老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

570;土曜の夜は最高~

2017-11-25 19:21:19 | 阿呆者
土曜の夜は最高~  

週6日48時間仕事
だから土曜の夜は最高~
仕事帰り
美味しい物を食べ
妻はビール 私はお茶
beagle・genkiは 私が16:30には散歩を行い、先に夕食を摂った
で、その後は留守番役 生きた「セコム」で不審者が来たら吠える

家路に着き
シーツに電気が入っている布団に潜り寝るときが最高
日曜の夜明け前までが「いいのだ~」
空を飛んでいる夢だったら嬉しいな~
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569;生命(いのち)の限り

2017-11-25 12:48:33 | 歌は世につれ・・・・
生命(いのち)の限り

作詞:矢野 亮、作曲:江□浩司、唄:大津美子

1 愛していたけれど 何も言わないで
  あの人とあの人と 別れて来たの
  泣かないで 泣かないで
  涙をこらえて
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り

2 楽しいその後(あと)は 嘆きが来ると言う
  何時(いつ)からか何時からか きまった運命(さだめ)
  諦めて 諦めて
  あてない希望(のぞみ)を
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り

3 はかなく燃えつきた 二人の恋の火よ
  それだけでそれだけで 幸福(しあわせ)でした
  ただ一人 ただ一人
  想い出あたため
  ラブユー ラブユー いつまでも
  いのちの限り


〇昭和321957)年にキングレコードから発売され、大津美子の代表曲の1つとなった。
昭和32年頃は三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)は庶民の憧れであった。
当時私はまだ7歳、僻村に育ち、我が家には電燈(電気)どころかランプを燈し暮らしていた。
『生命の限り』は最近知った歌なのだが、いまの時代にはない歌詞とメロデイーに魅かれる。
生命の限り、あなたを偲び想い生きてきた。恋のはじめよりも、愛を保つことのほうが難しい。
私には無縁な世界哉・・・・・。
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568;「傷み」と「痛み」と「悼み」

2017-11-25 07:18:40 | 阿呆者
「傷み」と「痛み」と「悼み」 

「傷み」「痛み」「悼み」
どれも「いたみ」と読む
自分の「いたみ」はわかるが
他人の「いたみ」には気がつきにくい

リンゴ(林檎)は「傷む」と腐りはじめる
屋根が「傷み」だし雨漏りが気になりはじめた
物であっても手や想いをかけ修復しないと〔重症〕に陥る
物でも心でもそれは同じ

「心の傷(こころのきず)」はそう簡単に修復はできない
何気なく発した言葉が、相手の「心を傷」つけてしまい
取り返しのつかないことになる。
「心の傷」が深いほど癒されないこともある。

「痛み」は
老いてくると、腰の痛み、膝の痛み、胸の痛みなど
「体の痛み」があちこちに出現する。
「体の痛み」は死ねば痛みは消失する。
「体の痛み」は〔体痛〕とは表現しないが
「心の痛み」は「心痛な思い」になり
相手の「心の痛み」を思い遣り、無言のまま手を握ったりすることもある。
「心の痛み」は、
自分の場合もあるだろうし、他者の場合もある。
「心の痛み」は「心の叫び(心の悲鳴)」のときすらある。
体の痛みとは違い
「心の痛み」は無形であるだけにわかりにくく
治癒するのは薬ではなく時間なのかもしれない。

「悼む」という言葉
よく「哀悼の意を表する」と使われ、それは「哀しみ悼む」という言葉になる。
愛する人、大切な人の「死」を「悼む」という言葉であり
白い煙となって青い空に消えっていったときの悲しさ、辛さ。
その人の名前を呼んでも、もうこの世に存在していない。
そう想うと寂しくせつなく悲しく(哀しく)なり、「心が悼む」。

老い逝き、老人が最期の呼吸(いき)をされるとき
言葉に遺したいことは何だろうか・・・・。
言葉は生命そのものであり
それは人間だけでなく
犬や猫、そして花に言葉はある。
言葉は心を傷つけることもあれば
言葉は心を癒すこともある。
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