平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

日ハム・日本一への快進撃に想う黄金時代の持続の難しさ。

2006年10月31日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

日ハム、ついに、日本一を勝ち取りましたね。
44年ぶりの・・・。
まずは、地盤沈下が囁かれること著しかった「パ・リーグ」の4年連続日本一・・・ということで、おめでとうと言いたいですね(笑)。
もっとも、私としましては、52年間、日本一になっていない中日を、どちらかといえば心情的応援していたんですけどね。

ここで、中日の敗因分析などをやると、また、お叱りを蒙りそうなのでやりませんが、ただ、落合監督というのは、非常に優秀な監督だと思いますよ。
特に、このご時世に、補強に頼らないということを打ち出している点で、出色の監督だと思います。
何だか、悲運の名将、西本幸雄さんに似てきたような気もしますけどね(笑)。


(↑福岡ドームでの日ハム戦のヒトコマです。今のカメラはこうなってるんですね・・・。撮ったら、すぐにパソコンに一覧で画像が映し出されるという・・・。確か、その場から、東京札幌などの本社に、すぐに転送出来るんですよね。)

で、中日のことは置くとして、プレーオフから日本シリーズ快進撃を続けてきた日ハムですが、そのあまりの順調さに、「まるで、去年のロッテを見ているようだ」という声も聞かれるようですが、この点では、私はむしろ、1999年のダイエーを見るような気がしています。
この年のダイエーは、シーズンオフに、エース工藤が抜けたことで、「もう、ダイエーの優勝はない」と言われたのに、しっかり、翌年優勝し、2003年には再び日本一にも輝きましたからね。
当分は、ダイエーの黄金時代が続くと思いましたよ。
皆、選手はまだまだ、若かったし・・・。

ただ、やはり、黄金時代というのは、長く続かないようで、ここ3年、プレーオフが導入されて以来、優勝から遠ざかっており、特に今年は明らかに力が落ちてきていたように思います。
まあ、それも当然と言えば当然の話であって、2003年のメンバーから、村松、井口、小久保、城島、バルデス・・・と抜けたわけですから・・・。

で、それはさておき、以前、平太郎独白録 「祝!ホークス第二ステージ進出にみる投手陣への苦言。」の中で、1992年阪神のことについて触れたと思うのですが、そのとき、その年のことを調べていて思ったことがあります。
この1992年、阪神は惜しくも優勝を逃しながらも、大健闘の2位だったのですが、その前に優勝したのは1985年バース、掛布、岡田、真弓という強力打線日本一になったときなんですよ。
つまり、、わずか7年前なんですね。
ところが、この1992年、そのときのメンバーは殆ど残ってないんです。
チーム構成もながら、顔ぶれも、「まるで違うチーム」だったんですよ。
思い起こせば、上田監督阪急黄金時代も、その後、数年して、同監督で優勝したときは、「まるで別のチーム」でしたね。

つまり、当たり前の話でしょうが、今、28歳で全盛期の選手でも、5年経ったら33歳でぼちぼち、引退か・・・ってことになってくるわけで、やはり、黄金時代を持続させるということが、如何に難しいか・・・ということなんでしょうね。
もっとも、今年の日ハムのように、「優勝すると人件費が上がり、主力選手放出しないと、他の選手に金が払えない」という、一種のデフレスパイラルと言うか、それにしても、ヒルマン、新庄、小笠原、岡島と、日本シリーズが終わったら、ここまで解体されるチームというのも珍しいですけどね・・・。

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バルトの楽園その7 脱亜入欧しきれなかった日本。

2006年10月30日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

こちらは、先般から取り上げております、第一大戦中現職ドイツ海軍大臣博多で殺され、俘虜として収容されていた夫が自死した、博多版バルトの楽園、「ザルデルン夫人殺害事件」があった住吉・簑島側から、対岸の旧柳橋遊郭方向を見たものです。
ちなみに、左に写っている木造三階建ての建物は、決して、遊郭などではなく、博多では有名な高級料亭三光園です。
ちなみに、私も一度だけ行ったことがあります。
(参照:平太郎独白録 「バルトの楽園が福岡ではザルデルン夫妻の悲話・前編。」及び、平太郎独白録 「バルトの楽園が福岡ではザルデルン夫妻の悲話・後編。」

で、先日から申しておりますとおり、先般、「板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜」という本を読んだのですが、同時期に、塩野七生女史の「ローマ人の物語XIV キリストの勝利 」も読んでおりました。
これは、特に意味のあることではないのですが、昔と違い、なかなか、読書にいそしむ時間がない身としては、寸暇を惜しまねばならず、となれば、至る所へ、本を置いておかねば成らず、車の中、カバンの中は言うに及ばず、私が入る可能性があるあらゆるトイレにも置いてあります。
つまり、はええ話が、こっちのトイレかあっちのトイレかという違い・・・ということですね(笑)。

で、以前から感じていたことなのですが、この二つの本を読んで、改めて、思ったことがあります。
明治期、日本は脱亜入欧を宣し、近代化への道を歩み出したのでしょうが、そのとき、アジアを出て欧米に入る・・・と言ったのであれば、その為には、欧米文明の基礎知識となっている、「ギリシャ・ローマ文明」「聖書」くらいは、最低限、知識として、広く識っておかなければならなかったのではないか・・・ということです。

にも関わらず、日本人は技術的な物、制度的な物を取り入れることばかりに汲々とし、本質のところで、欧米人と価値観を共有することはできなかったと言え、それが、第一次大戦後講和会議で、「サイレント・パートナー」などという蔑称を頂戴する遠因になったと思われますが、この点で、この第一次大戦によって、当時、日本に俘虜として抑留されていたドイツ人たちに対する日本人との比較が、その辺を解き明かしてくれるかも知れません。

同著曰く、最初の国際条約であるハーグ条約を読み解くと、「ああ、ヨーロッパ人同士の戦争を想定しているな」ということがわかるそうで、それを端的に表している部分として、「宣誓解放」という制度があるそうです。
即ち、ドイツ兵俘虜が、「私はに誓って、このたびの戦争に二度と参加いたしません」と誓うと、その俘虜は解放されるのだとか・・・。
国内法制定されていれることが前提だそうですが・・・。)
実際、大正時代に、俘虜情報局というところが発行したドイツ人俘虜名簿には、ところどころ、線が引っばってゴム印が押してある部分があるそうです。
それが即ち、「宣誓解放」で解放された者の名前だとか・・・。
でも、これは、現代でも日本人には、なかなか、なじめない制度ではないでしょうか?
「こんな誓いで解放して良いの?」、「本当に守るの?」、「どれほどの拘束力をもつの?」・・・、ていうか、「そもそも、日本人は何に対して宣誓すればいいの?」・・・と。

つまり、この条約は「明らかにキリスト教徒同士、つまり欧米諸国間の戦争を前提とした条約である」・・・ということになるわけです。
なるほど・・・と。
この一事だけを採っても、日本人は、スーツを着て、ネクタイを締めて、脱亜入欧を宣したものの、根本的なところでは決定的に異邦人であったと言えるでしょう。

この点で、同著は、「日本では、裁判の場合の証言でさえ、ちゃんと誓っているはずなのに例の有名な『記憶にございません』という返答になるわけですから、(日本人の場合の)宣誓は (欧米人のそれとは)まったく違った意味を持つのだろう」と結んでおられました。
「例の・・・」という辺り、どうやら、ロッキード事件当時に書かれた論文だったようです。

