反戦・平和のイベント情報

反戦、反改憲のための市民のイベント情報
スタッフの声他

DAYS JAPAN「地球の上に生きる2010」「命の写真展」

2010-06-30 | いってきました
 6月29日(火)にDAYS JAPANの2つの写真展を観てきました。

          

  報道写真が時空を超えて発信し続けるメッセージを受け止めると同時に、ページをめくるだけではダメ、心に刻みなさい、の声を耳にしたように感じました。

  平日の午後という時間帯でも、コニカミノルタプラザもハイジアも訪れる人が途切れることなく、未知の人々との偶然の出会いさえ心温まる幸いに思えました。
 
 せめてもの感謝を込めてアンケートにその瞬間に感じたことを書き留めました。(文責/沖)  


カンヌ国際映画祭パルムドール受賞映画「パリ20区、僕たちのクラス」

2010-06-26 | いってきました
 6月25日(金)14:40から、神保町の岩波ホールで上映された、フランスのローラン・カンテ監督のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品「パリ20区、僕たちのクラス」を観てきました。

             

 フランスで1500万人を動員し、観客全員にドキュメンタリーだと思わせた驚異のリアリティと宣伝されている通り、学園ものにありがちなうそ臭さがまったくない、まるでその教室に一緒にいるような緊迫した臨場感がありました。

 舞台となる中学校は、保護者との三者面談で、お母さんが「うちの子は名門高校に進ませたい。もっと出来る子に力を入れて欲しい。」と担任に言うそばで、生徒が「ママはいつもこの学校の事を三流校と言っているんだ。」と暴露するような、アフリカ系・中国系・イスラム系の生徒が半分以上を占める教育困難校です。

 映画では、国語(フランス語)を教える若い男性の担任教師が、授業で四苦八苦している有様が克明に描かれています。

 わからない言葉を説明する時に作った例文に対して、さっと手を上げて「どうしていつもビルとかって、シロ(白人)が主語なの?」「なぜ中世の言葉みたいなフランス語を学ぶの?今使っている“ダサイ”とか“マジ”で通じる。どういう人がそんな言葉を使うのか?」などと、生徒たちの鋭い質問があとからあとから続き、課題は進みません。

  それらに対して精一杯誠実に答えようとしている教師なのですが、やはり生徒から突然、理解できない無礼な反応をされると、「君は、今日残って話をしよう!」

  その放課後の話し合いでは、どうしても一方的に「申し訳ありませんでした」のような型にはまった敬意を払った謝罪を要求して、生徒を権威の下に屈服させようとします。
なぜ、その生徒が今までと違った態度を取るようになったのかを解明しようとせずに・・・。

 多民族のクラスで、彼女の抱えている問題はかなり深刻なものだろうと想像されますが、たった24人のクラスでもその一人一人にどれだけ関われるかは、時間的にも精神的にも体力的にも限りがあることは、自分の乏しい経験からもよくわかります。

感受性の鋭い生徒たちとまっすぐに向き合う、教師の仕事とは、まったく日々命を削るような仕事です。

 映画でとても興味深かったのは、フランスでは生徒の生活指導評価・学力評価の委員会に、生徒代表や保護者代表が参加していることです。学力評価にしても、1人の担当が責任持ってクラス全員の成績をつける日本とは違う、つけた点数を話し合う形でした。

  授業妨害・暴言・暴力行為などの校則違反に対する懲罰委員会にも、保護者代表が出てきますし、当事者の生徒と保護者も参加して自分たちの言い分を申し述べます。

  評価委員会に出席した生徒代表は、会議中、不真面目にくすくす笑ってお菓子を食べていたり、あとでどの先生が誰に対してどんな意見を言ったかなど仲間にばらしたりしますが、そういうありがちな人間的なところも含めて、日常生活に生きている「民主主義」を見る事ができました。もっとも、そのことで思わず出た失言が重大な事件を引き起こすのですが・・・。

