親愛なるアッティクスへ
「フルスイング」といえば、奇しくも、昨日、ミスター・フルスイングと言っても過言ではなかった闘将・江藤慎一氏がお亡くなりになりましたね。
私はこの人のことは、太平洋クラブライオンズのプレイイングマネージャーとしてしか覚えてませんが、謹んでご冥福をお祈りします。
で、昨日の続きです。
人間、「夢」というものは必要です。
ただ、夢を追いかけている間は良いんですよ。
目の前にあるゴールテープに向かって走っていればいいんですから。
しかし、本当にそれが実現できる人というのは、ほんの一握りの人であるというのもまた現実であり、であれば、いつかは夢破れる・・・、あるいは、夢と決別しなければならない日が来るわけで、本当に、生徒に教えてあげなければいけないのは、むしろ、そこから先のことではないか・・・と思ったわけです。
そして、その意味では、この高畠氏こそ、それを語ってやる上では適任中の適任だったのではないかと・・・。
高畠氏は、番組の中でも少し言ってましたが、元々、高校時代、甲子園を目指しながらも甲子園には行けず、卒業後もどこからもドラフト指名はなく、それでもプロを目指し、大学やノンプロを経て、ようやく、南海ホークスにドラフト5位で指名されたものの、今度は怪我に泣き、選手生活はわずか5年で終わった・・・と。
つまり、彼は甲子園という夢に向かい果たせず、プロ野球選手という夢に向かい夢破れた・・・という経歴を持っていたわけですね。
しかし、彼は、引退後、当時の野村克也南海ホークス監督(現楽天監督)に認められ、29歳という若さで新たな打撃コーチという仕事に巡り会います。
当初は、それなりに葛藤やジレンマなどもあったのかもしれません。
しかし、彼は、やがて、そこに新たな「夢」を見出します。
つまり、彼は同じ野球でありながらも、「自分でやる」ことから、「選手を育てる」ということに「夢」を見出した・・・、いや、夢を軌道修正して、また、夢を使えるようにしたといえるわけですね。
この話は、何もプロ野球に限ったことではなく、要は、主体が、「自分」から、「他人」に変わっただけのことです。
なぜなら、往々にして、夢というのは「自分の為」のものであり、元々、他人のために夢を描いている人というのは少ないように思うからです。
であれば、視点を転じ、自分を捨て、今度は他人のために何かが出来ないか・・・と。
平たく言うならば、まず、夢破れた時点での選択肢は3つある・・・と思います。
即ち、
1.まだ、燃え尽きていないとして、あくまで「夢」を追いかける。
2.もう、十分にやったとして過去の夢(栄光)を思い出として、遺産として、別の道で生きていく。
3.あくまで何らかの形で夢に関わりながら生きていく。
・・・夢とは、無論、各人各様であり、最終的にどうするかは自分で決めなければならないことなのでしょうが、とかく、多くの人が「1」と「2」の二者択一を迫られているように思えます。
つまり、それと別に、第3の道もある・・・ということをこそ、「夢」を語る上では生徒に教えてあげるべきではなかったかと思うのです。
(第3の道を歩き、あるいは縁在って、また、元の夢追い道に戻る可能性もないとはいえないでしょう。)
つまり、フルスイング第1話での「夢」の話には、「夢を無くしていけない!」で終わらせるべきではなく、こう言うべきだった・・・と。
「夢というのは絶対に持つべきであり、目指すべきだ。しかし、すべての人がそれが実現できるとは限らない。夢破れたときに、どうするかこそが大事だ。そこでどうするかによって、そこから先の色が随分違ってくる・・・。しかし、それは各人各様でもあり、従って、その結論は自分で出さなければならない。しかし、夢に携わって行きたいと思うのなら・・・、あくまで、夢から大きく外れたくないと思うのなら、そういうときは、夢への視点を『自分』から『他人』へと移してみることも考えてみるべきではないか・・・」と。
