反戦・平和のイベント情報

反戦、反改憲のための市民のイベント情報
スタッフの声他

「高江の森と暮らしを破壊する沖縄防衛局に合意してない」

2010-02-27 | いってきました
沖縄・辺野古浜通信からメッセージをいただきました。皆様ぜひ、お読み下さい。

 「高江の森と暮らしを破壊する沖縄防衛局に合意してない」

 何のためのフェンス設置なのだろうか。

 1月29日、防衛省は国の名の下に、前例のない住民弾圧裁判に踏み切った。「権力を持つ側が裁判所を歪んだ形で利用してはならない」との多くの市民・法律関係者の声を無視する暴挙と言うしかない。なぜ司法を手段としてまで、住民の声を弾圧するのか。答えは得られていない。

 住民を起訴しておきながらいっぽうで「説明会」を行うという。2月1日に行われたそれは、あからさまに既成事実作りを目的とし、失笑を買う場面もある無惨な内容だった。防衛局は、改めて、高江区民の総意は反対だと突き付けられている。

 なぜ適切なアセスを行わないのか。なぜ高江の集落を囲むように建設するのか。どのような訓練が予定されているのか。回答は無かった。

 その場で7月からの工事再開を主張した沖縄防衛局が、拙速にも、2月23日から、工事現場入り口にフェンスの設置を開始した。民主党県連の抗議に対して、「これはヘリパッド工事ではない」と弁明したことが報道されているが、工事用仮設ゲートの設置は、ヘリパッド工事の仕様書に明記されている。工事に疑問を持つ側の情報公開請求によってようやく公開された資料では、受注業者の変更、工期の延長、設計の仕様変更が繰り返されている。現状がどうなっているのか、まさにそうした点も含めて詳らかに説明する責任があったはずである。
 なぜ2月中にフェンス設置を強行するのか。ヘリパッド工事でなければ、どのような根拠と予算で施工されたのか。現場での説明はなく、防衛局はふたたび混乱を招く失態を犯した。

 現場で沖縄防衛局は、何台ものデジタルビデオカメラで、説明を求める非暴力の市民を執拗に撮影し、抗議も無視して撮影を止めなかった。住民弾圧裁判のための証拠づくりと予見されるこの行為が、さらに市民を脅迫している。あるいは、思い詰めて一歩前に踏み出す市民を「犯罪者」に仕立て上げようと虎視眈々と狙っている。そして、監視の眼にさらされているのは、抗議する市民だけではない。現場の工事に動員された施工業者、防衛局員、警備員もまた、防衛局の監視的撮影にさらされて、自らの正義と良心を押し殺しながら工事に加担させられた。
 なぜ、国そのものが監視の対象とされないのか。なぜ、沖縄に暮らす私たちが反目しあうよう仕向けられ続けるのか。

 普天間基地問題をめぐって「死ぬ気で反対してこない限り、地元の意向は反映されない」との政府高官の発言が報道された。平和の礎に刻まれた何万もの名前、流弾と不発弾の恐怖、繰り返されるレイプとひき逃げ、枚挙にいとまがない米兵暴力の被害、米軍機が墜落炎上し戦闘機が上空を飛び交う校庭、それらが冷たく土に埋もれた過去から身を焼くような今日にまで続いている。現在もなお継続する占領と予告された死を生きる私たちが、これ以上殺されないために、殺さないために、基地機能強化に反対し続けている。

 なぜ、これ以上の死を、私たちは求められてしまうのか。

 そもそも、なぜ、6個のヘリパッド新設に日米政府は合意したのか。北部訓練場の約半分面積の返還に、なぜ条件が付けられたのか。米軍側の必要性、返還に見合うと日本側が判断した根拠など、どのような議論の末に決定されたのか、その内容はブラックボックスに入れられたままである。「沖縄の負担軽減」を金科玉条のごとく繰り返すだけで、その根拠は明かにされていない。

