平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

カッコウの託卵

2006年10月24日 | 思想・哲学
親愛なるアッティクスへ

「かっこうのたくらん」・・・。
学校のたくらみ、鬼の霍乱の間違いなどではなく、アタマが錯乱したわけでもありません(笑)。
「カッコウの託卵」です。
子供の鳥辞典で調べたら、こう書いてありました次第です(笑)。


ご存じかと思いますが、カッコウという鳥の一部には、自分で雛を育てるということをせず、「託卵」という方法で雛を育てるものがいるそうです。
一度、テレビで見たことがあるのですが、他の鳥のに狙いを付けるや、(親鳥が出かけたのを見計らい、)その巣の中に入り込み、その鳥の卵の傍らに自分の卵を産み付けます。
そればかりではなく、何と!孵化したカッコウの雛は、驚くことに、その家の本来の主である、その鳥の子供達を、片っ端からから追い落としてしてしまい、親鳥が運んでくるエサを独り占めにしてしまいます。
やがて、雛は成長し、自分とは、はっきりと似ても似つかぬ形となっても、親鳥はせっせとエサを運び続ける。
自分よりはるかに巨大になり、どこから見てもカッコウそのものになっても、なおもせっせとエサを運び続ける。
そして、完全に成長したカッコウは、「もう結構」とばかり一声鳴くと、もの凄い羽音と共に大空へ飛び去っていく・・・。
後に残された親鳥は、茫然として誰もいなくなった巣の中で独り立ちつくす・・・。

鳥に表情があるはずもないのですが、他の雛が巣から追い落とされるときも、明らかに戸惑ったような哀しい表情に見えたし、最後もこちらに先入観があるからでしょうか、茫然としているような表情に見えました。
少しばかり客観的に見たならば、何とも間抜けな話ですよね。
当然、この番組のゲストからも、「(カッコウの雛が他の雛を追い落としているのを)親鳥はたしなめないのか?」という質問が出てましたが、それに対して識者の答えは、「親鳥は、我が子のすることには何も言わない。無条件で容認するのです。」というものでした。
私自身、世の親ばかというものから、何度か被害を受けたことがあります。
他の友人も、本人でさえも、自分が悪いということを言っているのに、そこの親だけが、「友達が悪い。」とか、客観的に見れば、どうにも理解できないことが、「親」というフィルターを通せば、見えなくなるのでしょう。
最近、うちの家内などを見ていると、親(特に女親・・・。)とは、鳥も人間も大差ないのでは?と思えることが少なくないようにも感じられます。

以前、歌手で俳優の清水健太郎氏が覚醒剤で逮捕されたとき、収監された清水に対し、上京してきた父は、「おまえの保釈申請は取り消したから。完全に治ってから出て来い。」と言ったそうです。
その話を聞いていた女性ゲストは、「これは、やはり、男親だから出来ることですよ。女親だと、もう、理屈抜きに、どんなことをしてでも出してやりたい!と思いますから。」と言ってました。
どんな行為でも、どんな出来の悪い子供でも、我が身に替えても容認してくれるのが、男親と違う、有り難い母の愛なのでしょうが、もし、それが、産婦人科で取り違えられた子だったとしたら・・・。
まるで、横溝正史推理小説の題材になりそうな、あまり気色のいい話ではないでしょうが、実際に、世の中の母親を見ていると、「そんなに親ばかやってるけど、本当に貴女の子・・・?」と思わなくもありません(笑)。・・・失礼!

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