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アメリカの国益にみる東アジアでの分割統治策。

2006年10月28日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

上の画像は、柱状節理「造反有理」・・・ではありませんよ。念の為(笑)。)の奇観「七ツ釜」です。
一昨日は、波が荒かったですねぇ・・・。

先日、平太郎独白録 「米中新冷戦時代到来に対する日韓両政府の難しい対応。」で、日中、日韓、日露、米露近国でも、日米、米中、米韓、露印遠国であり、「遠交近攻」外交原理に照らしてみたならば、米中は、本来ならば、今すぐ、目くじらを立てないでもいい相手であると。
で、「それが、反目しようとしている・・・。これ即ち、両国・・・特に中国側の内部事情がそれを許さなくなってきているということだ。」と申し上げたと思いますが、今回は、その続きです。

遠交近攻の外交原理では、そういう組み合わせとなっておりますが、もうひとつ、欧米には、古代ローマ帝国以来の分割統治策という概念があります。
読んで字の如く、他民族を支配する場合に、分割して統治するという意味です。
そして、それは、実に驚くほど、機能します。
イギリスが、欧州大陸において、フランスドイツの対立を煽り、インドを支配する際にイスラム教徒ヒンズー教徒の対立を煽り、パレスチナを支配するに当たっては、ユダヤ人アラブ人の双方にいいことを言った・・・というのが、その好例でしょう。
その結果が、今日の混乱の原因を作り出しているわけですが・・・。

ちなみに、この分割統治策は、驚くほどに巧妙で、民族同士の対立軸に限らず、オランダインドネシア支配や、フランスベトナム支配で実際に地元民支配したのは、彼らに「雇われた中国人」であったわけですし、インドでの統治にはネパール人を使ったわけです。
つまり、搾取の恨みは、直接、白人に返らずに、それらの「代官」に向けられるわけですね。
他にも、同様の例は、ミャンマーでのビルマ族支配の為のカレン族ルワンダでのフツ族支配の為のツチ族などにも見られます。
悲惨な内戦で記憶に新しいユーゴスラビア紛争も、ルワンダでの大虐殺も、上述したパレスチナ紛争も、インド・パキスタンの紛争も、全部、元を辿れば、欧米列強の植民地支配の延長線上にあるわけです。

で、それはさておき、遠国が、その地域を支配するにおいては、その地域に並び立つ二つの民族、国家があった方がいいわけで、その公式をアジアに当てはめたならば、かつて、日本が強大になってきたときには、中国支援し日本を敗戦に追い込んだわけですが、今や、それが、今度は中国強大になろうとしているわけですよね。
とすれば、アメリカとすれば、米中が仲良くするという選択肢はないと仮定したならば、日本というのは、台湾と同じくらいに大事な支援国になるわけですよね。
とすれば、近隣諸国に限らず、遠国であるアメリカとしても、日中が仲良くすることは望んでないといえるわけで、「遠交近攻」「分割統治」・・・それに、先般、平太郎独白録 「脱亜入欧ならぬ、脱亜入「オ」の合従連衡論。」の中で申し上げました「合従連衡」といった、どれをとっても、日中が仲良くすることは国家原理としては基本的に有り得ないという結論に繋がるわけで・・・。

となれば、逆に言えば、これら外交原理、もっと、平たく言えば、「周辺諸国の思惑」というものを、為政者の方々は、頭の片隅に絶えず置いておくべきではないかと思います。

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元寇に見る北条時宗の決断の是非!

2006年10月27日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

以前、平太郎独白録 「アジアには王様が必要!」の中で、元寇のときの北条時宗の決断について述べたと思いますが、私はその決断自体は誤りだったと思います。
世界帝国と言うものの本当の恐ろしさは、その物量ではなく、継続性に有ると思うからです。
戦力二乗の法則と言うものがあります。
小国が大国に二度三度大勝しても損耗するのは小国の方であり、それを繰り返すうちに小国は滅亡するというものです。

ただ、私も、モンゴル帝国・・・、つまり、「元」があのまま日本に上陸できたとしても、そのまま、日本を征服できたとは考えにくく、仮に征服したとしてもそれを維持することは到底、無理だったと思います。
しかし、戦争と言うことになれば、その被害は計り知れず、それを考えると、友好関係を樹立することは、必ずしも、不可能ではなかったと思います。
その根拠は、日本は日本人が思っているほど、重要視されていなかったことです。
モンゴルの主目標は、日本に使節を寄越した時点では、中国南部に未だ割拠する漢民族の王朝「宋」であり、使節を寄越したのも、その包囲策の一環だったといいます。

そこで、問題となってくるのが、時宗はモンゴル帝国というものについて、どの程度、知った上であの決断を下したか?ということです。
つまり、一番の問題点は、主な情報源を宋からの亡命僧たちにのみに頼ったということです。
これこそが、今も昔も、情報チャンネルは複数持つ必要があるということの好例ではないでしょうか?

時宗は、まずモンゴルの申し出を受ける。
それでいて、実質的なものは何も渡さない。
使節を送る。
彼等にモンゴルと言うものの視察を命じる。
朝鮮現状把握させる。
その後、出兵要請などが来たら何だかんだ言っておいて、最後通牒がきたら、その時点で手切れとする。

この選択でよかったのではないでしょうか?
おそらく、当時は、このやりとりだけで、かなりの日数がかかったんでしょうから・・・。
時宗がまずやるべきことは、時を稼ぐこと。
そして、その間に、出来る限りの情報を集めることだったと思います。
何より、使節と言う絶好の情報収集方法があったわけですから・・・。

ただ、彼がもし、正解不正解はともかくとして、屈服外交を展開したら、たちどころに、執権どころか、北条家自体が凋落の一途を辿ったでしょう。
(こう考えると、ペリー来航以降、江戸幕府が急速に不平分子跋扈を許し、坂を転げ落ちた、「あの」時代の空気がわかるように思えます。つまり、今の北朝鮮同様、軍事政権は武威という心理的なもので成り立っているということです。内弁慶じゃ通用しないということですね。)
結局は時宗には、あの選択しかなかったのかもしれませんが、その意味で、彼の視野には、北条家はあっても、日本国はなかったとも言えるのかもしれません。
もっとも、これも、当時の日本人の感覚からすれば、日本と言う概念自体がなかったわけですから、やむを得なかったとは思いますが・・・。

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中日ナインにみる、「苦しいときほど声を出せ!」の原理。

2006年10月26日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

ここはどこかおわかりになられますか?
そう、中華街です。
中華街というと、横浜が真っ先に頭に浮かぶのでしょうが、実は九州にもあります。
日本三大中華街のひとつ、長崎の中華街です。
先日、秋田人と行ってきました。

ところで、日本シリーズ、とうとう、日ハム王手ですね。
まだまだ、中日も慌てる必要はないのでしょうが、プレーオフのときも札幌で決めてしまいましたから、今日で決まる可能性は十分あるでしょう。
どちらかと言えば、44年ぶりの日ハムよりは、52年ぶりの中日を応援してたんですけどね・・・(笑)。
中日と日ハムの戦力比較では、両軍とも、似たような構成なんですよね。
ところが、たったひとつ、日ハムにあって、中日に見えてこない物がある・・・。
おそらく、戦力的にはまったくの五分と五分・・・。
であれば、わずかに、何かの部分で勝った方に均衡は傾く・・・。
それが、新庄剛志・・・、「SHINJO」の存在です。