 フェンスは、隠蔽のためにある。説明を求め抗議する人を排除するためにある。
 フェンスは、暴力そのものである。やんばるの豊かな森で暮らし、正しいことを貫こうとする人のこころを破壊している。生活の糧を得ようと働く人のこころを破壊している。

 そしてフェンスは、その前に立てば、暴力とは何かを感知することが出来る。フェンスが分断する光景を目にすれば、この国と政治に何が起こっているのかを理解することが出来る。フェンスで分断され殺されようとする世界中の人びとと、共にあろうとすることが出来るだろう。

 私たちは、沖縄防衛局の暴力に合意してない。
 そして、2月28日には高江に集い、この暴力を目撃し、経験を共にするよう、多くの人びとに呼びかけたい。

      2010年2月26日
   合意してないプロジェクトhttp://disagree.okinawaforum.org/



ガザで起こった“本当のこと”━『沈黙を破る』・兵士が語るガザ攻撃

2010-02-26 | いってきました
 2月25日(木)19:00から文京シビックホールで開催された集会「ガザで起こった“本当のこと”━『沈黙を破る』・兵士が語るガザ攻撃━ 」に、沖、佐藤で参加してきました。ガザ攻撃一周年追悼・報道規制を訴える集会です。

  

 パレスチナ・イスラエルを25年に亘って取材を続けてこられた土井敏邦さんが、昨年夏、突如イスラエル政府からプレスカードの発行を拒否されるという事態に直面しました。


 原因として考えられるのは、直前に劇場公開されたご自身のドキュメンタリー映画「沈黙を破る」の内容が一方的に”反ユダヤ主義ジャーナリスト”として一括りにされたのではないかということでした。

 最初に「イスラエル人が見た“ガザ攻撃”」に加えて一昨年の爆撃以来の現地の様子が映像で伝えられました。

                  

次のステージパフォーマンスは圧巻でした。
 「ガザで起こった“本当のこと”ーガザ攻撃 加害兵士と被害住民の証言ー」

これは「リーディング」という表現形式をとり、渡辺えりさん演出で16人の演技者により”現場”が照明、黒衣、椅子そして効果音のための小道具のみというステージで鮮烈に再現されました。生々しい虐殺の一こま一こま、次第に魂を抜き取られていく 兵士たち、ここでもいったん戦争を起こせば、どちらも“被害者”という厳然たる現実が攻撃音のけたたましさと共に聴く者を貫きます。

 リレーメッセージの一番手の渡辺えりさんは「大好きな土井さんが困っていると知って私たちに出来ることをしたいと思って表現している。事実を伝える人が必要。とにかく大勢の人に知ってほしい。」
 
次に、根岸李衣さんは「演劇を通して、表現者として、身体を通して他の人々に訴えていきたい。」

最後の発言者、土肥信雄さんは「戦争はダメ!」「子供に幸せになってほしいと願いつつ教師を続けてきた。そのためには“平和”が必要。」「“言論の自由”の大切さを伝える責務を負うのは教育の場と報道機関である。」
とそれぞれの心からの熱いメッセージがすうーとあたたかく身にしみわたりました。

そして土井敏邦さんが訴えます。「25年取材を続けてきたパレスチナは私の人生の学校である。“生きる”ことを教えられたかの地の人々に私がお返しできることは“事実を伝えること”。私は決して“反ユダヤ”ではなく、批判しているのは“占領”そのもの、そしてそれによって人間が壊されていく事実である。

自分にはどうしても“伝える義務”がある。ガザに戻る義務がある。プレスカード発行拒否への抗議の声を上げ、報道の自由を強く訴えたい。」と。

土井さんの言葉「現場を失ったジャーナリストはもうジャーナリストではない。」が心に深く残りました。(文責/沖)

                 