 それはともかく、翻って、日本の教育事情はというと、狭い教室に生徒は40名を越え、生徒一人一人の質問や問題行動にじっくり対処すべき教師の時間が、給料を査定される「自己申告書」作成、行事や推薦書作成のたびに要求される「起案書」などの書類作成に費やされ、あろうことか憲法で保障されている“良心の自由・思想信条の自由”を侵害する「日の丸・君が代」強制により、懲戒処分をくだされているのが現状です。

 教育関係者にかぎらず一人でも多くの方に、この映画を観ていただいて、日本の教育現場に風穴をあけたいと痛感しました。(文責/佐藤)

井上ひさしさんの志を受けついで「九条の会講演会」

2010-06-20 | いってきました
 6月19日(土)13:30から日比谷公会堂で行なわれた「井上ひさしさんの志を受けついで『九条の会講演会━日米安保の50年と憲法9条』」に、沖、田中、佐藤で行ってきました。
             
                            

 日比谷公園の中をずーっと長蛇の列が続いてやっと入場した公会堂は、1階も2階も満席で、全国からこの日のために参集した方々で大変な熱気です。講演会は高田健さんと渡辺治さんの開会の言葉で始まりました。

            
                        井上ゆりさん

 まず最初は、九条の会の呼びかけ人の作家、大江健三郎さんのお話しです。
大江さんは、岩波ブックレット「加藤周一の心を継ぐために」を紹介され、「志」と「心」の意味の違いを説明されました。また、昨年のこの「九条の会講演会」で、井上ひさしさんが「日本の憲法は自分の友達の1人だ。9条・25条は親友なので、裏切る事はできない。これが加藤さんの志を継ぐということ」と話されたことを大江さんの言葉で思い出しました。惜しい人が次々と旅立ってゆかれます。

 日本は憲法九条を持っているが、守っているだろうか。平和を守ることができるかどうか、この内面のせめぎあいは生きている限りあると言われる大江さんは、この日の朝日新聞に報道されていた日米安保50年の中の、沖縄のこと、沖縄の基地をターゲットとして中国がミサイルを拡充している現実を説明されました。

鳩山前首相までが、沖縄の基地が戦争の抑止力になるなどと言いましたが、どう考えてもそれは逆で、戦争準備のための基地こそ相手国から一番先に狙われることは明白です。
 9・11事件の直後に、全国の学校は急遽、修学旅行先を沖縄から他県に変更しました。沖縄の基地が日本を守ってくれるために存在しているのだと言うのなら、一番安全なのは沖縄であるはずなのにです。

  その次に登壇した九条の会呼びかけ人、憲法学者の奥平康弘さんは、井上ひさし作『ムサシ』の中の平和のメッセージ「武士は刀を取ってはいけない」という言葉を紹介されました。

  世界に広がっていく憲法九条が、イラク違憲判決のような裁判所にさえ反映するようになってきた。九条の会発足当時は、もう6年後には明文改憲されているのではないかと想像していたが、強行採決された「国民投票法」も未解決条項が多くて実行できていない。
この世界の変化、流れに乗ってオバマ政権にも何とか平和のメッセージを伝えたいと話されました。
21世紀こそ、国際紛争は武力ではなく、人類の英知により解決する方向に行くべきではないでしょうか?

 休憩のあとは、山形県の演劇学校の教頭で、舞台活動や市民劇場などの演劇活動をされている佐藤修三さんが、井上ひさしさんの「吉里吉里人」の一節を朗読されました。
温かい方言による井上さんの平和のメッセージが会場に響き渡り、とても感動的でした。

              

最後は、澤地久枝さんです。全国、7500の九条の会は、モグラたたきのようにやられてもやられても後から出てくるし、モグラとモグラがネットワークを作れば決してやられないとの力強いメッセージは、心に響きます。

亡くなった人たちの思いを引き継いで、井上さん作「組曲虐殺」の小林多喜二のように“後に続くものを信じて走れ走れ”との言葉を胸に、私たちは緑いっぱいの日比谷公園を後にしました。(文責/佐藤)

シンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」

2010-06-17 | いってきました

 6月16日(水)安田講堂で開かれたシンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」に行ってきました。

