親愛なるアッティクスへ
昨日の午後、机の上に積み上げてあった本をどかそうと、本の下に手を突っ込んだところ、突然、左手薬指に激痛が・・・。
何と、本の下には、カミソリ・・・。
カッターナイフと違い、刃先を収納出来ないカミソリは、ペン立てなどに立てておくと危ないからと思い、机の上の、よく見えるところに置いておいたのですが、それが仇に・・・。
その上に、迂闊にも本を重ねてしまったんですね。
傷口は、かなり、ひどい・・・。
スパッと切れて、パッカリと開いています。
出血も半端じゃありませんでした・・・。
まあ、商売柄(?)、こういう怪我には馴れてはいるんで、いつものように絶縁テープで止血して、今朝ほど、近所の外科に行ってきました。
(馴れている私にとっても、史上一位二位を争うほどの怪我でした。)
案の定、「縫合」されました。
今頃、麻酔が切れて痛いです。
ていうか、ついでに、ここ3年くらい、トゲが刺さったままだった左手中指も手術で取り除いてもらいましたから、左手が指二本包帯だらけで、キーボードが打てません・・・。
ということで、春ですね。
春と言えば、春眠暁を覚えず・・・でしょうか。
ということで、今日は夢について述べてみたいと思います。
まず、「邯鄲の夢」というのをご存じでしょうか?
まあ、私なんぞが改めて言うことではないのでしょうが、確か、
「中国は唐の時代、ある不遇を託っていた青年が、邯鄲という街の宿で、たまたま、一緒になった道士から枕を借りて眠ったところ、みるみる枕が大きくなって、枕の横の部分にあった穴の中に入って行くと、家があり、そこの娘を嫁にもらった縁で、官途につき、その後、栄達したかと思えば左遷されたり、復活したかと思えば失脚したりした挙げ句に、最後は高官として、一生を終える・・・という夢を見た。だが、目覚めてみると、炊きかけの大粟もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった。」という話だったと記憶しております。
まあ、人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえであり、かつ、我が身の不遇ばかりを嘆くでないよ・・・という戒め的な話なのでしょうが、何故こんなことを言うかというと、実は、私もこれと似たような不思議な経験をしたことがあるからです。
お恥ずかしい話ですが、まだ建設現場に出ていた20代半ばの頃、陰気な、辛いだけの職場だったこともあり、時間が早く過ぎることだけを願っていた私は、作業中、よく、空想にふけってました。
そのときも、いつものように、作業場で材木を削っているときでした。
と言っても、電気カンナに材木を突っ込むだけですから、単純な作業の繰り返しです。
私は、いつものように、空想にふけりました。
ある日突然、当時の日本の最大の仮想敵国であったソ連が、一斉に、日本に侵攻してきて、大混乱になります。
私は、その侵略に対し、レジスタンスに身を投じ、戦乱の中で、次第にレジスタンス軍の中で重要な地位につき、そして、ソ連を撤退させたことにより、最後は、この国の独裁者にまで登り詰めます。
(細かい経緯は忘れました。)
独裁者となった私は、まず、理想の国家作りを実現すべく、改革へ着手。
改革に抵抗しようとする、抵抗勢力を皆殺しにしました。
次に、その連中の近親者にクーデターの計画があることが発覚し、先手を打って、この連中もすべて粛正しました。
すると、今度は、それにつながる友人、支援者たちが恨んでいるという情報を得たので、これも、すべて殺しました。
その後も、それらを繰り返していくうちに、ついには、自分の側近も家族も信じられないようになりました。
まさしく、スターリンそのものじゃないですか!
私は半ばパニックになり、「どうしてこんなことになったのか!こんなはずではなかったのにぃ・・・!」と叫びそうになって、ふと我に返りました。
そのとき材木は、まだ10本程度しか削れてなかったと言う・・・。
これは、ただの、私の、取るに足らない妄想だろうか・・・、それとも、何かが私に与えた啓示だったのだろうか・・・ということは、私にはわかりませんが、ひとつだけ、はっきりと言えることがあります。
「自分に死ぬ勇気がない奴は、絶対に、人を殺してはいけない。」
おそらく、スターリンも同じ状態だったのでしょう・・・。
嗚呼、マジで指が痛い!!!