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「フルスイング」といえば、奇しくも、昨日、ミスター・フルスイングと言っても過言ではなかった闘将・江藤慎一氏がお亡くなりになりましたね。
私はこの人のことは、太平洋クラブライオンズのプレイイングマネージャーとしてしか覚えてませんが、謹んでご冥福をお祈りします。
で、昨日の続きです。
人間、「夢」というものは必要です。
ただ、夢を追いかけている間は良いんですよ。
目の前にあるゴールテープに向かって走っていればいいんですから。
しかし、本当にそれが実現できる人というのは、ほんの一握りの人であるというのもまた現実であり、であれば、いつかは夢破れる・・・、あるいは、夢と決別しなければならない日が来るわけで、本当に、生徒に教えてあげなければいけないのは、むしろ、そこから先のことではないか・・・と思ったわけです。
そして、その意味では、この高畠氏こそ、それを語ってやる上では適任中の適任だったのではないかと・・・。
高畠氏は、番組の中でも少し言ってましたが、元々、高校時代、甲子園を目指しながらも甲子園には行けず、卒業後もどこからもドラフト指名はなく、それでもプロを目指し、大学やノンプロを経て、ようやく、南海ホークスにドラフト5位で指名されたものの、今度は怪我に泣き、選手生活はわずか5年で終わった・・・と。
つまり、彼は甲子園という夢に向かい果たせず、プロ野球選手という夢に向かい夢破れた・・・という経歴を持っていたわけですね。
しかし、彼は、引退後、当時の野村克也南海ホークス監督(現楽天監督)に認められ、29歳という若さで新たな打撃コーチという仕事に巡り会います。
当初は、それなりに葛藤やジレンマなどもあったのかもしれません。
しかし、彼は、やがて、そこに新たな「夢」を見出します。
つまり、彼は同じ野球でありながらも、「自分でやる」ことから、「選手を育てる」ということに「夢」を見出した・・・、いや、夢を軌道修正して、また、夢を使えるようにしたといえるわけですね。
この話は、何もプロ野球に限ったことではなく、要は、主体が、「自分」から、「他人」に変わっただけのことです。
なぜなら、往々にして、夢というのは「自分の為」のものであり、元々、他人のために夢を描いている人というのは少ないように思うからです。
であれば、視点を転じ、自分を捨て、今度は他人のために何かが出来ないか・・・と。
平たく言うならば、まず、夢破れた時点での選択肢は3つある・・・と思います。
即ち、
1.まだ、燃え尽きていないとして、あくまで「夢」を追いかける。
2.もう、十分にやったとして過去の夢(栄光)を思い出として、遺産として、別の道で生きていく。
3.あくまで何らかの形で夢に関わりながら生きていく。
・・・夢とは、無論、各人各様であり、最終的にどうするかは自分で決めなければならないことなのでしょうが、とかく、多くの人が「1」と「2」の二者択一を迫られているように思えます。
つまり、それと別に、第3の道もある・・・ということをこそ、「夢」を語る上では生徒に教えてあげるべきではなかったかと思うのです。
(第3の道を歩き、あるいは縁在って、また、元の夢追い道に戻る可能性もないとはいえないでしょう。)
つまり、フルスイング第1話での「夢」の話には、「夢を無くしていけない!」で終わらせるべきではなく、こう言うべきだった・・・と。
「夢というのは絶対に持つべきであり、目指すべきだ。しかし、すべての人がそれが実現できるとは限らない。夢破れたときに、どうするかこそが大事だ。そこでどうするかによって、そこから先の色が随分違ってくる・・・。しかし、それは各人各様でもあり、従って、その結論は自分で出さなければならない。しかし、夢に携わって行きたいと思うのなら・・・、あくまで、夢から大きく外れたくないと思うのなら、そういうときは、夢への視点を『自分』から『他人』へと移してみることも考えてみるべきではないか・・・」と。
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