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平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

新著、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 弥之助なかりせば」出版のご案内

2017年01月23日 | 私小説
このたび、新著、
「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 弥之助なかりせば」を出版致しました。
ちょっとした手違いで、長~いタイトルとなっておりますが、三菱の創始者・岩崎彌太郎の弟で、兄の没後に、その遺業を受け継ぎ、「三菱財閥」を創った岩崎弥之助の生涯を描いたものです。

今回はこれまでの戦国時代物と違い、三菱の創業物語を軸に、幕末明治を舞台にした物・・・となっております。
なかなか、満足行く校正が出来ておらず、いささか、読みづらいところがあるかもしれませんが、よろしくお引き立ての程、お願い申し上げます。

https://www.amazon.co.jp/dp/4344910370/

「三菱」というと、岩崎彌太郎ばかりが有名ですが、実は彌太郎の三菱は、系譜の上では今の日本郵船に受け継がれており、「三菱財閥」は弟の弥之助が「海から陸への転換」を果たして創業した物です。
さらに、弥之助は日銀総裁なども歴任しているにも関わらず、如何せん、あまりにも兄の盛名が大きすぎ、ウィキペディアなどでも、「え?たったこれだけ?」というほどにしか触れられておりません。
ということで、知名度的には決して高いとは言えない人物なのですが、「光を当てられていない人に光を当てたい」をモットーとしており、敢えて、題材としてみました。
よろしく、ご理解の程、お願い致します。
         平太独白

舌の根も乾く「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」出版報告

2011年01月29日 | 私小説
昨年末、性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之の黒田家三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版したと申し上げたばかりですが・・・、このたび、その舌の根も乾かぬうちに、道楽ついでとばかりに、関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた

「毛利輝元  傾国の烙印を押された男」
出版致しました。
からでも、左下のブックマークからでも購入できますが、念のため・・・。)
       ↓
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E8%BC%9D%E5%85%83-%E5%82%BE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%83%99%E5%8D%B0%E3%82%92%E6%8A%BC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%94%B7-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E5%B9%B3%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4779006333/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1295157045&sr=1-6

今回は結構、生活がかかっておりますので、どなた様も「黒田家三代」ともども、宜しくお願い致します(笑)。
ただ、この作品は、タイトルを見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、実は、私の処女作である「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」復刻再出版した物でして・・・、なぜ、復刻することを思い立ったかというと、偏に、本作がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮したからでした。

まず、本作が絶版後、中古品として高額な値が付いた最初は平成20年(2008年)、絶版発覚直後¥21,477・・・。
(だって、元値はたかだか、1,800円程度ですよ!)
思わず目を疑い、何度も見直して、間違いじゃない・・・とわかった瞬間、噴き出してしまいました。
貴重品扱いかよ・・・と(笑)。
(ところが、その夜、もう一度、見てみたことろ、見事に消えており・・・、これって、もしかして売れた・・・ってこと?と再び驚愕・・・。)
もっとも、まあ、これは、少々、特殊な例だろうと思いますが、それでも、その後は、ポツポツと中古品が出てきて付いていた値段は、大体、平均で1万円前後で推移しており、最近では復刻再出版の噂が漏れだしたのか幾分値下がりしましたが、それでも、今日現在で¥6,448・・・などというむちゃくちゃな数字が付いてます。

ただ、私もまさか、完売してしまうとは思っていなかったことから、正直、手元にもそれほど置いておらず、読んでみたい・・・ということを仰ってくださった方にも提供することが出来ず、内心、忸怩たる想いを抱いていたところ、その後、ネット上で、「入手すれば高く売れるレア物リスト」などというのにも載っているということを知りました。
本当に読みたい人に行き渡らず、転売して利益を得ることだけが目的の投機の対象となっている・・・という現状に、私が言うのも変な話なのですが「義憤」を覚えました。
で、この現状を憂慮し、少々、経済的には無理があるのですが復刻を決意した次第です。

ただ、私としては、前回、手にとってくださった方を騙すような形になるので、なるべく、タイトルは変えたくなかったのですが、今回は出版社が違うため、その意向には逆らえず・・・。
もっとも、校正なども一からやり直しており、前作とは装丁からして少々、趣が違う部分もあるように思いますので、その意味では見比べて頂くのも良いかもしれませんが。
と、まあ、所詮、取るに足りない物ではありますが、ご興味がお有りの方には是非、お手にとって頂きたけますよう、伏してお願い申し上げます。
                                         平太独白

性懲りもなく本書きましたの「黒田家三代」の告知

2010年12月21日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

このたび、またもや、性懲りもなく、「黒田家三代」という歴史小説を出版しました。

内容をかいつまんで申し上げますと、

戦国時代、名うての知恵者として知られた黒田如水も、その智謀ゆえに、その主君・豊臣秀吉との間に葛藤を繰り広げるが、やがて、その子で後に福岡藩初代藩主となった黒田長政も、その重臣で兄弟子(あにでし)とも言うべき後藤又兵衛との間に激しい相克の炎を燃やす・・・。
そして、時代は下り、福岡藩二代藩主となった長政の子・黒田忠之もまた、その後見役ともいうべき重臣、栗山大膳との間に再び、激しい反目の嵐を巻き起こし、「黒田騒動」と呼ばれる御家存亡の危機をもたらす・・・。

黒田家三代の葛藤と相克を描いた作品ですが、現代でも、中小企業などでは少なからず見られる人間関係にも共通する者があるように思います。
ということで、ご興味お有りの方も、そうでない方も、どなた様も遠慮無くご協力のほど宜しくお願い致します。
結構、生活がかかっております(笑)。

一応、書店でも並ぶ予定にはなっているのですが、どこの書店に置いてあるのかはまだ、出版社からは何も言ってきませんが、こちら→(「黒田家三代」)を押して頂いても、また、左サイドに表示されている「ブックマーク」の中からも買えますので、どうぞ、宜しくお願いします。

(こちらでも買えます。)
     ↓
http://www.bk1.jp/keywordSearchResult/?keyword=%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AE%B6%E4%B8%89%E4%BB%A3&storeCd=1&searchFlg=9&x=19&y=8