  メインは夕方からのシンポジュームのはずでしたが、この機会にと早く出かけて谷中、上野桜木、千駄木、根津あたりを3時間も歩き回って最後にたどり着いたのが本郷ということになりました。

   “無料”も貢献したのか、シンポは千人以上の参加者があり、上野千鶴子さんの軽やかな司会で始まりました。

   パネリストは保阪正康さん、小熊英二さん、そして映画「ANPO」の監督リンダ・ホーグランドさんの三名でした。

  最初に「ANPO」のダイジェスト版(90分→15分)を観て各パネリストにとって「60年安保とは何か、何をどのように記憶するのか」が語られました。

   一言ずつ紹介しますと、保阪さんは『記録(父)+記憶(母)→教訓(子供)』のメタフォーを使われ、小熊さんは今も沖縄に刺さったままの棘を抜くために“思い出し続ける”必要、即ち日米関係の問い直しの必要を強調されました。

   宣教師夫妻の娘として日本で育ったリンダさんは日本映画の英語字幕翻訳を手がけてこられ安保闘争への関心のきっかけはアート(反戦絵画)だったそうです。

  当時反戦反安保闘争のはずだったのに岸内閣の打倒に終わってしまった理由は何か、
ゆがんだままの日米関係を問うことを今回自身のテーマに選ばれたそうです。

   日本をよく知る一アメリカ人には安保闘争の歴史がどのように捉えられているのか、そこから何かヒントが見えてくるかもしれないと関心が高まります。この夏上映予定の全編を是非観たいものです。

   最後の3分に登場したのは加藤登紀子さん、今回は歌ではなく樺美智子さんへの哀悼をこめて黙祷をリードした後「戦争に勝ちも負けもない。樺さんの意思はこれからも生き続けるもの」で締めくくられました。(文責/沖)


「アフガンに命の水を」上映会

2010-06-05 | いってきました
 6月5日(土)10:30から松戸市民劇場で開かれた、ペシャワール会26年目の闘い「アフガンに命の水を」上映会に、行ってきました。

           

 2003年3月から、6年の歳月をかけて全長24キロの用水路を拓いた中村哲医師と数十人の日本人青年達、そして共に働いた延べ60万人のアフガン人。戦乱と旱魃のアフガニスタンに緑の大地が蘇る情景は、とても感動的なものでした。

 医者と薬だけでは救いきれないアフガンの現実の前で、井戸を掘り、用水路を拓き、マドラサを建設していく中村さんの静かな笑顔と語り口に圧倒されます。

                           

 このドキュメンタリー映画を製作した日本電波ニュース社プロデューサーの谷津賢二さんは、「標高4000メートルの険しい国境山岳地帯を、徒歩と馬でめぐる医療キャラバンを取材した時に見たものは、まさに『医は仁術』を地で行くものでした。中村さんはナッパ服に身を包み、髪もぼさぼさ、お世辞にも良き風体ではありません。しかし、地元の人々から寄せられる中村さんへの尊敬と親愛、そして信頼・・・私はすっかり中村さんの人間像に見せられて、以来11年間取材を続けています」と書いています。

               
                          梅本さん

 今日の上映会は、1977年から続いている「松戸親と子のよい映画を見る会」主催の無料上映会でしたが、市民劇場は子どもから年配者までたくさんの人々で埋まり、映画終了後のペシャワール会のワーカー梅本霊邦さんのトークにも熱心に耳を傾けていました。(文責/佐藤)

土肥元校長裁判の報告

2010-05-30 | いってきました

  土肥元校長裁判の報告  

 都教委に対して、ただ1人で闘っている元三鷹高校長の土肥さんの第6回口頭弁論報告
がMLで入ってきましたので、お読み下さい。

  5月27日(木)の傍聴席は満員、10人以上が入れないほど、集まってくれました。
今回はこれまでにない傍聴人の広がりでした。
土肥先生の授業を受けている法政や立正大学の学生さんが来てくれたのです。若い力が支援に活かされる希望が持てます。一緒にがんばろっ!

