響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

ギルバートオサリバンです

2006-08-20 | ドラム・パーカッション
昨日はサタデードラムレッスン。ひさびさ。新宿はお盆の閑散も瞬間風速、ハーゲンダッツのある地下街の店もみんな復帰してて、人出は平常に戻っていた。

セプテンバーに続くレッスン曲は「Alone Again--Naturally」ってやつ。英語でもできない限り、歌詞は思い出せないですよね。そこで歌詞はこちら。なぜか音源もあった。

親バカ達、このリリックな歌詞に、実は二週間、格闘していたのである。あまりの熱心さに、ヒビキまで一緒に歌詞を見ながら歌ったりしていたのだ。暇、ではないんですが。キーは、やめてよ、のFシャープ。

さて本番は、と思ったら、今日はギルバートオサリバンはお休みで、セプテンバーのおさらいと、教本のレッスンなのだった。そうかあ。

それでもヒビキはいっこうOK。しかも!今日から祖母の家に遊びに行くんでテンション高いのなんの。ヒビキと別れると、親バカ父は新宿の楽器店へGO! ヒビキ、しっかりスティックは持参で出かけていきました。

“バイオリンで伴奏”のルーツ

2006-08-19 | バイオリン・レッスン
昨日はバイオリンレッスンだった。このところコドモが休みで、親バカ母、昼間の稼動が疲れる。

さて、いつもと同様、精度の高いレッスン!
弓の先で弾く、元で弾く。これ、こういう奏法もありますよ~ん、ではなく、
「先で弾いて、と言ったら弾けるようになって」
というレッスンなのである。しかも見本の演奏が、とっても簡単そうにすばらしい音なので、ヒビキも「できない」「ふかのうだ」「信じられない」等とは言えないのである。

それと親バカ母がなんとなく掴んだのが、弓の動かしかたで、腕の上側の筋肉を使うようなのと、上腕が動かないのではなく、初動ではむしろよく動き、弓の先へ行くにしたがって下腕が活躍するのである。そのかたちが、視覚的にみれはそうそう、というオーケストラの人たちがいっせいに同じ動きをするのを彷彿とさせる、あの動きに近づいていけばベストなんである。

言うはやすし。

しかし、すっかり動きの止まっていた親バカ母、帰りに体育館(ってどーしてそこへ行くのか……はまた後日)で血圧を測ったら84-50でした。寝てる低さだよ、これじゃ。

で、帰宅後、最近ウチブームのパッヘルベルのカノンの話題。ヒビキ、例によって曲目解説を行うのだが、曲の途中で
「ここからバイオリンが伴奏からメロディになる」
と言う。
ああ、そうね、メロディの主役が次々と入れ替わる構成。そこで親バカはた!と──先日ヒビキが「バイオリンが伴奏を弾く」と言ったのは、パッヘルベルのカノンを聴いたヒビキが「バイオリンが伴奏を弾いている」と感じたからだ、と思い当たった──であったよ。

実は今回は結構練習してあった、ヒビキ。というのも、前回、
「1日3回弾いてきて」
という宿題が出たから。朝起きたり夜寝たりといった時に
「あ、バイオリン練習しなきゃ」
と自分で言ってそれなりにやっていたのである。
それなりというのはどういうことかというと、課題の曲はノルマとしてやってるだけで、てきとーなんである。先生の注意も「わかってる」そうだが、あまり直ってない。ところが、その前後に弾く内容が、進んできている。弾きたいことを弾いてみているのだ。やっぱり、レッスンのおかげで弾けるようになってくると、そのレベルに応じて、弾きたいことが実現できるようになるのである。

「ヒビキさ、先生がちゃんと教えてくれるから、すごく上手くなるよ、うらやましいなあ~」
と親バカ父、「うらやましい」は7割マジ。

ヒビキ、かえるのうたを採譜!