                                         平太独白

祝!石の上にも三年の3周年記念! 後編

2008年03月21日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

一昨日、いつものように川沿いの歩道を歩いていると、目の前で1m大魚が釣り上げられるところに出くわしました。
何と今日の記事に相応しい目出度い画像かと・・・。
で、「これ、何という魚ですか?フナ?」と聞くと、「いや、ソウギョだ」とのこと。
・・・私はソウギョが何か知らないのですが、針を外すと、そのまま、おもむろに魚を川にドボン・・・。
「食べないんですか?」と聞くと「食べるとは聞かんな」と・・・。
何か、絶版になったにも関わらず、中古市場ではなぜか定価以上で売れている拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を象徴しているような・・・、目出度さ半分・・・といったところでしょうか(笑)。

で、気を取り直して、昨日の続きです。

その、自分では自信作ではあったものの、発表しようにも対象の賞が見あたらなかった最初の拙著ですが、その後、さて、どうしたものかな・・・と思っていたところ、「他に応募した作品でも可。字数も問わない」という自費出版系の出版社の賞が目に付きました。
まあ、これに応募すると言うことがどういうことかくらいはわかりましたが、他に選択肢もなく、やむなく応募したものの、こちらでも、字数の多さ(=本の厚さ=値段が高くなる=買い手が限られる。)敬遠されたとのことで、結果、落選・・・。
で、その出版社より声がかかったわけですが、もとより、こういう会社の営業トークを本気にすることはなく、一旦、これを断りました。
(もっとも、本音を言えば、自信があった作品だけに、こういう形でしか世に出せないことに対して忸怩たる物があったことが最大の要因でしたけどね。)

とはいえ、このまま、お蔵入りにするのも忍びなく、自分の中で、しばし、葛藤があった後、ある先輩の「私の取引先の社長は最近、乗っていたセスナ墜落して亡くなった。人間、悔いの無いように・・・」という言葉を聞き、また、出版社も、かなり値引きした金額を提示してくれたことで(後で、計算したところ、ほぼ、向こうも原価でしたね。)、さらに、通常は1000部しか刷らないところを、当初から、2000部刷る・・・という力の入れようを示してくれましたので、ようやく、重い腰を上げた次第でした。

が、結果は、無名の著者の本がすぐに売れるはずもなく、数ヶ月程度で店頭からも姿を消したわけですが、ここで、私は思いました。
田中角栄進歩党大麻唯男から、『君は何もしなくて良いから』と言われて初めて公認で選挙に出たとき、話と違って、誰も何もしてくれなかったので落選したことから、『よし!自分の力で通ってやる!』と思い直し、次の選挙で当選した」・・・と。
また、「歌手の松崎しげるさんは、名曲〔愛のメモリー〕をひっさげ、外国で賞を獲得して帰国したのに、何の話題にもならず、レコード化もされなかったので、自分でことあるごとにレコード会社へ売り込みをかけて、ようやく、世に出た」・・・と。

とはいえ、業界に何のコネも知識もない私にできる自助努力などあるはずもなく、そこで、まずは「自分の主張を知ってもらうこと」から始めようと、手を付けたのがブログでした。
ということで、「石の上にも三年」と言いますので、この3年間、休日以外は一日も欠かすことなくUPし続けてきましたが、ちょうど、先頃には、その、拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]2000部を売り尽くし、このたび、目出度く絶版になったこともあり、「もう、この辺で良いかなー」と思うようになってきましたね・・・。

ということで、とりあえず、お付き合いくださってお疲れ様でした・・・。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! 前編

2008年03月19日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

おかげさまをもちまして、このブログも2005年の3月下旬(実は結構あやふやです(笑)。)より書き始めて以来、3周年を迎えることが出来ました。
この間、UPした記事は836本、訪問者数はメインのエキサイトと当初やっていたライブドア75,000名、これに、別館であるgooも加えれば、おそらく、延べ15万名以上の方にお越し頂いたものと思われまする。
(ちなみに、検索ワードランキングでは、その時々で色々と変動はあったものの、なぜか、「瀬島龍三」というワードが、絶えず上位にランクインされていたことが印象的でした。他にも、何でこれなんだ?・・・というのも、ちらほら・・・(笑)。)

これもひとえに、皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。



(←毎年恒例、特に関係ないけど周年が殺風景過ぎるのもいかがなものかという、ただ、それだけの理由での画像です。私のホームグラウンド・博多駅前の夜景ですね。そういえば、過去二回は「道」繋がりでしたが、今回も、まあ、道と言えば、道ですね(笑)。)

思えば、このブログを書き始めた三年前・・・、当時、私はそのちょうど1年前の平成16年3月に、処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を出版していました。
実は、この作品は、自分的には、それなりに自信はあったのですが、ここが地方にいる身の哀しさで、書いたは良いが、それをどうやって世に出せばいいのかが皆目検討がつきませんで、やっと、手がかりを掴んだのが、当時、とっていたそっち関係のメルマガでした。
そこには、「持ち込みなんてのは、まず、見てももらえない。に応募するのが王道」と書いてありましたので、なるほど・・・と思い、賞に応募することとしました。

ところが、調べてみたら、推理小説以外は、殆どの賞が「原稿用紙200枚以下」であり、中には、「50枚以内」というものさえある始末で、私のそれはと言えば、すでに、原稿用紙650枚になっていましたので、200枚以下では、少々、減らしたところで到底無理なわけで、やむなく、一つだけあった原稿用紙500枚以内の賞に応募しようと、様々なところをカットし、さらに、雑巾を絞るように、点や丸、さらには行を削除するなどして、ようやく、500枚ちょうどにしました。
ただ、その賞は、一応、「ジャンルは問わない」とは書いてあった物の、過去の入選作品を見てみると、明らか拙著とはにニーズが違うものばかりで、この点、そのメルマガにも、「賞には賞の求めている雰囲気のようなものがあるので、自分の作品が、それにあっているかもよく検討すること」とも書いてありましたが、そうは言われても、もとよりこちらには字数の問題で、賞に対しての選択肢などはないわけで・・・。
で、その結果は・・・というと、やはり予想通り、箸にも棒にもかからない・・・というものに終わったわけですが・・・。

後編へ続きます。

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レビュー書きましたのご報告と、当家deみる時代の距離感。

