ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

2005年の郊外での暴動。遺族と警官の法廷での戦いは、どこへ・・・

2011-05-06 20:36:21 | 社会
2005年にフランスで起きた郊外での暴動。『ウィキペディア』には「2005年パリ郊外暴動事件」という項目で、「2005年10月27日にフランス・パリの東にある郊外(フランス語でバンリュー)で北アフリカ出身の三人の若者が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけに移民の若者達が起こした暴動。暴動はフランス全土の都市郊外へ拡大した」と説明されています。項目のタイトルにも関わらず、実体としては、説明文にあるように、パリのみならず、フランス全土の郊外で起きた、主に移民の若者を中心とした騒乱のことです。日本も含め、世界中で大きく報道されました。

なにしろ、「パリ郊外で始まった10月27日以降の暴動を通じて、ほぼ1万台の車両放火と233の公共建築物損傷があり、延べ217人の警察関係者が負傷したという」(『現代思想』vol.34-3:「メディアと『都市暴力』」鶴巻泉子)大規模な事件でした。

その背景は、「世界中の注目を集めたこの一連の騒動を、フランスでは普通『都市暴力 violence urbaine』」というカテゴリーで捉える。今回の事件が見せた、今までにない地理的広がりと政治的・社会的影響の大きさはさておき、問題の性質そのものは、バンリュー問題と密接につながった都市暴力に帰することができると理解されている。『バンリュー banlieue』」は地理的意味での郊外を指すのではなく、特にマグレブ系・ブラックアフリカ系移民とその子孫を中心とする貧困層が集積する地区として理解され、『問題地区 quartier difficile』と同義で用いられる」(『現代思想』vol.34-3:「メディアと『都市暴力』」鶴巻泉子)ということで、都市問題としても捉えることができます。

この騒動のきっかけになった若者2人の感電死。負傷したもう1人と合わせて3人のマグレブ系若者を追跡した2人の警官が、実は起訴されていました。その控訴審(la cour d’appel:日本の高裁)での判決が行われました。どのような判決が出たのでしょうか。関係者の反応は・・・4月27日に『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

パリの控訴院は4月27日、2005年、クリシー・ス・ボワ(Clichy-sous-Bois:パリの北東から北にかけて接する市)での事件により起訴されていた2人の警官に公訴棄却の判決を下した。Zyed Bemma(17歳)とBouna Traoré(15歳)という2人の若者が、警官に追跡され逃げ込んだEDF(フランス電力公社)の変電所で感電死した事件だ。もう1人の若者、Muhittin Altunは助かっている。

2人の死をきっかけに、クリシー・ス・ボワではすぐさま都市暴力が発生し、その後瞬く間にフランス中の郊外に広がった。2005年11月9日には非常事態(l’Etat d’urgence)が採択された。

今回の控訴審の判決では、2人の警官は危険を察知していなかったという検察側の主張に沿った判決となった。渦中の警官は、身の危険を賭して変電所に入り込んだ若者を助けようとしなかったとして批判されていた。

しかし、検察サイドによれば、警官たちは若者3人が変電所内に入り込んだことに気づいていなかったということだ。判決に満足する警官側の弁護士は、「証拠は最初からなかった。5年経って、真実を語る法の小さな声が、メディアの騒然とした根拠のない報道を黙らせることができた」と語っている。

控訴審の判決を聞くや、遺族は棄却院(la Cour de cassation:日本の最高裁)へ上告するとともに、事件現場に居合わせた15人の警官に対する「人の命を意図的に危険にさらした」罪を問う陳述書を提出したいと述べた。

遺族側の弁護士は、人命に対する警官と司法の無関心さを批判し、「まだ明るい午後、なにも違反を犯していない若者を15人もの警官が追いかけまわし、死に至るような危険な場所に追い詰めたことをどう正当化できるのだろうか」と問いかけている。

犠牲者の兄弟であるSiaka Traoréは、「やりきれない、軽視されているようなものだ。このような判決は、スキャンダラスで、受け入れ難く、非人道的だ。警官は法によって守られたのではないか。この判決が再び郊外に火を点けなければいいが」と述べている。

また、2005年の暴動直後、クリシー・ス・ボワに誕生した“AC-Le Feu”という連合会の会長は、「我々は、郊外の若者が法を重んじるよう運動を進めてきたが、このような判決が出ては、いっそう難しい取り組みになってしまう。今や、人びとは、ZyedとBounaは無駄死にだったという気持ちを抱いている」と語っている。

クリシー・ス・ボワの市長、クロード・ディラン(Claude Dilain:社会党)は公訴棄却の判決を遺憾とし、「事件当初から、私は独立した機関による捜査と討論会を要求してきたのだが、残念ながら実現されていない。警官のためにも残念だ。このような判決は受け入れ難く、遺族のためにもここで諦めるわけにはいかない」と述べている。

・・・ということで、フランスでは移民とその子どもたち向けに郊外にHLM(habitation à loyer modéré:低家賃公共住宅)を建てましたが、そこに閉じ込めているといった方が実態に近いのだと思います。そのことからくる不利益、例えば、住所を言っただけで就職面接を断られることもあります。失業率も高く、住環境も決していいとは言えない。当然のことながら、さまざまな犯罪の温床になっています。

一方、イギリスの移民受け入れは、ある程度、以前からの国民との混住になっているようです。その結果、フランスの郊外問題のような課題を抱えずに済んでいるとか。もちろん、程度問題で、それなりの問題は抱えているのでしょうが。

私たち日本にも、移民は増えて来ています。人口減少を受けて、今後1,000万人の移民受け入れが必要だと計算している専門家もいます。しかし、成り行き任せで受け入れてしまっては、フランスのような、あるいはそれ以上の問題を抱えてしまいかねません。まずは、全体的な計画を立ててから、受け入れて行くべきではないでしょうか。もちろん、その前に移民受け入れに関する国民的コンセンサスづくりが欠かせません。その上で、しっかり計画に基づいて受け入れて行きたいものです。問題発生後の「想定外」は、もう聞き飽きていますから。

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