平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

北朝鮮に対する安倍総理の危うさと中国の深謀遠慮!

2006年10月13日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

先日、北朝鮮が、ついに核実験に踏み切ったことで、遂に、中国も北朝鮮に対する制裁を容認する姿勢を打ち出したようですね・・・。
日本は、特に安倍総理になってから、強硬姿勢で臨んでおり、今回の核実験についても、麻生外相が、「まず、確認してから」と言っているのに、確認無くても「更なる経済制裁」を表明したと聞き及んでおります。

で、その追加制裁ですが、「北朝鮮高官の海外渡航禁止、北朝鮮船舶の入港禁止、北朝鮮産品の輸入禁止を加え、また、大量破壊兵器、ミサイル開発関連物資の移転を目的にした北朝鮮当局者の入国禁止も追加した」ものだそうですが、私は、このニュースを聞いて、思わず、昭和16年(1941年)のアメリカによる、在アメリカ日本資産の凍結対日石油禁輸措置連想してしまいました。
(事実上の宣戦布告とまで言われた「ハル・ノート」の一歩前のやつです。)
で、問題は、その後、日本は、「その圧力に対し、軟化したのか?」ということです・・・。
軟化どころか、逆に、日本国内、特に軍部では、「ジリ貧」論が勢いを得、結果的に、その後の交渉を難しくして太平洋戦争に繋がったわけですよね。

北朝鮮も、「この制裁案が通れば、宣戦布告だと受け止める」という声明を発表していることを考え合わせれば、私には、今の安倍政権の安易強気の姿勢、それから、それを支持する世論というものには、非常に危うさを感じます。
拉致被害者家族会の方たちは、それら経済制裁を「歓迎」していると言いますが、もし、北朝鮮が日本攻撃に踏み切り、それにより、多くの人が死ぬようなことになれば、家族会の人たちは、「そもそも、あいつらが・・・」ということになり、一身に日本国民の恨みを集めることにもなりかねないように思うのですが、そこら辺まで覚悟しての「歓迎」なのでしょうか・・・。

私はこの問題に対しては、以前から、平太郎独白録 「アジアには王様が必要」の中で、「北朝鮮に対しても、今、安易に経済制裁を叫ぶ人が増えてますが、彼らがいなくなることは、その地域にとっては、とてつもない真空状態を招く事につながり、それは混乱、混迷、大変危険な事になる。拉致の問題にしても、不誠実でも交渉相手がいる交渉と、交渉相手さえいない状況ではどちらがいいのでしょうか?」と述べておりますとおりで、この相手は、あまり、必要以上に追い込むべきではないという考えをもっております。

さらに、北朝鮮が崩壊した後、韓国の経済力で、西ドイツのように吸収出来るのか?という点も、日本政府はどう考えているのでしょうか?
もし、韓国が統一に二の足を踏むようなら、私は中国が北朝鮮を併合する可能性もあると思っています。
思えば、先般、まだ、記憶に新しいところで、中国政府は、唐突に、「朝鮮半島の古代王朝、高句麗は朝鮮半島の王朝ではなく、中国の地方王朝の一つであった」と主張し、論争を巻き起こしましたよね。
高句麗とは、言うまでもなく、有名な「新羅・百済」と並んで、古代朝鮮半島に盤踞した王朝ですが、その版図は、ほぼ、今の北朝鮮部分に相当すると思って良いと思います。
もし、そうだとすれば、これって、中国が尖閣諸島領有を主張し始めたときと同じなんじゃないですか?
そんなバカな!と仰るかも知れませんが、この点は、以前、平太郎独白録 「東洋史と西洋史にみる戦争目的の異質さ。」で述べたことなのですが、中国という国は、欧米と違い、利権ではなく、領土を欲する国であり、であれば、十分に考えられることだと思います。

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小泉内閣の総決算 その3 批判を受けることの健全さ。

2006年10月12日 | 政治システム
親愛なるアッティクスへ

遂に中日優勝!・・・ですが、それよりも、私には、初めて、巨人が可愛そうに思えました。
地上波の中継はないし、東京ドームなのに中日ファンばかりだし、中日の優勝が決まった後なのに、ファン感謝のサインボール投げ・・・なんてやらせられてるし。
何か、あまりにも、惨めで・・・。
長島巨人の一年目、最下位になったときでさえ、「可愛そう」なんて感情は芽生えませんでしたけどね・・・。
何で、こんなになっちゃったのかな・・・と。

しかし、中日も、次の目標が、「52年ぶり二度目の日本一」というのには、思わず、笑ってしまいました(笑)。
昭和29年(1954年)、西鉄ライオンズに勝利したのが、最初で最後だという・・・。
本当は、二年前に、中日を日本一にしてやろうと思い、敢えて、パ・リーグは二位の西武を送り出してあげたんですけどね(笑)。(←というのは、まあ、冗談ですが、でも、あのときは、中日を応援してましたよ。)

で、本日は、以前、平太郎独白録 「小泉内閣の総決算 その1 自国のTOPを酷評する文化。」で書いたことの続きなのですが、実は、このとき、どこやんさんより、「上に立つ人間ってのは少なからずのバッシングがあって当たり前だと思うし、そうじゃないと何かをぶつけるところがなくなってしまう」というコメントを頂戴しました。

