老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

568;「傷み」と「痛み」と「悼み」

2017-11-25 07:18:40 | 阿呆者
「傷み」と「痛み」と「悼み」 

「傷み」「痛み」「悼み」
どれも「いたみ」と読む
自分の「いたみ」はわかるが
他人の「いたみ」には気がつきにくい

リンゴ(林檎)は「傷む」と腐りはじめる
屋根が「傷み」だし雨漏りが気になりはじめた
物であっても手や想いをかけ修復しないと〔重症〕に陥る
物でも心でもそれは同じ

「心の傷(こころのきず)」はそう簡単に修復はできない
何気なく発した言葉が、相手の「心を傷」つけてしまい
取り返しのつかないことになる。
「心の傷」が深いほど癒されないこともある。

「痛み」は
老いてくると、腰の痛み、膝の痛み、胸の痛みなど
「体の痛み」があちこちに出現する。
「体の痛み」は死ねば痛みは消失する。
「体の痛み」は〔体痛〕とは表現しないが
「心の痛み」は「心痛な思い」になり
相手の「心の痛み」を思い遣り、無言のまま手を握ったりすることもある。
「心の痛み」は、
自分の場合もあるだろうし、他者の場合もある。
「心の痛み」は「心の叫び(心の悲鳴)」のときすらある。
体の痛みとは違い
「心の痛み」は無形であるだけにわかりにくく
治癒するのは薬ではなく時間なのかもしれない。

「悼む」という言葉
よく「哀悼の意を表する」と使われ、それは「哀しみ悼む」という言葉になる。
愛する人、大切な人の「死」を「悼む」という言葉であり
白い煙となって青い空に消えっていったときの悲しさ、辛さ。
その人の名前を呼んでも、もうこの世に存在していない。
そう想うと寂しくせつなく悲しく(哀しく)なり、「心が悼む」。

老い逝き、老人が最期の呼吸(いき)をされるとき
言葉に遺したいことは何だろうか・・・・。
言葉は生命そのものであり
それは人間だけでなく
犬や猫、そして花に言葉はある。
言葉は心を傷つけることもあれば
言葉は心を癒すこともある。

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