中日には、ああいうお祭り男というか、チーム内を「カーッ」と燃え上がらせる選手が見あたらない。
皆、大人しい印象があるのです。
実際にはしりませんよ。
しかし、少なくとも、テレビの画面には見えてこないのです。

かつての、長島さんであるとか、中畑清、石毛宏典さんなどのような、あいつが打ったらチームが沸く!・・・みたいな人が見えてこないのです。
かつて、西郷盛が、「理想の総司令官」について聞かれたとき、「地味で堅実な人より、派手でイケイケの人の方が、戦場では兵の士気が上がるようだ」と答えたことがあると言います。

その意味では、中日の選手たちに、是非、耳を傾けて欲しいことがあります。
それ即ち、「苦しいときほど声を出せ!」です。
これは私自身の経験でもあるのですが、野球選手に限らず、調子が悪くなったり、負けがこんで来出すと、声が小さくなってくる。
声が小さくなってくると、暗くなる。
暗くなると、萎縮してしまう・・・。
萎縮すると、勝てるものまで勝てなくなる・・・。

つまり、リーダーは、嘘でも良いから、苦しいときほど声を出さないといけないんです。
中日ナイン・・・、誰か、本音を隠してでも、チーム内で脳天気なことやらないといけないんですけどね・・・。

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貧乏性で浪費癖が郵便物で占う企業の柔軟性。

2006年10月25日 | 社会全般
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実は、先日来、秋田人が来ておりましたので、佐賀・長崎の、肥前路の旅に出ておりました。
(↑九十九島に沈む夕陽です。)

まだ、かなり、くたくたで、脳みそも回転していないのに、さぼっていたツケが見事に出て、業務多忙でパニくってます(笑)。
ということで、本日は、簡単なお題でごまかします。

私のところには、毎日、色々な情報物が届きます。
郵便物だったり、宅急便だったり、メールだったり、ファックスだったり・・・。
(無論、ただの広告も多いのですが。)
で、あるとき、よく知った取引先から、私宛と家人宛に、それぞれ、別の封筒で二通、請求書が送られてきました。
で、例によって、「浪費癖なのに貧乏性」の私としては、こういう無駄が気になるわけで・・・。
(これは、双子座の特徴だそうです。あまりにも当たっているのに苦笑・・・(笑)。)
で、何かの折に、先方に、「同じ住所なんだから、今度から一つの封筒でいいよ。勿体ないから。」ということを申し上げました。
たかが、郵便切手一枚、80円の問題であるのでしょうが・・・。

それらの中で、最近、感心するのが、業務報告書などを送付してくるのに、件数が少ないときは葉書で、件数が複数になるときは、一つの封筒でまとめて送ってくる会社があることです。
また、別の会社は、「ひとつにまとめて、送って良いですか?」と聞いてきたところもあります。
両方とも、誰でも知っているような大きな会社です。
この点では、得てして、中小企業の方が対応が役所的な感じがします。
一つには、大企業の場合、たとえば、インターネット閲覧などにして切手代80円を浮かした場合、何せ、量が多いので、グロスではもの凄い金額になって返ってくる・・・ということがあるでしょう。

福岡に西鉄という私鉄がありますが、20年ほど前からでしょうか、この会社のバスは、信号停止した場合、エンジンを切るようにしています。
そして、青信号に変わったら、また、エンジンを掛ける。
(おそらく、どこの私鉄でもやってるとは思いますが・・・。)
たったこれだけのことで、環境問題はもとより、経費的にも、年間、数千万円の節約になるとか・・・。
(なんせ、昔の話ですから、額はアテになりませんよ。あるいは、数百万円の間違いだったかも知れませんし。とにかく、当時、私が聞いて、桁違いの額だったことだけは間違い有りません。)

逆に中小企業では、80円切手を節約しろ!と言ったところで、トータルで10通しか送らないのであれば、800円の節約にしかなりません。
「じゃあ、目くじら立てるだけ、損じゃない!」ということになるのでしょうが、しかし、やはり、貧乏性で浪費癖の私的には、それでも、節約できるところは節約するべきだと思うのです。

なぜなら、大企業の場合、いくらコンピューター化が進んだとは言え、仮に、誰と誰が同じ住所で・・・とまではわかったとしても、そこに、どういう事情があるかわからないわけですし、迂闊に80円節約したばっかりにとんでもないクレームが来たなどということになったら、割に合わないわけですよね。
その点、中小企業は、封筒詰めする場合にも、ちょっとした気配りだけで、節約が可能なんですよ。

要は、機転と、モチベーションの問題だと思います。
この点で、中小企業、それも、名門企業などでは、往々にして、一部の人が特権階級化しているようなことが多く、こんな封筒詰めするような現場は、しらけきっていることが多いのが実情であり、それが問題なんだと思いますけどね。

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カッコウの託卵

2006年10月24日 | 思想・哲学
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「かっこうのたくらん」・・・。
学校のたくらみ、鬼の霍乱の間違いなどではなく、アタマが錯乱したわけでもありません(笑)。
「カッコウの託卵」です。
子供の鳥辞典で調べたら、こう書いてありました次第です(笑)。


ご存じかと思いますが、カッコウという鳥の一部には、自分で雛を育てるということをせず、「託卵」という方法で雛を育てるものがいるそうです。
一度、テレビで見たことがあるのですが、他の鳥のに狙いを付けるや、(親鳥が出かけたのを見計らい、)その巣の中に入り込み、その鳥の卵の傍らに自分の卵を産み付けます。
そればかりではなく、何と!孵化したカッコウの雛は、驚くことに、その家の本来の主である、その鳥の子供達を、片っ端からから追い落としてしてしまい、親鳥が運んでくるエサを独り占めにしてしまいます。
やがて、雛は成長し、自分とは、はっきりと似ても似つかぬ形となっても、親鳥はせっせとエサを運び続ける。
自分よりはるかに巨大になり、どこから見てもカッコウそのものになっても、なおもせっせとエサを運び続ける。
そして、完全に成長したカッコウは、「もう結構」とばかり一声鳴くと、もの凄い羽音と共に大空へ飛び去っていく・・・。
後に残された親鳥は、茫然として誰もいなくなった巣の中で独り立ちつくす・・・。

鳥に表情があるはずもないのですが、他の雛が巣から追い落とされるときも、明らかに戸惑ったような哀しい表情に見えたし、最後もこちらに先入観があるからでしょうか、茫然としているような表情に見えました。
少しばかり客観的に見たならば、何とも間抜けな話ですよね。
当然、この番組のゲストからも、「(カッコウの雛が他の雛を追い落としているのを)親鳥はたしなめないのか?」という質問が出てましたが、それに対して識者の答えは、「親鳥は、我が子のすることには何も言わない。無条件で容認するのです。」というものでした。
私自身、世の親ばかというものから、何度か被害を受けたことがあります。
他の友人も、本人でさえも、自分が悪いということを言っているのに、そこの親だけが、「友達が悪い。」とか、客観的に見れば、どうにも理解できないことが、「親」というフィルターを通せば、見えなくなるのでしょう。
最近、うちの家内などを見ていると、親(特に女親・・・。)とは、鳥も人間も大差ないのでは?と思えることが少なくないようにも感じられます。

以前、歌手で俳優の清水健太郎氏が覚醒剤で逮捕されたとき、収監された清水に対し、上京してきた父は、「おまえの保釈申請は取り消したから。完全に治ってから出て来い。」と言ったそうです。
その話を聞いていた女性ゲストは、「これは、やはり、男親だから出来ることですよ。女親だと、もう、理屈抜きに、どんなことをしてでも出してやりたい!と思いますから。」と言ってました。
どんな行為でも、どんな出来の悪い子供でも、我が身に替えても容認してくれるのが、男親と違う、有り難い母の愛なのでしょうが、もし、それが、産婦人科で取り違えられた子だったとしたら・・・。
まるで、横溝正史推理小説の題材になりそうな、あまり気色のいい話ではないでしょうが、実際に、世の中の母親を見ていると、「そんなに親ばかやってるけど、本当に貴女の子・・・?」と思わなくもありません(笑)。・・・失礼!