まったくもって、もっともな話で、これに対しては、私も思う所がありました。
まず、私が言いたかったのは、「小泉政権への批判その物」がいけないと言っているのではなく、小泉前総理の退任時の報道などで見られた、小泉政権の為したことは、「すべてが悪かった」と意図的に貶めようとする姿勢を感じたことに、異議を感じたということを言いたかったわけですね。
つまり、マスコミは、在任当時はまだ仕方がないにしても、退任時には、もっと、客観的に、その政権の是々非々をはっきりさせた報道をするべきだと・・・。

その点で、マスコミの酷評総理への対応として、もっとも、端的なのが、吉田茂政権への対応です。
当時、マスコミは、「吉田のすべてが気に入らない!」的な感じあったようで、「総理の愛読書は?」と聞き、吉田翁が、「銭形平次」と答えただけで、「吉田には知性がない!」とこき下ろしました。
それが、今やマスコミは、口々に、「吉田茂こそ、理想の総理」みたいに言ってるわけで・・・。
小泉政権への講評にも、それを感じたわけです。

もっとも、先日の小泉政権のドキュメンタリー・ドラマでは、それを伝える人たちが、普通に、抵抗勢力である旧体質の国会議員たちの宴席に連なってましたけどね(笑)。
ま、それじゃあ、そういう報道になるのも仕方がないのかな・・・と。

で、私がどこやんさんのコメントを聞いて、思ったことですが、古代ローマ帝政をもたらした初代皇帝アウグストゥスという人物が居ます。
皇帝といっても、古代ローマ帝国の皇帝というものは、中国ペルシャなどのオリエントの皇帝とは違い、どちらかというと、今の大統領に近いものだったようですが(平太郎独白録 「英雄、カエサルの悲劇と、目指したもの・・・。」:参照。)、アウグストゥスは、元々、帝政への移行を目論み共和制支持者によって暗殺されたカエサルの轍を踏むまいとしたことから、根強い共和制支持者たち不満分子に対しては、これでもかというくらい慎重な態度で臨んだようです。
その一つとして、ガス抜きの意味での元老院という「議会の尊重」があるのですが、そういった経緯があったことから、元老院議員らの方も、「皇帝アウグストゥス」に対して、礼儀どころか、敵意丸出しの発言や、遠慮ない嘲笑などをも浴びせかけることも、ままあったようで、あるとき、さすがのアウグストゥスもたまりかね、怒って、そのまま、議場の外にとび出したことさえあったとか・・・。
これを見た、アウグストゥスの妻リヴィアの連れ子で、後に二代皇帝になる若きティベリゥスなどは憤慨し、アウグストゥスに詰め寄ったところ、彼は静かにこういったと言います。
「私のことを悪く言う人がいても憤慨してはいけない。満足しようではないか、彼らがわれわれに剣を向けないというだけで・・・。」
これこそが、健全な権力者の政治感覚でしょう。

その上で、去る7日、プーチン政権に対する批判的論陣で知られるロシアの著名なジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ女史が射殺されるという事件が起きましたよね。
プーチン大統領は、経済の好調さもあって、ロシア国内での支持率が高いことから、彼女への国民感情は決して、好ましい物ではなかったと言われています。
が、「世界一、体制を批判するジャーナリストが殺害されるという国」と言われる点を考え合わせると、到底、偶発的な事件だとは思えません。
仮に、もし、この暗殺が、「日清戦争の折、講和交渉において、講和の意味を理解しない輩が講和会議をぶちこわそうとして、清国全権李鴻章を襲撃するという愚挙に出た」・・・というような類のことであれば、これは、彼女を保護しなかったロシア政府のミスですよ。
(ちなみに、日清戦争においては、この襲撃の結果、日本側は余計な譲歩を余儀なくされ、李鴻章はほくそ笑んだとか・・・。いつの時代も、国民感情という物は、感情的、情緒的なもののようです。)
これでは、プーチン氏個人が悪名高き「KGB出身」であるという略歴と考え併せ、ロシアという国は、何だかんだ言っても、本当は「中身は旧ソ連そのもの」のままなんじゃないか・・・といっているように思えます。
プーチン大統領としては、彼女に対しては「脅迫し、生命の危険を感じさせる」ことで止めておくべきだったでしょう。

つまり、TOPにとって、批判というものはあっていいと思うんですよ。
権力の暴走を牽制し、健全な国家運営に寄与する・・・。
国家権力にとっての報道の自由の概念とは本来、そういう位置づけであるのでしょうし、会社では、株主、労働組合というものがそういう役割を担っていると思います。

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ノブリス・オブリージュおまけ編 正しいことをする大変さ。

2006年10月11日 | 政治システム
親愛なるアッティクスへ

今年のプレーオフ第二ステージは、我が福岡ソフトバンク北海道日本ハムの対戦となったわけですが、北と南のチーム同士の組み合わせという点で思い出すのが、昭和29年(1954年)に西鉄ライオンズの選手として、中日相手の日本シリーズに出場した豊田泰光翁(?)の言葉です。
「福岡の平和台球場で試合をすれば、球場は全員、西鉄ファン。名古屋の中日球場(ナゴヤ球場?)に行けば、観客は全員、中日ファンだった。しかし、これこそがフランチャイズという物の本来の形であり、こうあるべきだと思う。」と。
その意味でも、北海道にひとつのチーム九州にひとつのチームが争うということは、本来あるべき姿になったと言うことで、大変、喜ばしいことだと思います・・・。

