
さて先月は、鞴座の東京ライブがあり、ひさしぶりに金子さんの(妖怪な?)姿に会い、不思議なトーク、そして笛と鞴の調べという具合に楽しんでまいりました。アコーディオンの藤沢祥衣さん、ギター・岡部わたるさんのお二人も、以前にも増して俄然力強く、両側からがっしりと金子鉄心さんを支えていました。
というわけでライブは相変わらずの金子鉄心さんのトークと、今回は「ふいごまつり」に入っている曲を軸に、オリジナル曲をたっぷり楽しむ構成。しかしクラシックイタチこと私がいちばん印象的だったのはですね、実は金子さんが大坂を拠点に活躍するインディーズの「映画に出た」ということで、金子さん自身が盛り上がっていたこと。
どうしてかと言いますと──いや鉄心さんがなぜ盛り上がっていたか、について「どうしてか」わかるわけじゃないんだけど──私のほうでも、そう思っていたよ、という予測と一致するんじゃないか、と思われる点があって、それで印象的だった、という次第。
つまり鞴座の音楽、金子鉄心さんが奏でる音楽(=笛)について、先だって突然の「金子鉄心さん特集!」を書いたわけなのですが、で、その音楽の「使い途」ってなんだろう? とはずっと考えていたのです。
鞴座は、たとえば図書館(物語の宝庫とも言える場所ですよね)での催しであるとか、人形劇の音楽といったステージもいろいろ担当されていて、それはなかなか素敵な催しになるだろうなあ、と思っていたのです。(関西方面で開催されるものが中心で、さすがに気軽にはでかけていないのですが。)しかし、このように鞴座のための物語がある、ということは重要である、と。つまり、タイタニックにおけるティンホイッスルですな。
もうひとつには、「まつり」という要素である。近代的・ベートーベン以降的コンサートという形式に収まらない、むしろずっとふるいような演奏形態。メディア(媒介・巫女)的な存在としての演奏者がいて、その周りに人が集まっていき、生活が成り立っていく。いや、もっと言えばより生活がより確かになる、そういう音楽と演奏者の(社会的!)機能。まつりというのは、そのような機能が一気に表沙汰になり、その真価を発揮する絶好の機会、というわけです。そんな狂言の一幕のような世界は、もともと鞴座にぴったり!だと思いませんか? (鞴座についてはYoutubeに映像&音源がありますので、こちらのリンク集をご覧ください)
(というわけで、そういうつもりじゃなかったんだけど──つづきます)