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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

黄金の日々を謳歌できるかの青天を衝けでの岩崎弥太郎人事

2021年04月28日 | その他
さて、4月。
コロナ自粛で特に何も出来事もなく。

今、BSで昭和53年(1978年)の大河ドラマ「黄金の日日」やってますよね。
当時、私は高校生。
評判の割には、イマイチ、面白くなく、あんまり見た記憶がなかったのですが、今見ると面白いですねえ。
(当時、これに引っかけて「焼肉のたれ 黄金の味」が出たことでも評判の程がわかるでしょうか。)
主役の市川染五郎(当時。現松本 白鸚)・・・はイマイチなのですが、脇役陣、特に、川谷拓三と根津甚八は良い味出してますよねえ。
やはり、梨園の御曹司と違い、叩き上げから来た人たちは、いろんな引き出し持ってますよ。
(ちなみに、当時も今も、鶴田浩二はものすごく違和感ありますね。)



(冒頭、ナレーションが「イスパニアの圧政にネーデルランドの都市が立ち上がったが、日本では織田信長の支配に抗い堺が・・・」とか言ってましたが、スペインのオランダ侵略は「圧政」なんて生易しいものではないですよ。イタリアがスペインとフランスの覇権争いの舞台になったのは知っていましたが、オランダの場合は異端ということもあって、むちゃくちゃされてます。)

で、昔はよかったばかり言ってても仕方ないので、今年の大河ドラマ「青天を衝け」ですが、私は今のところ、渋沢栄一が出てくるシーンはほとんど早送りで見ており・・・。
ま、これから栄一の活躍が始まれば、面白くなるんだろうとは思いますが。
で、今、私の一番の関心は、宿敵・岩崎弥太郎の役を誰がやるんだろう?ということ。


後年、栄一の孫と弥太郎の孫は結婚するのですが、この時、弥太郎は既に鬼籍に名を連ねていたものの、栄一はまだ健在で、この結婚にあまりいい顔をしなかったと言いますから、岩崎アレルギーのほどがわかるでしょうか。
おそらく、岩崎の方も弥太郎が生きていたら、絶対に許さなかったでしょうね。
(孫同士はこの時代には珍しい恋愛結婚だったそうですが、それでも、弥太郎の跡を継いだ弟、岩崎弥之助が関係修復に意を注いでいたという基盤があったればこそだったかと。)
その意味では、この両雄、ライバルなどという生易しい関係ではなく、真から憎みあっていた「宿敵」だったのでしょう。

この不幸なすれ違いの原因は、栄一が少額の金を集めて大きな仕事をする「合本主義」を説いたのに対し、弥太郎は「社長独裁」を唱えたという考え方の違いにもあったのでしょうが、一つには、弥太郎との激しい抗争のさなか、栄一は妻、千代をコレラで失った・・・ということもあったのではないでしょうか。
栄一は弥太郎の攻勢の前に、たびたび、苦境に立たされながらも、寸暇を縫って看病に帰っていたそうですが、そんな中での、あまりに早すぎる死。
「あいつだけは絶対に許さん!」という気になったとしてもおかしくはなかったでしょう。
                     平太独白

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2010年09月07日 | その他
親愛なるアッティクスへ

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である平太郎独白録 親愛なるアッティクスへの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

平太独白

祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その3

2010年03月26日 | その他
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

本日は、私が拙ブログを運営(?)するに当たり、旨としていること、社是ならぬ、「ブロ是」とでも言うべきものについて、今更ではありますが、少々、述べさせて頂こうと思います。

まず、毎回、画像の下に掲示しております「世の出来事に対し独自の歴史観で語ります」と述べておりますとおり、私は物事を見るに当たって、出来るだけ様々な角度から見てから判断を下したいと考えており、つまり、それが当を得た物かどうかは別として、「ハッとしたこと」、「そういう見方もあるか」・・・ということを、より重視したい・・・と。
ただ、これは以前もどこかでふれたと思いますが、この作業は口で言うほど簡単ではなく、それなりに日頃からそういう視点で見る習慣を身に付けておかねば、知らず知らずのうちに固定観念に囚われてしまうんですよ。
で、その際に大事なのが、明らかに的はずれな意見であっても頭ごなしに否定しない・・・ということ。