 講演会を支える若いスタッフの生き生きとした手際の良い対応、土井さんの朗読劇のために手弁当で駆けつけた「非戦を選ぶ演劇人の会」の俳優さん16人、そして、彼らの朗読劇の練習を見ながら「言葉が息を吹き込まれるのを聞いていて」感動のあまり泣いていたと語られた土井敏邦さんのお話し。卒業生からもらった色紙と卒業証書を抱きしめる土肥前校長の姿。

 耳を覆いたくなる悲惨な内容の講演会にもかかわらず、事務局の仕事のあと駆けつけた私たちは、闇夜に輝く人間性とでもいうような、豊かな恩恵を戴いた気がしました。(文責/佐藤)

Tシャツ完売目前!

2010-02-24 | 事務局風景 スタッフの声
Tシャツが残り僅かとなりました

               
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2.20 講演会 

2010-02-24 | 事務局風景 スタッフの声
2月20日㈯ 講演会は、お天気にも恵まれ無事に終了することができました。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました

                
          会場:西片町教会                       代表:吉川勇一 

講演は、新崎盛暉さんと浦野広明さんお二人の、とても貴重なお話でした。

              
                           新崎盛暉さん
              
新崎さんのお話は、普天間基地をどこへ移設するのか。
名護(現行案)・ヤマト・県内の別の場所・県外・国外なのかを、沖縄県だけの基地問題としない全国民を巻き込んだ運動をどう展開していくかが今後の課題となる。また日本の安全保障のため普天間基地の代替基地が必要ならば、移設は国内ということになる。しかしそうなると反対運動が起こるが、その賛否両論を多くの国民が当事者として受け止め考えられるのかにより今後の新しい安全保障の形が見えてくるのではないだろうか。

              
                           浦野広明さん

浦野さんのお話は、税制改正により庶民大増税の時代がやってくる。
例えば、年金受給が年間60万円でも所得税がかかり国民一人ひとりに「納税者番号」を付ける制度となり管理されるようになる。
また税金の滞納者に対する徴収や罰則が強化され、現に地方の自治体では、滞納者に対し、顔見知りの職員では徴収しにくいという理由で、隣の自治体の職員に徴収させているそうです。
その一方で、株の高額配当金に対する所得税は優遇され、大企業向けの法人税の減税は2年延長されるそうです。
現連立政権の進めようとする税制は、労働者や中小企業をいじめ、大企業には減税するというもの。悪税制を阻止できるのかは、参議院選挙にかかっている。

お二人のお話は、今後の日本の行方は、私たち一人ひとりが、どれだけ受け止め考えて議論し行動に移せるのかにかかっているとを強く感じました。お二人のお話は、時間が許せばもっとお聞きしたいと思いました。
とても良い講演会になりました。

参加者96名、交流会参加者16名でした。
講演会の準備、当日のお手伝いの皆さま、お疲れさまでした。ありがとうございました。

もうごめん!石原コンクリート都政

2010-02-14 | いってきました
 2月13日(土)18:30から、表参道の東京ウイメンズプラザホールで開かれた「もう、ごめん!石原コンクリート都政」に行ってきました。

 小雪の舞う寒い夜でしたが、205名の参加者と豪華講演者の共演で時間を忘れました。

 司会は、前国立市長の上原公子さんと一水会顧問の鈴木邦男さん、基調講演は斎藤貴男さんです。

               
                        斎藤貴男さん

「差別を政治的に具体化すると石原都政になる」と言う斎藤さんは、石原の記事を『世界』に連載していた時に、取材するのも、書き進めるのも嫌になっていったという自身の体験を述べられました。居酒屋などに行けば石原は仲居さんたちをどなりつけるという彼の友人からの話し、取材したことを確認する電話・ファックスなどに対しても、何の返事もなし。