2006年09月11日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

こちらの画像は、博多港にある、私が子供の頃の博多のシンボルタワー、通称、「博多パラダイス」の夜の景です。
あ、ちなみに、奥の真ん中付近にあるやつだけです。
手前は、スーパー銭湯・・・でした。←過去形!
(画像だけでは、一つの建物のように見えますが、実際は、ちょっと、間に距離があります。)
今では、タダで上がれるただの展望台ですが、私が子供の頃は・・・、もう、まさしく、「パラダイス」でしたよ。
もっとも、入場料なんか、結構、高かったようで、あまり、行ったことなかったですけどね。
まあ、だからこそ、高嶺のパラダイスだったわけで・・・(笑)。

で、ご報告です。
実は、以前から、アマゾンへ、読んだ本や見た映画などのレビューを、気が向くままに書き殴っておりました。
もし、ヒマヒマで、もう、どうしようもない・・・ようでしたら、是非、ご一読くださいませ(笑)。
      ↓
Amazon: 池田平太郎レビュー1

(ちなみに、2ページ目は、Amazon:池田平太郎 レビュー2となっております。)

ついでに、可能な方は「参考になりましたか?」「はい」とクリックしていただたなら、きっと、神様は見ていて下さいますでしょう・・・(笑)。

で、余計なお知らせはさておき、本日の本題です。
唐突ですが、ここで、ちょいと、私の自分史を述べてみますと・・・。
自分たちの未来は明るいと信じていた大阪万博9歳の時。
やはり、今までが良すぎたと騒然としたオイルショック12歳
長島引退13歳
広島カープ初優勝14歳
(修学旅行は広島でした(笑)。)
その後は、昭和天皇崩御27歳のときまで、特に思い浮かびませんね。
もちろん、聞けば、「ああ、あれもあった、これもあった。」ということになるのでしょうが・・・。

で、一度、これを、当家のご先祖様にも当てはめてみたことがあります。
太平洋戦争終戦の時、私の12歳祖父41歳
一方、明治維新の時、私の先祖は堂だったかというと、高祖父(祖父の祖父、つまり、ひーひーじーさん)は8歳で、その父38歳
そして、私は終戦から16年目に生まれ、私の曾祖父維新から15年目に生まれています。
つまり、曾祖父にとっての明治維新とは、ちょうど、私が戦後を想うのと同じ距離感だったのでしょう。
(まあ、今の30歳前後の人におけるバブル崩壊みたいなものでしょうか。)
現代人にとって、明治維新というのは、完全に歴史の中の出来事になっているのでしょうが、曾祖父にとっては「祖父の時代の出来事であり、父が子供の頃の出来事・・・」だったと考えればいいわけで・・・。
ついでに言うと、曾祖父12歳の時には、日本が初めて体験する外国との近代戦争である「日清戦争」が起こっています。
(ちなみに、曾祖父6歳の時、大日本帝国憲法が発布され、私が6歳の年から、「建国記念日」が始まりました(笑)。)

もうひとつ、ついでに言うと、祖父は太平洋戦争、曾祖父は日露戦争、高祖父は西南戦争に従軍した世代です。
(正確には、祖父以外は行ったかどうか知りませんけど、皆、年齢から行けば、ぎりぎり、徴兵される年齢なんですよ。となれば、いずれも、あれだけの激戦ですから、徴兵されなかったと考える方が不自然なんじゃないでしょうか・・・。もっとも、明治前期は、家督を継ぐ長男徴兵されなかったと言いますが、あいにく、高祖父は次男でして・・・(笑)。)

ちなみに、高祖父と祖父は長命でしたが、曾祖父と父は短命とは言えないまでも、長生きではありませんでした。
順番から行けば、私は長生きのはずなんですけど、もっとも、どういうわけか、当家は代々、次男が多く、長男は、私と「変革からの時代感覚」を共有する曾祖父のみ・・・。
その曾祖父は、当家歴代当主中、一番の短命でした・・・(汗!)。

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またまたワタクシゴトのタワゴトのご報告と告知です。

2006年08月19日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ


↑今から、祝杯を挙げに中洲へ向かっています・・・って、うっそぴょ~ん(笑)。
なぜなら、今日の博多は台風の影響で大雨が降ってるからです。
風はあまり、大したことはなかったのですが、とにかく、雨がよく降りましたね。
(ていうか、舟で行かないし(笑)。)

で、なぜ、祝杯なのか・・・ということですが、実は、このたび、是非とも、ご報告させて頂きたいことがあり、筆(?)をとりました。

私儀、実は、先般、勿体なくも、忝なくも、「人形町サロン」様より、「論文を書いてみないか?」というお声を頂戴しておりました。
が、やはり、「論文」を書くとなると、とにかく、私には久しぶりのことでしたし、何より、過去の論者様方を拝見したら、私が昔書いたインチキ論文などでとは違い、見識在る方々ばかりの、至って本格的な論文ばかりであり、それを見た瞬間、思わず、「これは任に非ずだな・・・。」という感を強くしました。
実際、出来上がった物を見たところ、やはり、書生論の域を出るものではなく・・・。
正直、改めて、「これは、やはり、任に非ず・・・だな。」という感を強くし、論文ではなく、「読者の声」という短い読者感想文を出させて頂き、それで何とか、お茶を濁そう・・・などという不埒な考え(笑)を持ったのですが、それが、忝なくも、再度、「では、エッセイという形で著書のことでも書いてみて下さい。」との有り難いお言葉を頂戴しました。
(読者の声はこちら→人形町サロン -黒岩政経研究所 「読者の声」

で、まあ、それならば、何とかなるか・・・と思い、恐る恐る書いてみたのですが、選者様より、「よくできました」のお言葉を賜り、今般、晴れて、人形町サロン様の【 今月の識者 】の欄に識者でもないのに載せて頂く運びとなりました。
             ↓
人形町サロン - 黒岩政経研究所 「毛利輝元に見る危機管理」

勿体ないやら、忝ないやら・・・三拝九拝というところですが、とにもかくにも、お目通し頂けましたら、何よりの幸甚と存じます。
(取るに足らない私の略歴も、多少、出ております(笑)。ご興味がお有りの方はどうぞ。)