徳川家康は家臣のどんな採るに足りない意見でも熱心に耳を傾けたと言われており、それは、頭ごなしに却下すると、家臣は考えようとしなくなる・・・ということだったようですが、その一方で、一見、くだらなさそうに見える案の中に良案が潜んでいるかもしれないわけで、現に、織田信長の革新的な制度というのは、当時の常識で言えば、「却下」に値する物も少なくなく・・・。
その好例が兵農分離でしょう。
兵と農を分離してしまえば、確かに、農繁期の活動に制約は受けなくなる反面、絶対的な兵力は過小になるわけで、普通、「アホ!」で終わりですよ。
それに、世の中には、明らかに現実離れした意見であっても、それが実現してしまう・・・ということもなきにしもあらずで・・・。

昭和29年(1954年)、東西冷戦の中で繰り返される核実験に対し、普通の主婦が、夫に「どうして、核実験を禁止できないのか?」と聞いたところ、夫は「バカタレ!そんなことができるか!」と怒鳴ったそうで、普通、このご主人ならずとも、多少なりとも社会情勢に通じている人であれば日本は敗戦国なんだし、そう考えますよ。
ところが、その主婦たちが原水爆反対署名運動を開始したところ、やがて、欧米を巻き込み、世界で7億人もの署名を得るに至るまでになってしまい、さすがにここまで「民意」を見せつけられると国際社会も無視できなくなってしまった・・・という話もあります。

・・・ということで、明らかに見当違いの駄文も多々あるかとは存じますが、どなた様も、辛抱強くお付き合いのほどをお願い申し上げます。
ちなみに、私、幼稚園の頃から、「お遊戯」が大嫌いでして、何で皆と同じように躍らなければならないのかが理解できず、従って、保母さんに手を焼かせたこと、数知れず・・・でして。
まあ、その点では、元々、納得できる理由が見あたらない規律という物が嫌いだったんでしょうね。
(先生が、その規律が存在するに当たって、「理由」「背景」を教えてくれれば良かったんですが、誰一人、そういう人は居ませんで・・・、結局のところ、「先生~♪、あなたはか弱き大人の~代弁者なのか~♪by尾崎豊」だったのでしょうか(笑)。)
                                         平太独白

祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その2

2010年03月25日 | その他
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

本日はまずは、この五年間での裏舞台について・・・です。
まず、アクセス数(ユニークユーザー数)につきましては昨日も触れたとおりなのですが、以前、日祝以外の毎日書いていたときは、大体、一日250~350人の方のアクセスがあったものの、更新を不定期とした4年目以降は一日150人前後というところで落ち着いてきたようです。
ただ、意外だったのが、去年の秋口に、訳あって一週間ほど書かなかったことがあるのですが、さぞかし、アクセス数は0に近くなっているだろうな・・・と、「まあ、ぼちぼち潮時かな」などと思っていたところ・・・、蓋を開けてみると、意外に毎日、コンスタントに100人以上の方にお越し頂いており・・・。

で、再び、割とこまめに更新するようにしたところ・・・、皮肉なことに、なぜか、昨年末辺りから1月くらいまでは100人を割る日も少なくない日が続き・・・(笑)。
で、気を取り直して書き続けていたところ、まあ、どなた様も年末年始の多忙に一区切り付けられたからか、2月くらいから元の100という数字に戻って来るようになったのですが・・・、ここで事件が起きたんです!
先月20日、アクセス数を見てみたら、「575」となっている・・・。
「ん?間違いか?」と思い、確認したところ、やはり、575・・・。
私としては、特に、話題に上ることも書いてなかったものですから、「は?何で?」という思いがあり、今度は2月の検索ワードランキング(↓)を確認してみたところ、1位として644のアクセス数を叩きしていた物がありました。

それが「樅の木は残った あらすじ」・・・です。
「樅の木は残った」といえば、言うまでもなく、山本周五郎原作で昭和45年(1970年)のNHK大河ドラマでもありますが、6位にも31アクセスで、「樅の木は残った あらすじ」の文字あるわけで(←どう違うのかわかりませんが(笑)。)、如何にダントツだったかがおわかりになるでしょうか。
でも、最近、あれがドラマになったという話も聞かないので、「何で?今頃?」と・・・。

