老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1451;親愛なる子どもたちへ

2020-03-13 06:23:17 | 介護の深淵


親愛なる子どもたちへ
手紙 ~親愛なる子供たちへ~ の詩を読み、聴いたとき 亡き母を想い浮かべた。

私もいつの間にか、老いびとになった。
樹木の葉が、枯れ朽ちてゆくように、私も枯れ死んでいく。

この詩は、老親から我が子へあてた”いのちの手紙”でもある。

長生きの時代になった。
齢を嵩ね嵩ね 老いに向き合い、生きて逝く老いびとたち。
いままで「できていた」ことが「できなくなってきた」老親の姿。

大きくなった”子ども”たちから
「どうしたのよ」「こんなこともできないなんて、しっかりしてよ」、
と言われようになった私。
年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい

服の上やテーブルの下に食べ物をこぼしても
同じ話を何度も何度も 繰り返しても
思わずオシッコを漏らしても
むせり飲み込むことができなくても
足も衰えひとりで立ち上がることができなくても

何もできなくなった老親の姿をみて、悲嘆しないで欲しい。
記憶も言葉も失い、身体が衰えても
何かが失われたわけではない。
わたしは「私」であることに変わりはない。

目の前にいる老いびと
やすらかに棺のなかで眠る老いびと
人、それぞれに人生があり
その時代を懸命に生きて来られた。

老人と幼子
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

親から子へ
子から老親への
いのちを引き継ぐ
死に向かう親を 少しだけ付き添って欲しい、とささやかな老親の願う”いのちの詩”


手紙 ~親愛なる子供たちへ~
【作詞】不詳
【訳詞】角 智織
【日本語補詞】樋口 了一
【作曲】樋口 了一

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

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