さておき、今日、10月11日は、戦後間もない昭和22年(1947年)、山口良忠判事が亡くなった日だそうですね。
山口良忠という人は、「判事」という法の番人としての職責から、戦後、ヤミ物資が横行する中、敢えて、ヤミ米を食することを拒否し、真っ当に配給物資のみの生活を守り通した結果、栄養失調で亡くなった・・・、つまり、餓死された方です。
私も、この人の名前は知りませんでしたが、こういう事件があったということだけは、小学校の時、担任の先生から聞いてました。
もっとも、ただ単に、そういう事件があったということを聞いただけで、最近まで、深くは知らなかったのですが・・・。

彼の行動は正しかったのか・・・、賞賛されるべきものだったのか・・・という点については、当時から、賛否両論あったそうですね。
以前、平太郎独白録 「ノブリス・オブリージュ前編 正しいことしたいなら偉くなれ!」でも、触れましたが、かつての人気ドラマ、「踊る大捜査線」の中で、故いかりや長介さん扮する老刑事がいう、「正しいことしてえなら偉くなれ!」は、けだし名言だと思います。
下っ端で正しいことをするのは、いつの時代も簡単ではないってことなんでしょうね。
このときも、時の総理夫人は、「奥さんがもう少し、配慮してあげていれば」という発言をしたとか・・・。
賞賛されるべきかどうかは別にしても、少なくとも、総理夫人がそれを言っちゃあ、自分の職責を全うしたやつは浮かばれませんよ・・・。

で、この、「正しいことをすることの大変さ」という点で、少し、思ったことがあります。
先日、小泉純一郎前総理の総理就任前後から郵政解散辺りまでを描いたドキュメンタリー・ドラマがやってたのですが、その中で、総理就任以前の小泉さんを評して、新聞記者が、「小泉さんというのはとても変わっているらしい。どんな贈り物でも、送り返してくるんだって。生ものでも送り返して来るから、送り返された方は腐って大変なんだって。」というセリフがありました。
原敬などもそうだったそうですが、「どんな贈り物でも受け取らない!」というのは、政治家として、当たり前のことのように見えて、それほど簡単なことではありません。

下心見え見えの贈り物ならまだしも、明かに善意の贈り物などは送り返すのは忍びないですよ。
さらに、身内はおろか、親族が受け取ることさえも好ましくないわけですから・・・。
しかし、一人から受け取ってしまうと、蟻の一穴ということになるわけで・・・、
でも、確かに、小泉政権というものを支えたのは、支持率であり、その支持率が持続したという意味においては、その辺のクリーンさということも大きかったでしょう。

ここで考えたのですが、それが出来たのは、小泉さんが二世議員なればこそ・・・だったからではないでしょうか。
もし、私が最初から「将来、親の跡を継いで政治家になる」とわかっていたら、そこら辺で立ち小便もしてませんよ(笑)。
つまり、私のように、まるで「議員になる」などということを全く想定していない人間は、そういう贈り物などに対しても、日常生活で、それほどの注意は払ってないわけで、それがいきなり、議員になったからといって、今まで、お中元のやりとりをしていた人からの物を無下に突き返すというのも忍びないし、第一、それ以前に、立ち小便一つにも注意を払う習慣が出来てませんよ。
(他にも、年金の未払い税金の滞納とか・・・。)
ところが、最初から、自分は「親の跡を継いで選挙に出るんだ」とわかっている人は、早くから、そういう行動をとる、こういう行動に対処することは可能なんですよね。

まあ、やるやらないは別にして・・・。
(二世議員と言えども、いや、逆に二世議員なればこそ、親の代からのしがらみはあるわけですから・・・。)
そこら辺の意識の切り替えができていないから、民主党イケメン議員氏みたいにモナアナ(?)との**現場をフライデーされたりするわけで・・・(笑)。

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祝!ホークス第二ステージ進出と投手陣への苦言。

2006年10月10日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

プロ野球、パ・リーグのプレーオフ・第一ステージ、我が福岡ソフトバンクホークスがついに勝ち抜きましたね・・・。
結構、うるうるきてました(笑)。

西武の敗因は、偏に、涌井を使わなかったことでしょう。
最悪でも、第二戦西口で、第三戦涌井・・・であるべきだったでしょうね。
伊東監督は、この対戦での第二戦の持つ意味を理解してなかったようですね。
ま、いずれにしても、ホークスは北海道日本ハムを相手に3勝1敗で勝たねばならないわけで、決して、楽観は許されないでしょうが、しかし、ホークスには勢いがあり、何より、日ハムは一位通過の経験がないわけで、つまり、第一ステージのチームが勝ち上がってくるのを待つ経験がないという辺りが、どういう展開になるかでしょうね。

で、ホークスの快進撃を見て、勝って兜の緒を締めよ・・・じゃないですが、敢えて、苦言を呈するなら、ホークス投手陣には、実際には、一年間を投手力で勝ち進んできていながら、未だに強力打線を持っていた頃のぬるま湯意識がに抜けていないのではないか・・・と思えました。

で、貧打線を、投手陣守りで勝ち抜いた好例と言えば、私には平成4年(1992年)の阪神タイガースが思い浮かびます。
結果的に、この年、阪神は首位ヤクルトに次ぐ、2位で優勝することは出来なかったのですが、132試合で67勝63敗2分 勝率.515で2ゲーム差の2位と、最後まで首位争いを繰り広げました。
惜しいかな、終盤に来て、選手、監督の経験不足が露呈し、ヤクルトに首位を譲りましたが・・・。