☆尾木直樹法政大学教授の鑑定意見書を提出
教育の本質と教育行政のあり方をシャープに提起。尾木さんは高校や中学校の先生でした。意見書も、現場教員としての経験や研究活動が立論の基礎にありま
す。
浪本立正大学教授の鑑定意見書は次回提出の予定。
また、原告(土肥)、被告(都)双方の新たな準備書面も提出されました。

☆土肥さん、閉廷後「報告会」で
「大嶽先生の裁判ではいい判決が出てよかった。鑑定意見書を3人の先生が書いて下さり感謝する。

  そして陳述書(生徒や保護者)は現在までに66通も寄せてくれて、大変うれしかった。
  都教委の反論の書面を読むと気持ちが暗くなる。なぜ毎回ウソを書いてくるか。これがまかり通ったら 日本はどうなるか。」
う~ん、都教委がひどすぎて、土肥さんは「憂国の士」になりつつあるか。
でも、大丈夫。

  陳述書は100通にもなりそうな勢い。生徒や保護者に気持ちは十分に通じてます。


  次回予定は、6月28日(月)午前10時半~ 527号法廷です。

*このニュースメールを転送で読まれた方、読者になってください。
連絡はこちら→dohishienn...@gmail.com


「ビルマVJ━消された革命」を見て

2010-05-20 | いってきました
5月19日(水)渋谷のイメージフォーラムで、「ビルマVJ━消された革命」を見てきました。

昨日は久しぶりの渋谷行きでした。初夏のような日差しの下、軽やかに出かけた
のですが、衝撃の大きさに心も身体もふらふら状態で帰りました。




スクリーンに映し出される「現実」は私が文字を媒介として知らされていたもの
とは別物でした。

1988年のデモ以来19年目の2007年に湧き起こった“数十万人規模の
反政府デモ”の記録です。これを勇気と言うのでしょう。「伝えなくては、外の
世界に届けなければ」の信念、使命に突き動かされる現地のヴィデオジャー
ナリスト達の日々実に命がけのメッセージです。

 観終わっても席をすぐ立つことが出来ませんでした。

衝撃と共に今も私の心に重く残っているのは「軍事独裁政権とはかくも残虐
非道でありうるのか」「無数の目がそれに釘付けになっても、外の世界に住
む私たちは何と無力なのか」ということです。

今この瞬間を生きることだけで精一杯のビルマの人々と外の世界では“人間
らしく生きる”にもこの落差です。

そして日本という国はビルマ政府を援助しているのです。これは経済制裁を
しく朝鮮民主主義人民共和国に対すると同じく、其々の民を苦しめることに
なっているだけではないでしょうか。

連れ去られた大勢の僧侶たちの所在は未だ不明とのこと。
映画の最後の方で流れたテロップ「逮捕された2人の記者は多分終身刑に処
せられる」も含めてまるで“希望”の一筋も垣間見られないやりきれなさだ
けが残響となっています。(文責/沖)

 あなたの持っている自由を持たない人のために用いて下さい。━アウンサンスーチー

丸木美術館43周年開館記念日

2010-05-05 | いってきました
 5月5日(水)連休最終日に、東武東上線森林公園駅下車の「原爆の図 丸木美術館」の開館記念日イベントに行ってきました。

          
                     原 爆 観 音

 プログラムは、朝10:00から映画「みなまた海のこえ」上映、丸木美術館・工作教室などがありましたが、武蔵野線が事故で遅れたこともあり、森林公園駅南口からの12:30の送迎車で行くのがやっとでした。

 館内の原爆の図、第五福竜丸の図を見てから、「OKINAWA━つなぎとめる記憶のために━」という企画展で、紅型の美しい着物や、丸木夫妻のきゃん岬の絵を見ました。

          
                沖縄戦━きゃん岬(丸木夫妻)

          
                   第五福竜丸(丸木夫妻)

          
                  佐喜眞美術館 照屋勇賢作〈結〉

 13:30からは、東京荒川少年少女合唱隊の合唱、「小さな世界」「さとうきび畑」「世界に一つだけの花」「埴生の宿」などの美しい歌声で心洗われました。

          
                 東京荒川少年少女合唱隊

   新緑のまぶしい川沿いの美術館の2階には、丸木夫妻のアトリエがあって、机の上には硯やクレパスが置いてあり、棚には夫妻が原爆の図や沖縄戦の絵を描くための研究で使ったたくさんの書籍が残っています。