2006-08-18 | ピアノ
もう昨日になる木曜の夕食後、親バカ母が国際電話にしがみついていると……ヒビキ、ほらできたっ!と、それはなんとかえるのうたの譜面なのだった。


確かに電話をしているときからピアノを弾いたり、間違えたから下の段に書き直すとかなんとか言ったりしては、なんか書いているようではあったのだが。

「直して」
というので見ると、少なくとも音程はぜんぶ合っている。
問題はみんな四分音符になっていること。
それで拍子がずれてしまっている。
必要なとこを二分音符にして、小節線も1本足して、と指示。
書き直してきて、はい、できあがり。

で問題は左手なのだそうだ。
そう、ちゃんと左手用にスペースをとってあるのである。
ヒビキのアイデアは、
1 二分音符で右手と同じ音を1オクターブ下で弾く
2 ユニゾン
3 音色を変える

しかし、夏休みとはいえ、もうとっくに11時を回っているので、本日はこれにて終了、ということにする。

ところで、そういえば、なのですが
先週12日、ドラムレッスンのないサタデー、あられが降りませんでしたか?
ウチのベランダではぱちぱちガラスに当たってました。


ところどころ白い粒子のようなものが見えますか? 暑いのですぐ溶けていくんですが、落ちてくるときはエッジの利いた形で、いかにも痛そう~。親バカ父、この天候をおして、バンドの練習に出かけて行ったとさ、の土曜日であったのです。

KIDSダンスにGO!

2006-08-17 | ドラム・パーカッション
リズムのことなら任せとけ! ならダンスもいけるかも
という超単純な理由で近所の公営のキッズダンスクラスへGO!

意外にもちゃんと踊らせてくれて、しかも先生のリードがほんと元気いっぱい! 結局みんな踊れるようになっちゃうのが凄い。

ヒビキはドラムは叩くし、リズムにものりのりだけども、じゃあそれを体で表現してというダンスとなると、どうなんだろうか……というのが親バカ達の興味津々であったのだが、果たして……

まず音楽の構成、つまりイントロがあって、そこはじっと動かずに、歌が始まって躍動しはじめ……と、こういうストーリーをつかむのが、コドモを逸脱してるぞ、と親バカ達は感心しきり。

8ビートにのるのはできるとして、やはりダンスというのが初めてなので、右左右左というようなパターンで考えることに慣れていない。あと、できるときはポンとできており、頭を経由してという感じではなかった。あまり型で考えると、左利きの場合頭がちになってしまう(のは親バカ母だけ?)けど、そういう悩みも感じられなかったな。

コドモたち、先生が言うようにほんとみんな、かっこよかった。


デジカメビデオよりのキャプチャ。


ヒビキ、案外からだも柔らかい。

暑いお盆、なぜかバロック・アワー

2006-08-16 | ピアノ
今週は夏休み。最近、目覚めるとまずトイレ、その次にぺた、とピアノの前に座り込むのがヒビキのパターンになっている。(ピアノはヤマハp-200というキーボードで、しかも床の上に直置き、という悪条件なんですが。)それでもって、バイオリン・レッスンでやっているメロディや、入門用バッハのメヌエットやマーチなんかにトライしたりしているのである。

すっかりバロックづいているところに、親バカ父が図書館でバロック名作選のようなものを借りてきた。と、G線上のアリアはもちろんだが、ヒビキが新たに好きといったのが「パッヘルベルのカノン」。うーん、最近複音楽が身についているじゃん、と親バカ母、ゴキゲン。

ところでふと、パッヘルベルのカノンと言えば、山下達郎の万年ヒット曲「クリスマス・イブ」にあるよね~、とヒビキが言わないな、と発見。いつ気づくでしょうか。

後日記:ヒビキ今日になって、ベネッセの「しまじろう」の、知恵遊びパソコンの、はい間奏!みたいなやつを持ってきて、「ね、これでしょ」というのが、パッヘルベルのカノンでした。
なるほど、こんなとこにも。