この年、阪神のホームグランド・甲子園球場では、フェンスの手前に設けられていたラッキーゾーンが撤廃されます。
それを受けて、阪神タイガースは、極めて、大胆な変身を遂げます。
投手力中心守りの野球に徹したのです。
その結果、12球団最高チーム防御率2.90を誇り、月間MVPを、仲田幸司(5月)、湯舟敏郎(6月、9月)、野田浩司(7月)と主力投手でほぼ独占するという快挙を為したばかりか、他にも、中込 伸葛西 稔、中継ぎの弓長起浩、そして、押さえの切り札田村 勤の投手陣は大活躍でした。
が、ここで注目すべきは、その強力投手陣の主力四投手の成績です。
仲田  防御率2.53 14勝12敗 
湯舟  防御率2.82 11勝 8敗
野田  防御率2.98  8勝 9敗
中込  防御率2.42  9勝 8敗


全員、防御率2点台に抑えていながら、これだけの負け数がある・・・という。
つまり、如何に打線が貧打であったかということの裏返しで、打撃陣の方は、チーム打率.250 86本塁打 475得点 43盗塁・・・。
和田 亀山 オマリー パチョレック 八木 新庄 山田 久慈というラインナップでしたが、この年、あの新庄も、やっと売り出した年であり、また、後にヤクルトで長距離ヒッターになるオマリーも、この頃は、アベレージヒッターで、ホームランはパチョレック22本が最高・・・、打率も、三割を超えたのがパチョレックとオマリーの二人だけという・・・。
ただ、長打こそ無いものの両外国人は割に勝負強く、つまり、数少ないチャンスを両外国人に繋いで、確実に物にして、それを強力投手陣で守り抜く・・・という野球をやっていたわけですね。
しかし、それだけに、好投しても、打線が点を取ってくれない・・・という惜敗も多々あり、それが、この防御率と負け数に表れていると言って良かったでしょう。
3点取られたら、もう、勝てないわけですよ。
如何に当時の阪神投手陣がぎりぎりのところで投げていたか・・・がわかると思います。
1点の重みを知り尽くした野球だったと・・・。

それに対して、我が、福岡ソフトバンクホークスの投手陣は、エース斎藤を筆頭に、和田、新垣、杉内に中継ぎの柳瀬、藤岡、押さえの馬原と、当時の阪神投手陣と比べても、何ら、遜色がないほどの陣容でありながら、投手四冠のエース斎藤でさえも、第一戦で松坂と投げ合ったら1-0で負けてしまう・・・。
やはり、これまで、松中、井口、城島、村松、バルデス、ズレータ・・・といった超強力打線に支えてもらってきたツケが出ているのではないかと思えてなりません。
斎藤にしても、和田にしても、新垣、杉内にしても、下位チームは別にして、上位チーム、特に、松坂などと投げ合って1-0で完封勝ちしたという記憶は私にはありません。
いいピッチングはするものの、相手が、松坂のような完封が出来る投手との投げ合いとなると、どうしても、先に崩れる・・・という傾向があるように思えます。

このことは、一度、東尾収氏と山田久志氏が、「投手は若いうちに強力なバックを持つ方が良いのか、年を取ってから恵まれた方が良いのか・・・」ということで話していたことがあります。
若い頃、西鉄ライオンズという弱小球団にいて、後に常勝西武でプレーした東尾投手は、「若い頃は弱いチームにいて自分を鍛え、力が衰えた頃に強力なバックに恵まれた方が良い」と言い、逆に若い頃を常勝阪急ブレーブスで過ごした山田投手は、「若い頃は、強打線に支えてもらって自信を付け、経験を積んで一人前になった頃にバックを自分がカバーする」ということをいったと言います。

ホークス投手陣は、山田さんの言うケースに当たるのだと思います。
であれば、もう、自分たちがチームを引っ張る時期に来ているんだという自覚と、気概を持って、試合に臨んで欲しいですね。

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博多駅前史 その12 昭和 博多駅移転区画整理編 Ⅴ

2006年10月07日 | スポーツ
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またまた、今週もお待ちかねの、自己満足の回がやって参りました(笑)。
博多駅前史、今週は、区画整理編Ⅴ「ゼニのとれる土地」についてです。


(↑昭和三十年代を感じさせてくれる数少ない場所です。詳しいことは、ヒ・ミ・ツ♡)

この区画整理は、移転と言っても、実質、新駅設置に等しかったことから、当時の新聞には、「地元民にしてみれば革命にもひとしい大事件」と評したものもあったと言います(笑)。
(私的には、極めて的確な表現かと・・・。)
まあ、それも無理無いことで、それまで二束三文だった土地が、突然、市の中心になるわけですから・・・。
それが、先々週触れました「農地問題」で、農民が気勢をあげ、土地所有者は1円でも値をつり上げようと血眼になる背景となったわけですね。
でも、それは平成の御代の人たちからすれば嗤うことかもしれませんが、当時の人たちからすれば・・・。
(戦中戦後と、散々、辛酸をなめ、「もはや、戦後ではない」と言われても、生きていくのが精一杯だったことには何ら変わりなく、そんなところへ、ある日突然、「駅前」となれる・・・なんて言われた日にゃあ・・・。)

当然、当家の周囲でも、あちらこちらで、醜い争いがあったとか(笑)。
うちの祖父は、大工仕事をしたところ、施主は金を払おうとはせずに、「人参町でも差し押さえしておけ!」と同地を放り出したとか・・・。
それが、一転、博多駅前になるとなったもんだから、突然、代金と菓子箱持って、「返してくれ」と言ってきたとか・・・(笑)。
結局、祖父はそれに応じて、その土地を返してやったそうですが、今頃、そこを持っておけば、うちは・・・。
ま、こういうのは、「悪銭身につかず」で、一緒だったですかね(笑)。