ちなみに、3位は瀬島龍三氏の「瀬島機関 39」ですが、こちらも、4位、10位にも入っており、まあ、こちらは、ドラマ「不毛地帯」の関係からだと思いますが、でも、この人はそれ以前から、結構、しぶとく入っていたんですよ。
(この人については、私も違う意味で印象深い人でした。私がこの人のことを採り上げたのはそれほど多くないのですが、礼賛、軽蔑、いずれも極端な反応があり、結構、辟易させられました。その意味では、亡くなってからも、これだけ、人々の関心を惹くということは良い悪いはともかく、本当に賛否両論、毀誉褒貶、人の評価が定まらない人なのでしょう。)

その意味では、この検索ワードランキングというのは、時々、見てると、面白い物ですよ。
「は?何で、これが?」みたいなのがありますから。
                                         平太独白

祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その1

2010年03月24日 | その他
親愛なるアッティクスへ

お陰様をもちまして、拙ブログも2005年の3月下旬よりの書き始以来、5周年を迎えることが出来ました。
この間、起稿した拙文は1,215本、アクセス頂いたユニークユーザー(正味の人数)はこのエキサイトだけで157,991人、これに当初やっていたライブドアや、一時期併設していたJANJANgooなども含めると、おそらく、25万人近い方にアクセス頂いたのではないかと思います。
どなた様も、このような、とりとめもない駄文にお付き合いくださり、誠に有り難うございました。
改めて、皆々様のご厚情に厚く御礼申し上げます。

ただ、毎度申し上げておりますように、当初は、まさか、これほどに長いスパンを想定して書き始めたわけではないもので・・・、それどころか、「ちーと、やってみるかねぇ」程度の軽い気持ちで始めたもので・・・、正確な日付がわからなくなっており・・・、まあ、確か、このくらいやったろう・・・という、例によって典型的福岡人気質アバウトさで本日にしました・・・(笑)。
(すなわち、書き始めた当初、書くことが山のようにあったので、遡ってまとめて書き、やがて、日を経るに従って書いては消しを繰り返した結果、周年ということになったときに調べてみたらわからない・・・と。)
それに、大体、このくらいの時期はWBCプロ野球開幕と重なるから、まあ、この辺でいいや・・・と(笑)。

で、4周年の時は、「いつまでこんなことやってるかなぁ」という感じでしたが、さすがに、5周年ともなると、そういうわけにもいかず、こんなことなら、3周年までで、あんなにネタを浪費するんじゃなかった・・・と(笑)。
まさか、熱しやすく冷めやすい典型的福岡人の私が5年もやる・・・とは思ってませんでしたからねぇ。

で、小難しい話は明日以降に持ち越すとして、これは私からの5周年のプレゼントです。
つまらない物ですが、少し前に、戯れで書いた小説です。
             ↓
http://ncode.syosetu.com/n0250k/

ついでに、こちらは起稿済みの物ですが、よろしければどうぞ。
             ↓
http://ncode.syosetu.com/n1660k/

http://ncode.syosetu.com/n1659k/

で、これ・・・、誤解があると困るのですが、別に「一旗揚げてやろう!」などということではなく、なぜ、このような形でUPしたかと言うと・・・、以前、私の故郷である現博多駅前3丁目・・・、当時の「福岡市下人参町」のことを調べていて、たまたま、同地付近について書かれた土成謹造という人の、「キンゾーの作り方」というネット小説を見つけたからでした。
(こちらについては、ちと、方言色が強く・・・、それも死語になった観の物が多く、福岡県以外の方が見ると、とても読みにくいと思いますので、ご紹介程度に留めさせて頂きます。)
この話についてはまた、後日、改めて触れたいと思っていますが、まさしく、我が、下人参町界隈の話であり、私の子供の頃の世界でして・・・、是非、作品にコメントを残したい・・・と思ったところ、コメントしたいなら、ログインして自分も何か小説をUPしろ・・・ということで、やむを得ず、こういう物をUPした次第でした。
いずれにしても、それほど、大した物ではありませんけどね・・・。

明日に続く。
                                         平太独白

七草粥と関係ないけどお知らせ

2009年01月07日 | その他
親愛なるアッティクスへ

ワタクシも本日は実家で胃腸に優しい七草粥を食して参りました。
(でも、雑煮食って、七草粥お代わりしてたら一緒か・・・という気もしないでもありませんが(笑)。)
で、昔は七草と言っても、私の祖母などは「こだわらなくて良いから、とにかく、今、ある物を入れなさい」と言っていたという話を聞きました。
おそらく、「七草」と銘打ちながらも、実際は、「正月の間に中途半端に余った野菜を使いきってしまいなさい」・・・という生活の知恵ではなかったでしょうか。

