先日は付き合いでアキバでハロプロの、THEポッシボーを見た後
偶然オガルと合流しったので合流しブラブラ。
締めに模型を見る為にラジオ会館に立ち寄った。
共通して好きなガンプラやFSSなどを見て会話に華を咲かすが
この日は珍しく美少女フィギュアのコーナーが目に留まる。
「萌え」からは離れて久しく
何のキャラクターかすら分からない自分ではあるが
嫌ってる訳ではないし凄い模型としては好きなので
眺めてみると可愛いの、セクシーなの、
躍動感あるのと様々だがある共通点に気づく。
まずはどれもファンならずとも手元に置きたくなるような
凄いクオリティである事。
次いでそれらは全て完成品である事。
まずはどれもファンならずとも手元に置きたくなるような
凄いクオリティである事。
次いでそれらは全て完成品である事。
同年代よりちょっと上くらいでないと
ピンと来ないかも知れないが
高いクオリティ、マニアックなキャラクター、
萌えやエロスを喚起する造形、
これらはガレージキットが担っていた物だったのだ。
ガレージキットを目に、
耳にしなくなったのはいつからだったろうか。
プロが手作りした技巧でかつ少数生産なので単価も高い。
更に造るには道具も時間も技術も要する為に
完成も容易ではなく雑誌やショーケースの完成品は
正に垂涎の的であった。
それがたかだか数千円払えば完成品が買えてしまう。
マニアでなければ安い買い物では無いとは言え
技術が無くとも熱意と金で買えるとは
ユーザーにはいい時代になった物だと思う。
アキバでフィギュアを眺めていると
その出来を数千円じゃやりたくないなと苦笑しつつ
金では買えない物を安価で買える時代に
たかたが十年程度でヲタ文化が新世紀になった事を
痛感するのだった。
…と、ここまでは良い事づくめのようだが
一つの不満が湧き上がる。
「便利」さと引き換えになった物は何か?
答えは簡潔、「不便さ」である。
便利になったら不便では無いとは
禅問答のようだがそうではない。
不便さは憤りやもどかしさを生む。
それらは全て熱意に繋がるのだ。
「発明の父は憤りである」
マンガ「ダブルゼータくんここにあり」で
発明家のキュベレイ博士が言ったが至言に思う。
今どれだけのヲタがガレージキットを作れるだろうか。
造れたから偉い訳では無い。
ただ待って金を出せば高い技術の塗装や
マイナーなアイテムも手に入ってしまう昨今では
模型の技術を身につけようとする第一歩の機会や
まるで子供のように模型誌や見本に羨望の眼差しを注ぐ
熱さを失っているのだ!!
偉そうな事を言う俺も例外では無い。
例えを変えればガンプラである。
今のガンプラはそのまま作るだけでキレイに出来てしまうので
そのままで満足してしまうのだが
ガンプラブームを直撃してる人々は
その出来の足りなさを改造や塗装で補うのは当然だったし
それに応えるようにメーカーも技術を上げていくと言う
切磋琢磨の結果が現在の日本の高い模型技術の礎だったのだろう。
だが今は高くなりすぎた技術は供給するばかりで
受けてが衰退していくバブルに似た状況に陥ってないだろうか。
では将来模型を造る側の人間はいなくなるのかと言えば
答えがほぼ確実にNOだろう。
「損をしてもオリジナルになりたいバカが消える事はない!」
(島本和彦、作 ガレキの翔)
しかして安易な購入は手を動かさないヲタを
増やす事に繋がるのではないか?
同じ懸念を違うジャンルで感じた事がある。
それは漫研だ!
漫研もコミュニティを形成しがちな女子ばかりになり
男子がいても買い、読み専門になりがちなのも
あらゆる願望を現在のマンガ、ゲーム、同人が補えるので
自分で作業する必要は無くなっているのだ!
手を動かすのが早いのは女子。
男子は並びや限定にいそしむ為の
フットワークが鍛えられてると言うのが昨今であろうか。
願わくば俺はバカの側でありたい。
あ、ちなみに気になったフィギュアは必死こいて調べて
水兵さき氏のwebコミック「ネコミコたま」だったらしい。
太めの肉感の熱血造形がアツイぜ!
