・自動書記!笑!)



一方的に、過去が未来に影響すると思っているけれど、実は未来も過去に影響
します。

僕らが自ら限定している、ちっぽけな概念を越えれば、そこには自由に流れる
時間がある。


時間というものも、あって、ない。

それを認識すると・・・・




いつもいつも、いろんな気付きがあることが嬉しいです。


今日もありがとうございます。


花子とアン

2014-07-16 19:45:15 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。


過酷な幼少期を、自身の想像力とともに生きたアン。

「赤毛のアン」本編でも、その想像力で人生をより豊かにしていく様が
描かれています。

「想像よりも、現実を見なさい」 

と言うマリラや周囲のひとびとでしたが、そんなアンにいいように振り
回されながらも(笑)、アンの才能を認めていきます。

そしてマリラは、アンが自分にとってかけがえのない存在に。
マシューもいまわの際の前、

「1ダースの男の子よりもアン、お前がいてくれてよかった」

と言います。
(・・・まあ、マシューは初めからアンを気に入ってましたが^^涙なく
 して見れない)


「想像力」という、強力なツールを使って人生を切り開いていく物語、
そういう視点から見ても「赤毛のアン」 は実に爽快です。

そんな「赤毛のアン」を日本で初めて翻訳した女性の物語が、いま朝ドラ
で放送中。
ドラマのなかでもすでに、



想像力で翼を広げる

クラスメートの頭を石版で叩く

奉公を頼むが、相手が欲しかったのは男の子だった

ブドウ酒でよっぱらう(これはダイアナですが)

そして、腹心の友(こころの友)との出会い・・・・



といったモチーフ的場面が描かれました。

いろいろフィクションでしょうが、「赤毛のアン」を読んでいたら、
クスッと笑える描写を散りばめているところがいい。

それはそうと、
本編にはあまり関係ないのですが、お笑いのハリセンボン春菜さんが、
先輩役で出演中。

役名は「白鳥かをる子」

で、

彼女のシルエットがちょっと映っただけで面白い。
どちらかというとイジワルに見える役どころなのですが、どうしても
笑ってしまう。
「~じゃねーよ!」 が聞こえてしまう。
そういう微妙な雰囲気を狙っているとしたら、まさに的中だと思います。

実に素晴らしい。

思うに彼女は、なによりも優先して、ひとを笑わせてやる!というシナリオ
を書いて、今回転生したのではないでしょうか。

それをどう思うかはそれぞれですが、なにかに「特化」した人生、なにか
しら極端に見える人生を送っているように見えるひとには・・・・
そう感じてしまいます。

春菜さんも、

前の人生では、まさに白鳥様にふさわしいような、見目麗しい麗人だったの
かもしれない。
そのとき、人を笑わせ楽しませるひとに、非常に憧れたのかもしれない。
もしくは、もっともっと笑わせたいと思ったのかもしれない。

とにかく、「花子とアン」は面白い。

リアルでは、非常に仲がいいらしい、春菜さんと吉高さん。

物語は進んでますが、この二人の共演シーンは楽しませてもらいました。


季節の美しさに、ありがとう

2014-07-09 20:22:56 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。

季節は移ろい、目に見える景色の色合いも変わってきました。

ますます濃さを増す、緑の美しさ。

果実を実らせる木々の鮮やかさ。

小鳥のさえずり。

風の温度の変化。



そんな、この世界からの、せっかくのギフトも、うつむいてスマホを
ヒュンヒュン、ヘッドフォンをしながら歩いている限り、永遠に気付け
ません。

そういったひとつひとつを経験するために、いまここ、に居るという
のに!

なのに、

目先の事象にとらわれ、やれ忙しいんだ、そんなヒマはない、いまを
見ているヒマなんかない(と、見えない未来の心配ばかり)

なにかが起きないと感謝しない。イイコトが起きないと、笑顔にならない。


そんなことじゃ、何度転生しても、永遠に気付けません。
いつまでも、永遠に、シーソーゲームを繰り返すんだ。

「人生、何が起こるか分からない」 という信念ほど、

無責任な生き方はない!



「ただ生き残るために、必死に過ごす」 のは幻想でしかありません。

そんなレベルで何度も転生しても、もったいないことこのうえない。



この世界は、あなたが「生」を満喫するためだけに存在するのに。



厳しい人生を生きたいなら生きればいいけど、それしかできないわけ
じゃない。
選べることを知っていて、選んでいるならまだしも、それしか選べない
わけじゃない。
厳しい世界にしているのは、あなた自身だったんだ。


「人生は、そんなにカンタンではない」という、あなたの「信念」こそ
本物だろうか?

それは、顔も知らない、責任も問われない、誰かのひとりごとかも知れ
ない。

~「人生は、これほどカンタンでした!」というのは、信念さえ飛び越し
た、僕の「知識」であり常識です。



ひたすら、感謝しましょう。 思いっきり、笑いましょう。



それ以上に強力な人生のツールなんて、ないんだから!