夕焼けの空に色が散る

2006-08-10 | 歌う
「与えられ過ぎっていうのはよくないと思うんだよ」
とポンタさんは言う。
「初めてシンバル買った時、スタンドが要るって知らなかったっていう……」
一同爆笑。
「だからオレやめた。このビデオつくるの」

村上ポンタ秀一がみずからのドラミングメソッドをレクチャー形式で公開する「ドラミングスピリッツ」ビデオのオープニングのやりとり。「ビデオつくるのやめてしまう」という逆転に、さすがの回りもひるむのが映像からも伝わってくるのだが、昨今の世の中は音楽をビデオで教室で、手取り足取り教えてくれるんだよね、確かに。

ま、そういうトレンドとは遠く離れて、少子化コドモは自主練にはげむのである。昨日のバイオリンの自主練でわかったことは、習うことそのものが、モチベーションを妨げるとは言えないし、オリジナリティがもしあれば勝手に出てくるのだろう。

山下洋輔さんのアドリブも練習しているわけだよね、と言ったのは、たしか山下さんとダブル・ピアノのライブもしたことのある教授こと坂本龍一氏と記憶する。それはオリジナリティの自由な発露であるアドリブが、むしろ古典的な練習方法といったものに規定されている、という話だったと記憶解釈……ってずいぶん昔の話なんですが……という側面は、きっと親バカ母にとってやけに気になる側面なのだろう。ただまあまず弾けなきゃしょうがないでしょ、こそ厳然たる現実で。

ところで昨日はたいへんな夕焼けであった。
南の空
西の空

「うわああ。きれいだねえ」
とヒビキ、さっそくさっきょく。
「ゆうやけの そらに いろが ちる」
だって。どういう曲だったかというと、「また逢う、日まで~」みたいな曲。うーん、今回はなんせ、親バカ母のトシが知れる。。。

ところで親バカ母が好きな素敵なサイト「かえるのブログ」に、この日のさすがもっと素敵な写真あり。8/9のポストをご覧ください。

バイオリンで伴奏、という発想!?

2006-08-09 | バイオリン・レッスン
今日は、バイオリンのレッスンだった。最近のバイオリンのレッスンは、親バカ母が以前からバイオリンについて疑問に思っていたことが次々話題になっていて、バイオリンという楽器のヒミツのベールがひらり翻る感じだ。

親バカ母は、小さい頃ピアノを習ってて、妹がバイオリンを習っていたのである。妹は耳が悪い(健康の範囲内であって、単に集中力がすごいだけだったことが大人になってから判明。ただ才能は音楽のほうには少しだったのね)。親バカ母は今反省しても手遅れなんだが、自意識とか思いこみとかがすごくて、コドモの頃の演奏ははっきりいって音楽になってなかった。小学6年生の時に初めて自分の演奏をテープレコーダーで聞いて、そのことを知った次第。(と書いてはみたものの、あまりに古すぎてもう全然恥ずかしくないことに自分でびっくり)。

で、かねてからバイオリンで謎に思っていたのが弓のストロークなんである。特に親バカ母は(ヒビキも)左利きなので、弓のコントロールが悪い。(ギターでも事情は同じ)。でもさ、結局は、ここで音楽してるわけだよね、この弓で。だからポンタさんもいうように弓の通り道が決まる(ポンタさんはうでの通り道と言ってたと思う。曰く「スティックを持つのは10万年早い!」)ことが、その人の音色やパフォーマンスを決定づけるんじゃないか、とうっすら思っていたのだが、習ってないから自分ではどこに道つけたらいいのか、よくわかりませんでした(だからヒビキにうるさいっていわれるわけなんだよねこれが)。

一方バイオリンの先生がまるで綱渡りのような精度で、弓のストロークと弦を出会わせていることには、さすがに親バカ母も気づいていた。それをどのようにヒビキは気づいていけるのか、なかなか上達しなかった親バカ母姉妹の昔日を思いだしながら、謎を見学させていただいていたのである。