          
                  丸木夫妻アトリエ

 コンサートの後は、沖縄普天間の佐喜眞美術館館長の佐喜眞道夫さんの講演「<沖縄戦の図>と私のコレクション」でした。

  この日は、普天間基地移設問題で「最低でも県外に」と言っていた鳩山首相が、沖縄の地で「すべて県外は難しい」などと情けないことを言った翌日でしたが、沖縄の方々は、「5月末でなくてもいいんだから」と動じない構えで「基地撤去」に向けて静かな闘いを続けられる覚悟のように見受けられました。(文責/佐藤)

沖縄県民大会代表団国会前座り込み

2010-04-27 | いってきました
 4月27日(火)10:00から衆議院第二議員会館前で抗議の座り込みをしている沖縄県民大会代表団の激励のために、国会議事堂前に行ってきました。

             

 今年は、寒暖の差の激しい春のために昨日よりまた寒い一日です。午前中は曇りでしたが午後から雨風が激しくなるとの予報。
           
    
 11:00からのミニ集会のあと、要請行動に出かけられた沖縄の皆さんの代わりに少し座り込みに参加しました。

           
                 沖縄社会大衆党 糸数慶子さん  

 隣に座った方は、25日の沖縄の集会に出られたそうですが、読谷村の会場までは一本道で、9万人が集まるにも、帰るにも大変な時間がかかったとのことです。

             

 座っていると、沖縄の女性が黒糖のお菓子をご馳走してくれました。

 今朝の新聞にはまた、「現行案」の修正の、辺野古に桟橋を建設する案などが報道されています。県内移設はNOと言っているのに・・・。

 歴代の首相の中では初めて、「沖縄県民の気持ちを尊重したい。最低でも基地は県外に」と明言した鳩山首相は、沖縄県民の声をとどけるために上京して、ここに座っている代表団の願いをぜひぜひ聞いてほしいものです。(文責/佐藤)

4.24米軍基地無条件撤去を求める上田市民集会

2010-04-27 | いってきました
4月24日(土)米軍基地無条件撤去を求める上田市民集会に参加しました。

25日の沖縄県民集会に呼応して上田市民集会が、JR上田駅前で開かれました。
駅前広場に開会時刻の5分前に到着すると、『普天間基地の即時無条件撤去を』と
書かれた大きな横断幕のが掲げられた周囲には、すでにたくさんの人が集まり
「沖縄を返せ」の合唱が聞こえてきました。

       

13時30分の開会の挨拶が始まり、主催者、各地域九条の会などの発言が続いた後、
「米軍基地無条件撤去を求める上田市民集会共同宣言文」を読み上げ拍手で了承されました。(参加者120名)
集会後は、基地NO!などと書かれたプラカードやのぼり旗を持ち、シュプレヒコールを
上げてデモ行進を行いました。途中、中学生数人が加わり一緒に声をあげました。

集会の主催団体の一つ、ピースウォーク上田の方が、「横断幕に沖縄県民と連帯と入れ
ましたが、沖縄の方々には何を連帯するのかと言われてしまうかもしれません。しかし
基地撤去に向ける同じ強い思いを行動で表す言葉としていれました。
この長野県の青い空も実は私たちのものではありません。横田エリアといって、アメリ
カのものです(制空権)。目に見える基地だけでなく、目に見えない占領が日本全土に
あるのです。そういうことを考えると決して沖縄だけの問題ではないと分かります。
ここ上田でも普天間基地撤去、沖縄県内移設を許さない声をあげ一緒にがんばりましょう」と語られました。(文責:田中)

沖縄県民大会政府要請団と連帯する4・26東京集会

2010-04-27 | いってきました
 4月26日(月)18:30から御茶ノ水の全電通労働会館ホールで開かれた「沖縄県民大会政府要請団と連帯する4・26東京集会」に行ってきました。