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宇喜多直家の成長戦略

2006年10月23日 | 歴史的教訓
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織田信長武田信玄、上杉謙信ら群雄が割拠した戦国時代、今日の岡山県一帯に盤踞した戦国武将に宇喜多直家という人物が居ます。
といっても、意外に知られていない人物で、むしろ、豊臣家五大老の一人にまでなった息子の宇喜多秀家の方が知られているのかも知れません。
が、備前から、備中、美作の一部まで、ほぼ、今日の岡山県に相当する版図を、一代で切り取ったほどの武将です。

直家は、享禄2年(1529年)の生まれと言いますから、上杉謙信より1歳、織田信長より5歳の年長になります。
が、宇喜多家は、元々、名門であったものの、直家6歳の時、祖父暗殺されたことから一気に没落し、直家は流浪少年時代を送らねばならなかったといいます。
その後、成長した直家は、宇喜多家復興の為に、政略、謀略をもって頭角を現すと、備前国に勢力を持っていた浦上宗景に仕え、次第に備前に勢力を伸ばしていきます。

宇喜多直家という人物の知名度が低いのは、まず、華麗な軍略、合戦絵巻がないことでしょう。
彼は、まず、祖父を暗殺し、宇喜多家没落の発端となった島村盛実を暗殺したのを手始めに、舅である中山信正や龍口城主穝所元常を殺害。
その後も、三村家親、金光宗高などを暗殺し、その所領を自己のものとするなど勢力拡大に勤め、、浦上家中でも、並び立つ者無き実力者となった。
次に、安芸(広島県)を中心に中国地方一円を支配する大大名、毛利輝元の勢力と浦上家が対立するようになると、今度は一転、毛利と結び、その力を背景に主家・浦上家を滅ぼし、これによって、備前一国と備中、美作、播磨の一部を領有する戦国大名に成長。
さらに、今度は毛利輝元と中央で勃興した織田信長の対立が尖鋭化し、次第に毛利家の旗色が悪くなってくると、これまた一転、織田家の部将、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の勧誘に応じ、毛利家を裏切り、積極的に毛利方へ攻撃を仕掛けます。

この点で、この男の成長戦略というものは、割とはっきりしたものであったといえるでしょう。
それは、一言で言うならば、「より強い奴と組んで強い奴を制する」というものだったと・・・。
この男の凄いところは、その「明確な戦略」を、「明快に実行」に移してきたところにあると思います。
つまり、その為には、決して、手段を選ばなかった。
身内・親戚・恩人・主君・・・、何ら躊躇うことなく、毒殺、謀殺ばかりで今日を成し、戦いらしい戦いは殆どしなかったとさえ言われています。
直家と生涯、行動を共にした実弟でさえも、直家の前に出るときは、暗殺を用心して、鎖帷子(くさりかたびら)を着用していたとさえ言われています。
曰く、「兄、直家は恐ろしい人であった」と。

そして、この男は、この成長戦略を自ら信仰のように信じぬいたわけですが、実際、毛利家は織田家の攻勢の前に風前の灯火であり、また、毛利の所領を手に入れた後に打倒すべき対象であった織田信長も、家臣、明智光秀のクーデターにより、業火の中に滅んでいるわけですから、何だか、本当に最終目標にまで到達することが可能であったようにも思えてきます。
しかし、現実には、直家の天下は来なかった・・・。
それはなぜか。

直家自身が、毛利と織田の抗争が激しさを増しつつあった天正10年(1582年)、死去していたからです。
実際には、その数ヶ月前に死去していたと言いますが、直家存命ならまだしも、後に残されたのは、9歳の一人息子・秀家であり、それに何より、もう、この頃になると、宇喜多家は織田家の中国戦略や、その後継者・羽柴秀吉の天下統一路線の中に組み込まれてしまっており、それ以上の成長は無理だったでしょう。
むしろ、ここまでで終わったと言うところが、所詮、直家の戦略の限界だったのかも知れません。

あ、全然関係ないですが、徳川家の今の当主の方が以前、言っておられた話を思い出しました。
その方が、サラリーマン時代、同僚に加賀前田家の前田君がいたそうで、ある課長から、ある日、二人揃って怒られたことがあったそうです。
で、二人曰く、「こら!前田!徳川!って、怒鳴ったのは、多分、秀吉以来だよな」と・・・(笑)。
いえ、信長以来だと思います(爆!)。

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小笠原獲得にみる競争こそが巨人の活力!

2006年10月21日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

ついに、日本シリーズ始まりますね。
44年ぶりにして、北海道に初の日ハム日本一か、52年ぶりにして、球団創設70周年での中日日本一か・・・。
どちらも、たぶん、二度目の日本一かと思いますが、共に凄い数字ですね(笑)。
どちらにも、勝って欲しいものです。


こんなときに、なんなんですが、これ、何だかわかりますか?

そう!プレーオフ第二ステージ・第三戦チケットです!
幻の逸品・・・になってしまいましたけどね(泣)。
でも、将来、プレミアが付くかな・・・と(笑)。

ところで、日ハムと言えば、これを言うと、また、叱られそうですが、巨人は、小久保が出て行くってことで日ハムの小笠原道大選手の獲得に動くそうですね。
まあ、それはいいんですよ。
それが、巨人のカラーなんですから。
巨人というチームは、そうやって、チーム内で激しい競争をさせることにより、活力を得てきたチームなんですよね。

以前、広岡達郎さんが言ってましたけど、「私が新人王獲った後、これで、実績も出来たし、少し、ゆっくりできるかな・・・と思っていたら、巨人は、これでもか!というくらい、有望な遊撃手を獲得してきた」と。
そういえば、打者だけ、挙げてみたところでも、高倉、富田、張本、加藤英、有田、そして、記憶に新しい所では、広沢、石井、江藤、清原・・・、外人では、マルティネス、ペタジーニ、ローズ・・・。
そして、今(?)の小久保

ただ、一点だけ、昔と今とで大きく違う所があると思うとです。
それは、彼ら移籍選手は、所詮、咬ませ犬だったということ。
つまり、いくら、有田修三が実力を発揮しようとも、絶対に、生え抜きの山倉メインの捕手であり続けましたよね。
つまり、あくまで、生え抜き優先だったということ。

当時は、私は巨人のこの気位の高さ嫌いだったのですが、今にしても思うと、やはり、これはこれで、必要悪だったのかな・・・と。
それが今は、咬ませ犬が試合に出て、これから伸びる若手が試合に出られない・・・。
まあ、現時点での実力という点で及ばないのでしょうが、サンだって、新人時代は、まるで打てなかったのに、当時の水原監督が辛抱して使い続けたという話があるわけですから・・・。