でやっと今日の話で、その謎に迫るヒントのひとつが、肘から先を使うであった──しかしこういった説明はバタ足の説明と一緒で、そのひと言はド正解であるにかかわらず、それを聞いただけではできるやつはでき、できないやつはできないだけ、という代物であるのだろう。レッスンでは、ヒビキ、先生の注意ですばらしくいい音、いい姿勢に変化していったぞ! (と親バカ母の分解能ではね)。これで何が劇的に変わるかというと、アタック弾きが直るのである。不意をつかれました。(ということもまた物事の一面しか言えてなくて。)

でもって、先生に練習してくる約束をしたので、家に帰ってからも練習練習。ところがどうしたことか、大好きなバッハを取り出してヒビキ、
「あのさ、ママ(メヌエットのピアノ譜を)全部(ピアノで)弾いてね」
「でヒビキは何弾くの?」
「いっしょに伴奏弾くからね」

え!? バイオリンが伴奏ですか? これは今までになかった全く新しいアプローチ。しかもバイオリンの伴奏譜なんてものは金輪際ありません。バッハのメヌエット第3(レーソラシドレーソ・ソ)に、ユニゾンもありで、ハモってからんできて、1曲通し。あ、これもしかして昨日のポール・マッカートニーDVDの影響かな、つまりコーラスの発想。バイオリンに自転車でGOの途中でも突然「ELEANOR RIGBY」を歌ってたし。(これ、ストリングスはいりますよね。)

このハプニング、たぶん弓の運びを直してもらったことが、最大の要因と思われる。しかも今日はそのあと、ヒビキ、実に勝手にいろんな音を出して弾いて試していました。(それは傍目にも楽しそうで。)

ラファエロの翼をつけて

2006-08-08 | ピアノ
パブロ・ピカソは子供たちの絵を見て、感嘆して言ったそうだ。
「この子たちの年齢の頃、私はラファエロのように絵を描くことが
できた。しかし、子供のように絵を描けるようになるまでは一生かかった」

ラファエロといえば、天使、フィレンツェ、ルネサンス。天才の逸話って感じですねえ。しかし大人になって、さらに親にまで成り上がってしまうと、「天才の逸話」ってものからいかに教訓が引き出せ「ない」かはよくわかる。関係ないもんね、天才の話なんて。

せっかくそこまで大人になったのに、今度は親バカであるからして、コドモ育ての方針にやっぱり“天才”を引用してしまうのである、やれやれ。──するとですね、ピアノを習ったほうがいいか、やめとくかは……要するに結果論だよね、こりゃきっと。

だからもう成り行きにまかすことにしたぞ。先生が見つかったら習ってみようかねえ、だ。

ピアノを習うべきか、やめとくか?

2006-08-07 | ピアノ
ハイフェッツのCDで、ガーシュウィンの3つの前奏曲の中の1曲、変ロ長調というお気に入りの曲を見つけたヒビキ、そういえば昨日親バカたち揃ってピアノだのギターだのフリューゲルホルンだの、練習用パッドにバイオリンを持ち寄っている時に、そういえば、って感じで、例のガーシュウィンのイントロは「ミとソとドと、シのフラットで弾ける」と言ったのだった。音は音名で言ったわけじゃなくて、バイオリンで弾いて見せたのだったが。──確かにヒビキの言う通り。

よくわからないのだが、ヒビキにおいて、ピアノとバイオリンはとても対照的な進み方をしているように、親バカ母には思われる。簡単にまとめてしまうとつまり、バイオリンの場合は、はじめに音楽があって、それを再現するツール。ピアノの場合は、はじめに楽器があって、とにかく音を出してみることによって、もしかしたら音楽になるかもしれないもの。