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一周年シリーズ、「吟遊詩人は我が本意に非ず」後編。

2006年03月31日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

で、昨日の続きです。

あ、誤解のないように、ここで申し上げておきますと、私は、「吟遊詩人のような生き方を良し」とされている方を批判しているわけでも、こき下ろしているわけでもありません。
むしろ、どちらかと言うと、今は、少し、羨ましくもあります。
つまり、少年の日の私には、それだけ、野心が溢れていた・・・ということです。

「酔うては枕す美人の膝、覚めては握る天下の権」
これは、後藤田議員と、女優水野真紀さんの結婚式小泉首相が引用した桂小五郎作の漢詩だそうですが、こういうのを聞くと、久々、年甲斐もなく、胸が躍ってしまいました。
男と生まれたからには、やはり、できるものならば、こういう生き方をしたいものです。

「少年の夢、今何処 
       身は、もはや空蝉(うつせみ)となりて
                 ただただ唇を噛むのみ」
 
                             by平太独白・・・。

もっとも、小泉首相独身ですから、(建前上?)独り寝だそうですが・・・(笑)。

で、本題です。
昨日述べましたとおり、このブログを始める前、大いなる惑いの中にいた私でしたが、私がこうなったのも、実は、すべては孫 正義という天才毒気に当てられたからでした。
2004年後半、彼が福岡ダイエーホークス買収に名乗りを上げたとき、彼は「世界一の球団を目指す!」と言い、「そうでなければ日本のプロ野球アメリカの二軍になる。」とも言ったことに、私は、もの凄い衝撃を受けました。
まだ、「選手の給料が高すぎる」、「球団の数が多すぎる」などなどとケンケンガクガク言っていた頃の話です。

私はハッとしました。
確かに彼の言うとおりで、他に選択肢なんてないじゃないかと・・・。
彼は、新規参入だ、一リーグ制だ・・・と、まだ、混沌の中にある時に、快刀乱麻!「我々の目指すべきは、あそこだ!」と道を指し示した・・・、いや、指し示し得たわけです。
「凄い!」と慄然としました。
これこそが、将たる者に必要な能力だ・・・と。

では、振り返ってみて、我が身はどうかと。
当時、色々、考えました。
でも、み~んな、手段であって、方向ではないんです。
私が目指す方向性とは何なのか????
そう考えたときに、どうしても孫さんのような明確な答えが見つけ出せませんでした。
つまり、孫正義の毒気に当てられた・・・、それが惑いの原因でした。

で、昨日のアレキサンダーを見ての、「吟遊詩人は我が本意に非ず」になるわけですが、ここで、実業人の道へ歩みを戻そうとした私は、多くの人と交わり、アンテナを張り巡らせる為にも、やはり、何らかの会へ所属しようと思いましたが、ただ、某クラブや某会などの既存の会にはあまり、魅力を感じませんでした。
そこへ、友人から京都で開かれるある会に誘われたことから、まあ、観光がてら出席してみようと思い立ち、ついては、そういう晴れがましい会に参加させて頂く以上は・・・ということで、先日から述べております通り、そこから、ブログへと繋がったわけです。

もし、孫正義という人物が、プロ球団を買収しなければ・・・。
もし、アレキサンダーという映画を見なかったら・・・。
もし、拙著を出版していなかったら・・・。

まあ、もっとも、私は元来が、結構、退屈しない人間のようで、すぐに、何かを見つけてくるようです。
それだけに、今頃は、ブログ以外の何かをやっていた可能性が高かったかもしれませんね(笑)。

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とりとめもない一周年の余韻と世界最大のオーロラビジョン。

2006年03月28日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

さて、当ブログは、先日から、既述しております通り、昨年の3月下旬から書き始めたのですが、書き始めた時点で、すでに書きたいことが山のように貯まっていたモノで、ちょいと、一ヶ月くらいさかのぼって3月1日から始めたような形で始めてしまいました。
ところが、そのうち、日が経つに連れて、やはり、実際に始めた日に合わせるべきでは無かろうか・・・と思い始め、改めて、調べてみたら、これがわからない・・・。
で、色々調べた結果、去年の手帳の3月25日の欄に「ブログ開始」の文字が・・・。
ということで、厳密にはわからないけど、そこは、何事もアバウトな県民性福岡人らしく、「まあ、これでいいや・・・。」と(笑)。

で、始めるに当たって、元々、ブログという物の存在は、以前、誰かが経済誌に寄せていた記事で知っていたものの、作り方や専門用語などはさっぱりわからず、いずれ、ヒマになったら始めよう・・・と思い、放り出したままになってました。
(結構、これが多いんですよ。必要に迫られないとやろうとしないという・・・(笑)。)

ところが、去年の四月に、友人から、京都での、ある会への出席を誘われたことで(この辺は、平太郎独白録 「月はおぼろに東山~♪秋田人ハセガワ氏と見る等伯の渾身の筆!」をご参照下さい。)
、まあ、そういう晴れがましいような会に出させて頂くのであれば「ブログやってます。」くらい言わなきゃな・・・と思い、それで、急に始めた次第でした。


(そのときの、京都の夜桜と舞子はんどすぇ。ちょっと、ピンぼけしてますけど、これもまた、風情があって、よろしおすどっしゃろ(笑)。)

で、まずは、とりあえず、書店に行って、ガイドブックを買ってきて・・・のスタートだったのですが、最初買ったガイドブックは、ライブドアのものしかなく、仕方なし(?)にライブドアで始めました。
(さすがに、最近は、トラックバックコメントくらいは理解しましたが、未だにPING送信などはよく理解していません(笑)。)

最初はガイドブックを睨みながら、格闘してましたが、数ヶ月ほどして、ようやくシステムに慣れてきて、色々と知恵がついてくると、ライブドアの他にも色々とブログがあることに気付き、幾つか試行錯誤した後に、まずは、同時並行でgooを始め、昨年の7月中旬よりライブドアからエキサイトに完全に移行しました。
タダというのは、気軽に始められるから、本当に有り難いです・・・。)
で、色々、使ってみての感想ですが、まあ、各ブログとも、善し悪し・・・というよりも、私の需要合う合わないがあるようで、それもあって、今では同じ内容ですが、gooとエキサイトを並立させております。
まあ、どちらでもいいのですが、どちらかと言えば、エキサイトの方がメインでしょうね。

