老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

316;心の襞(こころのひだ)

2017-08-19 17:09:06 | 老いびとの聲
心の襞(こころのひだ)

不安は 乾いた灰色の空
介護は 先が見えぬ曇り硝子
あなたが生きていることで
生きる励みになり
辛さも悲しも切なさも喜びも感動も
心の襞となる
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315;上手な介護サービスの活用処方 第2話「認定調査の受け方」

2017-08-19 13:23:25 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第2話「認定調査の受け方」

「介護保険要介護認定・要支援認定申請書」を提出すると
市役所また町村役場の介護保険の担当者から
要介護認定調査の日時について電話がかかってくる。

「介護保険要介護認定・要支援認定申請書」を提出してから
だいたい1週間位で、要介護認定調査員が自宅に訪れる

初回の要介護認定調査は、原則市町村の職員が行う

認定調査員は、『要介護認定 認定調査員テキスト』を基に講習(研修)を受け
認定調査を実施する

認定調査員のなかには、老人介護や認知症老人に詳しい人もいれば、理解されていない人もいる
認定調査員テキストに沿って、認定調査が行われる

認定調査は、60分前後要する
本人面接となり 家族からも意見聴収される
(普段介護をされている方が同席されるとよいでしょう)

明治、大正、昭和ひとケタ生まれの老人は
市役所、町村役場は「お上」という意識を持っている
認定調査員の前では
本人は緊張し、頑張り
普段できなかったことが、できてみたり
わからなかった年齢を正確に答えたりなど
意外な一面を見せることがある。


本人は 普段「できていない」ことを「できる」と話したり
また「介助されている」のに「介助されていない」と答えたり
年齢相応の物忘れ程度しかないような印象で
認定調査を終えてしまっては、
本人の状態が正しく認定調査員に把握されないことになる


家族は、普段なされている介護の手間(介護の様子)を認定調査員に伝えていくことがとても大切になってくる

【例1】実際に立ち上り「歩く」ことができた
本人は「歩く」ことができれば、基本動作も介護上の問題はなく通過してしまう。
しかし、本人は歩けることで
、「認知症があり、夕方や夜間になると外に出て歩き出す。転倒し顔や手足に擦り傷をつくり、目が離せない」などと話すことで、介護の手間を伝えることができる
先程家族が話した内容は、他の調査項目に
「徘徊」「一人で外に出たがり目が離せない」「外出すると戻れない」
があり、その項目に関連づけて調査員は家族に尋ね返してくる。


【例2】トイレで排尿ができる
本人は、トイレで排尿はできるが、洋式便器の前の方に坐っているため(後ろの方に深く坐るよう何回話しても出来ない)、便座や床はオシッコで汚れ、その都度トイレ掃除をしている。また下着やズボンをオシッコで濡れたままで、居間にいたりしていることもある」。
このように、家族から実際に要している介護の手間を認定調査員に伝えていくことが大切。


【例1】【例2】はひとつの事例であるが、食事にしても、むせるためキザミやトロミにしたりしていることなども介護の手間である。
また、認知症老人を抱えてる家族の悩みも大きいと思う。
毎日の介護で大変ではあるけれど

認定調査の前に
日々、認知症老人の行動で困っていること(頭をかかえていること)や日常生活に支障がでていることなどを
箇条書きにメモをしておくとよいでしょう。
そのメモを見ながら認定調査員に話すことで
話したいことが漏れてしまうことがなくなる。


人は 来訪者があることで
部屋を掃除したり着替えたりするが
そのようなことはしなくてよいのです


認定調査の場合は
認定調査員に
普段の生活の様子をありのままを知ってもらうことが大切
寝室、ベッド周りや居間も後片付けや掃除をせずそのまま
本人が何枚も重ね着したり、季節に合わない衣服であってもそのまま
恥じることはないのです