過ちを繰り返す人生ゲーム、シーソーゲーム

2014-07-05 09:34:00 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



おはようございます。

思えば、幸福にもなんの苦労も知らなかった若かりし頃は、ドラマチックな
人生に憧れていたフシがあります。
親が、どれだけがんばってくれていたかも分からずに・・・

「自分ではどうにもできない運命に『翻弄』され、荒波に『もまれ』いろ
 んな苦労を経験して・・・」

それはただ、周囲の誰彼に「そうか~、がんばってるんだね~、エライなあ」
と言われたい、思われたいがため・・・だったような気さえします。
(子どもだったとはいえ、最高に愚かな、被害者意識全開の人生でした)


でもそういった周囲の同情や意見などは、いまになって思うと、これ以上
ないほどに、どうでもいいこと。
ただ、その頃はもちろん、そんな風には思えることは出来ませんでした。

「・・・シアワセ過ぎる、我が身に不幸を!!」

ホンマにアホや。しかし愚かにも、そういう思考は強い。

案の定、家族はバラバラ、職場の人間関係もサイアク、体調は悪くなる、
あげくに、住む家を探さなければならない、というハメにまで。

たぶん、青写真そのままだったんでしょうね。
しかし引き寄せ力、どんんだけ強いねん^^;

・・・恐るべし、超・正確かつ強力な、引き寄せの法則!!

宇宙は、この世界は、ただ、ひたすら、あなたの望むことを叶えてくれます。



まあ・・・


そのおかげで、再びいま過ごしている「シアワセ」な、この状況に、こころ
から感謝出来ているわけです。

どんな魂も、いや元となる「ひとつなるもの」でさえ、そういう思考でこの
物質社会を構築したのかもね。

知らない(忘れてる)ことは、(再び)経験しないと分からない。

でもそれが分かったら、もう二度と選択しなくていい。
(してはいけない、ではなく、しなくていい、ということ)

ただいつまでも、感謝の機会、痛みを伴う気付きのヒントを繰り返すパターン
もあります。
それは、

「イイコトが起きたんだから、次はきっと悪いことが起きる!気を付けよう」

という困った思考。
で、これがまた、誰にとっても、かなり強力な信念。
それゆえに、世界中の常識にさえなっているほどの強力な思考パターン。

だから多くのひとは、アップダウンを繰り返す。人生には、周期が在る、
バランスがある、などと自分で決めつける。
誰かもそう言っていた、やっぱりそうなんだよ!あるんだよ!と、
わざわざ、強力な信念にしてしまう。


だからこそ、気付きは大切です。

そんな周期はない。バランスもない。すべては、自分自身の思考に過ぎない。

自分の考える「幸福」をこの後、永遠に過すことも可能なんだから。

苦労と認識されることさえ、自分のタイミングで選べることが出来る。

(もし、それを望むなら)



記憶を封印し、何度も何度も、この「気付けるかゲーム」を繰り返してきた
のなら、僕は今回の人生でゲームは卒業です。

きっと、600回以上は繰り返してたんだろうな。

それだけ、今回の人生は、僕の永遠の命のなかでも、成長に向かうターニング
ポイントだったわけです。

この人生を終えた後に、「ああー、今回も生きてる間に気付けなかった!
もう一度トライだ!」 などと・・・もう、思わなくていいんだから。



あなたはどうだろう?



繰り返す必要はない。
ただ、「何を選べるのか」は、知っておいた方がいいかもしれない。


続・クロスホエン

2014-07-01 12:31:43 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんにちは。

今日は、前回の続きを。



・・・・・・



時空交差点、交差時点 - クロスホエン。

それは時間と呼ばれる、思考間隔の果て。

空間と呼ばれる、反射的イメージの果て。

もうひとつの当時。

もうひとつの現在。


どこか「むこう」にある「ここ」

観念を超越したもの、

最終的には「もし」と名付けられる、単純性の変形。

おびただしい歩数を側方にずれた、ずっとずっと後の時代。

あらゆるものが複雑さを増しつつ、外に放射していく、究極の中心。

シンメトリーとハーモニーのある、そして始まるであろうところ。


ザ・センター。交差時点(クロスホエン)


あるいは、一億年の未来。

そして、可測宇宙の最外縁から一億パーセクの彼方。

さらに、平行存在する複数宇宙を横断した、無数のパララックス(場所に拠る
視点の違い)の歪み。



最後に - 

人間の思考を超えた、無限の心的跳躍の彼方。

そこ、クロスホエン。





その殺人鬼は叫んだ。

「おれは世界中のみんなを愛している。本当だ、神様に誓ってもいい。おれは
 みんなを愛している、おまえたちみんなを!」





・・・・・・



もう、わけ分からん、でしょ?(笑)
約10数年前、この短編を読んだときは、全く意味が分かりませんでした(笑)

でも、いまは少~し、分かるような気がします。
いや、分かる、というか感じる、というほうが近い。

それは、
真の理解には、言葉ではたどり着けない、ということ。

この文章が、この物理次元の、いわゆる「言葉」で真理を探求する限界を表わして
いるようにも思えます。

こんな文章、思考と理屈では、絶対書けない(笑)

この著者も、頭に浮かんだことを次々に書いて行ったとしか思えない。



場合によっては常軌を逸しているように思えるこの文章は、ある意味では
「神との対話」 に通じるものがあります。(自動書記的な)

まさに、宇宙・この世界を書き表わしたこの一文。

そしてなぜいまだに、僕はこの文庫本を持っていたのか、なぜ今、再びこの手に
取ったのか・・・・

それはもう、
全ては完璧なタイミングで、完璧な状態で現れるから、ということに他なりません。

これに限らず、数年前から、いやこれまでの人生の中で、気付きのヒントはたくさん
あったに違いない。

そしてもちろん、いまも、これからも。

そう、僕の、いま、ここ、は常にクロスホエン!



改めてそう思いました。

今日もありがとうございます^^