あ、今宵も、今から、ヤフー・ジャパン・ドームソフトバンクVS西武を見に行かなくてはなりません。
これは、福岡市民の義務です(笑)。
ちなみに、今日は世界のMVPとなった福岡人の婿松坂大輔投手が相手のようです。
婿・・・、つまり、松坂投手の夫人は福岡人です。



あ、そう言えば、ヤフー・ジャパン・ドームのオーロラビジョンは、今年から、大きくなって、さらに、ハイビジョンとなったのですが、ハイビジョンの画面としては、これは、世界最大の物だそうです。
あ、写っているのは、日本の四番打者、松中信彦選手です。
あ、ちなみに、近くには、東洋最大の観覧車というのもあります。
あ、ひょっとしたら、最近、どこかに抜かれたかもしれません。
あ、これ以上書いていたら、遅くなりそうですので、続きは明日のココロだ~ということで、ご理解下さい、御同輩・・・。

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祝、一周年記念に見るアッティクスの素性と意図の相関性!

2006年03月25日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

このブログも2005年の3月25日より書き始め、本日で何とか一周年を迎えることが出来ました。
取るに足らない妄想程度のものであるにも関わらず、根気強くお付き合い下さり、誠に有り難う御座いました。

一年を終わると言うことで、今回は、このブログの副題でもあり、毎回、冒頭に掲げられていた「親愛なるアッティクスへ」という言葉について、述べてみたいと思います。

これまでにも、実は、度々、「アッティックスって誰?」、「どういう意図があってここに掲げたの?」と良く聞かれていたのですが、アッティクスとは、共和制末期ローマ実在したローマ人です。
世代的には、カエサル(シーザー)やキケロ同世代であったようで、ローマでは、それなりの有力者であったようです。
(もっと、わかりやすく言うならば、キリストのお父さん(?)の世代。)

カエサルキケロオクタビアヌスなどから、「親愛なるアッティクスへ」という書きだしで始まる、彼に宛てた手紙が多数残されたことで、当時を知る上では一級の資料となっているそうですが、逆に彼からの返信は殆ど残されていないとか・・・。
従って、それらの手紙を残した側の彼がどういう人物だったかは、あまり、定かではないそうです。
おそらく、それには、二通りのことが考えられるでしょう。

まず、ひとつは、カエサルやキケロなどのビッグネームからの物は、歴史的資料価値も高いことは元より、それなりの高値が付くということで、資産価値の高さにも繋がり、人々の保存意欲を高めたのではないかということ。
つまり、アッティクスの名では古新聞と同じであり、廃棄されるのに余り抵抗がなかったのでは?ということです。
そして、もうひとつが、最初から余り返事を書かない人ではなかったのか?ということです。
当時は、カエサルが権力を握る過程の時期であり、キケロなどの共和制支持者との権力闘争が激しかった時代です。
そこへ、両方とうまく付き合っていかねばならない・・・、つまり、遊泳術に長けた人物であったとすれば・・・いうことです。
そして、得てして、こういう人物は用心深いものです。
証拠となるような文書は残さなかった・・・。
それなりの信頼於ける者に、返答記憶させ、先方へ差し向けたのではないか・・・あるいは、それなりの協力の裏付け(越後屋、そちも悪よのう・・・です(笑)。)と一緒に差し向けたということも予想されます。

私は、あるとき、この、霧に包まれた、それでいて、ビッグネームが色々な相談をしてくるこの人物へ宛てて、手紙を書いてみようと思い立ちました。
そこから、手紙形式で自分の考えていること、思っていることを述べてみよう・・・と。
無論、アッティクスは私への返信は書かない・・・。
あるいは、カエサルもキケロも、彼に返信を求めていたのではなく、彼に手紙を書くことで、自分の考えをまとめていたのかもしれません。
私も、最近、明らかに物忘れが激しくなってきたのですが、それでも、一度メモに書けば、割と忘れないのですが、これが書かないと、もう、まるでだめおくんだからです(笑)。

で、そこへ、雑誌でブログという物を目にしました。
何だこれ?と思い、その道に詳しい友人に尋ねたところ、「アナタのような人には、ブログはいいよ。」と言われ、「無料」ということを確認し(笑)、始めた次第です。



(先日の亀山社中近くで撮った一枚です。私としては、何だか、昭和の臭いがする、理屈抜きに、結構、お気に入りの一枚です。まあ、特に文中とは関係ないのですが、一周年記念ですから、殺風景すぎるのも如何なものかなと・・・(笑)。何卒、ご理解ください・・・。)

ということで、そこから後のことは、またいずれ書くこともあるでしょう。
ということで、今後とも、ご贔屓に預かりますよう、伏して、御願い奉りまして御座りまする。
ということで、今から、パ・リーグ開幕戦「福岡ソフトバンクvs宿敵、千葉ロッテ」を見に行かねばなりませので、これにて、失礼させて頂きますが、昨日の夜になって、突然、取ったので、一緒に行く人がいない・・・嗚呼、世の無常を嘆くキケロ 梁庵平太でした・・・。

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To be, or not to be・・・告知するべきか、せざるべきか、それが疑問だ的告知

2006年03月10日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

昨晩は、多忙にも関わらず、映画、「ALWAYS 三丁目の夕日」の上映が今日までと聞いたので、意を決して、今頃見に行ってきました(笑)。
どういうわけか、昼間のシーンではまるで実感が湧かなかったんですが、夜の場面は、見事に私が子供の頃の風景でしたね。
ストーリー的には、まあ、ありがちなストーリーだったんでしょうが、わかっちゃいるけど、まんまと術中にはまって胸が詰まった・・・みたいなところが・・・、あ、私は泣いてませんから(笑)。
隣のおばさんは泣いてましたけど・・・。
でも、最終日前日ということもあったのでしょうか、びっくりするくらい狭い部屋でしたが満員でしたね。