 彼の本質は「嘘」と「恫喝」。オリンピックは既存施設を使うからというのも実は「嘘」、都民対象のオリンピック支持率70%というのもヤフーの子会社のネット調査を「世論調査」と偽る「嘘」、公設派遣村で、2万円を持って200人が帰って来なかったという発表も、実は最寄り駅まで30分もかかる場所のために夕食までに帰れなかった人たちが100人以上いたという話しだそうです。

 障碍者の施設に行って「この人たちに人格はあるのか」と言う差別発言なども、彼におもねるマスコミが大きくとりあげず、真実を報道した記者には、副知事だった浜渦がその会社に乗り込んでいって左遷させたとか。溜息の出るような斎藤さんのお話しが続きました。

               
                          山口義行さん

 この日は、斎藤さんの前に、立教大の山口義行さんが、121億円システム投資をした新銀行のひどい計画を話され、都議会生活者ネットワーク・みらいの西崎光子さんも、自公が続ける事に賛成している新銀行が、すでに西新宿の1店舗のみになっている状況、JALカードと連携のICカード100万枚を発行予定だった杜撰なマスタープランなどについて話されました。12億円使ってATMを151作ったのが、使い勝手が悪くて今は店に一つあるだけなど、聞けば聞くほど税金の無駄遣いです。

 日本消費者連盟の吉村英二さんは、豊洲に行かなければならない理由が一つもない、築地移転の裏には石原とつながっているJAPIC(日本プロジェクト産業協会)の動きがあるとのお話し。

             
          吉村英二さん                                福士敬子さん

 都議会議員の福士敬子さんは、オリンピックにかかるコストの高さを2012年のロンドンでも6千億円の予算が2兆円に膨れ上がっている現実と、建設費が979億円かかった長野オリンピック施設が、今でも年間維持費に9億2564万円かかり、歳入はどんなに頑張っても9763万円というどうにもならない収支状況を報告されました。

 その次の外環道検討委員会の金子秀人さんの「もし外環道路ができると~」のお話しも衝撃的なもので、「何万人もの人が住む市街地の真下に16kmにおよぶ長大なトンネルを貫通させようとする、世界でも例のない不確定要素に満ちた計画」、水源地帯を貫通する道路により地下水流が分断・破壊され、広い範囲に砂漠化の危険があるとのことです。善福寺池涸渇、井の頭池涸渇、野川瀬切れ、汚水問題など、石原の「東京再起動」によって、私たちは取り返しのつかない自然破壊に直面するという恐ろしい話しです。

             
         金子秀人さん                                  土肥信雄さん                                 
 そして、もっとも徹底的に破壊された東京の教育について、土肥三鷹高前校長の声涙下るお話し、「何が贅沢かと言えば、まず福祉」と高言する石原によって国以上に福祉施策を滅多切りにされている福祉保育の現場からの民谷孝則さんの悲痛な叫びに続き、アメリカと同じ救急車の有料化を始めた東京の医療政策は、病院・保健所の統廃合、都立の看護学校廃校と破局に瀕していると報告されたのは、元足立区長の吉田万三さんです。

                                                         
                             民谷孝則さん

 最後は実行委員長の宇都宮健児さんの「何とかして、都知事を変えましょう!」を合言葉に、一つ一つ事実を伝えながら都民に訴えていく地道な活動しかないと、決意もあらたに帰途につきました。

 私たちの20日の講演会のチラシも150枚ほど受け取っていただく事ができました。(文責/佐藤)

 

講演会会場の下見

2010-02-12 | 事務局風景 スタッフの声
 2月10日(水)16:00から、20日の講演会の会場である西片町教会の下見に行ってきました。


 参加者は、講演会担当の二人、物品販売担当の二人、受付担当の二人と、講師接待・交流会担当で計7人です。

 地下鉄南北線「東大前」の1番出口で待ち合わせて、まず、おいしそうなサンドイッチを売っている近所のパン屋さん、手作りおにぎりのお米屋さん、東大正門前の酒屋さん、教会の近くのスーパーなどを確認して、教会に向かいました。

