ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

あいまいな日本への、あいまいなイメージ。

2012-03-20 22:03:44 | 文化
『あいまいな日本の私』という本、覚えていますか。大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した1994年、その受賞晩餐会で基調講演を行いましたが、そのタイトルが『あいまいな日本の私』。川端康成氏の『美しい日本の私』に掛けたタイトルですが、翌1995年に出版されています(英文タイトルは、“Japan, the ambiguous, and myself”)。

そのノーベル賞作家の大江健三郎氏をはじめ20名もの日本人作家が集合したイベントがフランスで行われました。「サロン・デュ・リーヴル」(“Salon du livre de Paris”)、1981年に始められたフランス語圏最大の書籍見本市。1992年からは15区、ポルト・ドゥ・ヴェルサイユ(Porte de Versailles)の見本市会場(Parc des Expositions)で行われています。今年は、3月16日から19日まで。

その「サロン・デュ・リーヴル」が、今年、特集した国(le pays à l’honneur)が日本というわけです。そこで、大江氏のほかに江國香織、萩尾望都、吉増剛造、綿矢りさ、島田雅彦、角田光代、平野啓一郎、辻仁成各氏など20名の作家がジャンルを超えて会場に集い、さまざまな講演やインタビューなどを行ったようです。日本のメディアも紹介していましたので、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、大江健三郎氏のタイトルにもいう「あいまいな日本」・・・日本人から見ても曖昧な社会ですから、外からはいっそう分かりにくいのではないでしょうか。その「あいまいな国」に対して一般的にはどのようなイメージが持たれているのか、そうしたイメージにフランスの日本学者はどう反応しているのか・・・日本にスポットの当てられた「サロン・ドュ・リーヴル」を機に、そうした視点でまとめた記事を15日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

ある友人が、楽しそうに言っていた。イギリス人は、常軌を逸したもったいぶり屋(des guindés excentriques)。ドイツ人は、生粋のクラシック音楽愛好家(des brutes mélomanes)。イタリア人は、愛すべきうそつき(des menteurs sympathiques)。ポルトガル人は、メランコリックなお祭り大好き人間(des fêtards mélancoliques)。では、フランス人は? 傲慢な誘惑者(des séducteurs arrogants)。国民性を端的に述べる、こうした決まり文句のリストを作ることは至って簡単だ。しかし、対象が日本となると、世界の他の地域すべてよりも多くの表現が必要になる。伝統に満ちたウルトラモダンな国、テクノロジーと精神性の土地、やくざと優雅さが同居する国、不可解な人々の密集したコミュニケーション大国・・・こうした形容は果てるともなく続く。

フィリップ・ペルティエ(Phillipe Pelletier)は本当にやるべきことが多かったと言うべきだろう。このリヨン第2大学の教授で、日本専門家は、“La Fascination du Japon”(日本の魅惑)というタイトルの著作を出版したが、その中で日本へ貼り付けられた多くの形容を解体する試みを行っている。

最初の誤った理解は・・・日本は一つの島だ、というもの。誤解であり、日本は列島だ。四つの大きな島と数千の小さな島々からなっており、その内430の島に住人がいる。一つの島だという誤解は事実に反するだけではない。一つの島という誤解が、地形と社会文化、両面での均質化というイメージの形成に貢献してしまっている。豊かな多様性はしばしば無視されている。

別の受け入れられている誤解は・・・日本人はすべてにおいて我々西洋人とは逆のことを行っている、というもの。日本では、クルマは左側を走行し、人は文字を縦に書き、数を数える時には指を折る(フランスでは握った指を伸ばします)。こうした指摘は、1903年に出版されたエミリー・パットン(E.S.Patton)の“L’Art de tout faire à rebours chez les japonais”(『さかさまの国日本』)によって広められている。

しかし、シリーズの方針によるのか、他の作者たちは程度の差こそあれ受け入れているのだが、フィリップ・ペルティエは人口に膾炙している日本のイメージ、それが事実に即したものであれ、変更せずにはいられないと感じているようだ。そこで、「日本、ハイテクの天国」(La Japon, paradis de la haute technologie)という紋切り型のイメージを批判するために1章を割いている。しかし、残念ながら反証や理由によって読者を説得させるには至っていない。

