緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

ウミガメ産卵地で見たものは

2010年03月01日 18時09分23秒 | 健康
3月1日(月) 

 文章の書き出しは、その時点で最も関心の有ることか或いはその日に印象に残る事が筆も滑りも良くて気持が乗っていきます。今日も時間の合間を見て読み始めましたのは昨年の新刊書「ハチはなぜ大量死したのか;ローワン・ジェイコブセン著」、第七章人間の経済に組み込まれた、第八章複合汚染、第九章ロシアのミツバチは「復元力」をもつ、と三章を短い時間の合間で読み進みました。途中で気がついて気を引く記述にマークを入れて見ました。第九章で「生産システムの世界」、「経済性が価値基準となってしまった私たちの文化」、「復元力」があります。まだかなりマークする記述が出てきそうですが、これらの表現は良く心にしみ込む言葉で納得しましたと言う意味でもあります。



ある書籍を読書して理解が進む為には日常の経験や行動と結びつき事がありますと、イメージが膨らんできて理解度も進みます。そう言う意味で田舎暮らしには自然科学の分野が比較対照するものが身辺に数多くあります。例えば文中にあります「質素な生活を送ることで「ハチの大量死」に遭遇しても消滅するでなく解決の糸口を見つけていく養蜂家」の実例は彼が何を考え実行しているか、それとその人の生活感が素直に伝わり考えさせられるものがあります。そう言う根底が有るから昨年の新刊書「ハチはなぜ大量死したのか;ローワン・ジェイコブセン著」は内容が素直に入り込んでくるのでしょう。



ところで本日のメインテーマは先月十九日に肝付町辺塚へウミガメ産卵の浜を見学に行った時の感想なのですが、その日に書くには何か気持がまとまらずに文章を書くに少し気の引けるところがありました。自宅からマイカーで二時間ほど距離ですから、途中の旧陸軍内之浦臨時要塞跡や内之浦温泉ではなくて、関心事はウミガメが産卵する浜の特徴は何なのか?と言う至ってシンプルな目的意識です。



途中で前方を猿が足早に道路を横断しております。後で気づいた事ですが猿の立場になりますと道路を走る車も一つの障害物にしかすぎません。つまりそれぞれの世界が有るものだと猿も人間と同列になる、大きく申せば、その様な世界観に自然と入り込む光景が大隅半島にはあります。



大隅半島は火山灰が降り積もった霧島周辺地と異なり半島全体が岩盤で覆われて、簡単に申しますと山地が多い半島です。つまり、東岸は山間を流れる小川が海へそのまま注ぎ込む場所が多くて、小川が山間の奥まで続きますと海岸添いに砂浜が形成されます。西岸は鹿児島湾に面して東岸と別な環境があります。日向灘の浜に比較しますとその浜も砂の目も荒いものがあります。



辿り着いた辺塚集落の浜は内之浦や隣の岸良の浜と奥行きはほぼ同じで、成るほど人里離れた浜にウミガメは毎年季節が来ると海流に乗り産卵を繰り返してきたのかと眺めます。九州東岸の日向灘、志布志湾、大隅半島と見物した海浜は数にしても僅かなものです。しかし、我が事ながらこの辺まで来ますと、つい、いつもの癖で感じ入ってしまいます。それくらいの自然観察でもあります。



辺塚集落に到着して浜に下ることで霧中になっておりましたが、浜から車に戻る時にふと気づきましたことは十軒ほどある集落に人の声がしません。路上に郵便ポストはあります。墓も整然と並んでいます。切り干し大根が軒下に吊してある民家もあります。臨界集落・限界集落・いきいき集落が季節で無人になる状態でしょうか。背後には大隅の山並みがそびえています。人間の居住空間とは移動するものなのか?或いは大きなサイクルの下にあるのか!取り留めがつかない思いとウミガメ産卵地見学で聞こえてきた、「ようこそ来て頂いた!」と言う集落の無言の声、つまり自然と人間の関係、そのつながりの大きさと言う宿題を頂いた気分になりました。

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