親愛なるアッティクスへ
日ハム、ついに、日本一を勝ち取りましたね。
44年ぶりの・・・。
まずは、地盤沈下が囁かれること著しかった「パ・リーグ」の4年連続日本一・・・ということで、おめでとうと言いたいですね(笑)。
もっとも、私としましては、52年間、日本一になっていない中日を、どちらかといえば心情的に応援していたんですけどね。
ここで、中日の敗因分析などをやると、また、お叱りを蒙りそうなのでやりませんが、ただ、落合監督というのは、非常に優秀な監督だと思いますよ。
特に、このご時世に、補強に頼らないということを打ち出している点で、出色の監督だと思います。
何だか、悲運の名将、西本幸雄さんに似てきたような気もしますけどね(笑)。
(↑福岡ドームでの日ハム戦のヒトコマです。今のカメラはこうなってるんですね・・・。撮ったら、すぐにパソコンに一覧で画像が映し出されるという・・・。確か、その場から、東京や札幌などの本社に、すぐに転送出来るんですよね。)
で、中日のことは置くとして、プレーオフから日本シリーズと快進撃を続けてきた日ハムですが、そのあまりの順調さに、「まるで、去年のロッテを見ているようだ」という声も聞かれるようですが、この点では、私はむしろ、1999年のダイエーを見るような気がしています。
この年のダイエーは、シーズンオフに、エース工藤が抜けたことで、「もう、ダイエーの優勝はない」と言われたのに、しっかり、翌年も優勝し、2003年には再び日本一にも輝きましたからね。
当分は、ダイエーの黄金時代が続くと思いましたよ。
皆、選手はまだまだ、若かったし・・・。
ただ、やはり、黄金時代というのは、長く続かないようで、ここ3年、プレーオフが導入されて以来、優勝から遠ざかっており、特に今年は明らかに力が落ちてきていたように思います。
まあ、それも当然と言えば当然の話であって、2003年のメンバーから、村松、井口、小久保、城島、バルデス・・・と抜けたわけですから・・・。
で、それはさておき、以前、平太郎独白録 「祝!ホークス第二ステージ進出にみる投手陣への苦言。」の中で、1992年の阪神のことについて触れたと思うのですが、そのとき、その年のことを調べていて思ったことがあります。
この1992年、阪神は惜しくも優勝を逃しながらも、大健闘の2位だったのですが、その前に優勝したのは1985年、バース、掛布、岡田、真弓という強力打線で日本一になったときなんですよ。
つまり、、わずか7年前なんですね。
ところが、この1992年、そのときのメンバーは殆ど残ってないんです。
チーム構成もながら、顔ぶれも、「まるで違うチーム」だったんですよ。
思い起こせば、上田監督の阪急黄金時代も、その後、数年して、同監督で優勝したときは、「まるで別のチーム」でしたね。
つまり、当たり前の話でしょうが、今、28歳で全盛期の選手でも、5年経ったら33歳でぼちぼち、引退か・・・ってことになってくるわけで、やはり、黄金時代を持続させるということが、如何に難しいか・・・ということなんでしょうね。
もっとも、今年の日ハムのように、「優勝すると人件費が上がり、主力選手を放出しないと、他の選手に金が払えない」という、一種のデフレスパイラルと言うか、それにしても、ヒルマン、新庄、小笠原、岡島と、日本シリーズが終わったら、ここまで解体されるチームというのも珍しいですけどね・・・。
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日ハム、ついに、日本一を勝ち取りましたね。
44年ぶりの・・・。
まずは、地盤沈下が囁かれること著しかった「パ・リーグ」の4年連続日本一・・・ということで、おめでとうと言いたいですね(笑)。
もっとも、私としましては、52年間、日本一になっていない中日を、どちらかといえば心情的に応援していたんですけどね。
ここで、中日の敗因分析などをやると、また、お叱りを蒙りそうなのでやりませんが、ただ、落合監督というのは、非常に優秀な監督だと思いますよ。
特に、このご時世に、補強に頼らないということを打ち出している点で、出色の監督だと思います。
何だか、悲運の名将、西本幸雄さんに似てきたような気もしますけどね(笑)。
(↑福岡ドームでの日ハム戦のヒトコマです。今のカメラはこうなってるんですね・・・。撮ったら、すぐにパソコンに一覧で画像が映し出されるという・・・。確か、その場から、東京や札幌などの本社に、すぐに転送出来るんですよね。)
で、中日のことは置くとして、プレーオフから日本シリーズと快進撃を続けてきた日ハムですが、そのあまりの順調さに、「まるで、去年のロッテを見ているようだ」という声も聞かれるようですが、この点では、私はむしろ、1999年のダイエーを見るような気がしています。
この年のダイエーは、シーズンオフに、エース工藤が抜けたことで、「もう、ダイエーの優勝はない」と言われたのに、しっかり、翌年も優勝し、2003年には再び日本一にも輝きましたからね。
当分は、ダイエーの黄金時代が続くと思いましたよ。
皆、選手はまだまだ、若かったし・・・。
ただ、やはり、黄金時代というのは、長く続かないようで、ここ3年、プレーオフが導入されて以来、優勝から遠ざかっており、特に今年は明らかに力が落ちてきていたように思います。
まあ、それも当然と言えば当然の話であって、2003年のメンバーから、村松、井口、小久保、城島、バルデス・・・と抜けたわけですから・・・。
で、それはさておき、以前、平太郎独白録 「祝!ホークス第二ステージ進出にみる投手陣への苦言。」の中で、1992年の阪神のことについて触れたと思うのですが、そのとき、その年のことを調べていて思ったことがあります。
この1992年、阪神は惜しくも優勝を逃しながらも、大健闘の2位だったのですが、その前に優勝したのは1985年、バース、掛布、岡田、真弓という強力打線で日本一になったときなんですよ。
つまり、、わずか7年前なんですね。
ところが、この1992年、そのときのメンバーは殆ど残ってないんです。
チーム構成もながら、顔ぶれも、「まるで違うチーム」だったんですよ。
思い起こせば、上田監督の阪急黄金時代も、その後、数年して、同監督で優勝したときは、「まるで別のチーム」でしたね。
つまり、当たり前の話でしょうが、今、28歳で全盛期の選手でも、5年経ったら33歳でぼちぼち、引退か・・・ってことになってくるわけで、やはり、黄金時代を持続させるということが、如何に難しいか・・・ということなんでしょうね。
もっとも、今年の日ハムのように、「優勝すると人件費が上がり、主力選手を放出しないと、他の選手に金が払えない」という、一種のデフレスパイラルと言うか、それにしても、ヒルマン、新庄、小笠原、岡島と、日本シリーズが終わったら、ここまで解体されるチームというのも珍しいですけどね・・・。
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