で、少し、大げさなタイトルになってしまいましたが、私は、以前、「こういうブログは、突然、消えてしまったりすることがある。」と聞いて以来、なるべく、こまめに、保存するようにしていたのですが、さらに、万一のことを考え、エキサイト「平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ」メインに、もう一つ、gooでも同じ内容のブログを作るようにしました。
ところが、今、私が使っております「エキサイト・ブログ」が、どういうわけか、去年の暮れ辺りから、私が使っているパソコンでの保存が出来なくなりました。
別のパソコンでやると、ちゃんと保存出来ますし、予備用として作成しているgooの方は、これまでどおり、何の問題もなく保存出来る・・・という不可思議(笑)。
で、先月は、別のパソコンで保存したモノをメールに添付して送って、保存していたのですが、ふと、エキサイトでは、設定の中に、PDF出版という項目があるのを思い出しました。
もちろん、以前から、そういう機能があるのは知っていたのですが、この、昭和生まれアナログ人間には、「心ここに有らざれば見えれども見えず」で、事実上、無きに等しい機能でした。

で、保存が出来ない・・・ということで、「これでもやるか・・・。」と思い、そのPDF出版というモノをやってみたのですが、終わったところで、「公開しますか?」と聞かれたもので、「公開する」を押したところ、「後悔する」になってしまいました(汗!)。
なぜなら、例によって、深い考えがあってやったわけでもないですから、とりあえず10月までの記事すべてをPDFにしてしまいましたので、どれくらいあるのか見てませんが、かなりの厚みになっていると思います。
ていうか、「公開する」を押したモノの、どこに公開されているか、まったく、わかりませんでした。

で、そのうち、ふと、当エキサイト・ブログの右下隅を見てみると、PDFの文字が・・・。
「???」と思い、クリックしてみると、当ブログのPDF化されたものが・・・。

ということで、当ブログも、去年の3月25日から始め、お陰様で、もうすぐ一周年です。
これも偏に皆様方のお引き立ての賜物と存じますので、私からのささやかなプレゼントです。
こんな分厚いモノ、プリントアウトしたい!という奇特な方がいらっしゃいましたら、どうぞ(笑)。
ということで、こんなの告知していいものやらどうやら・・・と困惑している、今の私の心情が表題のハムレット的告知となったわけです(笑)。


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何を暗示するのか!仕事始めに語る、嗚呼、今年の初夢!!

2006年01月04日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

本当は、年末年始筆休め・・・と決め込み、な~んにもするつもりはなかったのですが、そう思いながらも、やはり、文字人間の哀しい佐賀・・・違う、結局は、アップしてしまいました(笑)。
(昔、私の友人が、「今度のツイストの新曲、何か知っとうや?ナマぜ!」と私に言いました。で、その夜、ザ・ベストテンでは、柳徹子さんが、「第十位!新曲でベストテン入り!世良正則とツイスト!、『性(さが)!』」と叫んでました。・・・マジの話です。)

ということで、私としては、今日からが、仕事始めですので、今日が本当の意味での書き初めならぬ、筆始め・・・ということで、改めまして、明けましておめでとうございます
旧年中は、取るに足らない当ブログをお引き立て頂き、誠に有り難うございました。
今年も何卒、お見捨て無きようよろしくお願いし申し上げます。


で、正月といえば、雑煮はもう紹介しましたので、今度は、博多の正月料理の一つ、「ガメ煮」です。
通称、筑前煮と呼ばれる物ですが(まあ、どちらが通称なのか・・・(笑)。)、最近では、割と居酒屋メニューなどでも見かけるようになりましたので、あるいはご存じの方もいらっしゃるのではないかと思います。
が、あくまで、我々(・・・うちだけ?)にとっては、ガメ煮です。
まあ、取るに足らないものですけど、ガメ煮よろしく!(矢沢永吉風に・・・。)

で、正月と言えば、初夢です!
私の初夢は、今年は例年になく、印象に残りましたので、ご紹介しようと思うのですが、できれば、栄養学化学物質に詳しい方がいらっしゃいましたら、アドバイスなりを頂戴出来ればと思います(笑)。
以下。
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入院中の師を見舞う。
師は、病院のベッドに浴衣姿でベッドを少し起こした状態で待っておられた。
はだけた浴衣の胸の奥には、あばら骨が浮き出ているのが見えた。
(痩せられたな・・・。)
病床の傍らには、夫人が付き添っておられたが、師は私の顔を見るなり、「おお!来たか来たか!」と言って、嬉しそうに、「まま、一杯やれ。」と言って、グラスを差し出される。
「いや、病院の中で酒はまずいですよ。」
私が腰を下ろしながら、そう言うと、師は、「構うことはないさ。」と言い、お構いなしに、グラスを二つ、傍らにある病室備え付けの収納の上に置くと、慣れた手つきで五合ビンのフタを開けた。
グラス半分ほどに酒を注ぎ、取って返して、自らのグラスにも酒を注がれたが、傍らの夫人も何も言わない。
(それほどに悪いのか・・・。)
内心、そう思いながらも、顔には出さず、「いや、車ですから・・・。」と再度、固辞したが、師は「いやいや、少しくらいなら、警察もそううるさくは言わんよ。まあ、いいかから飲みなさい。」と構わずにグラスを私の前に差し出された。
師の、少々、時代錯誤のセリフに苦笑しながらも、(思えば、ここ数年は、車などは運転しておられないだろうからな。)と思うと、それ以上、固辞するわけにもいかなかった。
私は、「じゃあ、まあ。」と言いながら、師の手より、グラスを受け取った。

私は、仕方なしに、グラスに口をつけ、いつものように、ちびりちびりと飲み始めると、「君の飲む姿を見るのは久しぶりだな。私が生きてるうちに飲んでおいてくれよ。」と言われる。
私も少し、酔ってきたので、いつもの調子で、「何の、師より先に逝くのは弟子の務めですから・・・。」と悪態をついた。
師は嬉しそうに、「ははは、おかしな理屈だな・・・。」と言うと、酒を口に含むなり、ごくりと喉を鳴らして飲み込まれた。
私としては、吉田松陰と佐久象山を思い浮かべて言ったのだが、それには触れずに、「いや、どうしても逝かれるというのでしたら、後に残る者たちに、化学物質か栄養素などを例に引いた遺訓十戒でも残していただきたいものですな。」と言った。
「ほう、そう来たか。」と言うと、また、嬉しそうに、酒を口に含まれた。
それを見ながら、私は、「いや、それができないのであれば、先に逝くのはやはり、弟子の役目ですな。」と言うと、師は、「ならば、目に物を見せてやらねばなるまい。」と言われ、屈託なく、子供のように笑われた。