ところが、庶民があちらこちらでこういう醜い争いを繰り広げている中、市当局は266万㎡にも及ぶ区画整理区域のうち、2.75%にあたる73,000㎡保留地として市で確保していたのだとか・・・。
これを売却することにより、「区画整理の費用もまかなえる」ということを目論んだもので、これはこれで、理にかなった計画だったのでしょうが、なにしろ、それら保留地の多くは、「新開地のゴールデン・コーナー」でしたから、そうなると、当然、きな臭い話はツキモノのようで、昭和36年9月市議会議員博多駅地区土地区画整理審議会代表など20人のメンバーをそろえてスタートした「市保留地処分委員会」も、「会長のポスト争い」が起こるほどだったとか(笑)。

以下、昭和38年11月23日の夕刊フクニチの新聞記事です。
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 しかし保留地払下げのすべり出しは最低だった。テストケースとして売りに出された7号保留地は昨年2月、ことしの3月の2回とも入札者ゼロで市当局をあわてさせた。
 「笛吹けど踊らず‥」で市のおエラ方は青くなったがことしの3月、一等保留地12号、13号地の指名入札では空前の「高根の花」が咲いて、こんどは笑いがとまらなかった。
 12号地はなんと 3.3㎡(坪)あたり135万円、13号地は121万円で売れたから市民はびっくりした。
 市の予定価格は両方で6億1千万円だったが、18億7千万円にも売れたのだから入札の一瞬で12億6千万円が市の台所にころがりこんだことになる。まさに起死回生のホームラン、これで保留地の処分の見通しがグンと明るくなった。
 ただし同じ一等保留地でもポロもうけばかりするのでない。
 郵便局ができる16号地の1は32万円の単価で払い下げが決まったが、これは公共性を考え合わせての処置。
 新駅づくりでシワ寄せを受けた農民も16号地の2を31万円で払い下げを受けたが、こちらは特殊なケース。
 またバス・ターミナル用地の15号地も30万円台で払い下げられる話し合いがまとまりかけたが、大づめでストップ状態。
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ちなみに、現在の博多警察署、博多区役所、福岡商工会議所、福岡市水道局などは、すべて、この保留地に建てられた物です。

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世界貿易センタービルにみる日本の優秀さと非現実性。

2006年10月06日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

遂に明日から、プロ野球パ・リーグは、プレーオフ・第一ステージが始まります。


(↑2004年のプレーオフ・グッズです。「決戦!」と書かれながら、負けてしまった・・・(泣)。)

我が福岡ソフトバンクは、公式戦を6連敗(?)で終え、息も絶え絶え・・・って感じでしたが、さらにその上、準エースの新垣渚投手が戦列離脱・・・。

で、オリックス二軍と練習試合して引き分けたとか・・・。
何だか、お先真っ暗・・・って感じですが、是非、「能ある鷹は爪を隠す!」ってところを見せて欲しいものです。
私的には、短期決戦ですから、こういう「実力はあって結果が出てないチーム」というのが、どこかで歯車が嚙み合って、一気に勝ち進むというのも有りかな・・・とは思ってますが。
ま、今年の戦い方を見る限りでは西武の方が一枚上のように思いますが、短期決戦ですから・・・。
私は、すべては第二戦の戦い方で決まると思ってます。
せめて、西武には勝って欲しい・・・。

で、私の希望的観測はさておき、今日の本題です。
先日、ある雑誌を読んでいたら、浜田和幸という国際政治経済学者さんが書かれた記事が載ってました。
曰く、 「9.11テロの時、世界貿易センタービルには日本製の鋼材が使われており、同ビルが短時間で倒壊した背景には、鋼材に品質上の問題があったのではないかとの疑念を受けて、一年以上の時間をかけテロの現場から回収した鋼材の品質検査を実施したところ、その結果、「商務省・国家基準局でさまざまな引っ張り強度膨張率の実験を行ったところ、逆に日本製の鋼材が極めて高品質であり、リサイクルにも耐えうることが保証された」と。
で、それらの鋼材は、 「最終的に、中国の不動産開発会社が引き取ることになったが、引取り価格は『タダにしてほしい』というのが中国式交渉のスタート。『廃材の保管場所に困っているのは、ニューヨークの方でしょう。タダでよければ、いくらでも引き取ります』というわけだ」とか・・・。

まあ、こういった話は、商社では、ありがちな話なのかも知れませんが、私が考えさせられたのは、その記事に添えられた以下の言葉でした。
「これがわが国では、こうした現実的な意見を言うだけで手痛い反撃を受けることになる。「あなたは悲惨な戦争に賛成なのか」などと、すぐに情緒的、感情的な批判が返ってくる。」と。
・・・まさに。

以前、平太郎独白録 「原爆を作った老科学者が語る現実政治の哀しい現実!」の中で、「世界中から核兵器が無くなるまでガス灯の火は消えないという説明に、その老科学者は、『その前にガス欠になるよ。全て廃棄するのは無理だ』とシニカルな笑いを浮かべて言った・・・」と申し上げましたが、いい悪いではなく、この科学者が言っていることが世界の現実であると思います。
こういうと、まさしく、「すぐに、情緒的、感情的な批判が返ってくる」のですが、私は戦争を肯定しているわけでも、それを食い物にするべきだと言っているわけでもありません。
起きてしまった戦争に対しては、もっと現実的に対処するべきだと言いたいわけです。

