反戦・平和のイベント情報

反戦、反改憲のための市民のイベント情報
スタッフの声他

「普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会

2010-01-31 | いってきました
 
 1月30日(土)14:00から日比谷野外音楽堂で開かれた「チェンジ!日米関係━普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会」に、「意見広告」から葛西・橋本・江上・岡崎・江上さんのお友達・佐藤と「30の会」の皆さんで参加しました。

 チラシ配布のために12:30野音正門前に集合でしたが、その前からコウアンさんが手帳やカメラを持ってびっしりご集合という、いつもの風景でした。

               

 集会は、日教組の西田衣里さん、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の小野信也さんという若い二人の司会で始まり、平和フォーラム事務局長の藤本泰成さんの力強い挨拶、社民党の福島みずほさん、民主党の斉藤つよしさんの国会情勢報告と続きました。

               

 名護市長選挙の結果に対する、平野官房長官の「選挙結果を斟酌しなければならない理由はない」などという発言に非難が集中。せっかく自公政権が崩壊して、政権交代を果たし「コンクリートから人へ」という政治が実現するかと期待している民意に対して水をさす放言です。

  沖縄からたくさんの方々が上京され、代表して山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)安次富浩さん(ヘリ基地反対協共同代表)、伊佐真次さん(「ヘリパットいらない」住民の会共同代表)から、現場の切実な叫びがアピールされました。

 沖縄のみなさんは、野音に集まった6000名(主催者発表)に、「こんなに集まっていただいて」と連帯への感謝のメッセージを述べられましたが、人口の多い首都圏での全国集会なのですから、昨年の11月の沖縄2万人集会などに比べますと、私は何だか申し訳ない気がしました。沖縄の方々の長年の犠牲を前提とした国の防衛なんて、どう考えても憲法違反以外の何物でもありません。
  
    

 連帯のアピールは、自治体議員の共同声明を出されている神田公司さん、岩国前市長の井原勝介さんと続きました。岩国で米軍再編にともなう「空母艦載機部隊移駐」に反対の住民投票の結果を大切にしようとした井原さんは、新市庁舎建設の補助金残額35億円のカットを通告され、市政転覆をはかる国の策動により市長選挙で惜敗しました。

 驚いたことに、卑劣な圧力をかけ続けた前政権が崩壊した今も、市民の反対する「愛宕山の米軍住宅化」の予算などがそのまま計上されているそうです。

 鳩山さん! 「コンクリートから人へ」ではないのですか?「いのちを守る政治」ではないのですか?チェンジお願いしますよ。本当に!

 集会のあとは、外堀通りから銀座、東京駅前、常盤橋公園まで、デモ行進で「普天間基地はいらない」「新基地建設は許さない」と訴えました。

また、「意見広告チラシ」「講演会チラシ」は、1800枚も配布する事ができました。
 皆さまお疲れ様でした。(文責/佐藤)

  

「いま岩国から風を送るー井原勝介講演会」

2010-01-31 | いってきました
 1月30日(土)18:40から開かれた「いま岩国から風を送るー井原勝介講演会」(文京シビックセンター)に沖・佐藤で参加してきました。

                      

 岩国の地で「民主主義」と「民意」を何よりも尊重しつつ地方自治に誠心誠意尽くしてこられた井原さんが『岩国に吹いた風』を出版されました。

 その序章ー岩国のまちと私ーで井原さんは次のように述べています。
  →基地から生じるお金は麻薬のようなものである。切れれば欲しくなるし、使えば使うほど中毒になり、自立できなくなる。

 このことこそ、「民意」の発信者である市民一人一人が何より心に銘じておかなければならないことと強く思いました。

 うっかりしていると、「民意」は権力者によって捻じ曲げられます。
 「民意」を語る時、“影響”を一番受ける地域の人々の「民意」が最優先で尊重されなければなりません。お金で動く「民意」はありえない。市民が自立し、責任を持って、政治をつくり、チェックし、変えること、私たち“一人一人”が問われています。

            

 会の後半は、佐高信さん、前国立市長の上原公子さん、社民党前議員の保坂展人さんを含めたトークで盛り上がりました。(文責/沖)


マイケル・ムーア監督「キャピタリズム~マネーは踊る」を観て

2010-01-28 | いってきました
 
 1月27日(水)14:15、TOHOシネマズ「みゆき座」で上映された話題の映画、「キャピタリズム」を観てきました。

                 