で、本日はまずはお知らせです。
お気づきの方も多いと存じますが、今年からこれまで、拙稿の末尾にありましたブログランキングのクリックの方を削除しております。
元々、こちらのランキング自体は殆ど、気にしていなかったのですが、ランキングの側からこちらへ来られる方もいらっしゃるだろうという程度で載せていたものでした。
ところが、実は、昨年半ばから、どうにも私のパソコンにスパイウェアが侵入することが多くなり、当初、大量に来ていた迷惑メールが原因かと思っていたのですが、昨年秋くらいでアドレスメールソフトごと削除したのですが、それでもまだ来る・・・。
しかし、特に、毎度、怪しいメールを開いているわけでもないし、かといって、いかがわしいHPなども殆ど見た記憶もありませんないので、原因がまったくわかりませんでした。
で、年末年始の間に、ウィルスチェックを掛けた直後、ブログランキングをクリックし、再び、ウィルスチェックをしたところ、見事にスパイウェアが検出されましたので、もしや・・・と。
それでも、その後、もう一度やったときは、特に出なかったので、ダイレクトにブログランキングが感染根源だ!と決めつけるわけにはいかないのですが、元々、それほどこだわりがあったわけでもなく、まあ、飾り程度の物ですから、わずかでもリスクがあるのであれば、わざわざ、置いておく必要もないだろうと思い、だったらキリが良いところで・・・と思った次第です。

・・・ということで、本日の本題に行く前に本日はここで力尽きてしまいました。
いとをかし・・・(笑)。

                                         平太独白

祝!石の上にも三年の3周年記念! 付属報告編

2008年04月04日 | その他
親愛なるアッティクスへ

ついに、明日より四月・・・。
ガソリンは下がるそうですが、代わりに色々な物が値上がりするようですね。
取り急ぎ、ビールを買いだめしてきました(笑)。
とりあえず、上がるのは、サッポロだけだそうですが、ま、他のもいずれ上がるでしょうから買っておいていいかな・・・と。
どうせ、これから暑くなるんだし・・・と。


(←福岡タワーを真下から見上げた画像です。見上げるほどに高い・・・繋がりですね(笑)。)

で、まずはご報告です。

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である平太郎独白録 親愛なるアッティクスへの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! おまけ編

2008年03月29日 | その他
親愛なるアッティクスへ

←昨日、たまたま入った店で昼飯の後に出てきたアフターコーヒーの画像がです。

なかなか個性的な器だな・・・と思って、撮影したのですが、少し、近づきすぎたでしょうか、パッと見は何かわからなくなってしまいましたね(笑)。

で、本日は、3周年記念が、訳あって中途半端に終わりましたので、今更ながらのおまけ編です。
過去二回の周年記念号においては、それぞれ、副題である「アッティクス」と私の名前のいわれについて述べましたので、今回の周年では、私自身のことについて述べてみたいと思います・・・と言いたいところですが、実は、本当は、ここで、別の・・・、もっと、しっかりした周年に相応しい内容を考えていました。
が、それはまた、次回の4周年(あるのか?(笑)。)のお楽しみに廻すとして、私にもっとも相応しくない、私のファッション観というものについて述べてみたいと思います。

かつて、司馬遼太郎をして、「日露戦争において、日本軍陸海両軍匹敵する働きをした」と賞賛しめた、筑前福岡藩出身の軍人、明石元次郎大将は、風采にまるで気を使わなかった人だそうで、人から、「もう少し、気を遣ったらどうだ?」と言われたとき、「身なりなどに気を煩わされないのが筑前武士というものだ」とか。
別にそれに触発されたわけではありませんが、私も、元々、ファッションなんてものにはあまり興味がありませんで、以前、友人にそう言ったら、「あまり・・・じゃなくて、マッタクだろうが」と言われました。
まあ、確かに・・・と(笑)。

ここで、私に好意を持ってくださっている数少ない女性の皆様のために(←ここ、笑うところです(笑)。)くれぐれも誤解のないように申しあげておきますが、ファッションに興味がないといっても、決して、不浄不潔という意味ではありませんよ。
むしろ、逆で、家人などからは、「ちょっと汗かいたからと言って、日に何度も着替えやがって!」と言って怒られてます(笑)。

