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ウォーハンマーウィズヘルズ-0話「四顧の礼」

2021-02-14 01:08:08 | ウォーハンマー
ウォーハンマーを続けて10年以上。
この界隈は日本語になる前からの20年級のレジェンドが現役だったりするので
自分なんかまだまだ…と思ってたが、
それでもそこそこのベテランになってしまったのと、
ここ近年での裾野の広がり方は凄く新規参入者がめちゃ多い。

その割に公式サイトは情報を残さなかったり、
HTMLサイトやブログのサービスの消滅などで
情報が大分断絶してきているので、
自分の体感してきた事自体が
一つのログとエンターテイメントになるんじゃないかと思って記してみる。
題してウォーハンマーウィズヘルズ。

0話はウォーハンマーを始める前に3度ニアミスしていた話。
本格的に始まらないので1話からでもいいよ。

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1999年頃
97年頃からしばらく「楽市楽座」と言うオタク系フリーマーケットにハマっていた。
古い玩具やトレカ、同人誌にゲーム。蔵出しのレアな物を扱っているイベントで、
今ならヤフオクなりメルカリなり中古ショップで通販すれば良いが
当時はネットもそこまで普及していなかったので
ワンフェスの中古ブースはじめこう言うフリマ系イベントが大きな手段であり、
特に楽市楽座は出展者がこれは!と言う物を比較的リーズナブルに出す傾向があり
学生だった自分にはありがたかったのだ。
※ご無沙汰してますがコロナ禍自粛を覗けば2021年も健在の様子。


何度か通いなれた頃のある日、一つのブースに目が留まる。
多くのブースは会議机半分のスペースに
同人誌だのカードだのフィギュアだの、商品をミチミチに並べているのに、
そこは見慣れない海外のプラモを平たく面陳列で並べているだけだった。
しかも個々がウン千円から1万円以上する物ばかりで
「…一体なんなのコレ…?」と思い少し遠巻きに見ていた。

すると一人のお客さんがササッとそのブースに歩み寄り
客「あぁあったあった。コレがハマるとお金が飛んでくと言う噂のウォーハンマーですか」
出店「そうです。ハマるとお金が飛んできますよ~笑」
客「はははw じゃあ下さい。バサバサ」
俺「!?」


ほぼノータイムでお札(多分万札)を数枚出して、箱を数個引き取っていく
(そのお金出して数箱だけなの!?)

当時学生で少ない小遣いでチビチビとコレクションしていた自分にとって
ウォーハンマーとの出会いは衝撃的だった。
当時見たのは多分5版かな。
6版が2000年らしいし、
パッケージもうっすら憶えがあるので合ってると思う。


ブレトニアVSリザードマンのスターターだったらしい。

今にして思うとリーズナブルなんだろうけど
ネットも少ない時代にそのブースに目を付けて即買いした御仁は
今から考えてもやっぱりちょっとクレイジーだった気はするw


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2002年頃

自分は地元の友人と共に遊戯王や他のTCG数種類を遊ぶカードゲーマーだった。
主なホームは池袋である日、池袋イエローサブマリンまで足を延ばして
物色した時に配られていたのがこのウォーハンマーニュースだ。


ウォーハンマーニュースは当時ホワイトドワーフ輸入前の環境で
新製品と和訳データなどを小出しに掲載した廉価版ホワイトドワーフのような物で
通常はモノクロ100円くらいで刊行されていたらしいが(伝聞。後にカラー化)
自分が出会った号はハイエルフ押し出しの記念号だったのかフルカラーで無料配布だった。

当時はイエローサブマリンの新宿地下店が「地下サブ」と呼ばれ
ウォーハンマー輸入のメッカだったようだが(自分は通っていないので伝聞)
その余波で池袋も少々扱っていたのだと思う。
ショーケースの狭い一角を完成品やコンペ作品が並んで居たのを覚えている。

模型が好きだったので何となく手を取ってみた所、
今でも覚えてるイムリックの君のドラゴン騎乗のページ。


「洋物の造形はくどいけどカッコイイなぁ~」
と思ったのも束の間。


「えッ!えッ!どう言うこと!?1ユニットがこの値段なのッッ!?」

ってナガノさんのちいかわみたいになったのを今でも覚えてる。
今にしてみるとドラゴン騎乗がこの値段とかお安いんだけど(笑)

しかしフェニックスガードはコマンドグループ3人
(チャンピオン、ミュージシャン、旗持)1ブリスターで
ヒラは2人1ブリスタ―くらいだったと思うから
15~20人並べると結局良い値段したような記憶。
いつの時代もウォーハンマーは良いお値段する。


この時期はゾイドカードのコマ(ガシャポンサイズ)を塗ったり、
ゾイドのパイロット1/72を塗って細かい模型の塗装には自信があったので
たまに飾られているウォーハンマーの作例に少し対抗心を燃やしていた。

自社のクソ滑った同人誌
「地獄から来たKEY本 純ファン禁(2003年刊)」の中でも記述がある。




※画像クリックで拡大
文章が気恥ずかしいのはまだ若い頃だから見逃して欲しい

この頃からウォーハンマーは怖さに加えて対抗心のような物が目覚めたのだった。
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2007年

この頃はアイドル、ハロプロの℃-uteを応援するのをメインとしていた。
神保町に℃-uteのムックだかを買いに行ったついでに、
足を延ばしてみると知らない模型屋があった。
冷やかしに入ってみると何が原作か分からないけど完成品がめちゃめちゃあり、
ウナギの寝床のような奥に長い店内を縦断するようなジオラマがあり圧倒された。
そうホビーセンター神保町である。

当時はウォーハンマーストアと言わずホビーセンター(ホビセン)と呼ばれていた。
拙作、爆散40Kコマンダーレイジに出てくるホビーメンターはこのパロディである。
そして強烈な誘惑と勧誘を回避してチラシだけ貰って帰って来ては眺めていたのだった。


ファンタジーバトルは7版「どくろ峠の戦い」


ウォーハンマー40000は日本語版4版「マクラーグの攻防」
この頃のコピー
「暗黒の遠未来に唯一残ったもの。それは戦争。」がカッコいいんだよなぁ。
後年はちょっとアレンジされていくのでコレが一番好き。


そして当時の自分の感触がヘルズ商事内にもアーカイヴされていた。
●リンク

シタデルカラーの性能差を知らないままのが初々しいし、
ハマると恐ろしいと言う刷り込みで恐る恐る爪先で突いているかのような
にじり寄り方だった。
文章が気恥ずかしいのはまだ若い頃だから見逃して欲しい(2回目)

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士気チェックに失敗して実際にウォーハンマーに手を出すのはもう1年少々後になる。

0話おわり。

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