巨人ファンの友人(東京生まれ東京育ち。多摩だけど(笑)。)も言ってましたけど、「今の巨人は、若手・・・っていうから、いくつかな?と思って、みてみたら、30歳だったりする。全然、若手じゃねーじゃねぇか!」と。

ま、巨人のことだし。
ま、いっか。

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教員免許更新制導入論議に対する教育の是非。

2006年10月20日 | 教育
親愛なるアッティクスへ

ここ最近、鬱々として楽しまざる事がありましたので、思い切って、「自分にご褒美」みたいな感じで、結構な昼飯を食いに行きました(笑)。
おかげで、今日はそこら辺の弁当か何かで我慢・・・です。

ところで、安倍政権は、首相の私的諮問機関「教育再生会議」の設置を決定しておりましたが、先日、そのメンバーが決まったというニュースを耳にしました。
まあ、はっきり言って、顔ぶれになどは興味がないのですが、主に、学習指導要領の見直し、教員免許の更新制度、学校・教員の部外評価制度、全国的な学力調査の実施、学校選択制、大学入学時期の見直しと社会奉仕活動の義務づけ、教育バウチャー(利用券)制度などが、議論されると聞いております。

元々、教育という点では、私の考えは、平太郎独白録 「学年不要論」や、平太郎独白録 「学問とは志であり、学校制度は日本にはなじまない。」などで述べたとおりですが、いずれにしても、少しでもいい方向に進んでくれればと思っております。
ただ、これら教育再生会議の討議事項の中で、一点だけ、「ん?」と思ったのが、「教員免許の更新制度」でした。

先般より、姉歯建築士の構造計算偽造に端を発し、世間を騒がせた「耐震偽造」問題以来、一級建築士などにも免許の更新制度が導入されるそうですが、まあ、こういった建築士などを始め、日々、新しい技術が出てきている業界は、まあ、こういう更新制度というものもありなのかな・・・とは思います。

その意味では、真っ先に、更新制度導入の対象になってもおかしくないと思われるのが医師免許でしょう。
しかし、今、医師不足は深刻な問題となってきており、現段階で医師免許にも更新制度を導入することは、決して、現実的だとはいえないと思います。
まあ、だからこそ、医療制度改革というものが、なかなか、進まない一因になっているのでしょうが。

で、思うのが、古代ローマ共和制から帝政へと移行する道を拓いた、英雄、ユリウス=カエサルですが、彼は自らが権力を握ると、元老院議員の議席を増やし、征服したばかりの属州の族長などを元老院議員に登用するなどの様々な、改革に取り組みましたが、その中の一つに、「医師教師には、無条件でローマ市民権を与える」・・・というものがありました。
つまり、「医師と教師」というのは、時代は変わっても、国家にとっては、それほどまでして、量を確保しなければならない存在・・・ということなのではないでしょうか?

となれば、更新制度を導入するという点では、教員もまた、一考を要するのではないかと思った次第です。
大学のような、最先端の知識が求められるところは別としても、指導教材の変更で十分に対応出来る小中高などの教員免許も更新制度を設けるのでしょうか?
もし、これが導入されれば、まあ、更新のレベルにもよるのでしょうが、実際に、いじめ校内暴力などの学業以外のことに対処しなければならない教員に対し、もの凄い負担になりますよね。
実際には、教員は順番待ち・・・というくらい、数が多いといいますから、いきなり、医師免許と同じように考える必要はないとは思いますが、将来的に見て、「量の確保」という点では如何なものかと思った次第です・・・。

ちなみに、うちの子供が通っている市立小学校へは、私は殆ど行ったことが・・・、ていうか、行かせてもらったことがないのですが、なぜかというと、妻曰く、私が行くと、すぐにケンカになる・・・からだそうです。
以前、一度、ちらっと話を聞いたときには、厳しく叱る先生が、一度、担任を外れた後に、また、戻ってくるということになったときに、父兄の中には、「あの先生には戻ってきて欲しくない。子供が学校に行きたくないと言い出した」といって、反対した人がいたそうです。
私的には、子供が悪いことして、先生が叱るのは当たり前のことだと思います。
私だって、そりゃあ、毎日のように先生から・・・、あ、いえ、何でもないです(笑)。

問題は、価値観の相違だと思うんですよ。
つまり、そういう、「うちの子に手を挙げるなんて!」って親は、そういう価値観を持った人ばかりの学校に行かせるべきだと思うんです。
今のように、日本人全体の価値観が多様化してきた時代に、一律に住民票でその区域の公立学校に行かせるから、とかく、問題が起きる。
もっと、柔軟に、「こちらではあわないみたいだから、こっちに行かせますね」くらいのことがあっていいと思うんですよ。

ていうか、イマイチ、言いたいことがまとまりませんでした。
やっぱり、モチベーションが上がらないもんで・・・。

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逃げた女房と「勝っても負けても」にみる支持の岩盤。

2006年10月19日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

最近、ホークスファンからはホークス批判していると言われ、阪神ファンには阪神侮辱したと言われ(ナイターとビールとちゃぶ台  昭和男の独り言 「中身を見ずして器を見る野球ファンにお遊戯が嫌い的見方・後編。」参照)、おまけに、イスラム教徒からまでイスラム教侮辱したと言われました・・・。

決して、侮辱などしてませんよ。
何でそんな話になるのか、マジ、頭抱えてます。


福岡ドームホームランが出たときに出る巨大ホークス人形です。)

今どきの野球ファンも、何だか、宗教みたいに思えてきましたね。
「選手(教祖)様のされることに注文などつけてはいけない」みたいな。

(上の画像は、普段は、こう(←)なっています。)

ということで、当然、モチベーション下がりっぱなしです。

と、思っていたら、先日、私の方が、少し、考えさせられる話が朝刊の片隅に載ってました。
そのコラムを担当した記者氏は、東京からの赴任者であるようで、曰く、
「週1回、ワイシャツを預ける近所のクリーニング店は、プロ野球ソフトバンクのファンである。ここでは珍しくもないのだろうが、店内に選手のサインや写真が飾られ、試合のある日は大声で呼ばないと、店頭に出てこない。」と。
(まあ、よくある光景です(笑)。)
で、問題はその後です。     
「東京から福岡に赴任して、当地のホークス人気に驚かされた。パ・リーグプレーオフ敗退にも、激励の声が目立ち、支持の岩盤が厚いような気がする。一方、球界の人気を誇ってきたジャイアンツは、試合中継の視聴率低下に直面している。チームの弱さもあるだろうが、「勝っても負けても」という層が意外に少なかったようだ。」と・・・。
なるほど・・・と。

私は、どのチームもこき下ろしていたつもりはなく、敢えて、問題点指摘してきたつもりだったのですが、ファンの方からは、先述したような「選手様のされることに・・・」という批判を受けました。
でも、この記者氏の話を聞くと、「激励の声が目立ち・・・」「勝っても負けても」・・・という点では、批判された方のご意見にも、もっともなものがあるように考えさせられました。