ついでにドラムの場合と比較すると、ドラムはもともとほとんど全然叩いたことがないときから、聴こえていたのだと思われ、ここが決定的に違う。ヒビキは、さまざまな音源が耳に入ったときに、そのドラム・パートから聞こえているような耳なのだ。したがって自分が叩き始めた時はすでに音楽があり、とにかく音を出してみることによって、それが音楽になっていく、ということになる。

そこでバイオリンは、譜面とか聴いた音楽というものが、もともとその辺にあったのではなくて、今までは特に自分のために(レッスン用ということで)用意されたものであり、それを再現しようという段取りができあがってきたのである。またヒビキはなんといってもコドモだから、“自分が習っている楽器=自分の楽器”というようなメンタリティが影響していることもあり得なくはない。

ピアノの場合は、ツールにしてくれる機会がない。だから見事に手探りでやっている。音階練習というルーティンがあるということを知らずに、音階で3度の和音を試している。転調を試みたり、保育園で憶えてきた曲──きっと保育士の先生がピアノなどで伴奏しているのだろう──を再現してみたりしている。

ピアノのこの状況は、英才教育的には著しく効率の悪い話だということにもなるのだろう。しかしドクター・ジョンのピアノ、モンクのピアノは悪くない。……ってどうしてそういう話かというと、ドクター・ジョンのようにもともとギタリストであった人が弾くようになったピアノというものは、よい場合が多い。というのが1点。そしてモンクの場合はへたうまっていうかですね、音数が少ないピアノというのは(バッハのメヌエットのように)素晴らしい。
……うーん、今日は予想通り支離滅裂になってきたぞ。

でもって、ピアノは比較的習いやすい楽器なので、習ってしまえばソナチネぐらいまではなんとかたどり着くことになっている。で、それがいいのかなあ。たとえば音階練習というのはどんな楽器でも基本的なエクササイズだけど、それが本当に必要だと感じられたときにその練習は楽しく、進んでやるようになるものだから、そうなってから練習したのでは遅いのか、どうなのか。なによりレッスンという道をつけてやらないこと、伸ばそうと協力しないことで、ラクさせないことは、いい意味をもたらさないのか、どうなのか。習わなくても続けるだろうことを、わざわざレッスンしたほうがいいのか、どうなのか。

サタデードラム、バッハ、ポール・マッカートニー

2006-08-07 | ドラム・パーカッション
先週末は土曜恒例、ドラムレッスン。親バカ父とスタンプラリーを兼ねて……自転車でGO! スタンプラーってですね、自転車で行くとこれが実は効率いいんでがす。だってね、スタンプ台がすいてんのよこれが。

というわけで教室に着いた頃には二人は汗だく。「私としたことが、あなたに捨てられて……」ことalone againの練習もあらたに加わって、レッスンは順調に進み、セプテンバーもすごくがんばってたぞ、と今回は親バカ揃って見学(親バカ母は単独電車でGO)。しかも先生が持っている楽譜を買ってくるように、と指示がでて、ヒビキさらに大喜び。楽譜を開いて先生が、
「このパターンとこのパターンはどこが違う?」
というと「うんとね、」から始まって、
しっかり正解を答えてました。譜読みがほんとに好きだねえ。

ところがその楽譜購入の時、ヒビキがもうひとつ狙っていたのがバッハの楽譜だったのだ。アンナ・マクダレーナ・バッハの練習帖を中心とした入門者向けの楽譜。でも輸入盤で500円ぐらいの薄いやつがあったので、それを購入。帰り道々、熱心に読んでました。