病院を出て、車に乗ったところへ、私の携帯が鳴り、夫人からの師の訃報が届いた。
慌てて、病室に取って返した私に、夫人は黙って、便せん用紙を差し出された。
その一番最初の一枚に、「第一条 グリコーゲンは、まあ、タンパク質が女遊びをしてできたようなもので・・・」とだけ書かれていた。
「あなたが帰られてから、すぐに、これに取りかかったんですのよ。でも、ここまで書いて・・・。」
そういうと、夫人は、それ以上は、言葉にならず、その場に泣き崩れられた・・・。

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ちなみに、あくまで、夢ですから、細かいディテールなどには突っ込まれませんよう(笑)。
ちなみに、グリコーゲンとタンパク質のところは、何と言われたか忘れましたので、私が勝手に入れました。
あるいは、化学物質だったかもしれません。
お知恵拝借!
衆知を集めるとはまさにこのことかと・・・。
ちなみに、私には、このような師はいません。
何かを暗示しているのでしょうか???
師よ、お導きを・・・。

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私事に見る「天道是か非か」的告知

2005年12月29日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

私儀、恥ずかしながら、この度、二冊目の著書「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」を出版致しました。
お笑い下されたく候です。
前作は、ヨン様と並んでましたが、今回は石原慎太郎と並んでました(笑)。

ちなみに、マジの話ですが、今日もずっと、車を運転しながら、著書のことを考え、ブログのことを考えていたら、ラジオから血液型占いが流れてきて、聞くとも為しに聞いていたら、「A型の貴方。(私です。)自意識過剰にならないように。井の中の蛙と笑われますよ。ラッキーポイント世界地図です。」と・・・。
嗚呼、天道是か非か・・・。


実は、アマゾンでもまだ、画像も登録されてませんし、店頭に並ぶのも来月初旬と聞いてましたので、それから・・・と思っていたのですが、今、友人を迎えに博多駅に行ったら、すでに並んでましたので、慌てて、UPした次第でした。
本当は、昨日でブログも仕事納めにしようかな・・・と思っていたのですが・・・。
ちなみに、正月の間、アップされ続けれるだろうと言う腹黒い計算も・・・(笑)。

さておき、今回の作品は、名前からすぐにおわかり頂けると思いますが、戦国の名将「武田信玄」とその後継者「武田勝頼」を描いたモノです。
ただ、前作よりも、かなり色濃く、私自身の体験が出ている作品だと言えます。
そして、哀しいかな、私だけの特異な体験ではなく、これが、日本の中小企業(あるいは、松下幸之助などを見ていると、大企業でさえも・・・。)で起きていることの現実だとも言えるような気がします。
中内功、藤田田、水島広雄、和田一夫・・・etc、昨日の名将が今日も名将であるとは限らないんです。
その意味で、おそらく、500年前の武田家の実態も「当たらずといえども遠からず・・・」だったのではないかと思っています。
過去のカリスマがかえって仇を無し、迷走さえも深謀遠慮に映る・・・。

「ボケた毛沢東ほど始末の悪いモノはない。」
これが、私が身を以て体験したことの結論です。

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参考:取り扱い店舗抜粋(全部入れたらエラーが出ました。載ってない地域がありましたら、コメント頂ければ対応します。)
札幌市   コーチャンフォー美しヶ丘店
秋田市   加賀谷書店 本店
大館市   又久書店清水店
本荘市   高堂書店 駅前店
二本松市  メディアデポタカヨシ 二本松店

豊島区   リブロ東池袋店
豊島区   リブロ池袋店
豊島区   リブロ池袋パルコ店
墨田区   リブロ錦糸町店
目黒区   芳林堂書店 祐天寺店
世田谷区  冨山房書店 日大世田谷店
世田谷区  リブロ三軒茶屋店
品川区   リブロ大森店
品川区   島津山 東急店
千代田区  丸善丸の内本店
千代田区  三省堂書店 神田本店
千代田区  丸善 お茶ノ水店
新宿区   三省堂書店 新宿西口店
新宿区   丸善新宿エステック店
新宿区   福家書店新宿サブナード店
新宿区   紀伊國屋書店 新宿本店
渋谷区   リブロ渋谷パルコ店
練馬区   正育堂 中村橋店
練馬区   いずみ書店 駅前店
練馬区   リブロ大泉店
練馬区   リブロ光が丘店
江戸川区  パピルス江戸川
江戸川区  銀河書房
国分寺市  ブックセンター恋ヶ窪
葛飾区   稲田書店
台東区   渓川書店
台東区   リブロ浅草店              
港区    リブロ青山店
調布市   リブロ調布店
八王子市  三成堂書店 八王子そごう店
西東京市  リブロ田無店
武蔵野市  リブロ吉祥寺店
立川市   新星堂フロム中武店
町田市   リブロ町田店
福生市   リブロ福生店
横浜市   有隣堂本店
横浜市   ゆうゆう堂
横浜市   戸田書店 今宿店
横浜市   石村集文堂 WAO横浜こどもの国店
横浜市   昭和書房
横浜市   井上書房 瀬谷店
横浜市   シーサイド書店
横浜市   戸田書店 能見台店
横浜市   紀伊國屋書店 横浜店
横浜市   リブロ港北店
横浜市   リブロ東戸塚店
小田原市  リブロ小田原店
高座郡   三光堂
津久井郡  敏正堂
足柄上郡  ミクニ書店
鎌倉市   島森書店 鎌倉店
足柄下郡  ポップイン 文昭堂

新潟市   北光社本店
新潟市   文信堂CoCoLo本館
新潟市   紀伊國屋書店 新潟店
静岡市   宮脇書店 静岡店
焼津市   焼津谷島屋 登呂田店
名古屋市  三省堂書店 名古屋テルミナ店
名古屋市  書林房五常
名古屋市  紀伊國屋書店 ロフト名古屋
名古屋市  星野書店  近鉄パッセ
名古屋市  榮進堂書店 イーズ店
名古屋市  文京堂書店
名古屋市  白水書店
名古屋市  守山ブックセンター
名古屋市  リブロ名古屋店
名古屋市  三省堂書店 名古屋高島屋店