私も、戦争が悲惨なモノだと言うことはよくわかってます。
何の建設性もないモノであることもわかっています。
しかし、現実には、この世から戦争が無くなることはないでしょう。
そう努力することはいい、しかし、根絶することは不可能だということです。
なぜなら、戦争というモノを根絶しようと思えば、どんなに小さな戦争さえも否定しなければならず、であれば、行き着く先は「個人間の諍いさえも存在しない世界」となってしまうからです。
一切の争いが無い世界など、我々の日常を振り返ってみても有り得ない話でしょう。
争い、それは人間の存在と表裏一体「影」であるように思います。

ちょっと長くなりましたので、続きはいずれまた・・・。

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ポンペイの遺物に現代を見た・・・ついでにフジタの白も見た。

2006年10月05日 | 文学芸術
親愛なるアッティクスへ

先日、わざわざ、 1時間も歩いて福岡市美術館 「ポンペイの輝き展」を見に行ったところ、ようやく、辿り着いた福岡市美術館が休肝日・・・じゃなくて、休館日だった・・・ということをご報告申し上げたと思うのですが、この度、ようやく、行って参りました。



このポンペイに関しては、主に展示されているのが、当時の人が付けていたアクセサリーなどが主で、宝飾関係にお勤めの方は、当時の水準の高さも併せ、宝飾史の原点を見るという意味では大いに参考になるだろうと思いますが、如何せん、元来がこういう物にはとんと興味がない門外漢ですから、何をかイワンや・・・というところでして(笑)。
むしろ、子供の遺体の人型など、かなり、生々しく残っており、そちらの方が、痛々しいということの方が印象に残っています。

ひとつ印象に残ったのは、ローマ時代の白人というのは、今の白人と同じなんだな・・・と。
私は、どうにも、自分の目で見るまでは何事も信じられない・・・というところがあり、「喜望峰の海は本当に青いのか?」、「北極の空は赤いんじゃないか?」などと同様に、「鎌倉時代の日本人は、果たして、今の日本人と同じ顔をしているのか・・・、我々がタイムスリップしたら、まるで違う顔の日本人がいたりするんじゃないか・・・?」などという気などもするんです。
「本当に間違いないのか?」と。
能面などを見る限りでは、あまり、同じような顔には思えないんですよね。
もし、居たとしても、「たまたま、その人だけだったんじゃないか?」と。

で、このポンペイの遺跡から発掘された像の中に、ローマの初代皇帝、アウグストゥスの妻、ユリアの像がありましたが、それを見た限りでは、以前、デンマークでみた人魚姫の像と同じでしたね。
肩幅広ッ!という(笑)。
二の腕なんかは、私よりでかいという・・・(笑)。
やはり、日本人的には「細い肩を抱けばわかる♪」なんて、歌の文句の方がいいですね。
ユリア像なんかは、明らかに「肩を抱く」と言うよりも、「肩を組む」という表現の方が的確なようで・・・。
あ、・・・失礼(笑)。


(ちなみに、「エジプトスフィンクスの視線の先には、現代ではマクドナルドが在る」と言いますが、デンマークでも人魚姫の視線の先には工場があります(笑)。
ちなみに、人魚姫のモデルは、故岡田真澄氏の祖母だというのもよく知られた話ですよね。)

で、そのまま帰っても良かったのですが、入場券には常設展示の方のチケットも付いており・・・。
足もきついけど、まあ、せっかく、付いているんだから見るか・・・と。
ということで、常設展示の方にも足を向けたのですが、先日も申しましたとおり、私は博物館ならまだしも、美術館ということになると門外漢も甚だしく、これまで行ったことはなかったので、事実上、初めての美術館体験ということになりました。
(あ、以前、徳川美術館には行ったこと有りました・・・。あまりに、つまんなくて、すぐに出てきたという・・・(笑)。)
で、行ってみて、結構、びっくり・・・。

福岡市美術館・・・、捨てたもんじゃないですね。
「え!こんなものがここにあるの?」みたいな作品が結構ありました。
東郷青児、 三岸好太郎、青木繁を始め、シャガール、ミロ、アンディ=ウォーホル・・・等々、そうそうたる物で、私はこの有名な作品が福岡にあるとは知りませんでした。
(正直、ウォーホルのあの有名なプレスリーを描いた作品、「エルビス」だけは、何が偉大なのか、実際に見ても、さっぱりわかりませんでした(笑)。)
中でも、驚いたのが、フジタの裸婦像があったことでした。
「あ、これが有名なフジタの白か・・・。」と。
まあ、それ以上ではありませんでしたけどね(笑)。
他も殆どが私の理解を超えており、琴線に触れるようなことは有りませんでしたが、一点だけ、思わず見入ってしまった作品がありました。
それが、藤野一友という人の「抽象的な籠」という作品でした。

私は、あいにく、この人の名前は初めて聞いたのですが、1964年の作品と言いますから、昭和39年、私が3歳の時の作品です。
まるで、今見ても・・・、いや、むしろ、「今だからこそ、ありがちな作品」のように見えましたね。
構図だけを見ると、少し、ダリの影響もあるようには思えましたが、実際の現物は、匂い立つようなものがあり、思わず・・・。
(ここから先はご想像にお任せ致します・・・(笑)。)

ていうか、視点がすでに低俗ですね・・・。

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映画「太陽 The Sun」にみるGHQは日本の捕虜?