 マイケル・ムーア監督の映画は、以前高校生と一緒に観た「華氏911」、DVDで観た「シッコ」以来で、ユーモアに包んだ鋭い批評精神が面白いのでとても期待していました。

 場面は、長い間住んできた我が家の家具を、泣きながら自分達で処分している「家の差し押さえ」の映像から始まり、続いて、人々を家から追い出して「家転がし」で儲けている不動産会社や、何の罪の意識もない金持ちの投機家の姿を映し出します。

 「アメリカの資本主義は、いつからこんなことになったのか・・」「日本も含めて、どうして世界中こんな不景気になっちゃったのか・・・」そのカラクリのすべてをムーア監督が教えてくれます。

  

  全人口の1%の会社役員は、「企業救済法案」が可決したのでボーナス1億円を手にしましたが、99%の庶民は毎日14,000人が失業し、7秒ごとに家が一軒差し押さえられて、地方銀行・工場が倒産し、街がゴーストタウンになっているというのです。

  企業が従業員に内緒で保険をかけて、死亡時に保険金を受け取るという「くたばった農民保険」Dead Peasants Insurance などなど!

                          

  これ以上報告してしまうと、これからご覧になる方の感興をそいでしまうので、この辺にしておきますが、人間はここまで強欲になれるのかという疑問と、最後には・・・・(観てのお楽しみ!)

  この機会にぜひ、皆さまもご観賞ください。(文責/佐藤)

教育子育て九条の会 連続学習会 「まきこまれる側の責任として 9条を使う」

2010-01-25 | いってきました

 1月22日金曜日、 生活産業プラザで行なわれた「教育子育て九条の会 連続学習会『まきこまれる側の責任として 9条を使う』」に、行ってきました。

 講師は、前国立市長の上原公子さんです。

   お話は沖縄県大田元知事が代理署名問題で“追い詰められた時”に示された 「人間の覚悟」に上原さんがどれほど深い感銘を受けられたかに始まりました。

     ①地方自治の原点は<民主主義とは何かを学ぶこと>
      <憲法を活かして民主主義を行うこと>

     ②憲法の各条文間のつながりを考えること、とりわけ9条と26条は
      97条の「基本的人権」に直結するもの

     ③「戦争」はあらゆる「基本的人権」を奪う

     ④「教育」は政治不介入であることが憲法で保障されている

     ⑤ “公共”の名の下に「個人」の「自由」が制限されてはならない

     など心に留めました。

  憲法をもっと私たちの日々の暮らしに引き寄せて考える、そんな生き方を目指したいと思いました。(文責/沖)


「派遣村から1年、人間らしく働き暮らせる社会は実現したか」

2010-01-20 | いってきました
  1月18日、新宿の消費生活センターで行われた「もやい」代表理事、稲葉剛さんの講演「派遣村から1年、人間らしく働き暮らせる社会は実現したか」を聞きに行ってきました。

 政権が変わり、政府が緊急に予算を回すなどして、今年は派遣村は必要なくなるのではないかと私は期待していましたが、それどころかこの1年、雇用情勢は益々悪化し、失業者は大幅に増え、状況は一層ひどくなりました。

 炊き出しに集まる人数も昨年の5,6割り増しとなり、緊急一時保護センターも満床で、入所困難な状況。もやいなど支援団体の努力により、従来年末年始は休んでいた行政窓口を無休で開けさせたり、公設派遣村(オリンピックセンター)を開いたり、雇用や住居など様々な悩みを1箇所で相談できるワンストップサービスを設けたりと、成果もありましたが、解決には程遠いです。

  そもそも日本には今までセーフティネットとしての住宅政策という考え自体がありませんでした。1昨年、派遣村のニュースが海外にも流されたとき、他の先進国では、なぜ仕事を失うと住むところまでなくなるのか、理解ができなかったということです。仕事を失えば即住まいを失い、定まった住居がなければ仕事が得られないという悪循環。かつての日雇い労働者の置かれていた状況が今、急速に中間層にまで拡大しています。

  住居、医療、教育、食は生きる上での基本的なコストであると認識し、すべての国民が最低限の保障を得られるよう、そのためにこそ税金を使ってほしいと強く思いました。(文責/林)

支え合う地域社会に向けて

2010-01-20 | いってきました
 
 信州上田の「反貧困 くらしと雇用を守る上小ネットワーク」の方から、年末年始の取り組みの掲載された「しんぶん 陽だまり」を送っていただきました。
 憲法25条実現のための最前線である、その一部をご紹介します。