思えば、この点で、私には思い当たることがあります。
私が子供の頃、福岡には、西鉄ライオンズという球団がありました。
が、当時は、すでに、チームはかつての輝きはなく、球団はボロボロで、チームはまるで勝てない状態・・・。
で、あれほど、熱狂していた福岡のファンですが、掌を返したように誰も球場に足を運ばなくなりました。
その為、球団経営は一層、厳しくなり、結果、太平洋クラブライオンズから、クラウンライターライオンズを経て、現在の西武に買収され、福岡を去ったわけですが、ところが、去る・・・となったら、突然、自称ファンなる人たちが、山のように湧いてきて、「ライオンズを返せ」なんて歌まで出来る始末・・・。
まさしく、近鉄の終わりのときなど、デジャブを見ているような気がしましたよ。

「無くなると 聞いた途端に ファンになり」 平太

で、一度、自称横浜人の友人と、福岡ドームにダイエー対日ハム戦だったかを見に行ったことがあるのですが、そのとき、試合は、ダイエーが負けたのですが、帰途、その友人が、突然、、「何で、負けたのに、皆、淡々と帰ってるんだ!」と言いました。
「悔しくないのか?」と・・・。
で、その時の私の答え。
「おまえも、一度、女房に逃げられてみたら、有り難みがわかるよ。」と(笑)。
まあ、今となっては、ライオンズが福岡を去ったときのこと、福岡に球団がない時代のことを知っている人も少ないんでしょうけどね・・・。

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総力戦の三要素にみる日朝比較。

2006年10月18日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

福岡県地方は、先般の大型台風以来、雨らしい雨が降っておりません。
毎日、快晴が続いております。
秋晴れで、過ごしやすいと言えば過ごしやすいのですが・・・。

ところで、北朝鮮軍部中国に対し、追加の地下核実験を行う意向を通告したそうですね。
事実かどうかはわかりませんが、十分に有り得る・・・、いや、間違いなくある話だと思います。
北朝鮮にとって、圧力に負けると言うことは、有り得ない選択肢ですから。
安倍さんを見てたら、何だか、ブッシュさんみたいに見えてきました。
大丈夫なのかな・・・と。
で、もし、有事になった際のことですが、以前、ある著名な(だそうです)環境ジャーナリストの方と話をさせて頂いたことがあったのですが、そのとき、その方は「北朝鮮に関しては、それほど心配しなくていいんだ。アメリカミサイルを売りつけようとして、日本に対して危機感を煽っているだけなんだから。」ということを仰っておられました。
それに対して、私が言ったのは、「確かに、北朝鮮の陸上兵力大挙して襲来する可能性は低いでしょう。それだけの補給、兵站物資の供給がままならないでしょうから。ただ、陸上兵力の上陸だけが戦争ではないですよ。現代の戦争というのは、総力戦ですからね。」ということを申し上げました。

ここで、私が言いたかったのは、国家同士の総力戦を占う上で、重要な三つの要素に鑑みてのことです。
それ即ち、「天の時、地の利、人の和」です。
その論で行けば、天の時という意味では、向こうは経済的に、もう、完全に行き詰まっているわけですから、これはこちらに分があると思って良いでしょう。
それに対して、地の利という点ですが、その前に、太平洋戦争中、日本軍が採った戦術で、アメリカにとって一番脅威だったのは何かご存じでしょうか?
それは、戦艦大和でも、神風特攻隊でもなく、「風船爆弾」だったとか・・・。

つまり、風船の中に爆弾を入れて、空に浮かべれば、風船は黙っていてもプカプカと偏西風に運ばれて、アメリカ本土に着弾するのだそうです。
レーダーにも引っかからないし、風船ひとつ、一々、撃墜することも出来ず、つまり、それを迎撃することは、事実上、不可能であったとか。
もちろん、広大太平洋を挟んでのことですから、打ち上げたすべてが上手く着弾するというわけではないにしても、いくつかが着弾するだけでも、アメリカにとっては大変な脅威になったようです。
アメリカが恐れたのは、風船爆弾の爆発力被害量ではなく、この、ある日突然、どこから降ってくるかもわからない風船爆弾に対して、アメリカ国民パニックを起こすことだったと言います。
従って、アメリカ政府は徹底した箝口令を布き、どれほどの被害があろうとも、それを公表しなかったのだとか・・・。
で、そのうち、どれだけ、打ち上げても、まるで、アメリカから何も聞こえてこないことで効果に疑問を持った日本軍部は、この風船爆弾をやめてしまったと・・・。

ましてや、今回は、太平洋に比べれば、はるかに狭い日本海であり、中に入れるのも爆弾である必要もないわけです。
「細菌兵器」、「核のゴミ」等々・・・。
実際に、熊本県の山林では、一面の樹木が原因不明で枯れた場所に、正体不明の風船が引っかかっていた・・・という話も聞いております。(映像も見ました。)
さらに、北朝鮮の東海岸からは、板きれ一枚浮かべれば、黙っていても、北陸辺りに流れ着くと言われていることなどを考えると、やはり、地の利という点では、向こうにあると言っていいのではないでしょうか?

となれば、すべては、最後の「人の和」でしょうが、これはどっちもどっちのような・・・。
先日、新潟人が来ましたので、「今回の北朝鮮の件は(板きれ一枚で辿り着く先である新潟人としては)、やっぱ、怖いよな?」と聞いたところ、彼曰く、「万景峰号が来なくなったのに、新潟では、誰も怖いと思ってないところが怖い」と・・・。
まあ、確かに・・・。

韓国は、ちゃんと、緊迫感を持った防災訓練をやってますよね。
私は、あの映像を見て、「日本もやらないでいいのか!」って真剣に思いましたよ。
ある意味、日本より韓国の方が安全なのかも知れませんね。

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無神論者の日本人とイスラム教徒との7通の手紙。

2006年10月17日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

実は、私には、ネット上で知り合った後輩の日本人女性にイスラム教徒の方がいらっしゃるのですが、先日、「今、断食中だから、も飲めない。」と言われるのを聞いて、私、大変、驚きました。
夏場などは、日射病にならないように、きちんと水分を補給しなさい・・・ということを聞いていたからです。
実際、坂上次さんは、日頃から、あまり、水分取らない人だったから、脳梗塞で倒れたと聞きました。

でも、断食というのは、たまには良いらしいですね。
内蔵を休めるという意味で。
まあ、確かに、人間の体は、本来、四六時中、食い物にありつけるという前提にはなっていないわけですから、それも有りかなとは思います。
ただ、良く聞くと、断食って言っても、昼間だけの、正味、半日だけだそうで、まあ、それなら、納得できたのですが、それでも、上述したような理由から、「水だけは飲んだほうがいいのでは・・・。もともと、砂漠の中で生まれた宗教だから、日本のように、水が普通にある・・・という前提じゃないんでしょうから」と申し上げた所、他のマレーシア人イスラム教徒の方から、「そんなこと言わないでください。そうじゃないですから…」というコメントをいただきました。

私としては、両者の環境の違いを言いたかっただけなので、先週末に、「はあ・・・。メッカって砂漠じゃないんですか??行ったことないけど。 でも、中国ヨーロッパなどに来ると、不思議と普及しない宗教ですよね。スペインでも根付かなかったし。 何か、そういう気候的な物があるのかな・・・と思ってました。 あ、他意はないですよ。どうでもいいことですので。」という返事を返しいていたのですが、その後、月曜なってPCを開いてみると、以下のようなメッセージが来てました。
以下、私と彼のやりとりを開陳させて頂きます。

