破・常識 あつしさんのブログ記事です。
今日の破・常識!
あなたより素晴らしい存在はいない。
そして、あなたより劣った存在などいない。
みんな同じ存在!
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
ひれ伏さないでください。誰にもです・・どんな事にもです。
あなたが自分からひれ伏さない限り、
あなたをひれ伏させることが出来る人はいないのです。
もしあなたが今何かにひれ伏してしまっていると感じるならば、
それは自分でやっているのです。
自分で自ら決めてやっているならば、
自分でそれをやめることも出来るのです。
権力、財力、などにひれ伏さないでください。
怖れ、心配でひれ伏さないでください。
ひれ伏すクセが付いてしまうと、何にでもひれ伏してしまいます。
権力や財力、社会的地位がある人が、素晴らしい人ではないのです。
ある意味、神と呼ばれる存在も同じです。
神はいません。完全無欠の存在などいないのです。
すべて同じ存在です。
すべては絶対無限の存在の分身なのです。
どんなにお金や物を持っている人も、どんなに社会的地位が
高いと言われる人もあなたと何も変わらないのです。
あなたより偉い人はいません。持っているものが違っても、
立っているところが違っても、それは表面だけのことです。
そんな表面だけのことで、その人達にひれ伏さないでください。
同じ存在だということを分かって、堂々としていてください。
社会的地位や財力や権力など、愛とはまるで関係ありません。
霊性にもまったく関係ありません。
自分より素晴らしい存在だとか思わないでください。
あなたより素晴らしい存在はいないのです。
そして、あなたより劣った存在などいないのです。
みんな同じ存在なのです。
どんなに大企業のトップであっても、学術的な分野で
名をはせている科学者や教授であっても、王国の王様であっても、
宗教的な教祖であっても、あなたと何も変わりません。
宇宙的視野から見て、何も変わらないのです。
その人達が霊的にも素晴らしい存在で、
善で、正しいということはないのです。
だから、そんな表面的な条件だけを見て崇め奉ったり、
ひれ伏したりする必要はないのです。
そんなことはしないでください。
あなたの尊厳を損なわないでください。
あなたがひれ伏さなければ、あなたが崇め奉らなければ、
みんな同じ存在だということが分かります。
もし、そういうことがあると思っているならば、
それはあなたがそう思い、あなた自身がそれを選択して、
あなたが自らひれ伏しているだけだということを分かってください。
何も怖くはないのです。
あなたが怖いと思っているから怖くなるだけなのです。
怖れと心配にもひれ伏さないでくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう アシュタール!
(転載終了)
こういう書き方をすると、圧倒的にヘンだと思われると思うのですが、
いま現在、過去も未来も、
いわゆる「経済活動」に従事しているひとたちって、
ヒマだな~、と思うのです。
よっぽどヒマなんだな~、と思います。
そしてそう思った後に、まあまあ、ひとそれぞれだからね、、、と思うのです^^;
ある意味人生は修行などではなく「遊び」であり、「経済社会」と呼ばれるマネーゲームも
その「遊び」のひとつでしかない。
けれど、大勢のひとは「参加しなくてはならない」と強く思い込んでいる。
参加しなけりゃ、それにいい感じに合わせていかないと、生きられない、破滅する、と
思っている。(破滅ってなんでしょう?ただの幻です^^)
こういうことからも、まあ、なんとも質の悪い遊びだと分かる。
けれどこんなふうに書くと「社会人として責任が欠如している」とか思われます。
それが、この世界の「異常さ」
つまり、本当の意味で生きていない(自分の内側に向き合わない)ひとこそ、いかに無責任に
人生を生きているか、ということなんだけど、そういうことに意識が行くことはまずない。
この世界の、圧倒的大多数のひとたちは「寝たまま生きている」こと、幻想ばかりを追い続けて
いることにさえ気付かない。
ほとんど「いま」「ここ」に生きることなく、過去の失敗(という幻)と、未来の起こっても
いない心配(という幻)のなかばかりに生き続けている。
だからいつも、得体のしれないイライラを放っている(それこそが彼らの思うツボ)
しかし遅かれ早かれ、誰もが気付くときが来る。
しかしそのときになって「騙されていた」とか「教えてもらえなかった」というのは言い訳に
なりません。
なぜなら、自分の感覚、直感を無視したこと、真実を語るひとをバカにしたこと、そういう
「選択」をしたのは、だれでもない自分自身だからだ。
「いま」「ここ」に生きない限り、いつまでも「被害者」であり、イライラし、無責任な人生を
送りつづけることになる。
ま、
僕には関係ありませんが。(関係ある = 関係ない = どちらでもある)
今日の破・常識!