           
 一坪反戦地主会関東ブロックの下地厚さんの司会で、在京沖縄出身者の上原成信さん、政府要請団代表の那覇市長、翁長雄志さん、県民大会事務局長の新里米吉さんの挨拶や報告が続いた後、普天間基地をかかえる宜野湾市長の伊波洋一さん、辺野古の名護市長、稲嶺進さん、新たに浮上した勝連沖問題に直面しているうるま市長の島袋俊夫さんが、次々と決意表明をされました。

          
   政府要請団代表/那覇市長翁長雄志さん        宜野湾市長 伊波洋一さん

  伊波さんからは「ロードマップを仔細にみれば、数から言って普天間にいる米軍はグァムやテニアンにすべて移っていくはずだ。」と検証に基づく発言です。

                      
                     名護市長 稲嶺進さん                                    

 稲嶺さんは、少し目を潤ませて、市長選の時に寄せられた全国からの励ましとカンパのお礼を述べられ、その連帯の気持ちを「沖縄からの基地撤去」にお願いしますと言われました。
 「名護市民は13年かかって、ようやく住民投票と同じ選挙結果を出したのです。」「超えられないハードルはありません。」との稲嶺さんの言葉は、政治に翻弄され続ける名護市民の気持ちを代弁しているものだと思います。

                  
                    うるま市長 島袋俊夫さん

  また、勝連沖をかかえるうるま市長の島袋さんは、「市になる前に廃案になった勝連沖埋め立て案に漁業関係者は動揺している。」「うるま市は基地脱却をかかげ、町おこしとして観光リゾート産業振興を始めている矢先に、もずくの採れる美しい勝連沖を埋め立てようとは!」と憤懣やるかたありません。

                  
                       照屋寛徳さん

 その後、民主党、社民党、共産党、自民党、公明党の国会議員の挨拶や紹介がありましたが、中でも脳梗塞を患って足取りのおぼつかない、社民党の照屋寛徳さんのアピール
「ここにいる皆さん、どのくらい怒っていますか?怒りまくって怒髪天を突くくらいの怒り方でないと沖縄とは連帯できませんよ。」
「沖縄に同情するのはやめてください。」
「これは人間としての尊厳を回復するための闘いである。だから負けるわけにはいかない。」という言葉は場内をシーンとさせました。
            
                      会場内の様子

 壇上に沖縄から来た100人の要請団がずらりと並んだ、最大席数464席のホールは熱気に溢れ、入り口も入りきれない人でいっぱいです。

           
                      琉球新報 号外  

 「普天間基地の県内移設をすべて拒否して、沖縄から日本から基地をなくしていきたい」との思い一つで、ホールじゅうにガンバロー三唱が響き渡った夜でした。(文責/佐藤)     

ダムとわたし

2010-04-26 | いってきました
 4月25日(日)谷根千映画祭「ダムとわたし」に行ってきました。

 この映画祭は24日から28日まで、今話題になっている谷根千(谷中・根津・千駄木界隈)の街で「面白くてためになる」五日間と銘打って開かれている小さな映画会です。

             

 この日の会場は、団子坂の上にある小さな<記憶の蔵>という民家の一室で、座布団が並ぶ中、20名も入れば満席というところでした。

 4:30からの部に「八ッ場ダム関連の記録映像」とトークがあったのでそれを目当てに出かけました。

 2005年からのドキュメンタリーフィルムの中の案内人は加藤登紀子さんです。

 長い長いダム反対運動の中で家族や友達がいがみ合い、苦渋の選択でふるさとを捨てる覚悟を決めてきた川原湯温泉の人々の歩いてきた道が毎年の映像の中に刻まれています。

  初めのうちは川原湯を守るために残る決意をした人々も、町がさびれて旅館の補修も出来ずにとうとう出て行きます。
代替地もなかなか作らない政府のために、長い年月の中で約束した保証金では代替地に新しい旅館も建てられなくなり、そこも出て行かなければならなくなった人々。

「みんなが出て行って代替地も必要なくなるのを待っていたように思う。」と言う地元の人の話を聞いていると、今までの政府はまるで地上げ屋か悪徳不動産屋とかわりがありません。

