平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

国連の必要性と家康に学ぶ同盟弱者の戦略。

2006年10月16日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

土日は、陶器マニアの秋田人に誘われ、ここへ行っておりました。
言わずと知れた焼き物の里、佐賀県は伊万里です。

元より、そのような芸術になど、とんと造詣がない私のこと、近場でありながら、初めての侵入(?)でした(笑)。

でも、焼き物には、まったくの門外漢の私にも、窯元などが立ち並んだその町並みは、屏風岩と呼ばれる借景と相まって、それなりに堪能出来ました。

また行くか・・・と言われたら、行かないでしょうが(笑)。

で、本日のお題です。
潘基文・韓国外交通商相国際連合事務総長になったそうですね。
潘氏は対日強硬派として知られるだけに、彼が事務総長になった場合、日本外交は難しいことになる・・・という見方もあるようですが、元来、外交官とは「水は方円の器に従う」みたいな物で、その立場次第、ポスト次第で、強硬にも柔軟にもなるものだと思いますので、国連事務総長になったからと言って、いきなり、日本外交が厳しくなるということはないと思います。
むしろ、北朝鮮と日米の間に挟まれて難しい対応を迫られることになるでしょうし、その際、出身国の利益代表みたいにとられることにも苦慮するのではないでしょうか・・・。

それはさておき、その上で、敢えて言いたいのが、本当に国連という物は必要なのだろうか・・・ということです。
巨額の分担金を負担しながらも、最近まで敵国扱いだったわけですし(まだ敵国扱い?)、今だって、常任理事国入りさえ、ままならないわけですから、であれば、ブラフの意味でも、国会で国連脱退を議論してみるというのも悪くはないのでは・・・と思うのですが。
そもそも、有事の際、国連というものは、どの程度、日本を守ってくれるのでしょうか?
国連軍を派遣して侵略国と交戦し、撃退してくれる・・・ということがあるのでしょうか?
国連軍は基本的に、治安維持に当たることはあっても、戦争の当事者となってまで、その国を守ってくれる・・・ということは、あまり、現実的ではないように思うのです。
無論、朝鮮戦争湾岸戦争などで、国連軍が交戦することはあったでしょうが、実態はアメリカとその同盟国軍であり、アメリカを始めとする、その時々の大国の都合に左右される現実は否定しようがないと思います。
であれば、日米安保がしっかりしていれば、国連などは気休めでしかなく、いらないのではないかと・・・。
元々、他に選択肢があるわけじゃなし・・・。

その意味では、以前から言っていることですが、日本がイラクに自衛隊を派遣したのは、大賛成とは言いませんが、やむを得なかったと思います。
徳川家康は、姉川合戦の折、自身、決して余裕があるわけではないにも関わらず、織田信長の要請に応じ、動員出来る可能な限りの兵力を率いて参戦し、そして、他人の戦争にも関わらず、奮迅の活躍をしております。
なぜか?
家康にとっての当面の脅威、武田信玄との、来るべき戦争の折には、大兵力を擁する信長の助力を仰がねばならなかったからです。
韓国ベトナム戦争のとき、何の恨みもないベトナムに軍隊を派兵したのも、この論理でしょう。
日本とアメリカとも、また然りだと思います。

この辺は、以前、平太郎独白録 「昭和の怪僧、今 東光にみるアメリカとの関わり方心得。」の中でも触れたことですが、今東光という人の名言に、「アメリカが信長なら、日本は家康である。信長から、我が子の首を出せ!と言われたら、家康は、歯を食いしばっても出さねばならない」というのがあります。
これは、同盟者信長の命令で、家康が、嫡男 信康自害させたと言われる事件を指したものだと思いますが、私はまさしく、日米関係の基本はこれだと思います。

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