続く日曜は、午前中合奏。ピアノにバイオリン、練習用パッドといろいろ演奏。バッハ中心だが、あんまりバッハだけだとやっぱり飽きちゃうみたいで。

またピアノは最近スケール的なものをよく弾いている。譜面をピアノで演奏するというのはできなくて(その回路がない)、弾くとなるとやっぱり勝手に思いついたものを弾く。最終的には「ルージュの伝言」(先日の発表会で演奏された曲。ヒビキ、口半開きにしてぽかーんと見てましたが)をやりたいから譜面を起こしてくれというので、それをやりに朝マックへGO! メロディ譜にバイオリン用に指番号もつけてあげると、帰ってきてからもバイオリンをしばらく練習してました。譜面的には「タイ」を初めて知ったヒビキ、説明するとすぐに了解して、なめらかにサンプルを歌ってみせてくれたり、という昼下がり。

夕方はプールへGO。すっかり疲れて夜は夏カレーとともに、ポール・マッカートニーのDVDを鑑賞。なんと1曲目がヒビキの好きなHello, Good-byeだったので、ちょっと目を見張ったものの、ヒビキ、大きな睡魔にゆっくりと飲み込まれていきました。このDVD、ほんとお手軽な楽器や音色と少ないメンバーで並み居る名曲を料理していっちゃうのが、もったいなくも小気味よいですねえ、とは親バカ母の感想。また明日観ようね、と週末はまた過ぎていくのだった。

ところでピアノはどうなった?

2006-08-03 | ピアノ
ドラムとバイオリンを習っているヒビキだが、やってます、ピアノも実際。以前から聴いた曲をとんでもないキーに転調して弾く癖あり、Dフラットのスケールとか、とにかく押したキーからメロディを始めようするものだから、もう、これがほんとのエニイキーという具合になっているのである。

親バカ母、こういった光景を見ると、まずはドラム、その次にピアノというのは始めやすい楽器なのだということが“忍ばれる”。ヒビキの場合は鍵盤の押し方も(習っていないわりには)悪くない。つまり指遣いには結構意識的。でも、それでもやっぱりトロンボーンとかバイオリンよりずっとやさしいみたいだ。

さて昨晩もベランダでお食事。今日の暑さから察するにそんな優雅な夕べも昨宵限りかもね。セプテンバーのMD収録曲を曲番号のアナウンス付きで次々に歌っていたが、その中にはヒビキの好きな「You must be an angel」、スティービー・ワンダーとアニー・レノックスのコラボですね、が入ってるんだよね。リズムは相変わらずきつめに再現していたが、発表会終わって一段落。概況を見ると、ヒビキ、今はかなり「聴く」にシフトしているように親バカ母には思われる。

そこで仕込みのBGMはモーツァルトPコン27番、グルダ。おやつのポテロングに“くせになる食感”の文字を見つけて、ヒビキ、
「くせになるたべかんじ」
と読んでましたが。

クラシックの森、コドモの国

2006-08-02 | バイオリン・レッスン
ドラムとバイオリン(しかしつくづく、ヘンな組み合わせ)
2つを弾けるようになることのアドバンテージは、特性の違う2つの楽器に習熟するということに尽きるのだが、どうしてもそこには文化的な違いとか体温とかいったものが付随してくるものではある。

バイオリンといえばクラシック、
ドラムといえばジャズ、ロック、ポピュラー
ついでにパーカッションでラテン

というようにだいたい分かれてしまう……とは言ってもヴァイオリンホームページを見よ! ここにはさまざまなジャンル、プログレからケルトからもちろんグラッペリもフィドラーも、あらゆるバイオリン入りの名盤が集めてあって、必見、でございます。

とはいえ、やっぱり楽器特有の歌い方とか、かっこよさの太いとことかは、やっぱり上記のジャンル分けに準ずる、と言えばそうである、と親バカ母は思います。

というわけで多少短絡的ではあるが、クラシックを聴いて、バイオリンが弾けると楽しいイメージを作ろう! というキャンペーンをヒビキへ展開中なのである。(っつーか、自分が久しぶりにクラシックへの興味が湧いたとも言う)

最近面白かったのは、バイオリンの先生がスタッカートでもテヌートでもない8分音符をひとつひとつ区切って弾くのをリアルに再現したフレーズを口ずさんでいたこと。この歌いは、いままで聴いてきたようなポピュラーの音源にはなかったはず。