京都市   たぬき堂
京都市   アヴァンティブックセンター
京都市   三京書店京都店
京都市   本のいのしし堂
大阪市   丸善 なんばOCAT店
大阪市   三京深江橋店
大阪市   隆祥館書店
大阪市   宮脇書店 東成店
大阪市   正和堂書店 鶴見店
大阪市   西坂書店
大阪市   旭屋書店 なんばシティ店
大阪市   旭屋書店 天王寺MiO店
大阪市   ジュンク堂書店  難波店
大阪市   ジュンク堂書店 大阪本店
大阪市   旭屋書店 本店
大阪市   三京書店本町店
大阪市   三京書店 心斎橋店
大阪市   三京書店 BOOKS ピットイン
大阪市   自由堂書店新大阪店(三京書店外商部)
大阪市   リブロ梅田阪神店
神戸市   海文堂書店               
神戸市   ジュンク堂書店  三宮店        
神戸市   流泉書房パティオ店           
神戸市   宮脇書店 神戸北店           
尼崎市   タイムブック              
尼崎市   おきな書房               
尼崎市   (株)三和書房             
姫路市   山陽ブックセンター           
姫路市   楽学書館 Begin          

岡山市   本の森セルバ              
岡山市   宮脇書店 平島店            
岡山市   丸善 岡山シンフォニービル店      
岡山市   宮脇書店 岡山本店           
岡山市   紀伊國屋書店 クレド岡山店       
米子市   BCコスモ米子店            
鳥取市   宮脇書店 鳥取店            
広島市   (株)コムズ 書籍部          
広島市   リブロ広島店              
広島市   廣文館 広島駅ビル店          
広島市   フタバ図書MEGA           
広島市   廣文館 金座街本店           
広島市   ジュンク堂書店 広島店         
広島市   フタバ図書GIGA広島駅前店      
松山市   丸三書店                
松山市   バッハ書店 松山店           
松山市   メディアシティ バッハ 衣山店     
松山市   バッハ書店 川之江店          

福岡市   ジュンク堂書店福岡店
福岡市   丸善福岡ビル店
福岡市   BOOK BAU
福岡市   紀伊國屋書店 福岡天神店
福岡市   丸善 福岡ビル店
福岡市   ジュンク堂書店 福岡店
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福岡市   積文館書店博多駅地下店
福岡市   紀伊國屋書店福岡本店
福岡市   福岡金文堂デイトス店
福岡市   ブックイン金進堂原田店
福岡市   リブロ福岡西新店
粕屋郡   ブックイン金進堂長者原店
春日市   リブロ春日店
久留米市  リブロ久留米店
久留米市  紀伊國屋書店 久留米店
鳥栖市   油屋本店
平戸市   平戸ブックセンター
熊本市   紀伊國屋書店 熊本店
熊本市   リブロ熊本店
大分市   リブロ大分パルコ店
大分市   晃星堂
大分市   リブロ大分わさだ店
別府市   リブロ別府店

樋口一葉 命日に見る多忙への処世術。

2005年11月22日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

実は私、今、大変、多忙にしてまして・・・。
にも関わらず、昨日はこの忙しい中、紅葉狩りなどに出かけてしまいまして・・・。


で、唐突ですが、明日、11月23日は明治の女流作家、樋口一葉命日だそうですので、これでちょっとごまかします(笑)。

ちょっと行かない間に、近所に新しいラーメンやさんが2軒出来ていたので、ちょっと行ったところ、これがちょっとではなく、余りにもまずい!まずい!
私なんぞは、食い物を残すと親に死ぬほど殴られた世代ですから、滅多に食い物残すことはないのですが、久々に食えない(((@@)))という感じでだけは残しました(笑)。
で、お口直しにもう一軒の方に行ったところ、これがまた、こちらもゲロゲロ
でも、さすがにラーメン二杯餃子ご飯食ったら、腹パンパンですよ。

昔、樋口一葉がに遊郭のそばを通りかかったら、老婆冷たい水で拭き掃除をやっていたそうで、「ツライねー、ツライねー」を連発していたので、それを見た一葉が「お水がですか?」と聞いたら、その婆さんがじろっと見て、吐き捨てるように一言、「バカだね、この子は。世間だよ。」と言ったそうです。
それで、ハッとした一葉が文字通り一皮むけて「にごりえ」「たけくらべ」などの名作を世に残したそうです。
「つらいねー。つらいねー。」
世間がですか?」
「バカだねー、この子は。お腹だよ。」(笑)。
あー、本当に苦しい・・・。

お粗末!

P.S そういえば、うちの祖父の旧姓は「樋口」でした。
関係ないですね・・・、はい(笑)。

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お笑い下されたく候・・・

2005年07月28日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

顧みれば、いたずらに馬齢を重ねるのみにて恥多き人生、慚愧に堪えず。
戯れに、一詩参らせ給い候。
お笑い下されたく候。

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のんべんだらりと生きてきた
ぎゅーっと 凝縮されてない
のんべんだらりと生きてきた

明日いくさで死ぬかもしれぬ
のんべんだらりと生きられぬ
のんべんだらりと生きられぬ

するべき事をせず
なすべき事を為さず

のんべんだらりと生きてきた
いたずらに馬齢を重ね幾星霜
のんべんだらりと生きてきた

起きて飲んで食って寝ただけ
のんべんだらりと生きただけ
のんべんだらりと生きただけ

千載一遇 勇はなく
乾坤一擲 覇気もなし

のんべんだらりと生きてきた
ただただ世に在りしのみにて
のんべんだらりと生きてきた

目の前の うつつを言い訳に
のんべんだらりと生きている
のんべんだらりと生きている

少年の日の 青空は高く
夏草は無限の未来を誘う
想いは遠く もはや還らず
 
いつのまにやら視線は下がり
志とやらは どこへやら
時流に流され どこへやら

のんべんだらりと生きてきた
のんべんだらりと生きてきた

           by 平太郎

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