 教会では、山本牧師さんにご挨拶をして、玄関から座席までの動線を確認し、受付設営場所、物品販売の場所、置きチラシの場所、座席の数、交流会で使わせていただく広い食堂や厨房などを見せていただきました。



 正面壇上の大きな説教台には、聖書が乗っていましたが、講演会の時には、聖書ごと控え室の方へ移動して別の机を使うということになりました。

 1階の座席はゆったり座って100名分、2階の座席は予備のベンチを足せば40名は入りそうです。

 正面に講演会のタイトルのバナーや垂れ幕を使うのは無理だということも、よくわかりました。



 約1時間かけてじっくり下見をさせていただいた後、駅近くの喫茶店でそれぞれの分担や準備について細かい打ち合わせも出来ましたので、あとは本番を待つばかりです。

当日は、なるべくいいお天気で暖かいといいのですが・・・。

とりもどそう 憲法が生きる教育を 子どもたちに 平和とゆたかな未来を

2010-02-09 | いってきました
 2月6日(土)13:00から、麹町の女子学院で開かれた「2・6東京集会2010」━とりもどそう 憲法が生きる教育を 子どもたちに平和とゆたかな未来を━に行ってきました。

前日は、私学教職員組合のご好意で、作業に加わり、意見広告のチラシ800部をプログラムに同封させていただく事が出来ました。

 寒風の中でしたが、550名ほどの参加者がありました。

メインタイトルの「とりもどそう 憲法が生きる教育を子どもたちに平和とゆたかな未来を」が指し示すとおり

 ① 講演「憲法が生きる教育を東京にとりもどすために」小森陽一さん
 ② ミニコンサート 笠木透さん
 ③ リレートーク・東京の教育(6グループによる表明)
 ④ 集会アピール

と進行しました。

  ①では安倍政権が“教育改革”の名の下に行った一連の施策がいかに教育現場を破壊に導いたかを具体的に話され、競争(数値目標)によって学力は決して上がらないこと、教師、子供共に人格の尊厳が守られる教育現場でなければならないと力説なさいました。

  でも、今日の集会で私がもっとも共感を覚えたのは②の笠木さん(元教師)が最後に歌われた「軟弱者」というユニークなタイトルの極め付きの反戦歌でした。

  歌詞は続きます。
→「どんなことがあっても戦力は持たない。何と言われようとも戦争はしない。
  この国を守るために軍隊はいらない。軍隊がないと亡ぶなら、亡んで
  いこうではないか、、、。」と。

  ここまで突き詰めた「反戦」の表明を聞いたことがあったか、と自問しました。感動的な経験でした。

③のリレートークを1,2紹介します。

  1. 「東京の高校生平和ゼミナール」のメンバーが、この春
     ニューヨークで予定されているNPT関連会議に向けて署名を
     集め、未来を担う高校生たちが主体的に世界に向けて
     声を上げようとしています。平和への若いまなざしを大切に
     見守り、支援の輪を広げたいものです。

  2. 都立七生養護学校「こころとからだの学習」裁判について
     2003年都議、都教委、産経新聞による介入に対して裁判に
     訴えて以来6年余、原告の人たちの筆舌に尽くせぬ辛苦に
     応えるべく、双方控訴による高裁判決が厳正かつ公正な
     ものとなりますよう心から願わずにはいられません。

(文責/沖)

『フツーの仕事がしたい』×『今、僕は』上映会

2010-02-06 | いってきました
 2月5日(金)19:00から行なわれた、第17回レインダンス映画祭 ベスト・ドキュメンタリー賞+第6回ドバイ国際映画祭 アジアアフリカ部門最優秀ドキュメンタリー賞 W受賞記念上映イベント『今、僕は』×『フツーの仕事がしたい』に、行ってきました。