「支え合う地域社会に向けて」life support house in 信州上田 09年12月30日~10年1月3日
  こぬかを食べて二年余

 炊き出しの時間になるといつの間にか現れ、話しかけても何の反応もない。ひたすら食べて、またいつの間にかいなくなる。気になって仕方のない存在だった。久保木代表も何とか話す機会をうかがうが思うようには行かない様子。

 苦肉の策でS君に頼む。彼自身が生活保護を受けながら求職中である。これが功を奏した。話し始めれば「垣根」はとれる。腹いっぱい食べたあとで健康チェック。医療生協の看護士さんが優しく丁寧に語りかけ、心をほぐしながら食べ物の状態や健康状態をチェックしていく。それとなく見ていたが「さすがプロ」だ。

 びっくりしたのは食べ物のこと。ホームレスになり千曲川の河川敷にテントを張って生活し二年余りになるという。その間の主食は精米所からこぬかを拾ってきて、わずかばかりの小麦粉を混ぜて練り、薄いパン状態にして焼いて食べていたという。銀杏の実が熟す頃には銀杏を、クルミが熟す頃にはクルミを練りこんでいたという。

 近年ではこぬかを健康のために食べる人もいるというが、それはあくまで極少量だし、精米した直後の真新しいものに限られる。ホームレスの人の間では結構何がしかの収入を得てそれなりのものを食べている場合が多いが、この人の場合はかなり特殊のように思える。

 何故そうなのか。ホームレスになった事情について未だ詳しく語らない中では確たることは言えないが、たった一言「棄てられた」と語った時、彼の顔が少しゆがんだように見えた。

   支援は難しい!

 マイナス6℃までは耐えられると豪語していた彼も、血圧220には参ったらしい。病院に行き診療を受けたあと「生活支援の家」に入居することになった。しかし、数年にもわたって孤独な暮らしを過ごし、あらゆる事を酒で紛らわせてきた彼にとって、たとえ三人程度であっても集団生活は苦しく、まだまだ不安の残っている中では酒で紛らわせて眠る事が必要だったのかもしれない。

 突然「テレビを見せろ!正月くらい酒を飲ませろ!」と大声で要求し始めた。断固として拒否すると、帰るという。血圧の事を考えると、一段と冷え込みそうな事が心配ではあったが引き止めることはせず、夜間の見回りで注意することとした。

 午前零時、冷え込んでいる中でパトロールスタッフが「明日は来るように」と声をかける。温かい一夜とテントでの暮らしとの狭間で随分と葛藤があったのかもしれないが、翌日は姿を見せた。これで何とかなる、そんな思いが一気に膨らんだ。


  詳しい事を知りたい方は、0268-22-9730 上田市小牧1162-4 こぶし会館内 「生活と健康を守る会」にご連絡下さい。
 

第15回「非国民入門セミナー」

2010-01-17 | いってきました

 1月16日(土)14:00~16:30まで、茅場町の新川区民館7号室で開かれた第15回「非国民入門セミナー」に行ってきました。

 この講座は平和力フォーラム主催、週刊金曜日協賛の連続講座ですが、参加者は前回同様十数名で、その分打ち解けた雰囲気でお話しを伺うことが出来ました。

 講師は中原道子さん(VAWW-NET JAPAN協同代表)、タイトルは「12のことばが刻む女たち沖縄・宮古島の慰安所から」でした。(12の言語が碑に刻まれているという意味です。)

 お話しは、あまり知られていない宮古島での戦時の惨状から「慰安婦ー中原さんは“性奴隷”の表現を適切とおっしゃいます-」のための祈念碑「女たちへ」の現地建立までの経過に始まり、次は当然のことながら、あの「女性国際法廷」への日本のメディアの無視に近い対応、そしてNHK番組改竄から最高裁での敗訴に至るまでのポイントを中原さんならではの解説で改めて解き明かしてくださいました。

 それから印象的だったのは8月15日敗戦の日の日本人一般の心情への考察「みんな嬉しかったのでは、」など中原さん(1934生まれ)がその当時の日本人の呪縛からすでに解き放たれていらしたことが伝わってきました。

 内容はとても濃いもので、参加して良かったと思いつつ茅場町駅から帰途に着きましたが、残念ながら意見広告のチラシは少ししか手渡せませんでした。
 前田朗先生に意見広告運動のこと少しお話したり、朝日新聞郡山支局の記者の方にチラシを手渡しましたら、声をかけてくださり、よくご存知のようでしたので「今後ともご支援を」とお願いたしました。  (文責/沖)