で、その、ファッションという点では、私にはひとつの理想とする姿があります。
それが、ゴルゴ13です。
ゴルゴ13とは、言うまでもなく、国際社会暗躍するスナイパーを描いたさいとう・たかをロングラン漫画ですね。
(私が幼稚園くらいから連載されてますが、やつは一体、いくつなんだ・・・と(笑)。)

彼は、報酬として大金を得ていますから、決して、貧しいわけではない・・・どころか、大金持ちなんですよ。
しかし、労働者として潜入しなければならない場合には作業服を着るし、浮浪者に成りすまさねばならないときには浮浪者の格好もする・・・。
つまり、私は、おしゃれとしてのファッションについては興味が無く、衣服については、機能性のみしか考えておりませんで、色形などどうでも良く、従って、ブランドなどにはまったく興味がない・・・ということで、つまりは、衣服などというものは、そのときそのときで、必要なシュチエーションにだけ意を持ち得ればいい・・・と思っている次第です。

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話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その2

2008年02月19日 | その他
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

まず、順を追ってお話ししますと、そもそもが、私は連休というものに気づかずに生きてるんですね。
毎回、直前になって、「あ、連休か」と気づくのですが、何でかなーと考えてみたところ、私は一週間単位で予定を把握しているようで、これは、手帳が一週間単位であることが大きいのだと思います。
だから、土日の連休だと気づくのですが、日月の連休は、手帳のページが変わってしまうことから、土曜になって、初めて、翌営業日の予定を見て、「あ、月曜も休みなんだ」と気づくもののようです。

で、今回もご多分に漏れず、土曜になって連休だと知った私は、その夜、・・・そういえば、うちのガキが「お城を見たい」などとほざいていたなーということを思いだし、・・・そういえば、なぜか、自分が子供の頃は唐津城名護屋城は割とよく行ったけど、子供たちは連れて行ったことがないなーということに気づきました。
で、折角なら、連休だし、どこかで一泊してくるか・・・と思い、子供も泊まれる安宿を探していたところ・・・、「モンゴル村」というのがヒットしたわけです(笑)。
私も、モンゴル村というのがある・・・ということは知ってましたが、それ以上の深い知識はなく、とりあえず、キャンセル可能と書いてありましたので予約し、場合によっては日帰りでも良いか・・・というようなつもりで出かけることにしたのですが・・・。

ところが、またまた、その日の夜が眠れない・・・。
結局、5時頃に市販の睡眠導入剤を飲んで、寝たのが朝6時・・・。
一旦、8時半に起きて、薬の関係で寝たような起きたような状態で、布団を出たのが10時・・・。
数日前からの飲み会の疲れもあって、食欲はまるで無し・・・。
おまけに、折からの寒波と強風の中、遮る物もない島でゲルでの宿泊なんて・・・。
この状態で大丈夫か・・・と思い、中止するべきかどうか迷ったあげく、「GO!」と。
行くだけ行って、危ないようなら帰ってくればいいさと。

で、都市高速有料道路を乗り次いで、まず、向かった先が唐津城でした。
福岡市から車で小一時間程度で着くここは、佐賀県であるものの天守閣を持つ城を持たない福岡市民にとっては、もっとも、近場の城の一つ・・・。


(←天守閣からの眺め。折から、日が差してきて、なかなかに綺麗な眺めでしたね。)

で、来週辺りに続く・・・と思います。

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話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その1

2008年02月18日 | その他
親愛なるアッティクスへ

最近、眠れない日が続いています。
で、例によって、そういうときは、また、眠り薬代わりに録りだめしていた難しい番組を見ていたのですが、その中の戦国時代を採り上げたある番組で、ヨーロッパ大航海時代のものと思われる世界地図が大映しになりました。
(大映しと言っても、画面が小さいので、それほど大きかったわけではありませんが(笑)。)