> メッカって確かに砂漠だねぇ~。僕だって行ったこと無いけど…
>でもさー、イスラムって砂漠の国でしかできない宗教じゃないと思うよ~。っていうか、砂漠とイスラムは関係ないと思う。たまたま、イスラムが発祥した地が砂漠だっただけで、砂漠だからイスラムが発祥したわけじゃない。まあ~、イスラムを知らない日本人には理解できないかもね~。残念だけど。でもさー、日本国外に行ったらさ、どこに行ってもさーイスラム教徒はいるじゃない?中国にも多くのイスラム教徒がいるって知ってた?実際には、ヨーロッパにも、たくさん
のイスラム教徒はいるんだよぉ。そういうイメージはないと思うけどね。
> へえ~、断食ってそういうとらえ方されてるんだぁ~。不思議だね~。なんで断食で教徒を死なせようとする宗教をたくさんの人々が信じてイスラム教徒になるわけ?
> なんで砂漠のある場所で断食している人たちは死なないのに、日本のような環境のいいところで断食して死ぬわけ?
> ねね~知ってる?大昔にイスラム教徒はこの地球の3分の1以上征服したって…それよりさ、ずっとその前にも断食中でも戦いに勝ったって知らないよね?
>
> 結論を言うと、断食というものは私たちを弱くするものではなくて、逆に精神的な面で強くする効果がある。それは歴史的な事実からわかる。
>
> それでも、現在のムスリム達はそんなふうになかなかできないが、断食の本当の意味を理解して、それぞれのベストを尽くしてる。
------------------------------

・・・と。
この段階で、はっきり言って、私は「???」でした。
まず、砂漠が不浄の物だという意識はないですし、断食を野蛮な物だとも言ってないからです。
水だけは飲んだ方が良いのでは?と言っただけで、なんで、「断食で教徒を死なせようとする宗教」になるのか???
それに、中国にもヨーロッパにもイスラム教徒がいるのはもちろん、知ってますが(中国では、東トルキスタン弾圧されてることも知ってます。)、でも、それって、不思議と内陸部が多いし、それに、グローバル化によって、人々が移住しただけの話で、イスラム教徒だけが世界中に広まったわけじゃないわけで・・・。

ただ、本当は、私は、一度、イスラム教徒の人と、本音の所を話をしてみたかったのですが、相手の日本語能力に疑問を持ちましたので、それは諦め、以下のように返信しました。
------------------------------
遅くなりました。

実は、私、以前から、貴方のような人たちと話をしてみたかったので、喜んで、拝見したのですが、正直、がっかりしました。
私は、英語がまったくできません。
従って、日本語で話すしかないのですが、貴方の日本語力は、正直、ちょっと、誤解を与えそうで、怖いのでやめます。

ただ、私は砂漠を悪い物だとはとらえておりません。
砂漠の中で生まれたから、下品な物で、海の中で生まれたから、高級な物だ・・・とはどこにも書いてませんよ。

断食についてもそうです。
・・・って、やはり、これ以上はやめます。
誤解を招くのが怖いので。
誰か、日本語がもう少し、わかる人に見てもらって下さい。

・・・わかりますかね?
------------------------------
・・・と。
以下は、それに対する向こうからの返事です。
------------------------------
> メール拝見しました。
>
> あなたの言っていることは理解できなくもありませんが、正直言って、あなたの日記のコメントは多くのムスリムをいやな気分にさせるものだったと思います。
> 僕の日本語が誤解を招くとおっしゃいましたが、僕にしてみればあなたの日本語も十分誤解を招くと思います。
>
> なぜなら、僕以外にもあの日記のコメントを読んで、嫌な気分になった人たちがいるからです。あなたは知らないと思いますが…ほかにも、あのコメントを読んだムスリムがいます。でも、あの場で討論しても、あまり意味がないと思ったのであえてコメントは控えているのだと思います。
> イスラムを知らない人には、理解できないことがあって当然だと思いますが、あなたが書いたようなことは多くのムスリムに不快感をあたえ、誤解されるものだと僕は判断しました。
>
> 僕は、あなたにイスラムについて語るつもりはありません。
> しかし、ああいうコメントはムスリムに誤解されるということをお伝えしたかったのです。
>
------------------------------
・・・私に言わせれば、誤解も何も、何だか、私がイスラム教徒の国に行っているかのような気がしてきました。
で、返信です。
------------------------------

了解しました。

では、少し語りましょう。
私は、当然ながら、イスラム教の教義であるとか、そういうものはしりませんし、興味もありません。
従って、そういうものを話すつもりもありませんし、言われてもわかりません。

で、まず、これは私も含めて、日本人の多くがそうだと思うのですが、イスラム教というのは仏教キリスト教ほどには、身近な宗教ではないということですね。
従って、「砂漠」・・・云々が、あなた方を不愉快にさせるとは考えたこともありませんでした。
ただ、こういう宗教に関する議論は、他の日本の新興宗教などでもそうですが、とかく、感情論になりがちです。
あなたをみてると、「ああ、こうやって、宗教戦争というのはうまれていくんだな」ということを実感します。

とかく、宗教のことになったら、あなたのような対応になりがちなんですが、もっと、冷静に話せませんか?
相手は、イスラム教のことを何もしらない人間なんですよ。
何も知らない人間に対し、神を侮辱した!とかいうから、戦争になるんです。
まず、何が自分たちにとっては一番大事なことなのか?を説明し、それでも、相手が無視するようなら、その段階で抗議するならわかります。
しかし、何の説明もしないで、いきなり、砂漠と言われたから、不愉快な思いをしたといわれても困ります。
あなた方は、今、他人の国に居るんですよ。

砂漠についても然り。
>断食で教徒を死なせようとする宗教

こんなこと、どこでも言ってません。
呆れて物が言えません。

私は、はっきりいって、イスラムの歴史にも、それなりに詳しいつもりですし、評価もしていました。
また、一般の日本人のように、イスラム教徒=テロリストなんていう、短絡的な考えは持っていませんでしたが、はっきり言って、これで、あなた方イスラム教徒が嫌いになりました。

いいですか。
あなた方は、他人の国に来ているのです。
私が、あなた方の国に行っているわけではありません。
これ以上、貴方と不毛な議論をするつもりはありませんので、もう、メールは送ってこないで下さい。
無意味だとわかりましたから。

最後に、以前から、あなた方、イスラム教徒の人と、一度、ゆっくり話したいことがありました。
今の貴方を見ていると、到底、理解出来ないとは思いますが、もう、お話しすることはないので、ここで言わせてもらいます。

海外で宗教が基で紛争が起きるたび、私は日本人として思うことがあります。
それが、日本のことわざ、「郷に入れば郷に従え」です。
郷というのはという意味です。
つまり、よその村に行ったら、その村の習慣に従えという意味です。
日本人の移民は、アメリカなどへ行くと、アメリカ人になる。
だから、邪魔にならないといわれる。
それに対し、ユダヤ人中国人、韓国人などは、あくまで、自分たちの風習、習慣を押し通そうとする。
それじゃあ、当然、紛争が起きるでしょう。
いいですか。
あなた方は、外国に行ったら、今回のように、「貴様の発言はイスラムを侮辱した!」などと上から言うのではなく、「少しでも理解してもらえませんか?」と下から言わなければならないのです。
宗教云々以前に、習慣風習も違う外国人同士コミュニケーションをとるのに必要最低限のことです。
------------------------------