 渋谷のアップリンクという映画館が方向音痴の私にはなかなかわからなくて、映画が始まっていました。
 
 土屋トカチ監督のドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」の主人公の皆倉信和さん(36歳)は、根っからの車好きで、高校卒業後、運送関係の仕事ばかりを転々とし、現在はセメント輸送運転手として働いています。

 しかし、月552時間にも及ぶ労働時間のために、家に帰れない日々が続き、心身ともにボロボロな状態なのに 「会社が赤字だから」と賃金も一方的に下がるのです。

 生活に限界を感じた皆倉さんは、藁にもすがる思いで、ユニオン(労働組合)の扉を叩きます。ところが彼を待っていたのは、会社ぐるみのユニオン脱退工作で、暴力まで振るわれます。生き残るための闘いが、始まりました。

  次に上映された映画は「今、僕は」です。
これは、幼なじみの引きこもりをきっかけに映画製作を始めた、まだ20代の竹馬靖具さんが製作、脚本、監督、主演をこなす社会派ドラマです。

  社会との接点を絶ち、ただ無気力に日々を送る20歳の悟を主人公に、彼を取り巻く現実の世界をリアルに追求した映画で、登場人物たちの心理が迫真の演技で表されています。

 今、すぐそこで進行中の、傷ついた若者の苦しみ、出口のない家族の悩みがそくそくと伝わってきました。

 撮影を続けられた原動力は、皆倉さんの姿に自分自身の姿を見てしまったからだと言う土屋監督と、一回り若い竹馬監督との上映後のトークショーも興味深いものでした。(文責/佐藤)

「再度意見広告呼びかけのお願い」発送準備

2010-02-02 | 事務局風景 スタッフの声
 
 いつも、二月にお送りしている「再度のお願い」の準備作業が始まりました。

 今年は不況のせいか、例年に比べて賛同金が減っているため、20日の講演会のお知らせも含めて、少し早めに「お願いの文章」をお送りすることになりました。
 
  講演会チラシを入れて首都圏にお送りする分は事務所で取り組みます。
 3000枚の封筒に宛名シールを貼り、お願い文と講演会チラシと第2版の広告チラシと新版の物品請求申込書を封入する作業です。


2月1日                                2月2日                          
  昨日は東京もみぞれから雪に変わりましたが、事務所の中は作業の熱気で暖房知らずです。


皆さまのお手元に届くのは、来週になると思いますが、よろしくお願いいたします。

高岩仁監督作品上映会「資本主義は戦争を必要としている」

2010-02-01 | いってきました
1月31日(日)東京ウィメンズプラザで行われた、高岩仁監督作品上映会に沖が行ってきました。

高岩仁監督作品上映会は、一昨年1月29日に急逝なさった
監督の意思を継ぐべく昨年から上映がスタートしたそうです。

多くの作品群の中から今回は「日の丸と君が代」(1989)と
「教えられなかった戦争・フィリッピン編」(1995)を観ること
が出来ました。

前者については、これは何の法的根拠のないものを“大人”の
知らぬ間に「学校}という教育の場で長年儀式を利用して
じわりじわりと一般国民の中に浸透させた“国家の謀略”と
言えると思いました。

さらに後者は文字通り“第二の侵略”(Japan's Second Invasion)
とも言うべき忌まわしい現実を私たちに突きつけています。
かなり以前からODAの功罪は語られつつも私たちの目の
届かない地で行われる資本主義の独善的かつ“暴力的”搾取
が更にエスカレートしているようです。
この事実を知るや知らずや私たちは何とお気楽に同罪を背負っている
ことかと寒気がします。

このシリーズには、沖縄編、中国編、マレー半島編などあります。
実行委員会の島袋さん(琉球センター・どぅたっち)と一言二言
言葉を交わすうちに「沖さん、来年は手伝ってください。」と予期せぬ
申し出をいただき、ふと、この大切なことに関われるなら、これもまた
幸せなことかもしれないと遠い?先に思いを馳せました。(文責:沖)