「9条・25条実現」の映画、「いのちの山河」を観て

2010-01-16 | いってきました
 
 1月16日(土)松戸市民会館で上映された「いのちの山河」を観てきました。

 これは、シネマ「ぴあ」昨年11月16日付け映画満足度ランキングで1位という、評判の映画です。

 松戸の「活かせ9条松戸ネット」「新日本婦人の会松戸支部」「松戸地域労働組合連合会」「松戸平和委員会」など沢山の平和団体の賛同を受けて、10:30、14:00、18:30と3回上映された画面の鮮明な35ミリフィルムでしたが、1000名定員のホールが朝、昼ともに半分以上埋まる大盛況でした。

 そのおかげで、「9条・25条の実現を」と掲げた「意見広告」のチラシはまさに映画の内容にもピッタリということで、500部近く受け取っていただけました。

  豪雪の無医村の村を「憲法25条」を楯に、当時は違法とされた老人医療の無料化に踏み切り、全国に先駆けて乳幼児医療を無料化することで、全国初の死亡率ゼロにまで導いた沢内村の深沢晟雄(まさお)村長の信念は、徹底的な「生命尊重」であり、その手段はこれも徹底的な「行脚と対話」です。

  名誉欲ばかりの日本中の首長たちに、「選挙に出るなら、この映画を観てからにすべきだ」と声を大にして言いたい気持ちでいっぱいです。

 命がけの深沢村長のすごさとともに、試行錯誤があっても、納得すれば心から深沢村長を支え、ともに力尽くした村人たちの姿に、人間の絆の尊さを学びました。

 一人でも多くの皆さんに「いのちの山河」の観賞をお勧めします。(文責/佐藤)

ソウルの報告 韓国挺身隊問題対策協議会 梁路子さん

2010-01-15 | いってきました

 ソウルから送られてきた「900回目を迎えた日本大使館前でのデモ報告」 <韓国挺身隊問題対策協議会 梁路子さん> を転載いたしました。


遅くなりましたが、ソウルの報告です。
  零下の寒さをはねのけ、第900回水曜デモを行いました。1992年1月8日からスタートした水曜デモがいつのまに900回を迎えたかと思うと、日本政府の長い責任回避に怒りをおぼえますが、この回数を迎えるまでにどれほど多くの方々の連帯があったかと思うと、胸の奥には温かい感動があふれます。

  冷たい風にフーフーと手を暖めながら署名とパフォーマンスのために、一番遠くから来て一番最初に到着して手伝ってくれたのは、テグの挺身隊ハルモニとともに行動する市民の会でした。ボランティアメンバーとプラカードや声明書を配ってくれました。その後、ハルモニやたくさんの参加者・記者が集まり、丸く陣取った隊列は大きな渦を作りました。


  足を踏み入れる隙のない中、カン・ジュヘ事務所長の司会で900回水曜デモは始まりました。「希望がある」という曲で凍った体と心を溶かし、「パウィチョロム」に続きました。ユン・ミヒャン代表は経過報告で、これまで日本軍「慰安婦」問題が解決されなかった現実は嘆かわしいけれど、こうして集まった人々と継続することを決意し、そのために50万人署名運動にも協力してくれることを訴えました。また、日本の5地域とドイツベルリンでの連帯集会についても報告しました。

  最初の自由発言は、アムネスティ・インターナショナルでした。今回の900回水曜デモに連帯するため、韓国支部の活動家とインターン、会員が連帯声明を発表しました。声明書では、日本政府の謝罪と賠償、責任履行などを求めました。韓国女性団体連合からも連帯声明が発表され、ナム・ユン・インスン代表が女性の力で最後まで闘っていくことを約束しました。最後に、海外へ日本軍「慰安婦」問題を伝えるために活動しているイ・ヒョンスクさんとカナダから来たアンジェラ・ライトルさんが、日本軍「慰安婦」問題を解決しない日本政府を糾弾し、家父長的社会で起こる女性差別と国家暴力に対しても糾弾しました。

   今回の900回水曜デモでは、日本政府に立法を通じた日本軍「慰安婦」問題解決を求める50万人署名運動を大々的に行っていく意志を込め、蝶の形の紙に各自の名前や団体名を書いて紐につるすパフォーマンスを行いました。加えて、すぐに中断すべきこと(戦争・人権蹂躙・女性への暴力など)と、続けて守るべきことや早くなすべきこと(公式謝罪や法的賠償、日本軍「慰安婦」問題解決など)を、STOPとGOと書かれたボードに貼り付けるパフォーマンスも行いました。