で、「貴方は私を非常識だと言われるが、では、私は日本人として、それほど、非常識な部類なのか、私のブログで貴方と私の会話をそのまま、掲載して、他の人の意見を問うてみたいと思います。 」と・・・。
繰り返しますが、私はイスラム教のことを侮辱したつもりも、軽蔑したつもりもありません。
それなのに、この会話のズレです。
彼らが、特に、9.11以来、日本社会で様々な偏見にあってきたという背景があったのかもしれません。
それでも、イスラム教のような、あれほど、しっかりした教義伝統をもった宗教でも、結局の所、日本の新興宗教と何ら変わりないんだな・・・ということを実感したというのが、私の結論でした。

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国連の必要性と家康に学ぶ同盟弱者の戦略。

2006年10月16日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

土日は、陶器マニアの秋田人に誘われ、ここへ行っておりました。
言わずと知れた焼き物の里、佐賀県は伊万里です。

元より、そのような芸術になど、とんと造詣がない私のこと、近場でありながら、初めての侵入(?)でした(笑)。

でも、焼き物には、まったくの門外漢の私にも、窯元などが立ち並んだその町並みは、屏風岩と呼ばれる借景と相まって、それなりに堪能出来ました。

また行くか・・・と言われたら、行かないでしょうが(笑)。

で、本日のお題です。
潘基文・韓国外交通商相国際連合事務総長になったそうですね。
潘氏は対日強硬派として知られるだけに、彼が事務総長になった場合、日本外交は難しいことになる・・・という見方もあるようですが、元来、外交官とは「水は方円の器に従う」みたいな物で、その立場次第、ポスト次第で、強硬にも柔軟にもなるものだと思いますので、国連事務総長になったからと言って、いきなり、日本外交が厳しくなるということはないと思います。
むしろ、北朝鮮と日米の間に挟まれて難しい対応を迫られることになるでしょうし、その際、出身国の利益代表みたいにとられることにも苦慮するのではないでしょうか・・・。

それはさておき、その上で、敢えて言いたいのが、本当に国連という物は必要なのだろうか・・・ということです。
巨額の分担金を負担しながらも、最近まで敵国扱いだったわけですし(まだ敵国扱い?)、今だって、常任理事国入りさえ、ままならないわけですから、であれば、ブラフの意味でも、国会で国連脱退を議論してみるというのも悪くはないのでは・・・と思うのですが。
そもそも、有事の際、国連というものは、どの程度、日本を守ってくれるのでしょうか?
国連軍を派遣して侵略国と交戦し、撃退してくれる・・・ということがあるのでしょうか?
国連軍は基本的に、治安維持に当たることはあっても、戦争の当事者となってまで、その国を守ってくれる・・・ということは、あまり、現実的ではないように思うのです。
無論、朝鮮戦争湾岸戦争などで、国連軍が交戦することはあったでしょうが、実態はアメリカとその同盟国軍であり、アメリカを始めとする、その時々の大国の都合に左右される現実は否定しようがないと思います。
であれば、日米安保がしっかりしていれば、国連などは気休めでしかなく、いらないのではないかと・・・。
元々、他に選択肢があるわけじゃなし・・・。

その意味では、以前から言っていることですが、日本がイラクに自衛隊を派遣したのは、大賛成とは言いませんが、やむを得なかったと思います。
徳川家康は、姉川合戦の折、自身、決して余裕があるわけではないにも関わらず、織田信長の要請に応じ、動員出来る可能な限りの兵力を率いて参戦し、そして、他人の戦争にも関わらず、奮迅の活躍をしております。
なぜか?
家康にとっての当面の脅威、武田信玄との、来るべき戦争の折には、大兵力を擁する信長の助力を仰がねばならなかったからです。
韓国ベトナム戦争のとき、何の恨みもないベトナムに軍隊を派兵したのも、この論理でしょう。
日本とアメリカとも、また然りだと思います。

この辺は、以前、平太郎独白録 「昭和の怪僧、今 東光にみるアメリカとの関わり方心得。」の中でも触れたことですが、今東光という人の名言に、「アメリカが信長なら、日本は家康である。信長から、我が子の首を出せ!と言われたら、家康は、歯を食いしばっても出さねばならない」というのがあります。
これは、同盟者信長の命令で、家康が、嫡男 信康自害させたと言われる事件を指したものだと思いますが、私はまさしく、日米関係の基本はこれだと思います。

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博多駅前史 その13 博多駅移転区画整理編 Ⅶ

2006年10月14日 | 地域
親愛なるアッティクスへ

北朝鮮の核実験福岡ソフトバンクのプレーオフ敗退と、世上騒然としてますが、それでも、敢えて、今週の自己満足シリーズです。

これまで、6回に渡って触れて参りました「福岡市始まって以来の大事業」である博多駅地区土地区画整理事業ですが、ここで、その後の動きを時系列的に述べておきますと、
昭和38年(1963年)12月 西日本一の民衆駅としての新・博多駅開業。
   39年(1964年) 5月 博多ステーションビル竣工。
              11月 地下街完成。
   40年(1965年) 7月 市内電車の軌道変更が完了し、新駅前に乗り入れ。
   41年(1966年) 9月 博多郵便局竣工。
   42年(1967年)11月 博多電話局設置開局。
   43年(1668年) 3月 市水道局博多営業所竣工。
              11月 博多警察署、福岡地方合同庁舎竣工。  
   44年(1969年) 7月 町界町名変更、ぼぼ現在の住居表示に。
   45年(1970年) 2月 駅前の朝日ビル竣工。
               5月 土地区画整理事業工事完了式典が執り行われる。
   48年(1973年) 6月 換地処分公告。最後の土地区画整理審議会が開催。
とまあ、こんな具合です。

で、これを、私の自分史と重ね合わせるなら、私は昭和36年生まれですので、まさしく、博多駅地区土地区画整理事業が推進される中で生を受け、昭和43年、ちょうど、小学校1年に進学するときに当家付近に区画整理が施行され一夜にして街が変わり、昭和48年、区画整理が完全に終わるのと同時に、小学校を卒業したという・・・、まさに、区画整理と共にあった子供時代だったわけです。
従って、私が物心付いて、一番始めに覚えた難しい言葉は「区画整理」「固定資産税」でした(笑)。
如何に、当時、私の頭の上で、これらの言葉が飛び交っていたかがおわかり頂けると思います。

で、これらの一連の出来事の中で、私が一番印象に残っているのは・・・と言えば、それは、昭和44年町界町名変更でした。
それまで、当家の住所は、福岡市下人参町だったのが、以後は、福岡市博多駅前三丁目になったわけで、当時、「今度から、福岡市博多駅前三丁目て書かんといかんとげなばい。面倒くさくなったなぁ。」と言っていた父の言葉を覚えております。
それから、3年後には、今度は、福岡市が政令指定都市に昇格したことから、福岡市博多区博多駅前三丁目となり、また、数年後には今度は郵便番号を書かなくてはならないということになり・・・。             
おかげで、友達に年賀状を書くのに、住所を書くだけで腕が疲れるという事態になってしまったわけです。
(当時は、相手先の多くが、同級生などであり、となれば、当然、似たような住所ばかりでしたから、倍疲れました。)
今のように、パソコンプリンターなければ、プリントゴッコもなかったわけですから・・・。  
 

(↑現在の博多駅前夜景、私のお気に入り一枚です。博多駅方向を写した物です。一番左奥のビルの後が博多駅です。ちなみに、私が立っているこのビルは、昭和47年完成ですから、上の年表の時はすでに存在してましたね。はい、私にとっては、子供の頃の遊び場所ですね。)
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