今日ばかりは、意味不明をお許し下さい・・・(泣)。
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昨日の午後、机の上に積み上げてあった本をどかそうと、本の下に手を突っ込んだところ、突然、左手薬指に激痛が・・・。
何と、本の下には、カミソリ・・・。
カッターナイフと違い、刃先を収納出来ないカミソリは、ペン立てなどに立てておくと危ないからと思い、机の上の、よく見えるところに置いておいたのですが、それが仇に・・・。
その上に、迂闊にも本を重ねてしまったんですね。
傷口は、かなり、ひどい・・・。
スパッと切れて、パッカリと開いています。
出血も半端じゃありませんでした・・・。
まあ、商売柄(?)、こういう怪我には馴れてはいるんで、いつものように絶縁テープで止血して、今朝ほど、近所の外科に行ってきました。
(馴れている私にとっても、史上一位二位を争うほどの怪我でした。)
案の定、「縫合」されました。
今頃、麻酔が切れて痛いです。
ていうか、ついでに、ここ3年くらい、トゲが刺さったままだった左手中指も手術で取り除いてもらいましたから、左手が指二本包帯だらけで、キーボードが打てません・・・。
ということで、春ですね。
春と言えば、春眠暁を覚えず・・・でしょうか。
ということで、今日は夢について述べてみたいと思います。
まず、「邯鄲の夢」というのをご存じでしょうか?
まあ、私なんぞが改めて言うことではないのでしょうが、確か、
「中国は唐の時代、ある不遇を託っていた青年が、邯鄲という街の宿で、たまたま、一緒になった道士から枕を借りて眠ったところ、みるみる枕が大きくなって、枕の横の部分にあった穴の中に入って行くと、家があり、そこの娘を嫁にもらった縁で、官途につき、その後、栄達したかと思えば左遷されたり、復活したかと思えば失脚したりした挙げ句に、最後は高官として、一生を終える・・・という夢を見た。だが、目覚めてみると、炊きかけの大粟もまだ炊き上がっていないわずかな時間であった。」という話だったと記憶しております。
まあ、人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえであり、かつ、我が身の不遇ばかりを嘆くでないよ・・・という戒め的な話なのでしょうが、何故こんなことを言うかというと、実は、私もこれと似たような不思議な経験をしたことがあるからです。
お恥ずかしい話ですが、まだ建設現場に出ていた20代半ばの頃、陰気な、辛いだけの職場だったこともあり、時間が早く過ぎることだけを願っていた私は、作業中、よく、空想にふけってました。
そのときも、いつものように、作業場で材木を削っているときでした。
と言っても、電気カンナに材木を突っ込むだけですから、単純な作業の繰り返しです。
私は、いつものように、空想にふけりました。
ある日突然、当時の日本の最大の仮想敵国であったソ連が、一斉に、日本に侵攻してきて、大混乱になります。
私は、その侵略に対し、レジスタンスに身を投じ、戦乱の中で、次第にレジスタンス軍の中で重要な地位につき、そして、ソ連を撤退させたことにより、最後は、この国の独裁者にまで登り詰めます。
(細かい経緯は忘れました。)
独裁者となった私は、まず、理想の国家作りを実現すべく、改革へ着手。
改革に抵抗しようとする、抵抗勢力を皆殺しにしました。
次に、その連中の近親者にクーデターの計画があることが発覚し、先手を打って、この連中もすべて粛正しました。
すると、今度は、それにつながる友人、支援者たちが恨んでいるという情報を得たので、これも、すべて殺しました。
その後も、それらを繰り返していくうちに、ついには、自分の側近も家族も信じられないようになりました。
まさしく、スターリンそのものじゃないですか!
私は半ばパニックになり、「どうしてこんなことになったのか!こんなはずではなかったのにぃ・・・!」と叫びそうになって、ふと我に返りました。
そのとき材木は、まだ10本程度しか削れてなかったと言う・・・。
これは、ただの、私の、取るに足らない妄想だろうか・・・、それとも、何かが私に与えた啓示だったのだろうか・・・ということは、私にはわかりませんが、ひとつだけ、はっきりと言えることがあります。
「自分に死ぬ勇気がない奴は、絶対に、人を殺してはいけない。」
おそらく、スターリンも同じ状態だったのでしょう・・・。
嗚呼、マジで指が痛い!!!
今日ばかりは、意味不明をお許し下さい・・・(泣)。
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