一方でヒビキ、クラシックの自分が習っているような簡単な曲を素材にして、そこにどこどこリズムを入れてしまったり、変奏を加えたり、編成を変えたり、歌詞やシャウトを入れちゃったり、メドレー状に組み合わせちゃったりしてしまう遊び方も盛んだ。

カルロス氏ではないが、西洋音楽という大きい括りではクラシックもビートルズもジャズもとても近いものだから、混然と行き来できるのだ、ということをキンダーガーデンの宇宙で展開中という雰囲気のヒビキの昨今。。。
ジャンルが違えば違うこともあるけど、一緒にやることもできる、ぐらいに軽い感じに仕上がるといいんですけどねえ、と今回は親バカ母、少々企んでまして。

バッハとランデブー

2006-08-02 | おんがく
今晩はとても涼しい。そこで食後のおやつタイムに、ヒビキ
「ねえ、ベランダでおやつ食べない?」

この部屋に引っ越してきてからというもの、ベランダが少し厚めなので、気持ちのいい日にはベランダで、というのもありになった。ヒビキは特にこれが好きで、会話もよく月などを話題にする。なかなかのムードメーカーである。

話のついでに
「ねえ、バイオリン好き?」
「うん」
「どんなとこすき?」
「いろんな音が出るところ」

ふうん。
「で、どの曲好き?」
「うーん、むすんでひらいてかな。……やっぱり雲か雨かかな」
(ええと、かすみか雲か、ですが。)
「バイオリン曲だけじゃなくて全部では?」
「そうねえ、メヌエット3かな」

そういえば今日はえらい熱心に楽譜を書いていると思ったら、写経であった。J.S.バッハ、メヌエット3番のバイオリン譜の写経だ。

「でもさ、セプテンバーとかは?」
「あ、セプテンバーも好きだね、メヌエット3と同じくらいすき」

ふうん。
しかしバッハが白い髪タテロールで、兵隊さんみたいな服のおじさんだと知ったら、ヒビキもきっと驚くんじゃないかなあ。。。


ヒビキ只今写経中。ちなみにうち猫みゅーもバロック好き。親バカ父のラッパの練習には閉口してます。


ヘルメスのいる天井

2006-08-01 | 出演!
音楽家が見上げる天井にはヘルメスが居るのだろうか? というのはまるでほしいコードが、次なるメロディへのヒントが、つまり答えが天井に書いてあるかのように、彼らは演奏中、ふいに天井を見上げるからだ。

答えが天井に書いてあると言うと親バカ母が思いだすのはどうしてもYoko Onoの「yes」の個展なのだが、今日の話はオノ・ヨーコさんとは全然なくて、ヒビキが音楽を思いだす時に天井を見るという話。

この癖、実は親バカ父もそうなのである。突然伴奏をしなきゃなんなくなった時なんかに、コードなんかその場だから、ギターを弾きながら、ぎょろっと天井を見るのである(書いてないってば)。でも、たまにビデオクリップなんかでも見るでしょ、この仕草。

ヒビキの場合はいままでそれほど顕著でなかったのだが、先日の発表会でそのぎょろ、が出たのである。譜面は見ながらだったので、天井に訊く必要もなかったのだが、出だしの始まる前に、とりあえずぎょろっと天井を見て、それから先生を見て、でもって演奏が始まったのである。

これは厳密には親バカ父のぎょろとはちょっと違う気もするが、でもたぶん親バカ父ぎょろへスライドしていく前兆と思われる。ちょっとウェットな表現だが「虚空を睨む」というのに近いからである。

先週末はドラムがお休みで、スタンプラリーに突撃。銀座でアップルストアへ。アップルはヒビキのお気に入りの場所のひとつ。画像はU2に釘付けのヒビキ。

G線上のアリアはお好き?