2006年10月04日 | 文学芸術
親愛なるアッティクスへ

昨日は、ここに居ました。
初めて入った・・・、小さな・・・見落としそうな店だったのですが、でも、中に入ったら、客席はそれほど多くない物の、中には小さなステージがあり・・・。
ちょっとしたブルーノート状態でしたね(笑)。

で、その気分に浸りながら・・・(笑)。

先日、話題の映画、「太陽 The Sun」を見に行ってきました。
この「太陽」は、終戦前後生身の昭和天皇を描いた作品で、昭和天皇ヒロヒト役にはイッセー尾形、皇后に桃井かおり、侍従長に佐野史郎という配役・・・。
そして、監督はイルクーツク出身ロシア人であるアレクサンドル・ソクーロフ氏・・・という異色の組み合わせで、第13回サンクトペテルブルク国際映画祭グランプリを獲得するなど、海外では、早くから評判になっていた作品だとか・・・。
ただ、昭和天皇という微妙な題材であることから、日本では「公開される見込みがない」とまで言われたそうですが、曲折を経て、ようやく、日本でも公開されることになったとか・・・。
で、是非、見てみたいと思い、友人を誘って行ってきた次第でした。

私は、とかく神格化された天皇像の陰に隠れて見えなかった生身「人間」天皇像・・・というふれこみだったことから、大いに興味をそそられていました。
確かに、昭和天皇役のイッセー尾形は、「出で立ちから話し方に至るまで昭和天皇の雰囲気を見事に再現している」と評判が高かったのですが、確かに、良く聞いた記憶がある「あ、そう」というセリフであるとか、口をモゴモゴさせる仕種など、我々がよく知っている昭和天皇の姿に似ていたのですが、でも、それって(我々が知っている昭和天皇の姿とは)晩年のものですよね。
昭和20年当時、昭和天皇はまだ、40代・・・。
果たして、当時から、あの晩年のようなしゃべり方だったのか・・・という点は、少し疑問に思いました。
むしろ、人間天皇を強調する余り、あそこまで、そればかりを強調する必要があったのかな・・・と。
殆ど、最初から最後まで、イッセー緒方の一人芝居を見せられるのは、少し、辛かったです。

一方、感心したのが、老人の顔・・・です。
出てくる閣僚侍従大学教授などの顔は、まさしく、あの時代の老人の顔でしたね。
(もちろん、私も、その時代を直接、知っているわけではないのですが・・・。まあ、私が子供の頃までは、まだ、そう言う顔の老人がいらっしゃったということで・・・(笑)。)

それから、感心したのが、マッカーサーとの会談の後、退出した天皇を見送りながら、マッカーサーが呟くセリフです。
「誰かに知っている人物に似ているのだが思い出せない」と。
これは、脚本ですかね?
もし、脚本であれば、このセリフが出てくるというのは大したもんだと思いました。
(その後の場面で、遠回しにチャップリンに似ているというのが出てくるんですが、これはむしろ、余計でしたね。少なくとも、マッカーサーのセリフと一本の線になることは避けた方が良かったかと・・・。)

マッカーサーと言えば、先日からご紹介申し上げている大著、「板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜」の中には、「占領軍(GHQ)は俘虜であった」というくだりが出てきます。
曰く、「形の上では占領軍であっても、1億人(当時は実際には6千万人弱だと・・・。)に対する数十万人ですから、実際には占領軍が俘虜のようなものだった」と・・・。
まあ、確かに、交流的な面に限って言えば、そう言う見方もできるのでしょうね(笑)。

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王監督続投にみる撤退する勇気!

2006年10月03日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

何事も「勝っている戦を止めるのは難しい」と言います。
日清戦争においても、伊藤博文を始めとする明治政府首脳としては、「勝っているところでの講和」に持って行こうとしたところ、国民感情は「もっともっともっと、とことん完勝してからの講和」を望み、その為、講和に不満な輩が、講和会議をぶちこわそうとして、清国全権李鴻章襲撃するという愚挙に出たということがありました。
結果、日本側は譲歩を余儀なくされ、李鴻章はほくそ笑んだという話があります。
同様のことは、日露戦争の時の講和内容を不満とする日比谷焼き討ち事件にも見てとれるでしょう。
つまり、調子の良いときに手を引くのが如何に難しいかということです。
パチンコでジャンジャン出ているときに止めるようなものでしょうから。

ところで、先日、あるホークス関係の雑誌の中に、福岡ソフトバンクホークスの不動の四番打者、松中信彦選手のインタビュー記事が載っていたのですが、その中に、松中選手の言葉として、「ストレートをファールしたら、王監督に怒られる」というのが載ってました。
そう言えば、王監督は、以前から、「ストレートは確実に仕留めなければダメだ!」と言っておられたような記憶がありますが、この辺が、三冠王同士という達人の会話なんでしょうね(笑)。

で、その王監督、来季も続投だとか・・・。
大変、驚きました。
はっきり言って、正気の沙汰とは思えませんよ。
王監督の体調のこともながら、次期監督含みで二軍監督やっている秋山さんだって、何年、待たせればいいんですか?
もう、いいかげん、譲ってもいいんじゃないですか?

王監督も、大変失礼ながら、私生活では、奥さんに先立たれていらっしゃいますよね。
となれば、はっきり言って、家に帰っても話し相手もいないわけですよ。
本当であれば、二人でこれからの老後が待っていたのでしょうが・・・。
さらに、病気のことも、現場で指揮を執って気を紛らせたいということなのかもしれません。
その点は、お気の毒だとは思いますが、でも、王監督の私生活での辛さ、寂しさはわかりますが、(たぶん、私も間違いなく「明日は我が身」です。)やはり、そういうところへ、私生活を持ち込むのは如何なものでしょうか?