彼が取り上げた別の定着しているイメージは、「日本は絶え間なく自然災害に襲われている」(Le Japon est sans cesse frappé par les catastrophes naturelles)というものだ。27,000人の犠牲者を出した1896年の津波、3,000人が亡くなった1933年の津波、6,000人以上が犠牲となった1995年の神戸での地震、そして、死者・行方不明合わせて2万人以上(実際には19,009人)となった2011年3月11日の悲劇。こうした悲劇的事実が単に受容されている誤ったイメージとして提示されることに、驚き、あるいは戸惑いを感じざるを得ない。

では、彼の手法とはどのようなものなのか。受け入れられているイメージの基には何があるのか。既存のイメージは間違いなく誤ったものなのか。そうしたイメージと常に戦わねばならないのか。彼が提示しなければしないほど、疑問が湧いてくる。

日本のイメージを分析するにあたって、彼が多少なりともエドワード・サイード(Edward Said:1935-2003、パレスチナ系アメリカ人の研究者)のオリエンタリズムとポストコロニアル研究の貴重な成果を活用するのだろうと思っていたが、まったく触れていない。西洋が植民地化しようとした日本は、植民地を持つ列強の一カ国になったのであり、このことがアンビバレントなイメージを生み出しており、このことはしっかり研究されるべきだった。フィリップ・ペルティエは日本をよく理解している一人だが、彼のこの著作は、論理的枠組みがないせいか、読者に物足りなさを残すものとなっている。

・・・ということで、日本を特集する「サロン・デュ・リーヴル」が行われただけに、日本に関するフランス人の著作にもさまざまな角度からスポットが当てられているようです。特に日本に関心のある層からは、批判的な意見も出てきやすいのでしょうね。

日本人にとっても、「あいまい」で分かりにくい日本社会。外から眺めれば、また別の視点で、中からは見えないものが見えてくるのではないかという期待もありますが、やはり理解しにくい、曰く言い難い社会なのかもしれません。「あいまいさ」の中に、「日本」がある・・・

しかし、それでも、まずは日本人が日本とはこういう国だと、説明できるようにすべきなのではないでしょうか。日本は複雑な国です、あるいは西洋人には理解しにくい国です、といってしまってはそれでおしまい。というか、逃げでしかないような気がします。自分はどういう人間か、ということを語るのが難しいように、自分の国はこういう国だと説明するのは難しい。難しいですが、それをやらないと、外国の人たちとの対話は成り立たないのではないでしょうか。論戦を張るにしても、敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。自分とはどのような人間で、祖国・日本とはどのような国なのか・・・逃げずに考えたいものです。
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4 コメント

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お元気ですか? (Tomoko)
2012-04-16 10:17:33
更新されなくなって、一ヶ月弱ですが、ご旅行でもされているのでしょうか?それともご病気でしょうか?コメントは書いていませんでしたが、このBlogを楽しみにしていました。更新期待しています。
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お久しぶりです! (cap65773)
2012-04-20 20:42:49
ここのところ更新がないのですが、どこかご旅行中かな?
僕は、まだまだ未熟者ですが日本はいい国だ、と感じています。いろいろありますが。
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楽しみにしています! (ココ)
2012-05-11 00:29:08
初めまして。偶然、ブログを拝見したのが、数ヶ月前。
深いながらも、容易な言葉でフランスを語ってくださるこのブログのファンです。
最近、更新がなかったので、思い切ってコメントを残します!
またの更新を楽しみにしています。
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アメリカ留学者 (kenji)
2013-09-08 13:05:43
元々馬鹿がつくほど正直で、単刀直入で自分の道を歩む性格だった私がアメリカの大学を卒業して30年近く経ちます。元々変わり者だった私はアメリカでも正直すぎ教授に嫌われました。アメリカ人の方が話しやすく性格が合うとは言っても、日本には案外親切な人がいることに気づいた今日このごろです。初めは日本人は見せかけだらけで「俺は日本人が嫌いだ!」と言っていたのですが。私は日本人ではないと言う気持ちがあったからです。そしたら、本当にある意味事実でインデイゴ・チャイルドだったそうです。変な文章でごめんなさい。私が言いたいのはー人間そう大きく変わらない。でも発展途上国には悪い奴らが多いーくらいかな。
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