で、大雑把な地図ではありましたが、九州地方の都市の名前が書いてありましたので、思わず、一旦停止して、見てみました。
改めてみると、福岡市近辺になにやら都市名の書き込みが・・・。
「位置からして、石見銀山じゃななさそうだが、当時は、博多小倉、門司などはヨーロッパ諸国の間ではそれほど有名ではなかったはずだが・・・」と思いつつ、見てみたら、なんと、「SIMONOSEKI」と書いてありました。
下関のことですね。
でも、下関って、昔は、赤間ヶ関とか馬関とか言ってなかったっけ?と思ったものの、一時期、下関と言っていた時代があったんだろうな・・・と思いつつ、一旦停止して、他を眺めてみたら九州西端にも書き込みがありましたので、南蛮貿易で有名だった平戸かな?と思って見てみたら、何と、「SASEBO」・・・と。
つまり、佐世保ですね。
佐世保は、確か、そんなに歴史は古くないはずだけど・・・と。
で、他には、「KAGOSIMA」や「NAGASAKI」の文字が・・・。
もし、単なるお土産品として最近作られた物なら、逆に、これ作る方が面倒くさくないかい・・・と。

まあ、これがどういういわくの物なのかはわかりませんが、この地図を見て思い立ったわけではありませんが、先日の連休、を渡ってモンゴルに行き、モンゴルの住居「ゲル」に泊まってきました。



と言っても、もちろん、中国ロシアの間にあるモンゴルではないですよ。
モンゴルはモンゴルでも福岡から車で1時間程度の所にある長崎県にあるモンゴル村です。
ちなみに、海を渡ったというのは決して嘘ではなく、鷹島という島なので、フェリーに乗って行ってきました。
もっとも、乗船時間7分ですが・・・(笑)。

ということで、明日に続きます。

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三度目の謹賀新年に昭和を想う!

2008年01月01日 | その他
親愛なるアッティクスへ

謹賀新年!

旧年中に賜りましたご芳情を深く御礼申しあげます。
一昨年は、コラム論文の執筆依頼、さらには、生まれて初めての講演(三菱銀行経営者会様)と、微量ながらも風を感じることができましたが、昨年はあまりに無風に過ぎました為、今年は、「嵐の前の静けさ」であった・・・となるよう一層の精進を致す所存です。
昨年同様のご指導ご鞭撻のほどをお願い致します。

      平成二十年 元旦   梁庵平太独白



とまあ、型どおりのご挨拶は置くとして、巷間に曰く、
「昔は、高校野球の選手たちが年上だったが、それが年下になってくると、次に、相撲取りが段々と年下になってきて、ついには、プロ野球選手が年下になってしまう・・・」と。
今や、追い抜いてないのは、シニアのプロゴルファーだけ・・・。
今年も、またひとつ、年を取ってしまいそうです。

ちなみに、昨年、亡父が撮っていた8mmビデオDVD化していたので、今日、家族でそれも見たのですが、そこには、我が家の昭和47年の正月の映像が映っていました。
私が小学校4年生の時のものですね。
私の、動いているモノでは、最古の映像です・・・って、それはさておき(ちなみに、その後に動いている映像は昭和53年・・・、17歳のときのものがありましたが、その次に動いている映像と言えば、今に至るまで自分の結婚式と、便所の中で泥酔している映像だけです(涙!)。)、その、昭和47年の正月の映像には、来客だらけで身動きもとれないほどの賑やかさが映し出されていました。
母や祖母は大変だったでしょうが、子供心には、とても、楽しかった記憶がありますね。

ちなみに、当時の博多駅前一帯の景色も映っていましたが、さすがに、博多駅はもう、見えませんが、他は、今と違って、驚くほど見通しが良いですね。

ともあれ、今年も宜しく御願いします。

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「もうこれで」で終えてはいけないの今年の年末ご挨拶

2007年12月31日 | その他
親愛なるアッティクスへ


一昨日は、毎年、恒例行事となっている年末も押し詰まってからの気心の知れた連中との、今年最後の忘年会でした。
で、年末の大掃除の際に、昔の宴席での「人様に見せることが出来ない写真」がたくさん出で、その宴席に、それを持って行って、皆で見たのですが・・・。

最初、「こんな写真、流出したら、訴訟モンだよな」とか、「まだ、携帯もデジカメもない頃だよ」などと言いながら、大笑いして見てましたが、段々、皆、そのうちに、「こういうバカが出来たのが若さなんだよな」と・・・。
今思えば、よくもまあ、来る日も来る日も、大した理由もなく、こういうバカ騒ぎをやっていたもんだ・・・と。
否応なく、自分の年を思い知らせてくれたような気がした一夜でした(涙)。