今の福岡では、この意見を述べるのは、正直、勇気がいるのですが、敢えて、福岡の恩人と思っている身として言わせて頂くなら、私には、王さんが現場にしがみつこうとしているようにしか思えません。
平太郎独白録 「祇園風に吹かれる福岡市民は王さんに足を向けて寝られない」参照。)
王さんは、球団社長として、立派に、「すること」、いや、むしろ、王さんでなければ「出来ないこと」があるわけですから、もう、退くべきだと思います。
思わず、92歳になっても、まだ、実権を手放さなかった松下幸之助を思い出してしまいました。

少なくとも、まだ、来年もやろうなどというのは、後継者の立場からも、そして何より、お体に万一のことがあったときのこと、球界の損失ということを考えたならば、どう考えても、「正気の沙汰」ではない・・・と思うわけです。



(↑王監督が初めて監督をやったときの巨人のドラフト1位、吉田修司投手です。1999年、2000年ダイエーの優勝の時は、大車輪の活躍をしましたが、今となっては過去の人・・・でした。ここ数年、姿を見てませんでしたから、まだ、現役ということに少し驚かれる方もいらっしゃるかも知れません。その彼も、確か、今、38歳・・・。今年のシーズン終盤、復活をかけての登板でしたが・・・。)

ついでに、キャスターの筑紫哲也さんの番組に、「ニュース23」というのがありますよね。
久米宏氏のニュースステーションに対抗して作られたように記憶しているのですが、その久米氏もすでに同番組を去った今、筑紫さんも、もう、明らかに滑舌が悪くなっているのに、何と、驚くことに、今度の番組改編で、筑紫さん以外全員が降板させられたのだとか・・・。
こちらも、松下幸之助状態ですね(笑)。

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大嶺投手のロッテ指名に見る高校生ドラフトの在り方。

2006年10月02日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

今年も、我が福岡ソフトバンク・ホークス優勝は厳しそうですね。
(↑は、福岡市南区出身、日本ハム 新庄選手福岡ドーム最後の打席です。)

一位通過どころか、日ハムとの2連戦に2連敗して、日ハムの一位通過の立役者となり、これではファーストステージに勝ち残らない限り、福岡ドームでのプレーオフも無いという・・・。
でも、三位が決定した以上は、頭を切り換えて、文字通り、「能ある鷹は爪を隠す」・・・ってところを見せて欲しいんですけどね。
まあ、今の沈滞ムードを見ていると、いずれにしても、かなり、厳しい局面にあるようには思えますが・・・。
おまけに、高校生ドラフト一位指名予定だった八重山商工大嶺投手まで 「ロッテ突然の指名」にさらわれるし・・・。
大嶺投手は、この番狂わせショックの色を隠せないようで、泣いていたとか、野球部の監督はロッテのスカウトからの電話には出てない・・・なんて話も聞いております。
で、これを見てて、少し思ったんですけど、ドラフトの朝、大嶺くんはテレビの電話取材に答えてたんですよね。
私も見てましたが、そのとき、「希望の球団は?」と聞かれ、「特にありません。どこにでも行きます」と答えてたんですよ。
大人が、「後々、敵を作っちゃいかん」とか、「最初から生意気なイメージをつくらないように・・・」「指名されればどこの球団にでも行きますと言え」などと、色々、知恵付けるんでしょうけど、本人に、はっきりと希望球団を言わせていいと思うんですよね。
もしや、ロッテの担当者も、その番組見て、勘違いしたのでは・・・って。
だって、今まで、ロッテは全然、指名・・・なんてこと言ってなかったわけですから。

ホークスは、高校生のドラフトでは、古くは1993年宇和島東高校平井正史投手を相思相愛で指名するはずだったにも関わらず、オリックスが突然、これを指名し、さらわれたという過去があります。
また、同じく、新垣渚投手(現ソフトバンク)を獲得するはずが、オリックスが突然指名して、新垣投手はこれを拒否したため、挙げ句、オリックスの三輪スカウト自殺するなんて事件もありましたよね。
さらに、昨年も一位指名予定者が、突然、指名した日ハムに持って行かれるし・・・。

平井投手の時だったか、新垣投手の時だったか、「パ・リーグは人気がないから、なかなか、良い選手が取れない。だから、社会人・大学ドラフトになると、自由獲得枠逆指名では取れる選手がいなくなるし、取っても入団拒否にあう可能性が高いから、拒否権がない高校生に集中せざるを得ない」という話を聞いたことがあります。
なるほど、確かに、これまで、ホークスと相思相愛だった選手を突然、指名したのは、すべて、パ・リーグの球団です。
巨人や阪神の指名する選手をパ・リーグの球団がドラフトで交渉権を得たとしても、入団拒否にあう可能性も高く、であれば、同じパ・リーグのホークスが指名する選手なら、それよりは、幾分は、拒絶反応も多くないのでは・・・と考えたとしても不思議はないでしょうね。

でも、だからこそ、もう少し、高校生の側にも、希望球団を言わせ、「そこじゃなければ、進学する」などという脅しをかけるくらいの対抗措置を認めてやるべきだと思うんですよ。
以前のウェーバー方式のドラフトの時は、指名される側にも、そういう風潮があったように思うんですけどね。

高校生ドラフトに自由獲得枠を認めないのは、ノンプロに来る選手が少なくなることを危惧したノンプロ側からの申し入れだったとも言いますが、そのノンプロ側だって、シダックス撤退を表明したように、数は減っているわけですし、今更、そんな心配いらないように思えるんですけどね・・・。

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