人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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神 の 愛(6)

2021-06-12 08:58:43 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
元来、祈り心というものは、無邪気な
単純な明るいものなのですが、思想、哲学
としてとらえられてしまっては、それは、
あくまで人間の枠を出ることは出来ません。

そこで、こうした現代に生きる人々にも、
やさしく真理の奥義を説き、しかも、誰の
心をも納得させて、本心開発へと導き、神の
光の一筋としての本体を自覚させる祈りが、
私の提唱する“世界人類が平和であります
ように”という言葉にはじまる祈り言
なのであります。
この祈りには、よこしまな私の想い、下手な
思想などというものの入るスキは全くありません。
無私、無我にはじまり、宇宙神の奥の奥の心へと
みちびきとけ込み入らせる祈りなのであります。
そうして、没個性というのでは更になく、
一人一人の人のこれらの何十生、何百生の
思いグセは思いグセのままで、ありのままに、
祈ることを御心とした祈りなのであります。

私が、祈りは、天界へのきざはしなのだ
というのは、ここのところを指すので
ありまして、一人一人の親である神様は、
その子どものそのまま、あるがままを
抱きとって、そうして魂を高め、次の高い
世界へと高めて下さるわけなのです。
この叫びにはじまる神への心、神への
まなざしが、やがて、いつの間にか光の
一筋となり、神の助けによって、神界(縦)
からの光と、神の子人間(横)私たちの光が
さわりなく、交わります時、縦横十字の神の
絶対の愛がかがやくということ
なのであります。
        昭和61年7月7日  
            昌 久