で、本日の本題です。

「もうこれで・・・と言って幕を引いてはいけない」

この言葉は、ローカル岡という二年ほど前に亡くなったお笑い芸人の方の言葉だそうですが、ご存じでしたでしょうか。
実は私も存じ上げなかったのですが、この方は50歳で人気が出た遅咲きの芸人さんだそうで、つまり、ずっと鳴かず飛ばずだったことから、「もうこの辺で・・・」と言って、50歳前のどこかの時点で廃業していたら、この人の名前が歴史に残ることはなかったわけですね。
(そういえば、その宴席でも、必然的に、「織田信長大久保利通49才で死んだんだよな」という話が出ましたね・・・。)



このブログも二年半を数えたこともあり、もう、ぼちぼちいいかな・・・という気持ちになってきました。
その理由は、これにとられているエネルギーです。
私の場合、自分の中で溜まっていった欲求不満のようなもの吐き出すという行為が文章なのですが、このブログを書いているせいで、それをチョコチョコと吐き出すことになってしまい、一向に欲求不満が溜まらないんですよ。
(あくまで、「欲求不満のようなもの」であって、欲求不満ではありません。ここのところ、ご婦人方におかれましてはくれぐれも誤解のないよう御願い致します・・・(笑)。第一、もう、そちらの方は欲求自体があまり・・・、いえ、何でもないです。)

で、明年3月で当ブログも、まる三年に相成ります。
これも偏に、皆々様のお引き立ての賜ではありますが、上述のような理由で、三年を過ぎれば、ちと、歩みを緩めるかもしれませんが、何卒、宜しくご理解を賜りますよう御願い申し上げます。

ということで、今年一年、本当にお世話になりました。
どなた様もよいお年をお迎え下さい。

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ベトナム・カンボジアの旅 4 両国国民性一考

2007年12月10日 | その他
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

ベトナムの古都・フエで王宮などを見学した後、再び、飛行機で今度は、ベトナムの首都・ハノイへ。


(←こちらは、雨にかすむフエ市外の夜明けです。)
ハノイでは、ホーチミン廟前をちらっと流しただけで、すぐに、ハノイからまたまた飛行機へ。
カンボジアへ入国し、アンコールワットがあるシュムリアップ空港へ到着。
ここで、ちょっとした事件が・・・。


入国手続きを終え、ゲートをくぐったところ、この旅行でずっと同室だった方が、困惑した表情で、おもむろに話しかけてこられました。
(←フエ・ビールです。)

曰く、「君、チップ要求された?」と。
聞くと、入国審査官から、パスポート提示時に小声でチップを要求されたとか。

この点は、前日、ホーチミンの免税店で買い物をした折りには、1ドル多く払いすぎてしまった私に、その店の女性が、「1ドル多い」と言って、わざわざ、返しにきたことと比しても、ちと、お粗末・・・という感はぬぐえませんでしたね。
その方曰く、「私も今まで、世界中、色々な国に行ったけど、入国審査の折りにチップを要求されたのは初めてですよ」とのこと。
私の方は特に何事もなかったのですが、後で話を聞くと、ゲートによっては、他にもチップを取られた方がちらほら・・・。
どうやら、私は一目見て、「こいつは金持ってそうにない・・・」と思われたようで(笑)。
ちなみに、私はこれまでの人生で、一度として、恐喝というものにあったことがありません。
以前、そのことを友人に言ったら、「おまえは、どうみても金持ってそうには見えんから・・・」と言われました。
そういえば、恐喝もされたことがない代わりに、女性にも縁がないのは、たまたま、偶然なのでしょうか・・・。
ちと、複雑・・・(涙!)。

そのうち、続きます。

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ベトナム・カンボジアの旅 3 微妙な感情

2007年12月07日 | その他
親愛なるアッティクスへ

先日の続きです。

ホーチミンでは、ベトナム戦争体験施設の次に、統一会堂・・・、かつての、南ベトナムの大統領官邸に行きました。


(←統一会堂内でのベトナム人のガイド氏。右が、「私をブログに出してくださいね」と言っていたカー・ゲー氏。)

建物自体は、如何にも、1970年代に流行った設計だな・・・という感じの物でしたが、むしろ、サイゴン陥落時、ここに北ベトナム軍の戦車が入ってくる映像で記憶があります。


(←かつて、大統領に進呈された象の足の皮。似せて作った木彫りかと思いきや、本物だそうです(汗!)。)

で、統一会堂の見学を終え、昼食後、ホーチミンから飛行機で、ベトナムの古都・フエに到着しました。
こちらは、乾期にもかかわらず、台風の影響で雨・・・。
気温もさほど上がらず、予想外・・・でした。