トークの中で、「代替地がひどい地滑り地層であることや、ダム湖を見下ろす温泉街という構想などが現実と違うことを地元の人々は知っているのですか」と質問したところ、ドキュメンタリー製作者よりも、もっと詳しい人が「情報が隠されている」事実を話してくれました。

 美しい吾妻渓谷が無惨に沈んでいくだけでなく、飲み水にも適さない砒素の入った川の水を首都圏の首長たちは、本当に水道に使う気でいるのでしょうか。

この国の政治の自然破壊、人間破壊そのものを象徴するような八ッ場ダムは、この先どんなに巨額の税金を費やしても無意味なダムにしかならないし、不安な代替地に観光客の集まる温泉街が再生するとも思えません。 

そのダムにストップをかけた新政権は、間違っているわけではないと思うのですが、人々の苦しみに寄り添う努力が足りないと、川原湯の人々の心が折れてしまうことでしょう。 (文責/佐藤)


第11回水俣病講演会

2010-04-26 | いってきました

 4月24日(土)有楽町マリオンの朝日ホールで開かれた「第11回水俣病講演会」に参加しました。
 
   会場の朝日ホールは超満員、そして講師はまず患者、緒方正実さん、そして内橋克人さん、元水俣市長吉井正澄さん、締めくくりは池澤夏樹さん、司会は落合恵子さん、とお伝えするだけでどれほど感動的で真心が共鳴しあう集会であったかご想像いただけると思います。

 “水俣”はいつも変わることのない私の学びの教室です。(文責/沖)


「“4・25沖縄県民大会とともに声をあげよう”東京集会」

2010-04-26 | いってきました

  4月25日(日)永田町の社会文化会館で開かれた「“4・25沖縄県民大会とともに声をあげよう”東京集会」に事務局から沖が参加しました。

  開会は沖縄と同時刻15時でした。600部の資料では足りなくて、急遽200部追加印刷中、との報告が物語りますように会場の三宅坂ホールは熱気溢れるアピールとメッセージ伝達の場となりました。

  ステージでは沖縄の様子がずっとライヴで映され、臨場感のある電話報告もありました。

 上田市のように全国各地で心を沖縄に繋ぐ集会が開かれていることでしょう。

  どなたかが「いつまでこんな集会を開けば基地はなくなるのか」とおっしゃっていましたが、ここでメディアと一緒になって鳩山政権を責めるのはやはり”お門違い”と思います。

  責めるべきは半世紀に亘ってアメリカに隷属し続け、沖縄を見放してきた自民党歴代政府、そしてそれを許してきた私たち一人一人ではないでしょうか。

(文責/沖)

官邸前行動「沖縄基地『県外移設』の不履行は絶対に認めない!」

2010-04-09 | いってきました
4月9日(金)お昼過ぎに、国会議事堂前で座り込みをしている沖縄県民(ウチナンチュ)の皆さんのところに行ってきました。



  この行動は、安里英子さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、安次富浩さん(名護市民)、金城 実さん(彫刻家)、知花昌一さん(読谷村議、反戦地主)、知花盛康さん(読谷村の農業従事者)、真喜志好一さん(建築家、「琉球国・建設親方」)が呼びかけたものです。

「官邸前へ集結し、鳩山政権に対して『非暴力』で公約遵守を求めます。
民主党支持者を含め、『県内落着』はおかしいと考える市民(ヤマトンチュ)のみなさん、集まった沖縄県民に温かい声をかけるとかカンパをするとか、『非暴力』で彼らを応援してください。3000人以上の市民が足を運んでくださることを期待しています。」という行動です。



 国会図書館近くでは、歩いただけで検問されたりしたのですが、せっかくの行動がその物々しさほどの人数ではなくて、ヤマトンチュの関心の低さを表しているようで残念な気がしました。

 でも、イベントの紹介をしていると、連日、首都圏を初め、全国色々なところで沖縄に連帯する催しが行なわれている事がわかります。

  私たちもあきらめずに「基地を閉鎖するまで」頑張りましょう!  (文責/佐藤)