2006-08-01 | バイオリン・レッスン
昨日は、久々のバイオリンレッスン! あんまり練習していかなかったヒビキ、付け焼き刃に早朝練習してから行ったんだけど……まあそれだけでもやっといてよかったよね。

着くと早々に発表会の話を先生にどどどど──と開陳。先生に「次は2つの楽器で出れば」と言われて、イメージがどーんとふくらんでました。というのも元々ヒビキ語で「エルメット」ならぬバッハの「メヌエット第3番」が弾きたかったヒビキ、それが他の生徒さんの発表会曲に入っていて、舞台で弾くのを見学できたのがまずはよかったのだが、バイオリンの先生にそう言われてみると、「じゃあ1番はさ(変化がある曲なので)ダンシング……」と、帰りの道ばたで一回転。どういうことかというと、バイオリン曲をそのままドラムにアレンジしちゃうらしい。

……ええと、わかりにくいかと思いますが、バイオリン曲なんですけど、その譜面でそれをドラムで演奏してしまう……というと先日も小学生の女の子に「ドラムに音程あるの?」と訊かれたのだが、バイオリンにおけるような音階はたしかにドラムにはないんだけど、タムタムとかスネアとかハイハットとかには“音色”があって、その使い分けでメヌエット3番が持っている音楽を出すのである。(ま、主にリズムということにはなるでしょうが。。。)

「で、3番をバイオリンで弾くの?」と訊くと、そうではなくていちばんやりたいのは別の曲なんだと。そのメロをヒビキ、歌ってくれるのだが、それはなんと「G線上のアリア」なのだった。

ヒビキ、好きなものはあんまり変化しないのである。先日もだらだらとたくさん録音してあるMDをかけていて
「これ僕すきなんだよね」
と言うのが、だからこれがふたたびモンクのBye-Ya(よろしかったら「子どもが楽しむジャズの名曲!?」をご参照)なのである。レミソシラ・ラ、レミソシラ・ラ、の次が前に“食う”のが“かっこいんだよね”と言ってるのだそうである(親バカ父によれば)。しぶいねえ。で、バイオリンの譜面では、バッハがhis favorite なんである。

で、ま、発表会の話はいーから、今日はバイオリン、あんまり練習してないでしょ? と親バカ母はかなり心配だったのだが、その盛り上げ気分を壊さず、先生がうまーく軌道に乗せてしまうのを目撃することに。
それに、先生が言うということきいて、親バカ母だと「うるさい」なのはこういうわけなのだ──先生の言うことをきくと、みるみる弾けるのである。

そう、その日はバイオリンの弾き方はすっかり忘れちゃってたのに、ひとつひとつ直していくたびに音がまともになっていくのが、傍目にも明か。(たぶん親バカ母が言ってるのは要するにチェックポイントに過ぎなくて、チェックポイントということならばそりゃ、子どもだってわかるというわけなのだろう)……果たして、バイオリンの先生も子どものとき、家で受ける注意に「うるさい」って言ってたこともあったんだそう。

続いて、譜面はなしで、先生が弾くのをマネして弾いてね、というレッスン。このほうがかえって音程がよかったりする。というかよくならざるを得ない(まるで外国語のスピーキングのレッスンだよね)。

はたまたヒビキの演奏例と正しい演奏例。これはどちらかというとびみょーな違いなんだが、バイオリンで示してくれるというのがまさに最高! 実はヒビキの例だってほんとはもっとひどいんだけどそこをわざとやらないことで逆に違いを際だたせるという綱渡りなんである。元々ヒビキはアタックが強い(ま、ドラムが好きなぐらいなもので)のを、“弓の端から端まで使って弾く”へと矯正するのは大変なんである。……というように親バカ母は感じたのであるが、ヒビキ本人は「わかった!」とか言って、よろこんでやってました。何がわかってたのかなあ~親バカ母とは違うとこでコミュニケーションしてたのかもしれないです。