介護は手抜きが必要であり大切なことである










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314;ひと夏の体験もなく秋の風

2017-08-19 10:13:15 | 老いびとの聲
ひと夏の体験もなく秋の風

再び梅雨が訪れた8月の空
蝉の声は鳴きやみ
烏が鳴く
真夏は何処かへ消え去り
ひと夏の体験もなく
(経験ではなく)
朝夕 秋の風を感じる
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313;北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論(2)

2017-08-19 05:02:09 | 文学からみた介護
北條民雄“いのちの初夜”(ハンセン病文学)からみた介護論
編集委員 大岡信 大谷藤郎 加賀乙彦 鶴見俊輔『ハンセン文学全集』1
(小説)皓星社:北條民雄「いのちの初夜」3~28頁

              (2)
 病棟に足を踏みいれると、顔からさっと血の引くのを覚えた。
「奇怪な貌(顔)」があり、
「泥のやうに色艶が全くなく、
ちょっとつつけば膿汁が飛び出すかと思はれる程
ぶくぶく張らんで」いた(9頁)。

看護師は尾田に、同病である佐柄木を紹介され、
この方がこれからあなたの附添人であると説明を受けた。
初対面の挨拶をして間もなく彼は佐柄木に連れられて初めて重病室に入った。
そのときの光景を見た彼は驚愕してしまった。

重病室の光景は
「鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のやうに目玉のない男などが
眼先にちらついてならなかった。
・・・・・膿がしみ込んで黄色くなった繃帯やガーゼが散らばった中で
黙々と重病人を世話している佐柄木の姿」(11頁)に、
尾田は考え込んでしまう。
尾田をベッドに就かせた後も
佐柄木は、重病者の世話(介護)を続ける。

引用が長くなってしまうが彼がどのような介護を為しているのか、紹介していきたい。
佐柄木の為す介護姿に学ぶべき多くのことを感じたからである。

「佐柄木は忙しく室内を行ったり来たりして立働いた。
手足の不自由なものには繃帯を巻いてやり、
便をとってやり、
食事の世話すらもしてやるのであった

けれどもその様子を静かに眺めていると、
彼がそれ等を真剣にやって病人達をいたはっているのではないと察せられるふしが多かった。
それかと言ってつらく当っているとは勿論思へないのであるが、
何となく傲然としているやうに見受けられた。
崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているやうな時でも、
決して嫌な貌を見せない彼は、
嫌な貌になるのを忘れているらしいのであった

初めて見る尾田の眼に異常な姿として映っても、
佐柄木にとっては、恐らくは日常事の小さな波の上下であらう」。

尾田が感じた重病室は異様な光景であり、
彼の附添人である佐柄木は重病室のなかで息つく暇もなく介護をしている。
重病者の介護をしている佐柄木の後姿は、
同情や憐憫の情でしているのでもなく、
重病者につらく当たり愚痴をこぼしているわけでもなく、
黙々と立働いている。
そうした介護は「日常事の小さな波」の如く普通の行為として為されている。

いま、特別養護老人ホームは、要介護5の状態の入所者が多くなってきており、
介護保険型医療施設では気管切開や胃ろう増設などの患者が占め、
佐柄木のような介護がなされているのだろうか。

依然、筆者は東京板橋区にあるT老人病院に看護助手(介護員)として
3ヶ月研修に通っていたときのことである。
老いた男性患者が四肢(両手両足)が拘縮しベッドに一日中寝ていた。
オムツ交換時のことである。
話すことができないと思っていた看護師は、
多量の軟便失禁をした彼を叱り、
拘縮した両足を力まかせに開き小言を言いなが雑に臀部を拭きオムツを取り換えたのである

彼にしてみれば凄い痛みや屈辱的な「介護」を為されても無言の抵抗で介護者を睨んだままであった(実は彼は話ができるのである)。

「崩れかかった重病者の股間に首を突込んで絆創膏を貼っているような時でも」、
佐柄木は決して患者に当たらず嫌な顔もみせなかった。
手がかかるような多量の下痢便や軟便失禁をしたとき、
つい小言を吐き、「介護してあげている」介護に陥ってはいないか、
佐柄木の介護を通し自問自答(反省)してみる必要がある。
介護とは何か・・・・
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