最後の声明書は、ハン・クギョム共同代表が朗読しました。

丸木美術館へ

2010-01-09 | いってきました
原爆の図 丸木美術館には、故丸木位里さん、故丸木俊さんが 戦争末期に原爆投下後の広島に入り、
その体験や周囲の人の証言をもとに夫婦共同制作で発表した《原爆の図》の連作は、被爆した民衆の
苦しみおよび戦争の悲惨さをリアルに表現し、国内外に大きな反響を巻き起こした数々の作品が展示されています。
そして、これらの作品群の前に立つと、戦争のない平和な世界を実現しようと強く呼びかけているように感じられます。

今回、 原爆の図 丸木美術館様が発行されたニュースは第100号でした。
年4回のニュース発行ですから、25年継続していることになります。
市民意見広告運動としても、今後も連携して平和の実現を訴えていきたいと考えています。
           
1/9(土)原爆の図 丸木美術館様へ行き、
ニュース発送のお手伝いをしてきました。

       

14名で2,600枚のニュースの封入、のり付け作業を行いました。
作業は、朝10時から、昼食を挟んで午後3:00で完了しました。
昼食は、黒米ご飯、シチュウ、イカのカツ、お漬け物、スイーツ等、
ハードな作業を忘れさす伝統のおいしい料理が、今回も出されました。

       

また今回も、当方の広告チラシを同封して頂きました。
このことにより、市民意見広告運動への支援、賛同の輪が広がること期待しています。沖と葛西が担当しました。(記:葛西)

励ましのお言葉をくださったみなさまへ

2010-01-07 | いってきました
京都朝鮮第一初級学校の先生方からもお手紙をいただきましたので、ご紹介します。
  学校は「在特会」に対して刑事告訴をしたということです。

              
               応援感謝のメッセージです

  お手紙ありがとうございます。

 この度は本校の学生園児達を心配し、励ましのお手紙を送っていただきありがとうございます。
12月4日の騒動は子供たちに大きな恐怖をあたえ、また保護者の方々には不安と怒りを与えました。

 しかし、皆様方の励ましのお手紙や、お花、絵本などの贈り物などをいただき子供たちは元気を取り戻しています。また保護者や学校関係者は民族教育を応援してくださるたくさんの方々がおられることを改めて感じ、とても力強く思っています。

 事件後、北は北海道、南は九州にいたる日本各地、またアメリカやドイツなど海外の方々から200通以上のお手紙をいただきました。またメールやFAX等を通してたくさんの励ましのお言葉、「在特会」に対する法的なアドバイス、子供たちの心のケアーに関する方法などたくさんの情報もいただきました。

 学校ではこの間、様々な講演会や集会で今回の事を日本社会に広くアピールし、学校名で今回の騒動を起こしたものを刑事告訴いたしました。一方では保護者や地域の同胞の方の協力のもと学校警備、児童の安全確保のために力を注いでおります。

 また、12月22日に京都でも緊急集会を開き、参加者600名の賛同のもと集会アピールが採択されました。

 12月4日に「在特会」が本校の前で騒動を起こしたことは決して許されることではありません。学校関係者及び保護者一同、子供たちの教育の場を守るため皆様とともに、彼らのような排外主義を決して許さない社会を作っていけるようこれからも努力してまいります。

    ありがとうございます。  京都朝鮮第一初級学校  2009年12月31日

2010.1.5 事務所開き

2010-01-06 | 事務局風景 スタッフの声
あけまして おめでとうございます
本年も宜しくお願いします

いよいよ5月3日に向けて始動しました。
年明けの事務所は、てんてこ舞いの忙しさでしたが活気に溢れていました。
作業をしながらの会話は、やはり年末から年頭における鳩山首相の改憲発言のことでした。
参議院選挙で、民主党が議席の単独過半数を獲得すると、改憲への道は加速することになります。
沖縄辺野古米軍新基地建設問題は、どのような決着を見せるのか・・ますます目が離せません


       16時過ぎから事務所開きの新年会を行いました
       
 
5月3日の全国紙と地方紙へ意見広告掲載を目指して頑張ります。全国の皆さま宜しくお願いします。
お住まいの近くで行われる集会等で、置きビラやチラシ配布をしてくださる方、お手元にお送りしますので、是非ご連絡をください。

好評発売中のTシャツは、残り少なくなりました。ご注文お待ちしていま~す