ここで、一泊した後、翌日、フエの王宮などを見学しましたが、印象としては、中国の城と同じだな・・・と。
やはり、中国に対してはあまり、良い感情を持っていないという割には、統一会堂の内部の家具や調度品などもしっかり、中国風でしたし・・・。

ちなみに、対中感情と言えば、前夜、ホーチミンベトナム人ビジネスマンの方とたまたま話す機会があり、その折り、伺ったのですが、「ベトナム人は中国人は嫌い」だそうで、「でも、中国製品はたくさん入ってきているでしょ?」というと、「安物だ。仕方なく使っているだけ」と(笑)。
では、アメリカ人に対しては?」と問うと、「私は元々、南だったから、何の嫌悪感もない。が、北の人たちは嫌っている。ただ、北の人たちは口でそう言っている割には、自分の子供はアメリカに留学させたがるから、シンジラレナ~イ」と。
会話の中で、度々出てくる「北の人たち」という表現に、未だに微妙なものがあるように感じましたが、聞けば、その方は、ホーチミンの出身ではなく、北と南の国境付近に近い南側の出身だそうですから、別にハノイ・コンプレックスを持つ必要はないのでしょうが、あるいは、ホーチミン市民全体にそういう意識が蔓延しているのかもしれませんが・・・。

そのうち、続きます。

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ベトナム・カンボジアの旅 1

2007年12月03日 | その他
親愛なるアッティクスへ

先般、実はある「偉い人たちの会」に、例によって、まったく関係ないのに一人紛れ込んで、ベトナム・カンボジアの旅に行って参りました。
まず、福岡空港に集合し、皆さんに挨拶をするようになっていたのですが、畏れ多くも、部外者の分際でいきなり遅刻してしまいました(笑)。
でもって、フライト前に取り急ぎ、会長さんにだけご挨拶申し上げ、そのまま、機上の人となり、台北空港で乗り換えた後、一路、ホーチミンへ。
家を出たのは朝の7時半だったのに、ベトナム最大の都市・ホーチミンへ着いたときにはもう夜・・・。
しかも、向こうは日本時間よりマイナス2時間の時差があるわけで、そう考えれば、近いような気がしていたので、少し意外でした。
まあ、飛行機に乗っている時間だけで、トータル6時間くらいは乗っていたわけでしょうから、そう考えれば、まあ、わからないでもないのですが。

でもって、ホーチミンについて、まず、驚いたのが、そのバイクの多さでした。
車は殆ど走って無いのですが、殆どの人がバイク・・・。



CGかと思うくらいにバイクの洪水・・・。
(ちなみに、こちらでは、バイクのことは、「バイク」とは言わないで「ホンダ」と呼ぶのだとか。つまり、自動二輪はカワサキもヤマハもすべて、「ホンダ」なんですね。)

次に、ちと、意外だったのが、ベトナムでもカンボジアでも、殆ど、「虫」がいなかったことです。
あちらは、乾期とはいえ、最高気温が27℃くらいで初夏並の気温と聞いてましたので、さぞかし、ダニハエなどの害虫がいるんだろうなと思い、それなりに、虫除けを持って行っていたのですが、実際には、バスの中に二度ほどハエが入ってきたくらいで、殆ど、虫らしい虫がいなかったのにむしろ違和感を覚えました。
聞くと、「日本人のおかげだ」とのこと。
委細は、良く聞き取れませんでしたが、「イオン」がどうの・・・とか言ってましたから、どうやら、日本企業が進出してから、衛生環境を改善したか何かしたのでしょうね。

で、夕食後、ホテルにチェックインした後、近くに美味いフォーがあるとのことで、夜食に連れて行ってもらいました。
フォーとは、HG(すでに記憶になかったりして(笑)。)の奇声のことではなく、ベトナム風うどんのことで、私は結構、好きでしたね。
ただ、こちらの唐辛子が辛い辛い!
多少の辛さは嫌いではない私も、ここの唐辛子の辛さにだけは参りました。
思わず、ヒーヒー言いましたよ。
ビール飲んでもとれないので、思わず、何が入っているかわからないおしぼりでを拭き(それどころではなかったということですね(笑)。)、さらに、ビールを追加してもらい、ようやく・・・でした。

続きはまた明後日・・・。

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