偶然オガルと合流しったので合流しブラブラ。
締めに模型を見る為にラジオ会館に立ち寄った。
共通して好きなガンプラやFSSなどを見て会話に華を咲かすが
この日は珍しく美少女フィギュアのコーナーが目に留まる。
「萌え」からは離れて久しく
何のキャラクターかすら分からない自分ではあるが
嫌ってる訳ではないし凄い模型としては好きなので
眺めてみると可愛いの、セクシーなの、
躍動感あるのと様々だがある共通点に気づく。
まずはどれもファンならずとも手元に置きたくなるような
凄いクオリティである事。
次いでそれらは全て完成品である事。
まずはどれもファンならずとも手元に置きたくなるような
凄いクオリティである事。
次いでそれらは全て完成品である事。
同年代よりちょっと上くらいでないと
ピンと来ないかも知れないが
高いクオリティ、マニアックなキャラクター、
萌えやエロスを喚起する造形、
これらはガレージキットが担っていた物だったのだ。
ガレージキットを目に、
耳にしなくなったのはいつからだったろうか。
プロが手作りした技巧でかつ少数生産なので単価も高い。
更に造るには道具も時間も技術も要する為に
完成も容易ではなく雑誌やショーケースの完成品は
正に垂涎の的であった。
それがたかだか数千円払えば完成品が買えてしまう。
マニアでなければ安い買い物では無いとは言え
技術が無くとも熱意と金で買えるとは
ユーザーにはいい時代になった物だと思う。
アキバでフィギュアを眺めていると
その出来を数千円じゃやりたくないなと苦笑しつつ
金では買えない物を安価で買える時代に
たかたが十年程度でヲタ文化が新世紀になった事を
痛感するのだった。
…と、ここまでは良い事づくめのようだが
一つの不満が湧き上がる。
「便利」さと引き換えになった物は何か?
答えは簡潔、「不便さ」である。
便利になったら不便では無いとは
禅問答のようだがそうではない。
不便さは憤りやもどかしさを生む。
それらは全て熱意に繋がるのだ。
「発明の父は憤りである」
マンガ「ダブルゼータくんここにあり」で
発明家のキュベレイ博士が言ったが至言に思う。
今どれだけのヲタがガレージキットを作れるだろうか。
造れたから偉い訳では無い。
ただ待って金を出せば高い技術の塗装や
マイナーなアイテムも手に入ってしまう昨今では
模型の技術を身につけようとする第一歩の機会や
まるで子供のように模型誌や見本に羨望の眼差しを注ぐ
熱さを失っているのだ!!
偉そうな事を言う俺も例外では無い。
例えを変えればガンプラである。
今のガンプラはそのまま作るだけでキレイに出来てしまうので
そのままで満足してしまうのだが
ガンプラブームを直撃してる人々は
その出来の足りなさを改造や塗装で補うのは当然だったし
それに応えるようにメーカーも技術を上げていくと言う
切磋琢磨の結果が現在の日本の高い模型技術の礎だったのだろう。
だが今は高くなりすぎた技術は供給するばかりで
受けてが衰退していくバブルに似た状況に陥ってないだろうか。
では将来模型を造る側の人間はいなくなるのかと言えば
答えがほぼ確実にNOだろう。
「損をしてもオリジナルになりたいバカが消える事はない!」
(島本和彦、作 ガレキの翔)
しかして安易な購入は手を動かさないヲタを
増やす事に繋がるのではないか?
同じ懸念を違うジャンルで感じた事がある。
それは漫研だ!
漫研もコミュニティを形成しがちな女子ばかりになり
男子がいても買い、読み専門になりがちなのも
あらゆる願望を現在のマンガ、ゲーム、同人が補えるので
自分で作業する必要は無くなっているのだ!
手を動かすのが早いのは女子。
男子は並びや限定にいそしむ為の
フットワークが鍛えられてると言うのが昨今であろうか。
願わくば俺はバカの側でありたい。
あ、ちなみに気になったフィギュアは必死こいて調べて
水兵さき氏のwebコミック「ネコミコたま」だったらしい。
太めの肉感の熱血造形がアツイぜ!