あなたより素晴らしい存在はいない。
そして、あなたより劣った存在などいない。
みんな同じ存在!
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
ひれ伏さないでください。誰にもです・・どんな事にもです。
あなたが自分からひれ伏さない限り、
あなたをひれ伏させることが出来る人はいないのです。
もしあなたが今何かにひれ伏してしまっていると感じるならば、
それは自分でやっているのです。
自分で自ら決めてやっているならば、
自分でそれをやめることも出来るのです。
権力、財力、などにひれ伏さないでください。
怖れ、心配でひれ伏さないでください。
ひれ伏すクセが付いてしまうと、何にでもひれ伏してしまいます。
権力や財力、社会的地位がある人が、素晴らしい人ではないのです。
ある意味、神と呼ばれる存在も同じです。
神はいません。完全無欠の存在などいないのです。
すべて同じ存在です。
すべては絶対無限の存在の分身なのです。
どんなにお金や物を持っている人も、どんなに社会的地位が
高いと言われる人もあなたと何も変わらないのです。
あなたより偉い人はいません。持っているものが違っても、
立っているところが違っても、それは表面だけのことです。
そんな表面だけのことで、その人達にひれ伏さないでください。
同じ存在だということを分かって、堂々としていてください。
社会的地位や財力や権力など、愛とはまるで関係ありません。
霊性にもまったく関係ありません。
自分より素晴らしい存在だとか思わないでください。
あなたより素晴らしい存在はいないのです。
そして、あなたより劣った存在などいないのです。
みんな同じ存在なのです。
どんなに大企業のトップであっても、学術的な分野で
名をはせている科学者や教授であっても、王国の王様であっても、
宗教的な教祖であっても、あなたと何も変わりません。
宇宙的視野から見て、何も変わらないのです。
その人達が霊的にも素晴らしい存在で、
善で、正しいということはないのです。
だから、そんな表面的な条件だけを見て崇め奉ったり、
ひれ伏したりする必要はないのです。
そんなことはしないでください。
あなたの尊厳を損なわないでください。
あなたがひれ伏さなければ、あなたが崇め奉らなければ、
みんな同じ存在だということが分かります。
もし、そういうことがあると思っているならば、
それはあなたがそう思い、あなた自身がそれを選択して、
あなたが自らひれ伏しているだけだということを分かってください。
何も怖くはないのです。
あなたが怖いと思っているから怖くなるだけなのです。
怖れと心配にもひれ伏さないでくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう アシュタール!
(転載終了)
こういう書き方をすると、圧倒的にヘンだと思われると思うのですが、
いま現在、過去も未来も、
いわゆる「経済活動」に従事しているひとたちって、
ヒマだな~、と思うのです。
よっぽどヒマなんだな~、と思います。
そしてそう思った後に、まあまあ、ひとそれぞれだからね、、、と思うのです^^;
ある意味人生は修行などではなく「遊び」であり、「経済社会」と呼ばれるマネーゲームも
その「遊び」のひとつでしかない。
けれど、大勢のひとは「参加しなくてはならない」と強く思い込んでいる。
参加しなけりゃ、それにいい感じに合わせていかないと、生きられない、破滅する、と
思っている。(破滅ってなんでしょう?ただの幻です^^)
こういうことからも、まあ、なんとも質の悪い遊びだと分かる。
けれどこんなふうに書くと「社会人として責任が欠如している」とか思われます。
それが、この世界の「異常さ」
つまり、本当の意味で生きていない(自分の内側に向き合わない)ひとこそ、いかに無責任に
人生を生きているか、ということなんだけど、そういうことに意識が行くことはまずない。
この世界の、圧倒的大多数のひとたちは「寝たまま生きている」こと、幻想ばかりを追い続けて
いることにさえ気付かない。
ほとんど「いま」「ここ」に生きることなく、過去の失敗(という幻)と、未来の起こっても
いない心配(という幻)のなかばかりに生き続けている。
だからいつも、得体のしれないイライラを放っている(それこそが彼らの思うツボ)
しかし遅かれ早かれ、誰もが気付くときが来る。
しかしそのときになって「騙されていた」とか「教えてもらえなかった」というのは言い訳に
なりません。
なぜなら、自分の感覚、直感を無視したこと、真実を語るひとをバカにしたこと、そういう
「選択」をしたのは、だれでもない自分自身だからだ。
「いま」「ここ」に生きない限り、いつまでも「被害者」であり、イライラし、無責任な人生を
送りつづけることになる。
ま、
僕には関係ありませんが。(関係ある = 関係ない = どちらでもある)